南京大虐殺

―――人類と文明への冒涜―――

林 伯耀


1. はじめに
2. 南京事件の序曲
3. 難民と捕虜に対する大虐殺
4. 虐殺は組織的におこなわれた
5. 日軍の獣行――強姦、虐殺、死体凌辱
6. 虐殺された中国人は30万人以上
7. むすび


はじめに

日本帝国主義の中国侵略によって、犠牲になった中国人は2千万人を下らない。 その侵略は、中国人民に筆舌につくしがたい苦しみをもたらした。 国土は荒廃し、離散家族は、何百万世帯を超える。 行方不明になった人の数は計り知れようもない。 1928年の日軍の山東出兵による済南虐殺事件(6千人余の市民を虐殺)から、 はじまって(旅順虐殺事件は1894年)、1945年の日本敗戦まで、 中国全土で日本軍によって組織的に、集中的に行われた虐殺(惨案) 及び暴行といわれるものは2300件を越える。 この内、100名以上の犠牲者が出た惨案は390件を超える。 その多くは数百名から数千名単位のものである。 1937年12月13日から約6週間にわたっておきた南京大虐殺事件は、 こうした無数の惨案の中の一つの象徴的な事件にすぎない。 日本軍が50年前にもたらした傷跡は今もなお、深く人々の心の中に残っている。

南京事件の序曲

1937年7月7日夜、日本の「支那」駐屯軍は、北京郊外の蘆溝橋で、 夜間演習中の日本軍に中国側から発砲があったという口実で、 中国軍に攻撃をしかけた。 8月13日には、上海でも中国軍と衝突した。閣議は陸軍派兵を決定した。 こうして中国に対する全面的な侵略戦争の幕が切っておろされた。 だが、それが、泥沼のような戦争に発展するとは日本政府、軍部、 財界の誰も予想していなかった。 陸軍大臣は、天皇に「2ケ月ぐらいで片付く」と見通しを報告している。

対外的には、戦争ではない、たんなる事変だと強弁しながら、実際には、 この時50万の陸軍と海空軍を投入し、日露戦争以来、30年ぶりに、 戦時最高の統師機関=大本営を設置(37年11月)して、本格的な戦争にのり出した。 8月15日には「支那軍ノ暴戻ヲ膺懲シ、 以ッテ南京政府ニ反省ヲ促ス為今ヤ断固タル措置ヲトル」との政府声明を発表した。 そして、同日(8月15日)、海軍の陸上攻撃機隊が南京、南昌に渡洋爆撃を加えた。 12月3日までに111回に及んでいる。日本軍の無差別爆撃は頂点に達した。

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