と気がつくと、デモ隊は、最終目的地の和平公園に到着していた。和平公園というのはこの日のために莫愁湖畔の漢中門広場に命名された新しい公園の名前だ。みんなが到着すると「キャンドル祭」が始まった。公園の内も外も人、人、人でいっぱい。最初に、赤々と燃える炎のやぐらを背景に公園のステージの上で、英語のナレーシヨンも加えた男女4人による詩の群読があり、人々を65年前に引き込んでいった。その透き通った、時にはりりしく、時には胸の張り裂けるような悲しい声は、夜空をさまよう霊魂たちにも語りかけているようだった。生存者の李秀英さんが車椅子で登場して「この歴史を忘れてはならない、私たちには戦争はいらない。私たちが求めているのは平和だ」と語ったのが印象的だった。終わり頃になって、白衣のドレスを着た100名ほどの女性合唱団によるコーラスがあり、死者の霊を慰めると共に、南京の人々の平和への熱い思いを歌いあげた。このようにして、民族の忘れがたい悲しみの記憶は、この日、人々の心の中に、南京の夜のとばりの中に静かに包み込まれていった。
私は、帰りのバスの中で、少し疲れた体を椅子にもたせながら、あるフランス抵抗詩人の詩の一節を思い出していた。
死んだ人々は還ってこない以上、生き残った人々は何をわかればいい?
死んだ人々は還ってこない以上、生き残った人々は何をすればいい?
(南京にて、2002年12月15日 記)
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