山里紀行  W日本  <第146回> 須郷の春から

(平成15年6月5日発行の「山林・No1429」より転載)

内山 ( たかし )  (哲学者)

  

 山のところどころに山桜が咲く季節になると、庭でウグイスが鳴きはじめる。まるで私の起床時間を知っているかのように、毎日十時に鳴きだすのだから面白い。代替わりして子どもや孫のウグイスになっているはずなのに、鳴く時間は毎年同じだ。
 ウグイスはそれから、少しずつ居場所を変えて、一日中あの美しい声を響かせる。庭を移動し、昼過ぎには畑の横の木に移る。夕方には畑の奥の山裾で鳴いている。だから私も、朝十時に起きて、昼過ぎに畑にでかけ、夕方まで畑仕事をするという日々を過しているかぎり、一日中ウグイスの隣にいることになる。
 ときどき、そのウグイスに挑戦するように、ホトトギスが大きな声をあげる。キツツキ(たぶんコゲラ)のドラミングが山から響いてくることもある。ツピー、ツピーと高い声をあげながら飛んでいくのは、(これもたぶん)シジュウカラ。そして、気がつくと、私の暮らす須郷集落にもツバメが戻ってきていて、上野村は春の盛期を迎えたことを教えられる。
 山からヤマブキの花が下がってきている。フジが紫や白の花をつけだした。ヤマウドがウドの大木をめざして伸びはじめ、崖にはフキが一面にでている。そして私の畑は春の作付けを終え、自然の営みも人の営みも、村は春の世界のなかにある。
 そんな景色をみているとき、私は、この景色とともに暮らした過去の人々を想像する。須郷の集落がいつから存在したのかはわからない。ただし、山村はどこでもそうであるように、川沿いの集落より山の中腹の集落のほうが歴史は古い。上野村の山の中腹の集落には、千二、三百年前の墓石のあるところもあるから、おそらくその頃には、須郷にもかなり安定した集落が築かれていたことだろう。近くには、七百年代に建立された寺もあって、その寺には初代からの住職の名前も残されている。
 その頃より以前のことは、記録のうえではわからない。しかし、ずいぶん長い間、人々が暮らしつづけてきたことは確かだ。そして、その人々は、いま私がみているように、山や畑や川の表情のなかに、あるいは鳥のさえずりや虫たちの動きのなかに、春を感じながら日々の営みをつづけていたことだろう。その営みも、半分くらいはいまと同じことをしてきたのかもしれない。春の作付け、春の山菜採り。…。
 仮に須郷の集落が二千年つづいているとすれば、昔の人々の寿命を考えれば、百回くらいの世代交代をしたことだろう。実に多くの人々がここで暮らし、死んでいった。その人々のことは、いまでは誰にもわからない。どの家でも、語り継がれているのは、せいぜい数世代前の人々までである。
 とすると、村の営みを受け継ぎ、暮らしつづけた人々のほとんどは、いまでは春の霞のように、あいまいな世界にしか私たちの眼にはみえないことになる。
 上野村に滞在し、半分上野村に暮らすようになって私が知ったこと、それは、人間はそれでいいのだということだった。ウグイスが生まれ、美しい声を響かせながら暮らし、いつか死を迎える。そのウグイスのことはいつしか忘れられ、いかなる記録にも残っていない。しかし、それにもかかわらず、昔と同じようにウグイスが鳴き、春の山里の世界はいまも健在である。
 人も同じでよいではないか。春霞のようにしかわからない過去の人々。しかし、その人々が畑を耕し、道をつくり、集落を守ってきたからこそ、いまの須郷集落があり、この集落での人々の暮らしがある。村には、過去の人々が生みだし、伝えてきたさまざまな技や考え方もある。それらを受け継ぎ、ときにその一部を改革しながら、私たちも村の人間として暮らしている。
 もちろん過去を生きた人々も、それぞれの考えをもち、いろいろな工夫をしながら、その人にしかない一生を過したことだろう。そういう人々の積み重なった時間のなかから、いま、毎年変わることのない、美しい山里の春が生まれている。
 そういえば、かって観たキューバの映画のなかに、こんな場面があった。旅人がある村を訪ね、昔の知り合いに出会う。旅人は何十年か前に、この村に滞在したことがあった。一人の名前をあげ、旅人がたずねる。「彼は元気か」。と、昔の知り合いが答える。「彼は死んだよ。ずいぶん前のことだ。彼はずいぶん長い間死んでいる」。旅人が言う。「そうか、長い間死んでいるのか」。
 村の過去を生きた人々は消えてしまったわけではない。「長い間死んでいる」人々として、たとえ名前がわからなくなっていても、現在の須郷集落の営みのなかに存在している。

 

 大日本山林会のご好意により月刊誌「山林」に 掲載中の「森づくりフォーラム」代表理事内山節のエッセイを転載させていただけることになりました。 感謝申し上げます。
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