「南京大虐殺65年 2002年東京集会」
忘れてはならない日本の戦争犯罪
概要報告
毎年、日本軍による南京占領の12月13日前後に、南京から被害体験者をお招きして証言を聞く会を、各地の仲間と協力して開催してきました。今回は2002年12月15日、社会文化会館(永田町)にて開催し、約120人の参加者がありました。集会後は銀座まで犠牲者を追悼する恒例の街頭デモを行いました。報告集は現在編集中ですが、概要を以下にまとめます。
集会アンケートによる参加者の声もあわせて収載しました(事務局)。
1.南京虐殺事件の被害者の証言
南京の下関地区に住んでおられる仇桂英さん(73才、女性)と謝秀英さん(79才、女性)が来られ、それぞれ8才と13才の子供だった当時の経験を語ってくださいました。辛いお話の途中、何度も涙で語れなくなりながらも、お二人はしっかり語ってくれました。
仇桂英さんは、両親と兄、妹の5人家族で、下関に住んでいて、揚子江岸の宝塔橋近くの防空豪に隠れていたところを日本軍に見つかってしまいました。お母さんは豪の外で、略奪に来た日本兵に銃で撃たれ、重傷を負いました。その後、食料調達に来た日本兵によって防空壕に火を点けられ、一家は危うく脱出しましたが、お母さんはその時すでに死亡していました。その後、和気洋行(食肉工場)に避難したところを見つかって、一家で連行される途中で脱出したり、何度か危険な目にあいました。悒江門や中山埠頭でたくさんの虐殺死体を目撃したことなどを語りました。
謝秀英さんの一家は10人の家族で、下関地区の柵欄門で農業をしていましたが、日本軍が来る前に、お母さんは子供たちと揚子江を渡って遠方(爪封)に避難していました。38年の2月ごろお母さんは兄弟たちと謝さんを連れて、家に戻りました。祖父からお父さんが日本兵からいきなり発砲されて殺されたことを聞きました。その後、何度か日本兵が徴発にやって来て、謝さん自身も3度連行され、犯されそうになりましたが、お母さんや、近所の人たちに救われた経験を語ってくれました。一度は腕章をつけた兵隊(憲兵か?)が日本兵を連れ去ったということです。
2.南京大屠殺偶難同胞紀念館の紹介
廬志遠さん(同記念館弁公室副主任)から、日本軍による南京占領から65周年の12月13日には、南京市の各所で市民による大規模な追悼の行事とキャンドルデモが行われとことが紹介されました。日本人も120人が参加したそうです。(注)廬さんは、2002年は日中国交正常化30周年にあたり、「歴史を鏡にして、未来に目を向ける」という言葉のとおり、日中の友好交流のためにがんばりますと結びました。
注)本号に、南京集会に参加した林伯耀さんの報告があります。
3.南京戦従軍元日本兵の証言
東史郎さんは高齢のために、11月30日に東さん宅を訪問しインタビューをビデオに収録したものを編集して上映しました。東さん自身は、大規模な虐殺に関与したり、目撃したことはなかったのですが、捕虜の斬首の現場の様子などを語ってくれました。
4.『揚子江岸、下関で何があったか』 兵士の証言の朗読とスライドの上映
仇さんと謝さんの証言にあった揚子江に臨む下関地区はもっとも大規模な虐殺があったところです。新しい試みとして、宇野淑子さん(元TBSアナウンサー)による元兵士の証言の朗読に合わせて当時の写真のスライドを上映し、南京占領直後の下関地区の阿鼻叫喚の様子を言葉とイメージで構成してみました。兵士の証言は松岡環著「南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて」から採取し、そのほか「村瀬守保写真集 兵士が写した戦場の記録 私の中国戦線」と石川達三『生きている兵隊』の叙述を引用しました。
5.パネル討論:南京大虐殺から65年 「今日このごろ思うこと」
帰国した拉致被害者の日常とともに北朝鮮の脅威が強調されて連日マスコミに報じられ、イラクではアメリカ・イギリスによる攻撃が間近いという状況を踏まえて、かつてアジアを侵略した日本は歴史から何を学んだか? パネラーとして、作家の金石範さん、市民運動家の梁澄子さんおよび当会代表の田中宏さんを迎えて、自由に語っていただきました。
金石範さん:
植民地支配の過去精算をせずに、経済協力と引き替えにした65年の日韓国交正常化はインチキであり非正常というべきだ。また昨年9.17の平壌宣言は、村山方式の謝罪があるとはいえ、本質は経済協力方式であり非正常であることに変わりはない。過去の否定は「歴史の空洞」ということである。その空洞を埋め、何とか鬱憤を晴らしたいというのが今度の拉致問題を契機とする北朝鮮糾弾の報道である。
ジャーナリズムで「歴史の呪縛」という言葉が使われている。「救う会」幹部が「過去の植民地支配の贖罪という呪縛から放たれ、拉致問題解決に本気の姿勢で臨むことができた」と述べたのは、「過去の植民地支配」の歴史を認めたことにほかならない。朝日新聞はじめとして、歴史を切り捨て、植民地支配は当時は正当であったかのような論調が出るというのは、歴史健忘症というよりは悪質な歴史抹殺というべきだ。
国益重視という形でのニューナショナリズムの国民感情を作り出しているのはジャーナリズムの責任である。政府の統制があるわけでもないのに、マスコミが一糸乱れず隊列を組んでやっている拉致報道とその上に乗った国民感情は、政府にとっては好都合な世論の形成に他ならない。権力をチェックすべきジャーナリズムが、ニューナショナリズムの形成に手を貸すという今の状況は、拉致問題に限らず民主主義の危機を感じる。
日本の歴史健忘症というのは、負け方がショッキングだったために、南京大虐殺を始めとする加害の事実は忘れ去り、被害の意識だけが残った結果なのではないか。関東大震災の時の朝鮮人虐殺にしても、その元には、3.1朝鮮独立運動の後の朝鮮人の独立という恐怖心、ある意味での集団的な被害意識が働いていた。そのため加害事実を抹消した。ここにも「歴史の空洞」がある。石原都知事が大震災被害対策に関して、「不法外国人の暴動が心配」と言った裏には、関東大震災の時には朝鮮人がやられたが、今度は我々がやられるという脅迫観念が「集団的無意識」下にあるためだ。加害者であるのに、被害者の意識を強くもって、都合の悪い過去を切り捨てると「歴史の空洞」を作るが、「集団的無意識として心の空洞」を形成する。そのため日本人はいつも鬱の状態にあり、今回の拉致問題のように、攻撃対象ができると過剰に反応して鬱憤を晴らそうとした。それが今のような拉致報道となったのだろう。
梁澄子さん:
仇さんと謝さんの証言を聴いてわかるように、被害者は過去の記憶が蘇るのが辛いのではなく、被害の記憶の中で日々生きている。被害者の本当の傷の深さは他者にはわからないものであることを認識し、被害者と怒りを共有しても、あくまで被害者の立場に立って支援することが大切だ。
また、南京大虐殺のすぐ後(1938年)に武昌で慰安婦にされ、7年間性暴力被害を受け続けた宗神道さんの補償運動に取り組んできた経験から、被害回復の活動をする中で陥りがちな問題を指摘したい。ひとつは支援する人が被害者と思いを同じと考えがちで傲慢になる危険のあること。また歴史認識、女性の人権、慰安婦を隠蔽してきた朝鮮人社会などの諸問題の解決を被害回復の活動を通して行おうとするのは誤りであることを自覚しなければいけない。
上述した立場からいうと、9.17以後、北朝鮮から帰国した拉致被害者に対する日本の社会のあり方、支援者の言動、マスコミ報道のあり方は問題が多い。被害者の本当の苦しさをむしろ押さえ込んでしまうような支援者の言動。あるいは被害者の日常の表面的なことしか報道せず、その結果、世論操作をしている立場の人の代弁者となっているマスコミのあり方など、日本全国が”勘違い状態”と言っていい。
65年の国交正常化は、植民地支配下の個人に対する国家犯罪、被害者への謝罪と補償等の責任を果たすことを切り捨てて戦後処理した。阻まれてきた個人の戦争被害回復を可能にするような国交正常化とは何かを考え、前向きに戦後補償運動の現状を打開していきたい。
田中宏さん:
9.17以後に生じた日本の雰囲気は私も非常に気になっている。拉致被害者を支援する人々は、個人被害の補償要求をしているが、補償、謝罪など我々が取り組んできた戦後補償運動のキーワードとほとんど重なるものだ。戦後補償要求裁判などでは国家無答責とか国際法の下では個人が主体にはなり得ない等の厚い壁に阻まれてきたが、拉致の問題では北に個人補償を求めるという方向に流れて行っており、首をかしげざるを得ない。マスコミは我々の戦後補償裁判を扱ってきて、法的な論点は承知しているはずなのに、金石範さんが指摘したようにそのマスコミが非常にエモーショナルにそれを報道している。「しっかりしてくれよ」と言いたい。
廬志遠主任が紹介した、南京記念館は85年8月15日に開館した。江東門という所の大規模な虐殺があった場所に相当の期間を準備にかけて南京市が設立した。館名の字を 小平が書いた。82年には、教科書問題が起きており、中国でも強い危機感をもって準備したとのだ。731記念館も同じ8月15日にオープンした。その同じ日に当時の中曽根首相が靖国神社に公式参拝をした。この一致は歴史的に象徴的な意味を持つ事件になった。南京の記念館の開館の同じ日に、靖国を参拝したら中国からどういう反発を受けるかを中曽根首相は読むことができなかった。その3ヶ月前の5.8にはドイツの国会でワイツゼッカー大統領が戦後40周年を記念する有名な演説)を行うという時期でもあった。その中の一節「過去に目を閉ざす者は現在のことにも盲目になる」が有名だが、中曽根はまさにその良い見本となったのだ。金石範さんがいうように、まともなジャーナリストがいれば、中曽根の靖国参拝が国と国のレベルでどんな問題を引き起こすかを批判的に記事にすることができただろう。
日本の反戦平和運動はノーモア広島という被害を強調する。石原慎太郎などは「南京大虐殺はでっちあげだ」とまで言うが、南京の人から、広島の原爆はでっちあげだといったら日本人はどう思うかと問われたこともある。ノーモア広島とノーモア南京を対にして考えなければいけないという意味をこめて、当会はこのネーミングにしたのだ。
今度の拉致事件にしても、北朝鮮の国家犯罪だということははっきりしているけれども、日本が犯した大規模な中国、朝鮮からの強制連行で亡くなった人たちのことを併せて考えないといけないでしょう。
[ホームページへ] ・
[上へ] ・
[次へ]
メール・アドレス:
nis@jca.apc.org