市民参加の森づくりシンポジウム       

21世紀の日本の森林を誰が、どう守るのか

〜これからの森林・林業政策を考える〜

  【日時】2001年1月19日(金)13:00〜17:00

【場所】 主婦会館プラザエフ (東京都千代田区六番町15)

【パネルディスカッション】

パネリスト

内山 節(特定非営利活動法人 森づくりフォーラム)

速水 亨(社団法人 林業経営者協会)

半田良一(国民森林会議)

松下芳樹(特定非営利活動法人 森づくりフォーラム)

森 巌夫(財団法人 森とむらの会)

コーディネーター

山本信次(岩手大学農学部)

 

 

山本   ただいまご紹介に預かりました、山本でございます。プロフィールを見て いただければ分かるとおり、私が一番若造でございまして、本来であればコーディネーターはこういう問題に最も造詣の深い 方がやられるべきとは存じますが、大変荷が重いとは思いますけれども、行きがかり上こういうことになりましたので、 皆さんのお助けを得ながら進行をしていきたいと思います。それではよろしくお願いします。
  まずもってですね、 今回のシンポジウム全体のテーマを見ていただければ分かりますように、「市民参加の森づくりシンポジウム 21世紀の日本の森林を誰が、どう守るのか」という大変大きなテーマをいただいております。なかでも今回は制度、 政策に関わる問題点について議論をしていきたいということになっております。先ほど基調講演で、大変詳細な問題についての ご解説をいただきました。ですから、出来得ればパネルディスカッションのなかでは、すべての問題を網羅することは もちろん時間的に不可能でございますので、いくつかの論点を選んで、それについて議論を深めていきたいと考えております。 また、途中で総合討論の時間を設けております。そこでは私どもが取り上げた問題のなかでの議論をいただく、 もしくは取り上げなかった問題について、これはどうなんだというふうにフロアの方から議論をいただいて、 それについて全体で議論をしていくような形を取りたいと考えております。時間的には最初の一時間から一時間半程度、 こちらで用意しました問題について議論をする。それからフロアから議論をいただきながら議論をする。最終的にパネリストの 皆さんから最終的なご議論をいただいて終了というふうに考えております。ご協力のほど、よろしくお願いします。
まず最初に、具体的な諸問題というものの前に、先ほどの基調講演にもございましたように、なぜ今、国民を含めてこういう 問題を議論をしなければならないのか、それはいったいなぜなのかを、議論の前提としてお話をしていきたいと考えております。
  私は実は、森づくりフォーラムの理事でもございます。それから政策提言の委員会の委員でもございます。一応肩書きは大学に 勤めていることになっておりますが、私も一人の市民として森林政策提言というものを考えてきたわけでございますが。 なぜ市民がこういうことに関わるのか。これまでのこういう問題というのはやはり行政当局者、林業関係者という枠組みの なかで議論をされてきた。それが枠組みを広げて、市民の人たちを含めて議論しなければいけない。それはいったい何なのか。 単に林業が苦しくなった、森林維持が大変だということだけではないのだろう、というふうに考えております。そのあたりに ついて、まず内山さんの方からこういう状況についていかがお考えか、お話をお聞かせ下さい。
 

内山   先ほどの古橋先生の基調講演にもございましたけれども、これまでの林政というのは、 林業を通してよい森を   つくっていけば、結果としてよい森林が我々の手元にあるんだという、そういう予定調和的な考え方で 進めてきたと。それでうまくいくかと見えたのですけれども、ここへ来てどうもそうではないようだと。まずは、 よい森とはなにか。これは林業的な意味でよい森もあるけれども、林業を超えた意味でよい森ももちろんあると。 また、今までは森林所有者が林業を通して森づくりをしていけばいいんだという考え方であったわけですけれども、 どうもそうではないと。私たちがもう少しいろんな形で関わりを持っていかないと、これからのいい森というのはつくれないし 守れないというのは、合意が出来つつあるというのは、これは一つの大前提にあると思います。
   それからもう一つ言えることは、これはもっと大きなテーマなんですけれども、どうやら私たちの戦後社会というものが いろんな意味で行き詰まってきたと言いますか、大きな壁にぶつかってきた。これは国とはなにかという問題も含めるので しょうけれども、国とはなにか、地方自治とはなにか、あるいは住民とはなにか、市民とはなにか、国民とはなにか、 そういうことについて私たちは合意が無くなってきているのが今、現在の状況だろうと思うのです。ですので、かなり大きな 社会の作り替えをしていかないと上手くない時期に来ている。じゃあ、どういう形で作り替えていくのか、というときに、 やはり新しい形での自治のあり方、あるいは社会形成のあり方について合意をつくっていかなければならない。そのあり方と いうのは、言葉で言えば市民参加であったり、住民参加であったりする。つまり今までのように国があって地方自治体があって、 そこに任せておけば社会は形成されていくんだという時代から、自分たちが発言し、行動し、提案をする。 そのことと行政関係者が時に提携したり、時には批判し合ったり、時には対立し合ったり。つまり緊張感のある パートナーシップを結びながら、社会を形成していくという、そういう方向に向かった大きな転換期に、森林問題に限らず、 いろんなところに起きてきているんだということを、念頭に置いておく必要があるんだろうという気がいたします。
   同時に、先ほど言ったとおり、森林を巡ってもまさにその通りで、今までは行政関係者、所有者の方に任せておけばいい、そういう 時代はやはり終わったと。であるならば、市民の側も、ただ単に「あそこの木を伐るな」とか「あそこをもっとちゃんとしろ」 とかいう、もちろん言うことは必要ですからどんどん言っていいわけですけれど、そこで終わりにしないで、 私たちも体も動かすし頭も動かす、そうやって、いろんなことを提案しながら、行政と市民、あるいは森林所有者が 新しい形のパートナーシップを結んでいくなかに、日本の森の未来が見えてくる、あるいは世界の森の未来が見えてくる、 そういう時代への大きな転換期が今来ているのだということが、私たちがこういう提言をしていく一番大きな課題、意味で ございます。先ほどの古橋先生の基調講演にもございましたけれども、これまでの林政というのは、 林業を通してよい森をつくっていけば、結果としてよい森林が我々の手元にあるんだという、そういう予定調和的な考え方で 進めてきたと。それでうまくいくかと見えたのですけれども、ここへ来てどうもそうではないようだと。まずは、 よい森とはなにか。これは林業的な意味でよい森もあるけれども、林業を超えた意味でよい森ももちろんあると。 また、今までは森林所有者が林業を通して森づくりをしていけばいいんだという考え方であったわけですけれども、 どうもそうではないと。私たちがもう少しいろんな形で関わりを持っていかないと、これからのいい森というのはつくれないし 守れないというのは、合意が出来つつあるというのは、これは一つの大前提にあると思います。
   それからもう一つ言えることは、これはもっと大きなテーマなんですけれども、どうやら私たちの戦後社会というものが いろんな意味で行き詰まってきたと言いますか、大きな壁にぶつかってきた。これは国とはなにかという問題も含めるので しょうけれども、国とはなにか、地方自治とはなにか、あるいは住民とはなにか、市民とはなにか、国民とはなにか、 そういうことについて私たちは合意が無くなってきているのが今、現在の状況だろうと思うのです。ですので、かなり大きな 社会の作り替えをしていかないと上手くない時期に来ている。じゃあ、どういう形で作り替えていくのか、というときに、 やはり新しい形での自治のあり方、あるいは社会形成のあり方について合意をつくっていかなければならない。そのあり方と いうのは、言葉で言えば市民参加であったり、住民参加であったりする。つまり今までのように国があって地方自治体があって、 そこに任せておけば社会は形成されていくんだという時代から、自分たちが発言し、行動し、提案をする。 そのことと行政関係者が時に提携したり、時には批判し合ったり、時には対立し合ったり。つまり緊張感のある パートナーシップを結びながら、社会を形成していくという、そういう方向に向かった大きな転換期に、森林問題に限らず、 いろんなところに起きてきているんだということを、念頭に置いておく必要があるんだろうという気がいたします。
   同時に、先ほど言ったとおり、森林を巡ってもまさにその通りで、今までは行政関係者、所有者の方に任せておけばいい、そういう 時代はやはり終わったと。であるならば、市民の側も、ただ単に「あそこの木を伐るな」とか「あそこをもっとちゃんとしろ」 とかいう、もちろん言うことは必要ですからどんどん言っていいわけですけれど、そこで終わりにしないで、 私たちも体も動かすし頭も動かす、そうやって、いろんなことを提案しながら、行政と市民、あるいは森林所有者が 新しい形のパートナーシップを結んでいくなかに、日本の森の未来が見えてくる、あるいは世界の森の未来が見えてくる、 そういう時代への大きな転換期が今来ているのだということが、私たちがこういう提言をしていく一番大きな課題、意味で ございます。

山本   ありがとうございます。まず時代の転換点のなかで、たまたま私どもは森という テーマを選んで、公的な、パブリックグッズとしての森を守っていく、そういう枠組みをこれから作らなければならないという 時代認識であろうかと思います。それに関連して、速水さんの方から、今までの一方の当事者であった森林所有者・ 林業経営者としての立場から、お話をお聞かせ願いますでしょうか。

速水   私自身が林業経営に携わったのが、ちょうど 22年ほど前なんですけれど、そのときに自分自身の経営に携わりまして、ちょうど世間が針葉樹に対して批判が高まっていた 時期でございます。その批判に対して自分自身が森林管理に携わりながら、ちょっとこれはいわれのない批判なのかと、 反発を感じながら経営をやっていたわけです。ところが、少し自分自身に知識が出てきて、森林管理をずっとやりながら、 あるいは機会を見て各国の森林を見るようなことがございまして、ちょっとこれは批判されても致し方ないような部分が、 人工林管理にあるんじゃないかという気がいたしまして、それ以来、市民が理解してもらえるような森林をつくってやろうと いうことで努力してきたわけです。これはある意味では今否定をされている予定調和論のそのものだったわけですね。 森林管理をしっかりやって、木材生産をきっちりやるんだと。しかし、そのなかにあくまでも環境的な調和と一般市民の 理解できる経営を足しさえすれば、決して誰にも後ろ指を指されるような人工林経営ではないんだと、認めてもらえるんだと。 確かにそれは、今私がつくりあげた森林というのは、間違えなく一般の方に認めてもらえる人工林経営をやっているんだろうと 思うんです。
   ところが、そうやってやってきた森林経営のなかでも、経営自体を維持していくためには厳しい時代が来てしまったと いうところに、この予定調和論を引っ張りきれない難しさというものがあるんだろうというふうに、私は思っております。 ですから、今日本で木材を販売しながら皆さんが納得できるような人工林を育てるということが、 はたしてその回転だけで可能なところはどれくらいあるんだろうかということになりますと、もう少し違う見方で森林と いうものを管理していかなければいけないかなというところにですね、自分自身が予定調和論の、ある意味では究極をねらって、 そして一般市民の方にも理解の出来る、そして環境的にも絶対に間違いのないということをやってきた結果として、 そういう時代の変化を感じている。変わってもらわなければ、もう持たないなという感じを持っています。
   そういう 意味では本当に一般市民の、というか広い方々が森林をもう一度見つめ直すという、それはどこに住んでいようが森林を見つめ 直す。ただ、一つ大事なことは、日本の森林だけを見つめ直すのではなくて、地球サイズの森林というものをもう少し 見ていただいて、木材貿易とかそういうことも含めて、最終的には国産材、外材という比較もしていただいて、もう一度 日本の山に戻ってくるというふうな思考を続けていただくと、もう一回日本の林業、あるいは森林というものの姿を 見直せるんじゃないかなと思っております。その時期だろうと思っています。

山本    ありがとうございました。速水さんのように我が国でも有数の林業経営者の方が、 誰もが納得できる森づくりを行ってさえ、林業経営としては非常に厳しい時代を迎えている。それを考えれば、当然のこと ながらそれより小規模であったり、林業経営だけで生計を立てているわけではない山が管理不行き届きになっている現状と いうのは明らかであろうと思うんですね。この辺は先ほど本当に古橋先生からもありました山村の問題に引きつけてですが、 だからかわいそうだから林業経営を助けてやろうということでは、私たちが考えている市民参加ではないだろうと思うのです。 そこが、やはりみんなのものであるからこそ、私たちも責任を果たしながらいい森づくりについて林業関係者、それから行政 当局者に任せるだけでなく、自らも汗をかき、自己負担をし、いい環境、いい森、いい木材というものをつくっていく、 そういう時代のなかで考えていかなければならないということを、一つの共通認識としてこのフロア、少なくともこの上では 持っておきたい。その上でこの後の議論をお聞きいただければと思います。

        パネルディスカッション1(山村問題)

山本    さて、大前提のところはあまり長々と話をしてもしょうがないので、もう少し具体的な 問題に入っていきたいと思います。まず先ほどの古橋先生のお話のなかで、森林・林業、まあ木材産業も含め、山村基本法で あるべきだ。この話につきましては、今回政策提言等をいたしておりますこちらにお並びのパネリストのみなさま方に、 誰も依存は無いところだと思っております。ただ、山村問題というのがいったい、森林林業を考えるなかでどんな位置づけに あるのかということをもう少し掴んでおきたい。そこを確認した上で、「だからこそ林業問題のなかでは山村を考えねば ならんのだ」というところを少し詰めてみたいと思っております。これにつきましては、森先生が国土庁の方の山村問題の 検討会の委員長をされておられるということでございますので、まずそのあたりから口火を切っていただければと思います。 よろしくお願いします。

     だいぶ顔見知りの方々が大勢いらっしゃるので、一面気楽でも あるのですが、半分話しにくいというところもある、ちょっと複雑な気持ちです。今、山村問題をどう捉えるかという 問題提起ですが、その前に先ほどの速水さんや内山さんから出たお話に、ちょっとだけ私の考えを付け加えさせて いただきたいと思います。予定調和論が成り立たない、まさに今そういう状況になっているわけですが、我々がこれ まで予定調和といっておった、木材の生産をする経済活動と公益的機能の、公益の中身が今変わってきているのでは ないかということを、強調したいと思うのです。かつて、今の林業基本法もそうですが、国土保全とか水資源涵養と いう、これをもって公益的機能とだいたい言っておったわけです。もちろんその他に教育機能だとか、休養機能だとか、 野生烏獣保護機能がないといっているわけじゃないけれども、高度成長真っ盛りのなかでいわれた公益的機能というのは 、水と国土保全です。
   ところが今、たしかに水資源とか国土保全ももちろん大事だけれども、それ以上に 強調されているのが、例えば地球温暖化防止の話であるとか、レジャーの場としての森林であるとか、 生物多様性だとか、というようなことで、公益的機能の側面がずいぶんと変わってきたと。水土保全ならば そうとう程度予定調和が通るけれども、そうでない問題が出てきたというところが、案外皆さんが強調しない点でも あるのですが、見落としてはいけない点ではないかと思うのです。我々は森林に期待するのは多面的機能、その多面的 機能の中身が地球温暖化防止とか生物多様性だとかレジャーだとか、あるいは文化教育の場として見ると、そうなって くると針葉樹ではどうかなという話が出てくる。ここが大事な点ではないかなと思います。
   それからもう一つ 内山さんから出た話で私は同感ですが、やはり21世紀は参加型社会といわれる。これまではいい政府を選び、そこで いい政策を採ってもらう、これが民主主義的な国民の一つのビヘイビアだったわけですが、もうそうじゃないよと。 やはり国民もみんな参加して、政策をつくったり社会を運営する。これは社会が成熟したことの現れであって、 世の中の必然の道ではないかなと、私は思います。
   その上で山村のことですが、古橋先生の方から纏々ご説明があったとおりであまり付け加えることはないのですが、 ご存じの通り現在、山村振興法という法律はあります。昭和40年、つまり林業基本法が出来た 次の年に出来たので、当時は林業基本法関連法第一号ともいわれておりました。ですから、それは林政の一環である べきだったわけですけれども、これは複雑な政治情勢のからくりもあって、国有林問題も関係しますけれども、 結局のところ山村振興法の所管官庁は当時の経済企画庁、調整機能を持っている経済企画庁、その後国土庁に変わって いくわけですが、そこで林政から離れていったと。政治的な裏話をしますと、当時与党のなかにも、山村振興法と いうのは議員立法ですが、その議員立法のなかで林野庁のなかに山村振興部とでもいうべきものをつくるべきだと いう案もあったのですが、「とんでもない、そんなものはごめんこうむる」ということで逃げたといったらいいか、 とにかく調整機能がよそにいった。そこで山村がどういうふうに扱われたかというと、先ほどのお話のように、 山村は貧しくて哀れで文化的に遅れているからかわいそうだ、昭和40年代といえば、まさに格差問題が出てきた頃です。 世の中格差格差ということで、山村はそういう意味では問題地域であります。落ちこぼれ地域だったわけであります。 ですから山村振興法というのは10年間の議員立法ですが、最初の時は山村の格差是正ということだったのですが、 世の中だんだん変わっていきますから、50年に改正があり60年にもあり、平成7年にも山村振興が10年ごとに改正 されました。その目的のなかに、第一条に手を加えまして、山村は国土を保全するところだとか、あるいは日本の 伝統的な文化を伝承しているところだとか、そういう新しい山村の役割を入れてはきておりますけれども、基本的な スタンスは、やはり山村は国の生産にとってはやっかい地域、お荷物地域という見方でしょう。
   俗に問題地域といいますね。問題地域と全部いってしまうと問題があるけれども、例えば過疎地域なんていうのは 文字からして疎に過ぎた、これはやはり問題であるということを含意しているわけです。あるいは豪雪地帯特別措置法と いう法律がありますが、豪雪の豪には、やはり多すぎて困ると、今年の冬のような状態で豪というなかに何となく 嫌らしさがあるわけです。それの横並びで山村はやっかい地域と考えておったわけですが、先ほどから何度も 出ておりますように、あえていえば他の省庁にとっては、例えば道路行政をやるところにとっては、あんなところに 三戸五戸家があるから道を付けなければならないとか、あんなところに子供がいるから僻地の学校をつくらなければ いけないとか、いろんな掛増しというか、お荷物の地域だったわけですね。
ところが、この山村こそ我々林業の 成立基盤である。今日のテーマは「誰が日本の森林を守るのか」。もちろん都市の人もやってもらわなければいけない けれども、内山さんの冒頭のご挨拶にもありましたように、それはせいぜい数%下の方でしょう。日本の林業、 あるいは森林をきちんと守るためには山村がきちんとしていなければいけない。その山村に対する姿勢が、先ほどから 古橋先生が指摘されているように、他の省庁並にお荷物扱いしているとしたら、本当にこれは大変なことだと、 私は思います。山村こそ我々の成立基盤だという対応が必要なのではないかと思います。
   その具体的なあり方に ついては、森とむらの12の提言のなかの最後のところにも、山村対策の在り方を記載してあります ので、ごく簡単に申し上げれば、例えば、山村に農業とは違った形のデカッブリング措置を講ずるべきだとか、 山村対策というのは環境対策だとか文教対策だとか、そういうものを総合的にやる必要があるとか、私も森とむらの会の メンバーですから自分からいうのは我田引水ですけれども、まっとうなことを提言しているつもりであります。

山本    ありがとうございます。今、 山村振興法の問題を通じて、中身についてもだいぶ触れていただきましたけれども、主には行政のなかで山村問題が どう扱われてきたのか、現状の問題についてご説明いただいたと思います。山村そのものがいかに森林と関わっているか、 山村生活というのがいかに大事かという実体のところについて半田先生、お願いできますでしょうか。

半田    私、ちょうど終戦直後に大学を卒業したわけなんですが、そのころの しばらくの間、山村問題というものが非常に取り上げられました。そのときの視点は、先ほど古橋先生がおっしゃいました ように、まさに山村ということは貧しいところであると。それに対してどういうふうに取り組んでいくのかというふうな ことでした。それに対しまして、昭和30年代の頃から、林業を山村として成り立たせることによって、山村問題も解決して いくであろうという、先ほどから出ております予定調和論ということになるのですが、私はむしろ、林業の産業化という、 いわば一点を解決することによって、山に関連する全問題が解決するという考え方だったんだろうと思っているわけです。 ですから、その後山村振興法というものが出来ましたけれども、山村振興なるものの理念というものがもう一つ十分飲み込めない というふうな形でありました。
   山村振興というのは、いわば経済的な事象、社会的な事象、文化的な事象、教育的な事象、 いろんなことをオールラウンドに取り上げていくのが山村問題なんだというふうなことだったと思います。しかし、その根本の ところでは、やはり山村に人はいるんだと、確かに過疎等々によりましてそうとう減ってはいますけれども、しかし担い手と いうのは兎にも角にも存在しておって、基本のところは守ってくれるというふうな形で進んできたのが1980年代までであったと いうふうに思います。
   ところが、80年代の後半からというふうに思いますが、そういう人々が高齢化してしまったと。 現在、私は京都に住んでおりますが、京都の近くにもだいぶ有名な林業地、山村もあるわけなんですが、そういうふうな ところでも、いわゆる林業を担ってきた人たちはとっくに60を過ぎてしまっておりまして、跡を継ぐべき40代、50代の人たちが、 非常に林業離れというものが大変進んでいるというふうに思います。今は木材市況が悪いから伐り延ばす、これは今までの 考え方ですけれども、それからさらに進みまして、伐り延ばしておってもキリがないから、伐ってしまって後は植えないんだと いう考え方の人がかなり増えているというふうに聞いております。そういうふうな事態になって参りますと、これは山村と いうものの内部のあり方から、もう一度考えていかなければならない。それをどういうふうに考えていくかについて、 私はまだ結論はとれないのですが、やはりそれを心配してくださっている都市の住民の方々から強い働きかけを得ているわけで ありますので、いわば都市との協力によりまして、山村の根本を作り直さなければならない。これが今の山村問題かなと。 まあ私の考え方はどうもやはり、林業の方を学んできましたせいか、そちらの方に引きつけた形になるかと思いますけれども、 私はそういうふうな考え方をしています。

山本    はい、ありがとうございました。今までの お二方のお話のなかで、やはりこれまでの山村問題をどう取り扱ってきたか、その既決がなんであったのかというところが ハッキリしたのではないかと思います。ここで山村に居住されているお二人からご意見を伺いたいのですが、まず内山さん、 そのあたりについてお話いただけるでしょうか。

内山   今、半田先生、森先生から流れを 私たちも教わったわけですけれども、私は群馬県の上野村という山村の住民でもございます。実はその群馬県上野村というのは、 90%以上が森林という村なんですけれども林業地ではないといいますか、人工林率も30%程度しか ありませんし、かつては炭焼きですとか、あとクリの木が多いので線路の枕木をたくさん出していたのですけれども、天然林 利用型であって人工林利用型ではないという意味では、現在は林業はほとんど行われていないというと言い過ぎかも知れません けれども、さして大きな産業ではないという地域の人間でございます。
   しかし、こういう地域におりましても、実は 林業でなくてもいいのですが、今の状況というのは森と関われないという状況なんです。それは林業としても関われない、 あまりにも林業が採算合いませんので林業的な関わりも出来ないけれども、じゃあ林業以外の関わりが出来るかということに なりますと、秋にキノコでも採りに行くか、春に山菜でも採りに行くかということぐらいにしか、村の人間も山と関わることが 出来ないという、このことが実は山村を大変寂しくさせているのです。
   といいますのは、自分たちの周囲に正確には 94%の森林があるわけです。ところがその94%の森林が自分たちが意欲的に関わることが出来ない森として展開している わけです。そうしますと、山村に暮らす意味があるかということをいつも問いかけられているわけです。つまり村で生活すると いうのは、うちの村に関していえば林業は産業的にたいしたことはありませんから、産業としての林業が壊滅しても、 うちの村の経済的な意味ではさして大きな問題ではありません。そういう村もあるしそうでない村もあると考えていただければ いいのですが、しかしそういうふうに産業としての林業は痛手がなくても、そこに住んでいる人間が周囲の山と関わることが 出来ないで暮らしているという、本当に秋に一日キノコを採りに行くくらいしか関わることが出来ないといいますか、 これは村に住んでる意味がないという意味。その点で、こここそが自分たちが生きていく場所だという意欲を失わさせるという、 この点では大変深刻な問題を起こしております。
   また同時に山村に起こっている現実といいますのは、森林所有者が いろんな事情もありまして林業離れといいますか森林離れを起こしている。その一方におきまして、我が村にも 100人くらいの都市からの移住者が居りますけれども、そういう人を含めまして、一部の都市の方々が逆に林業への意欲を 高めている、あるいは森林と関わることへの意欲を高めているといいますか。そういう点でも、今までのように村が 森林所有者だけでつくられていく時代から、そういった都市からの移住者、あるいはボランティア的参加者、そういうものを 含めて一緒になって村づくりをしていかないと、村という概念自体が、そこに居住している昔からの人々によって村社会が 出来ているという意味合いから、幅広くいろんな形の人々、たとえば移住する人もいる、ボランティア的に来る人もいる、 そういういろんな人たちとの関わりを通して村が出来直していくといいますか、そういう大きな転換期にあって、その核のなかに 森林と関われる村づくりというものがあるということです。
   ですので、経済的な面だけで山村と林業の関係を、僕は見て ほしくない。つまり村に生きている人間にとっては森林との関係は絶対必要なんだと。それがあるからこそ村に生きている意味が あるんだと。そこのところを経済を離れて正当に評価してもらいたいという気持ちを持っています。

山本    ありがとうございます。では続けて 速水さん、なにかございますでしょうか。

速水    私自身は、山村というよりは海のすぐ近くに 住んでいまして、漁師の町なんですね。漁師も山村とある意味では似たような状況にあると思います。そのような所で多くの 森林を管理しているわけですが、その森林の回りにはそれぞれの集落がありまして、ちょうど私が林業に入ったころは、 そのある集落は私のところと、同じように大きな森林所有者のところと、そして国有林とその3つが、 あと役場の職員が何人かいたのですけれども、その4つの職場で労働は全部終わっていたと。つまりみんなそこに勤めていたと いうことですね。で、神社の鳥居だとか、なんかの旗竿を替えるときには、突然そういう時代を思い出すのですけれど、 突然こられて、実は前の時はそうだったから、木を一つよろしくお願いしますという話があるわけです。つい先日も、 海側の集落からこられて、長さ30何メートルのヒノキでどうのこうのという旗竿を2本よこせという話がありまして。 どうやって運ぶのといいましたら、あれば全員で担いででも数キロ運びますという話がありましてですね、ああそういう関係が 昔はあったんだなと、山と漁村なんですけれども、そんなことをいつも思い起こすのですけれど。
   今確かに、例えば私どもの ところに勤めていた人たちがたくさん住んでいたところでも、もう私どもに勤めている人は逆に、もう少し町場の人の方が 多くなってきた時代です。山村の人は逆に勤めないという。私どもの町では、基本的には生活としては比較的豊かな生活をして いるのだろうと思います。ところが、先ほどの過疎の森先生の言葉ではないのですけれども、精神的にいつも追いやられている 気が皆さん、いつもしているんですね。そういう意味では、豊かさの捉え方みたいなものをもう一度取り直さないと、山村問題と いうのはまずそこから入る必要があるのだろうというふうに、一つは思います。
   もちろん、経済的な裏付けがないと、 なかなかそれはですね、最低限の保証というのでしょうが、暮らしていくための金は入らないと困る。ところが今田舎はみんな 公共事業中心で動いていくわけです。公共事業中心に動いていくと、もう林業じゃないよ、漁業じゃないよ、農業じゃないよと。 ところが公共事業をもう一度よく見直しますとですね、ほとんど林業があるから、あるいは森林があるからその公共事業が 必要だ。漁業をやっているから港湾の整備が必要だ。農業をやっているから水路工がいるんだとかですね、常に実は、 元々あった基幹産業のために公共事業がおりてきている。唯一違うのは、道路をつくるとき、という話になってくるわけですね。 そういう点ではやはり、田舎の基幹的な産業というものは、形は変わって田舎に意味が出てきているのかなと。それをどう 評価すればいいんだろうかというのが、今の僕には悩みの種な訳です。
   僕は三重県の長期の公共事業の再評価の委員をして いまして、そのときにベネフィットをコストで割って、その事業がいいか悪いかをチェックするわけですね。 1以上あればいいんですけれども。都会ですと、ちょっとした堤防を直してももう60くらいになりましてですね、そのへんが 水浸しになりますからものすごくベネフィットが大きいわけです。田舎では林道をつけるときは1.Oいくつみたいな話 なんですけどね。しかし、その辺をチェックしていますと、いったい便益というのはなんなんだろう、もう一回便益の見方を しっかり見直してみないと、そういう公共事業ですら都会に行ってしまう。ベネフィットがコストに対して60倍もあるような 大きな工事だったら、変な話、どんな工事をやったって認められちゃうんですね。ですから工事の中身を見てみますと、 堤防の回りにコリドーかなんかをつくりまして、人が10人歩いている写真を撮ってきてくださいといっても、猫が10匹歩いている 姿しか映せないみたいなものでも、ペネフィットが60あればやれちゃうわけですね。コストが少々上がったって。 ところが林道なんてものは、ちょっと状況が変わるともう林道はつけられなくなる。そういう点では公共事業ですらもともと あった産業の基盤というものがキッチリしていないと、今の制度のなかでは入っていかないんだというようなことも、現実に 見せられると、非常にその辺を悩みますね。

山本    はい、ありがとうございました。今までの お話で山村が山村として維持されるような条件というものが、どんどん壊れて行っている。ただ人がいる不便な場所、 それが森先生のいみじくもおっしゃった不便な場所というなかの構造のなかで山村問題がずっと取り上げられてきたのでは ないかという感を強くしております。そういう実体のなかで内山先生や速水さんからもありましたように、山村というものが 元々持っていた豊かさというか、そういうところを支えながら、これからの森を守るということと山村との関係を考えて いかなければならないのではないかと思います。そういった観点から、松下さんの方から政策提言のことと含めて山村問題を どう考えるかというところをお話しいただけますでしょうか。

松下    正直言って、森づくりフォーラムの提言の なかで弱いのが山村だろうと思います。読まれた方も山村の姿が見えないんじゃないかというご指摘は、たぶん頂くのじゃ ないかと思いますが。正直言って、山村というのはものすごくいい言葉だけど、じゃああるべき姿論といったとき、どんな山村が いいのといわれると、私自身も含めて持っていません。これは森林がどんな森林がいいのかという問題と一緒で、例えば 森林については、まだ少し、あるべき森林の姿というのが基本法で何を目的にするかというのとイコールで、探せるかも 分からないのですけれども。
ただ、提言の一番のポリシーはどこにあるのかというと、内山先生が言っている内山哲学に なるのかも分かりませんけれど、関係性の中にしか答えはないのではないかということが、提言の一番の根本になっていると 思っています。森林についてもそうなんですけれども、今は山村の話なので、山村もどんな山村がいいのかは全国共通だとは 思いませんし、そうすると、そこの山村の位置づけというのが、例えば上下流の関係があると、そこの地域での関係のなかで 生まれてくる姿だとすれば、それはどこの山村も違った姿になるだろうと思うとですね、こうあるべき山村を目指すために、 という提言は書けなかったですね。
   じゃあ、どういう形で山村を捉えたらいいだろうというのは、真正面からではないのだ けれど、その地域地域で山村像が浮かび上がれる仕組みをつくっていくこと。これは森も一緒なのですけれど。そういう仕組みを つくっていけば各地域で出来ていくのではないかという視点で、多少山村問題に、森づくりフォーラムの提言はなっているのでは ないかと思っています。
   そういうなかで、大きい二番目の稿で公共空間ということを提示した上で、都市政策と山村政策が 一緒にならないと、いつまで経っても山村問題は都市側の問題にならない。山村問題と都市側を対比する構造は、今までは 地方交付税だとか、今速水さんがおっしゃった公共事業で所得再配分をするということで、財源をどう山村に持っていくかという ことを含めた構図があったと。それが行き詰まったということはもうハッキリしている。それに変わる形で山村像が浮かび 上がれる仕組みはなんなのだろうかということを今後考えていかなければならない。そのときに都市対山村という構造はない だろう。そうすると、提言のなかにもありますように、都市政策と山村政策、森林政策が一体でなくてはいけないということに なるとですね、一番お金の問題でどのように回していこうかと単純に考えると、やはり同じ一つのコミュニティを構成している 構成員なんだと。だからそういう意味でギブアンドテイク的にも山村に財源が行く構造をいかにつくれるかというのを、 市民側から提案していくしかないのではないか。
   そうすると、都市対山村なんて相対的なコミュニティなんかにはならない ですよね。特に今回は森づくりフォーラムは森林から入っていますので、山村には、農業などいろいろあると思いますが、 それらに対しては今回の提言は触れていません。出来るだけ森林から触れています。ですから森林に限っていわせていただくと、 このなかで言っている「森林コミュニティ」というもの、つまり山村と都市とを構成員として、今までと違う横断的な コミュニティ的なものをつくっていくことの延長線上に山村像が出てきて、それが地域でのあるべき山村像になっていくのでは ないか。そのなかで、山村への財源を負担していく構図も出てくるのではないか。
   それらについて、「じゃあ森林 コミュニティってどんなの」といわれると、それはいろいろあると思います。例えば水の問題でつながっていたって、 一つの社会関係じゃないかと。例えば二酸化炭素であったらもっと広くなるかも分からないし、いろんなやり方があるだろうと。 木材住宅の木材を使うのだって一つのコミュニティじゃないか。そのときに今の行政界を気にする必要はないと思うのですけれど 、今一番は、そういう関係性がなくなっていることが問題なので、山村といかにコミュニティを形成できるかという、多様な コミュニティの切り口で関係を持っていこうというのがフォーラムのなかの提言の骨子です。じゃあ、それぞれが具体的に なにかといわれると、それは結果として出てくる姿だろうから、いろんな森林政策の中身でここに書いてあるようなことを やっていくなかで、コミュニティ形成が出来て、トータルにそこに自然に出来てくる山村があるのではないか。
   以前に、ある新聞社の方があるシンポジウムで、「山村というけれど、かつての山村というのはかつての経済状況を反映して どんどん奥地に入っていったものじゃないのか。それが今の時代を背景にして縮小しているだけではないのか」と言われて ましたが、じゃあ、山村の一番いい状態はどのようなものなのかと言われると、僕はその答えを持っていないし、だれも持って いないのではないか。そういうところが、フォーラムの政策提言の山村に対する基礎となった。でも、言えるのは、何らかの 答えがあるとすれば、それはある関係性を持つなかで、コミュニティといえるものをいかにつくっていけるかという努力の結果で しかないのではないか、というところです。

山本    関係性の議論というのはなかなか難しいと 思いますが、私自身が素直に考えているところは、先ほど内山先生の話にもありましたとおり、やはり山村というのはどこまでが 山村か、どの経済状況でどこまであるべきかということはさておき、森と人とのつきあい方の最前線に立って、最も森との 多様な関係性を保ってきた場所である。その山村というものが森から生み出される産物の利用者である都市と関係性を持つことで 、山村が森と人との関係性の最前線であると同時に、都市の人と森に携わる人との関係性というのが山村を真ん中にして 行われてきたのだろうと思うのです。
   そういったことで、私どもはこれからの新しい森とのつきあい方、古橋先生の言葉を 借りれば、多様な森林をつくっていくときに、そこにこそ山村の持っている多様な森とのつきあい方というものが残されている はずである。その窓口を通じて、森は守っていけるもので、都市側の人間がどうこうと、たぶん直接的には役に立たないだろうと。 その関係のなかで、山村を支えることで都市側が森を支えていく、今の松下さんの話でいけばコミュニティ形成というものが、 これから問われてくるだろうと。
   ただし、山村の姿というのは、先ほど諸先生方のお話のなかにあったようにどんどん 変わっておりますし、なにが正しいというものも、逆にいえば無い。とすれば、そこの自然環境、山村が持っている社会環境に 応じて、森とつきあいながらそこで快適に豊に暮らしていける条件というのを、都市側の人間が支援する。どういった形で つき合うかは、そこに住んでいる人たちにお任せすればいいんだろうと思います。これから山村問題というものを私どもが 考えていくなかでは、私たちの代表として森と直接つき合ってくれる山村という地域を大事にすべきである。それは何度も 出ているようにかわいそうだから助けてあげるんだということではなく、ある種、私たちを代表して森とつき合ってくださる 羨ましい方々をみんなで支援していこう、ということになろうかと思っております。この問題だけやっていても 2時間、3時間すぐ経ってしまいますので、山村問題についてはここでちょっとまとめさせていただいて。先生方、 言い残したことございますでしょうか?

     皆さんの意見にちょっとだけ付け加えさせて いただきますと、私は今日の意見は全くその通りだと思うのですが、世の中の世論はそうじゃないと言うことを申し上げたい。 新聞もそうですが、ここは東京都ですが、都の偉い人が「都市冷遇山村優遇」とさんざんぶっています。これが世論に なっているんですね。知事が偉いかどうかは知らないけれども、そういう世論を替えていかなければいけないということが一つ。
   もう一つ申し上げたいことは、いま本当に山村は大変ですけれども、私は年がら年中全国飛び回って山村を歩いている のですが、今朝も東北から戻ってきたばかりですが、今、村おこしとか町づくりでがんばっているのはむしろ、山村の方に 多くある。面白い村がいっぱいある。これを見落としてはいけないと、私は思うんです。山村はがんばってますよ。
   もう一つ 発言したついでに。森づくりフォーラムが森林社会と、文字通り森林社会というのは山の社会、山村のことだと私は思うのです。 新しい森林社会というのはこれからの山村のあり方だと私は思います。念のため。

山本   都市冷遇山村優遇という話は、この間 自民党が負けてから盛んに叫ばれるようになってきたわけですが、たぶんその辺の話は、先ほどの速水さんの話にみられるように 、ベネフィットとはなにか、コストとはなにか。人数あたりの金銭的には、確かに山村は非常に優遇されているかもしれない。 それがただ、山村という地域がその地域として豊かになるためのお金の使われ方だったのかどうか、そういったことは問い直して いかなければならないと。もちろん私たちが山村を支援するといっても、今まで通りのやり方で同じように公共事業にお金を つけるということではおそらくないだろうと思います。ですから、山村を支えていこうという中身も、これから議論していく 必要があると思います。で、大変申し訳ないのですが、山村問題はここで一端きらしていただきます。

       パネルディスカッション2(木材自給率)

山本   次に議論のまな板に載せたいと思って おりますのは、自給率、木材自給率について、少し考えていきたいと思っております。これについては半田先生、口火を切って いただけませんでしょうか。

半田    私は、今日は国民森林会議という肩書きの もとに出てきております。しかし私が申しますのは国民森林会議を代表していると言うことではございません。自由に しゃべらせていただいております。国民森林会議の緊急提言は一昨年でございますから、基本法の問題の輪郭がまだハッキリして いないような時期ですので、その意味では若干古い感じもありますが、その中に、21世紀の林政計画書というのが後の方に ありまして、計画は短期計画と中長期の2本立てとするというふうにいたしております。その短期計画のなかで織り込むべき 主要方針といたしまして、今後10年ほどの間はなお間伐材を中心とした一般材が非常に多く出てくるであろうから、それに 対処するようなもろもろの体制をつくらなければならない、ということが入ってきておりますが、そのなかで、用材自給率の 目標について考え直すと言いますか、それがどうしても設定することが必要だろうということを述べているわけでございます。 自給率をどの様にするか、どの線に、ということは私は今はなかなか言えない、といいますか、現在製材に付きましては 30数%の自給率でありますが、パルプ材に付きましては20%を割っているといったことですから、用材とパルプ材とを一緒に して考えるのか、あるいは製材・用材だけを言うのがいいのかという技術的な問題にもなって参りますので、今日は数字に ついて申し上げるのは差し控えたいと思います。
   私は、先ほど古橋先生からお話のありました林政審の答申の報告のなかで、 自給率の問題については慎重にした方がいいと言う意見がいくつかあって、自給率に代わるものとして森林資源整備の目標と 木材利用の目標を掲げるという報告が出ております。森林資源整備および、特に木材利用の目標というのが、具体的にどういう ような形を意味しているのかということが、私はちょっとよく分かりませんので、必ずしもハッキリしないのですけれども、 しかし森林整備の目標は、これはもちろん現在の森林計画とも非常に関連するわけですから、当然出てくると思います。 そうしますと、当然そこから出てくる林産物の量というものは決まってくるわけでありますから、そこから木材の収穫見通しと いう風なものは出てくるのではないだろうか。したがって、森林整備のいろんな構想を立て計画を立てました場合に、その 政策努力の成果をハッキリ見定めるという意味でも、やはり何らかの、仮に自給率という言葉で言っておきますが、自給目標は 掲げるべきではないだろうかと私も考えておりますし、緊急提言の時にも、必ずしも全員が非常に詰めたというわけでも ありませんが、そういうふうなほぼ合意が得られておったというふうに考えております。

山本   重ねて半田先生、自給率を何パーセントと 決めるかどうかは別にして、決めることの意義というか、決めることによって国際的にもこういうようなことがいいんだとか、 国内的にもこういうことがいいんだというところは、具体的にはなにかありますでしょうか。

半田    国内的には、林業関係者、あるいは広く 林業関係者の周辺にいる森林山村の関係者も含めまして、一つの目標を、集約していく目標というものがハッキリしていくと。 言葉を変えれば、関係者を勇気づけることだろうと思うわけです。ただ、国際的な関係に付きましては、いろいろ問題が出て くる可能性は大いにあるわけです。これも先ほど話もございましたが、それに対しましては次回のWTO交渉ということになるので しょうけれども、ここのところはねばり強く議論をしていく必要があるだろうということです。
   国民森林会議の提言の場合 には、例えば実質的な国境措置がとられるということになって、他の国々からいろんなクレームが仮に出ますならば、それに 対してはそこで得られる利益は海外に対する支援という形で還元すると言うことを、交渉の場でそういった点を明確にするという ことも一つの方法ではないか、ということも言っております。

山本    それに関連して松下さん、お願いします。

松下    フォーラムの提言では、いくつかの点を 書き並べて、特に木材自給率をやるべきだとは書いていません。ただ、これをいろいろと検討するなかで整理したことが いくつかあります。それから今から言うことは、提言のなかでは揚げ足を取らないというふうに書いてありますから、 揚げ足になるかも分かりませんから、林野庁の方ごめんなさいで。
   一つは、木材生産から公益的機能に転換したということに なって、今も森林整備ということが表に出てきてゾーニングが出てきています。普通は行政計画でもってお金を使っていくわけで すが、計画目標は何になっていくかというと、この路線でいくと今林野庁は3つのゾーニングの区分を持って いますけれど、それぞれの森について何万ヘクタール整備しましょうという計画になるのではないかと、単純に推察するんですね。 そうすると、この提言のなかではそういう公益的な機能だとというお話は、国全体ではなく地域の問題ではないかということで、 国全体でいくら森林の整備をしましょうということがまず国から始まることがおかしいということで、そういう目標は 現実的ではないのではないかと思っています。
   そのなかで、じゃあどう考えていくかということになるのですけれど、 その時にもう一つ、森林整備を目標に掲げていったときに、例えば循環利用といったような区分もあります。水土保全のなかにも おそらく木材利用は否定しない森林整備の計画もあるでしょう。そうすると、いま半田先生がおっしゃったのを市民側の立場から いうとですね、結局林業というものは全面にはだしていないけれど、林業というものは依然として森林管理のなかで非常に 大きなツールだと。それでは林業という道具を使う、どれだけ林業という道具で森林整備をするかという根拠は何なのか、 逆にどれだけそれでもってお金をつぎ込むという根拠は何なのかというと、結局木材をどれくらい使いますといわないと、 林業という道具で回す森をいくらにします、という話は出てこないのじゃないかというふうに、単純に誰が考えても分かるわけで すね。
   そうすると、森林整備で循環利用や水土保全がいくら必要なんだとかというのは、さっきいった地域の問題でもあるし 、結果的に林業的な手法を使って森をいくらつくりますということの理由には一つもならない。もし、何らかの形で林業という 装置を使いながら森林を整備するという手法をとるのならば、その手法を使うだけの量は何に基づいて出さなければならないかと 考えていくと、やはり最初は私たちも木材自給率は捨てていこうということで始まったのだけれど、結果的に木材自給率関係に 回帰してしまったというところがあって、明確に出せていないのが正直なところです。ただ、結果として、木材自給率だけを 絶対の目標におくのか、トータルな森林整備の成果としての指標としておくのかというところで、捉え方は変わると思うの ですけれど、やはり市民側からは公共投資をする場合の前提で林業を使うのだったら、その前提になる林業はなぜそのように なっているのかという説明をしなくちゃいけないという流れのなかで、どうしても木材自給率は逆にさけて通れなくなったの ではないかというふうに、そういう提言の姿勢が今の表現になっているということだけ、ご説明しておきます。

山本    いずれにしても、木材自給率は地球環境の 問題を考えても日本の森林整備のことを考えても高いにこしたことはないはず、というところまでは誰も依存はないのですが、 これからの森林整備のあり方を考えていったときに、目標数値としてあげるべきか、結果的にこういった森をつくるんだという 中から、これくらいは出来るはずだ、というところで出てくる数値なのか、というところがおそらく分かれ目なんだろうと 思います。食糧・農業・農村基本法のなかでの食糧自給率については、はなから目標数値ということで出しているわけですから、 その辺の議論をまた深めなければいけない部分もあるのではないかと思います。速水さん、なにかその辺については ございますでしょうか。

速水    私自身は、あまり難しいことは考えて いないのですけど。単純に、今だいたい7000万m3森林が生長していまして、 だいたい5000万m3くらい使っていただくと、2000万m3くらい山に残っていくと。そのくらいの バランスが山にとってちょうどいいだろうというきわめて単純な山側からの意見として考えますと、5000万m3 というと自給率50%かと。キリがいいからそれで騒ぎたいというのが、正直なところです。先ほどいみじくもいっていただいた ように、元気を出すための、今日は日本林業経営者協会という立場であくまでもしゃべりたいと思っているのですけれど、 経営者としてはやはり、使っていただかなければまずはダメだということで、基本的にみんなの元気を出すためには50%目標と いうのはどうなんだというふうなつもりが、一つはあります。
   山のなかに、そうやって今、2000万m3使われて7000万m3ずつ木が残っていくわけですね。 これは「残っていくなあ、いいなあ」と思われがちなんです。それが、巨木が全部出来ていくというのであれば、 これは理想ですよね。100年の山がどんどん出来ていくよ、と。ところが実際たくさん山に残っていく部分というのは、 30年生だとか20年生だとかいう山がどんどん込み合っていって、表土流出が起きるような状況をつくり出している訳 なんですね。その辺を理解をして、山に蓄積が増えていくということはいったいどういうことなのかというところに、 気がつかなければいけない。つまり蓄積というのはどういう形で山に残っていくのかというところを重要視をしたい。 私が50%というのは、なるべく間伐材を使えば、残っていく部分は太っていくだろうというふうなきれい事の話として 言うんですけど。
   もう一つ、少し国際的な考え方から見れば、やはり日本は世界中の国から見れば木材を無秩序に 入れている国の一つだと 僕は思っているんです。どう考えても。例えばフィリピンなんかはラワン材の凄く良い森林を 持っていたんですけど、伐りまくっちゃいましたよね。あの時というのは、フィリピンが求めるから日本は買うんだよと。 フィリピンの国民のためだというのは、たぶんあの当時はあったと思うんですよ。ところが今フィリピンに行きますと山は無い、無くはないですけど無いと 言っていいでしょう。輸入国になったとかならないとか言った話まで出てくるわけですね。あの木材を輸入した日本というのは、 どんどん家が建って、20年くらいでどんどんつぶしていくわけです。皆さんたぶん、少しお年寄りの、 私くらいの年輩の方だったら、たぶん机はみんなラワン材で出来ていたと思うんですね。鉛筆で穴があく木はラワン材です からね。その後デコラに変わったんですけれど。あの机も全部廃棄されちゃうわけですよ。で、凄く安く入ってくる。使いやすい 木が安く入ってくる。結局日本の材価も下がってしまうわけ。すると輪出した国は木がなくなって誰が豊かになったかというと、 それは一部の方はたくさん車を持ったりして豊かになったかも知れないし、今はバクチで動いているみたいですけれど、そんな 話になるかも知れない。日本を振り返ってみれば、誰が豊かになったのかといえば、確かに入れた商社の方は社長さんになった 方もたくさんいて会長までがんばられた方もたくさんいるし、そういうふうに見てくると、それぞれの本当の意味での市民の べ一スで見ると、やはりもう少し秩序正しく、良い木材の輸出入、貿易ということを考えていかないと、結局資源を浪費した だけで、多数の市民は豊かにならなかったということになりかねない訳ですよね。その辺をこれから発言していくべきだろうと。 そこまでね。ちょっと経営者のところからはずれた発言なのですが、そういう意味ではある程度の制限と、ある意味では 最低限その国での違法な伐採なり、地域の市民が納得できないような木の伐採のようなものは、日本はハッキリお断りできる ようなチェックできる機能というものを持っていないと、やはり世界では恥ずかしい国になるんだろうというふうに思っています。

山本   その辺関連して森先生、お願いします。

森     木材の自給率を明定する、掲げるという ことは、きわめて大事な政策課題だと思います。ある意味では一番大事な課題ではないかなと、私は思います。これに対して、 フォーラムの提言もちょっと腰を引いているというか、おとなしいと、私が読んで、ちょっと分からなかったことの一つです。 お互いに揚げ足を取ることは止めようと言うことになっているのですが。
   なぜ私が大事かと言っているのには、2つあります。一つは日本の林業がこんなに活力が無くなったのは、木材価格が 安いから。それはなぜかと言えば外材が入ってきたから。代替材の進出もありますけれども。日本の林業を元気づける ためには木材価格を上げなければならない。そのためには、あの外材をもっと減らすことが必要だ。裏返して言えば、 日本の木材をたくさん使うことだと。ですから今年の一月一日の、皆さんもお気づきの方もいらっしゃると思いますが、 私も出しましたけれども、一千人が近くの山の木で家を建てようという意見広告を出しました。みんな自腹を切って 金を出して、大変な広告料を払ってやりましたけれども、それは日本の林業活性化にとって非常に大事だから。
   もう一つは、やはり地球全体の森林の問題を考えるからです。今速水さんがおっしゃったことと全く同じです。そういう 意味でも木材の自給率を高めることは大事だ。ただ現行の制度でも、今の林業基本法でも、木材資源に対する基本計画と 需要と供給の長期見通しという項目があって、これは林政審議会でも議論しました。基本計画のなかでは計画量ではなくて 単なる見通しなんですね。あるいは単なる予測なんですね。努力目標であり政策意図が入っていない。あんなのは掲げたって 意味がないとは言わないけれど、まさに参考資料として載せているだけであって、政策課題じゃないんですね。 政策課題として日本の森林をもっと使う必要がある。
   そのことが先ほど言ったような意味で大事だからでありますが、 これに対して林政審議会の昨年の暮れの答申では、木材の自給率を高めることはあまり意味がないとしている。なぜか。 林政大綱もだいたいそんなトーンだったと記憶しておりますが、なぜ意味がないかといえば、一つはこれから森林に期待して いるのは木材だけじゃないよと、せいぜい森林全体のなかの2割が木材であって8割は環境であるとか 保全だとかということだから、こんなこと定めたって2割のことしか、ということかも知れない。二つ目は、木材は日本では いっぱいあるのだから、日本が困るということなら目標として自給率を定めなければいけないけれども、 だから米は40%じゃ危ないから、食糧安保のために45とこういったわけですが、木材はそんなことじゃない、過剰物だと。 それからもう一つは、だいたい自給率の分母になる総需要量というのが、食料なら年によって変わらないけれども、 建築も含めて木材の需要量というのは年によって変動するから、分母が変われば分子が同じであっても下がったりあがったり するからあまり意味がないと。こんなのは小手先のことです。本当に日本の林業を元気づけるためならば、やはり日本の 森林を5000万m3使うとかね。これが正しいかどうかは次の問題で、もっと検討しなければなりませんが、 そういうことをきちんと掲げる必要があるし、そういう主張を森づくりフォーラムあたりも一緒にやってもらいたいなと、 こう思います。

松下    ちょっと一言だけ言い訳で。 言っているんですけれども、議論しましょうとしか書いてございません。

山本    それを含めまして、内山さん。

内山    森づくりフォーラムの提言の会合でも、 自給率を設定すべきだと、明確に出すべきだという強い意見は、確かにございました。それに対して、ちょっとあやふやに なっているのは、責任の一端は私にありまして。私自身が、そのことに対して多少ナイーブな対応をしているというのが、 何分の一かの原因でございます。ただ、自給率を設定することによって全てが解決するというような方向に引っ張るべきでは ないと僕自身が思っているというのが原因で。ただし自然に大きく影響される生産物に関する国際貿易の取り決めもやり直すべき であるし、そういうことを総合的にやっていく、また日本においてもっと国産材を使うような仕組みをつくっていく、 そのことについては何の異存があるわけじゃありません。
   ここで私たち森づくりフォーラムとしては、これから以降として 第4次提言になるのか分かりませんけれど、この活動を継続していきます。私自身、木材自給率という言い方に対して多少 ナイーブな対応をしていたということの責任をとりまして、木材自給率という言葉に替わる新しい概念を少し森づくりフォーラム の方でも考えてみたいという気がいたします。例えばどういうことがありうるかといいますと、森林の有効利用率というような ものを算定することは出来ないか。森林の有効利用率ということになりますと、もちろん木材としての有効利用率もあるし、 しかもその有効というのは、国産材は使ったけれども2年や3年でみんな廃棄物になってしまったというのでは有効利用に なりませんし、先ほど速水さんがおっしゃった通り、外材を持ってきてたちまちゴミにしてしまったのでももちろんならないと。 その一方において木材以外での広葉樹林の持つ有効利用のあり方というのもまた違うでしょうし、里山の有効利用も違うで しょうし、あるいは白神のような地域の有効利用も違うでしょうと。ですので、なんとか森づくりフォーラムの方で問題提起を して議論を起こすように努力をいたしまして、私たちにとって有効利用されていく森とはなにかということを数値化できる ような、そういう努力をこれから考えてみたいと思います。非常に乱暴な、例えばこんなふうにしたらどうかという乱暴な提言を まずして、それについていろんな意見をいただいて、専門家の知識も借りながら、ちょっと、木材自給だけではなく、森林を 本当の意味で有効利用するということの率は日本はどれくらいいっているのかということを出していけるような仕組みを、 これから以降の宿題として考えたいと思います。

山本   揚げ足とりに入った方が議論は面白いので、 本当はこのままどんどん進んでいきたいのですけれど、今の話についてコメントをそれぞれいただきたいので、速水さんから。

速水    コメントというより、一つだけ皆さんに お伝えしたいと。ある方が計算したのですけれど、欧州、ちょっといま円が安くなっちゃいましてユーロが高くなったので 少なくなったみたいですけれど、ヨーロッパからどんどん製材品が入っているわけですね。今スギの値段がどんどん下がって いるのはそこが大きな原因なんですけれど。ヨーロッパから日本に製材品を運んでくるのに木材 1m3あたり、10.5cmの柱であればだいたい30本くらいだと思ってくれれば良いのですけれど、 だいたい原油換算200リットルのエネルギーがいるわけですね。日本で茨城から東京くらいで計算しますと、原油換算36リットル。 これはどちらも製材エネルギーも含めてですが。それくらい違うわけですね。同じ柱1m3にしても。 それくらい外国から木材を持ってくるというのはエネルギーが浪費されていると。今原油は安いですから、全然コストとしては 跳ね返ってこないんですけれど、そんなことも一つあります。

半田   自給率の問題につきましては、実は 緊急提言の時ではありませんですけれども、その後に私の前の会長の大内努先生と同席して議論したことがあるのですが、 私は自給率というものは掲げる必要があるのではないかということを申しますと、大内先生は、しかし自給率を数字として出す ことによって、それに寄りかかってしまう危険があるので、数字を出すよりむしろ内部的な体制づくりをやることが先決であると いうことをおっしゃった訳なんです。
私も当然ながら、自給率を出す背景としては、最近の言葉を借りれば内部的な努力、 自助努力ということは十分行われるということは前提でありますし、自助努力というのは主として木材産業における努力で あろうと。木材産業の体制づくりということ、地域によって事情が違いますから非常に難しい点もあると思いますけれど、 全国的に見れば、まだまだ進んでいるとはいいがたいと思います。やはりそういうふうな木材産業を中心としたいわゆる 体質改善の努力というものはさけて通れないことではないかと、そういうふうに思っております。

松下   半田先生がおっしゃったように、 木材自給率は一つの目標でしかないんですね。それであまり時間がないようなので、今回の基本法の流れのなかで、 先ほど古橋先生がおっしゃったなかで私自身が、一番大きいと思う問題はなにかというと、こういう目標数値とかあるべき姿を いかにするかというのは、なにかそれっぽい議論なんですけれど、本質はそこではないと思うんですね。
   一番は、先生が いわれた中で手続き過程をお話しされましたけれど、私はそういうふうな手続きをどう考えるかというようなシステムの理念と 構造をどういうふうに改革するかというのが、今回の本当の一番問われている林業基本法の改正でないかと思うのです。今まで 通りの林業だとか木材自給率という枠のなかで考えているから結果的に行き詰まっていて、例えば、いろんな機能だとか 価値観が出てくるということになりますとですね、やはり政策企画、私どもが提言してますけれども政策企画自体を行政が やるんだという、本当は国会なのかも分かりませんが、そのような独占状態をいかに崩せるか、ある意味で市民もみんなが 企画していくんだと。ガバナンスな視点で、みんなが参加するんだという構造をいかにつくれるかということだと思うんですね。
   ですから、今日の議論もそうなんですけれど、木材自給率とか、何を設定するかという議論に流れないでほしい。 今までの政策決定過程とか、説明過程というものを、今のシステムがおかしいのであればそこを直すことを実に真剣に話して もらわないと。目標数値はいつでも変えればいいんですよ。でも、変えるにあたっての議論ができるかどうかというシステムを 持っていないのが、一番の今の大きな問題だと思うので、そこのところに今回の林政大綱は全然触れていないのが、全くの 私どもの提言からいうところの不満なところですね。
   やはり市民参加というのだったら、今の審議会で話を聞いたら すっといっちゃうような、長野県の田中知事もそれが民主主義かといっていましたけれど、そういう議論が今問われているのですが、 そのような話は全然森林政策のなかにはない。そこのところをいかにシステムとしてつくっていけるか。それをつくると いうことは、なにかの理念改革がないと、そういうシステムをつくってもらえない。そのあたりをいかに要求していけるかと いうのが、私は今回の市民サイドの一番大きな提言目標になっていると思っているので、木材自給率は私は最終的には結果論で、 ダメだったら止めればいいので、何%かという議論については、何%でもいいです。目標ですから。

     別にありません。

山本   別にここでですね、木材自給率を掲げる べきか否かという結論を出す場ではございませんので、ここで一端切らせていただきますけれども。木材自給率が先ほどから 何度も申し上げているように、環境問題の負荷のこと、先ほど速水さんから出していただいた二酸化炭素の問題も含めてですね、 自給率は高ければ高いほどいいはずであると。特に日本の場合は、数字的に考えても、 毎年7000万m3ずつ山が増えている。実はそれにくわえて2000万m3くらい 切っているわけですから、実質的には9000万m3くらいは毎年成長している。それは人工林だけの問題ですので、 広葉樹林まで入れればもっと伐れるというような話は当然あり得るわけです。ただ、森のなかには手入れ不足でダメになって いるところもありますので、本当に使えるかというのはちょっと置いてですが。そうやって考えると、今の日本の森林状況から 考えれば日本の自給率をもっと高めなければいけない。これについては誰も反対する人はいないはずだと。
   ただし、先ほどこれも速水さんの話にあったように、じゃあ自給率を上げるために木材を出せという話になって、いい山を 丸坊主にして、若い山だけになってしまうというのは本末転倒ですし、これが上意下達式の計画でやったときに、 その目標数値を出さなければならないといったときに、自給率を上げることが必ずしも日本の森林をよくすることに つながらないかも知れない。こういった問題を私たちは知っておくべきなのではないかと思います。
一般論として木材自給率 を高めるということと、その中身をどうするのか。よくある単純な話になってしまいますが、いろんなところで大きな製材工場を つくります。木材をたくさん使うために効率的な製材をしなければいけない。それはうちの地域にこれだけの山があるから、 出てくる間伐材を使うにはこれだけのものをつくらなければいけない、といって大規模な製材工場をつくって、つぶれて いくんですね。これはなぜか。使うところを考えずに、ここの山の木はこれだけあるからという考えで工場をつくるから、 売り先が無くなってつぶれていく。そういった現状が実は、山のなかでいくらもあります。そうやって考えたときに、 やはり出口として私たち市民が木材を使っていくぞと。これは森先生が出された、近くの木で家をつくる運動とも含め、 木をどう使っていくんだ、森林の有効利用率もそうですし、森をどうつくっていくんだという議論に加えて、私たちは日本の 森林をどれくらい使っていくんだということを考えていく必要があろうと思います。自給率の問題というのはやはり、もちろん 努力目標として掲げるというパターンもあり得ると思いますが、そういう議論を秘めた問題だということをここで確認して いただければよろしいかと思います。大変申し訳ありませんが、この議論はここで打ち切らせていただきます。

             パネルディスカッション3(システム)

山本 続きましてですね、こちらの方で考えており ましたのは、先ほどから政策決定のシステムが見えないとか、山村問題に含めても地域の人たちが森のあり方について考える といったことを考えたときに、やはり今までの国があり県があり市町村がありという上意下達式の森林管理のあり方から、 森林管理の分権化といったようなこと、それからやはり、先ほど古橋先生のお話にもあったように、森林法の目標数値があり、 それに基づいて上意下達式に出来ていく森林計画のあり方といったものを、そこを住民が参加しながら森をつくっていく、 情報開示をともないながら森のあり方をともに考えていく制度といったものはどういったものか、といったことに少し議論を していただきたいと思います。これについては、松下さん、口火を切っていただけますでしょうか。

松下   さっき言ってしまったんですけど、いまのところずっとこういう林業者がいて、市民がいて、国がいて、都道府県が あって、市町村があるという構図のなかでですね、お金は確かに流れているのだけれど、結果として良くなってないと いうのは、どの立場の方々もフラストレーションはいっぱいたまっている。なんでなんだろうというところで、 いろんな意見があるのに、結果的に林野庁の政策というのは一定の流れのまま、ずっといっている。そうすると、 今新しい目標を掲げても、何も変わらないような予感がするんですよね。
それは何故かというと、そういうお金の使い方を含めて仕組み自体が変わってないし、 それを変えていく努力が見えてこない。今回の林政大綱のなかでも、一番改善されるだろうという期待感を抱かせないのは、 今のシステムをこういうふうに変えますというのが、全然見えない。森林はこうあるべきだろうということは、ある程度 示されるだろうけれど、先ほど言った姿勢からいくと、そんなものをいくら示されたって良くなるなんて何の保証もないので あって、手続きで、一つ一つおかしかったところを、こういう事情ができたのでこういう仕組みにあらためますよということを、 一つ一つやっていくことが一番大切だと思うんですね。でもそれは法で書くことではないと言われればそれまでですけれど、 でも、それをふまえて基本法で、先ほど古橋先生が言われたような枠組みを与えるというような操作があれば見えてくるの ですけれど、僕らの場合は市民からの提言ですので、そういう市民参加の視点で見ると、そういう基本法なり林政大綱の なかでは市民、国民の位置づけを変えていく姿勢がなかなか見えないというところが一番大きな問題として考えています。
それでは今後どういうことをしていけばいいかというと、かなり難しいのですけれど、今回は国に対してばかり僕も 言っているようですが、本当は、ここにも都道府県の方はいっぱい来られております。やはり、実質は都道府県レベルで しょうけれど、都道府県・市町村の方に、「もう国は関係ないんだよ」という気持ちで地方主権でやっていただきたい。 今回は国に対してフォーラムは提言していますけれど、本当は、都道府県、市町村の方々への提言なんだろうと思っています。 そういうところからもう一度、行政ばかり責めてもしょうがないので、私たちの出来ることは今の枠内でもあるという姿勢に 立てばですね、いかにそういう問題を共有するかというあたりのことを地道に積み重ねていくということが、一番大きな課題 ではないかなと思います。

山本   半田先生、 森林計画制度に結びつけていただかなくてもけっこうですけれど、森林管理の分権化というものを、今までの流れを含めて、 今後のあるべき姿というのはいかにお考えでしょうか。

半田   今の森林計画の 問題につきましては、先ほどから松下さんが強調なさっているように、私も、下から積み上げということになっていかなければ、 およそ変わり映えはしないんじゃないかと思っております。聞くところによりますと、全国森林計画だけは残っていくんだと いうことですが、はたしてそれが、各都道府県、あるいは市町村にどのように実質的に強要をしていくのかということに なりますと、そのあたりが若干不透明な、結局前と同じようなことになるんじゃないかなという懸念も感じていないわけでは ありません。最近、林野庁の林政大綱なんかもそうですけれど、まず森林のゾーニングということが目に付くわけですが、 そのゾーニングということになりますと、現在の国有林の場合と同じように三つに区分をしているということなんです。さらに 三つ、国有林の場合ですと、そのうちの二つについてはさらに二つの区分けがあるというふうなことになっておりますが、 すべてをそういうふうに割り切ってしまって、ここの林はこういう機能が第一なんだと言ってしまっていいのかという点に ついては、私はかなり疑問を持っている訳なんです。
   例えば最近、森林の教育的機能というようなことがいわれますけれど、 教育的機能というものは、小学校・中学校の子供を森林に連れて行って森林の美しさを見せるというふうなことだけではない だろうと。そこで働いている人や、あるいは森林はどの様にできあがってきたのであって、現在の地域の人々とどの様に 関わっているのかというようなことを、実地に見学する、あるいは人々に話を聞くというようなことで教育的機能が果たされる のではないだろうかというふうに思います。そのように考えますと、教育の対象というものはむしろ複合的な機能が教育という 形に反映してくるということではないだろうか。だから、あまりに細かく機能を単一、あるいは専用のものに分けることは、 これが近代主義的な発想なんだろうとは思いますけれど、森林の場合はかなり慎重であるべきだろうと思います。私は具体的な 事例として、特に水源涵養機能というものと木材生産機能というものは、実に分かちがたいのではないかと。国有林の場合には 水土保全機能と資源循環林というかたちに分けて、これは一つの経営のなかの方針でありますから、多少の無理がありましても 一つの経営の方針として貫徹することは出来ると思いますけれど、民有林までおろしていく場合に、そのあたりはそうとう 整理してかかる必要があるのではないかと思っております。ただそれが、上からでなくて、下部の、例えば市町村段階の計画 から積み上がってくるということになれば、そういった懸念は多分に解消されていくのではないかなと、そういうふうに思って おります。
それからもう一つ、分権化ということがありましたが、分権化というのは結局経営と所有の分離という問題に かかってくるのだろうと思いますが、現在経営と所有の分離ということが、例えば山林所有者と森林組合の間で、いわゆる 施業委託という形から先になかなか進めないという状態です。施業委託というのは、いわばここの作業、下刈りとか間伐という 作業を、人手不足だから森林組合に頼むんだというふうな程度の問題でありまして、本当にどういうふうな施業をもって森林を つくり上げていくのかということとは、あまり関係しないわけです。森林経営者というのが、形式と経験と技能とを持って 森林を扱っていくということになりますと、結局所有と経営の間をどのように律するかということが大変大きな問題になって いくのではないかと思います。極端にいえば経営の方に地上権を設定するというふうなことまでいくのか、極端な場合には そこまでいくのかと思いますが、そういう形にはなかなかいかないのだろうと思いますが、長期的な経営委託を最も有効に、 しかも所有者の方にも十分配慮できるような形でその関係を作るということが一番大事なことだろうと思います。ところが 現在山林所有者、特に中小規模の所有者というのは、土地よりも立木のほうを財産だと考えているわけです。かつての 家族経営的な林業が挫折したということの一つの原因は、私はそういった中小山林所有者が立木の財産価値というものを非常に 大事にしておったことを政策側がすこし軽く見たのではないかというふうな気もしております。そういった立木の価値に対する 頼りというものを、ここにもどの様に説得していくのかということも大きな問題だと思いますし、時間をかけなければならない ことだろうと思います。
   私には妙案はありませんが、先ほどの緊急提言で申しますと、中期計画のなかで解決していくべき ことかなと思っているのです。私は実は、施業のあり方については、森林整備の中心的なことだろうと思っております。 ところが林野庁が今までお出しになっているのはどうも腰が引けていて、いわゆる長伐期、非皆伐というような程度の言い方 しかなさっていない。しかしそれでは目標がハッキリしていかない。今後はこういうふうな形にしてやるんだと、時間は 当然かかるでしょうけれど、明確に出した方がいいのではないか。それには私はむしろ、択伐というふうなスローガンを掲げた 方がいいのではないかというふうに思いまして、ここのところ文章を書いたりもしている訳なんですけれど。特に択伐という ふうなことになってまいりますと、一層のこと、そこで所有と経営というものがハッキリ分離するということが必要になると いうことかと思います。

山本    大変内容の多い 話をいただきましたので少し整理させていただきますと、分権化というかですね、下からの積み上げ方の森林計画制度が必要で あるというところにはご賛同をいただいているのかと思います。続いてゾーニングの問題を考えるときに、多様な機能を 分離してしまう形になるのではないかという危倶のお話、それから、分権化にともなって、特に所有と経営の分離といった ところが当然関連して出てくるであろうというところかと思います。これは特に速水さんのような非常に先進的な林業経営を されて産業的に成り立たれている林家は別にして、山を放っておくような形の中小規模の林家、中小でもがんばっていらっしゃる 方もいますから十把ひとからげにはしませんけれども、山と関われなくなってきている林家の場合、分権化とともに所有と 経営の分離みたいなところを加えていかなければいけないであろうというお話であろうかと思います。すべてを取り扱うのは なかなか難しいので、まずは所有と経営の分離に関わるところについて、速水さん、なにかコメントいただけるでしょうか。

速水    所有と経営の 分離というのは、林業経営者にとっては永遠の課題みたいなところがありまして、単純にいえば、例えば管理法人をつくって しまうとかですね、そんな話は当然出てくるわけですが、そういう話ではないんだろうと、まず一つ思っております。やはり 森林を所有している人たちと、その森林を所有しながらも森林管理がしっかり出来ていかない人たちが、その森林を管理する 責任を果たすのかどうか。果たせないのなら誰かに管理させろと。これは今度の林野庁が出している大綱にも、今回の提言にも 出ているわけですね。私自身はそういうことがあっていいだろうとは思いますし、そうなっていけば理想的だろうという気持ちは 、一つあります。ただ、森林所有者というのは、森林に対する思い入れというのはものすごくあるんだろうと思っているんですよ。 それは持っている人たちが持っている、普段は無視していてもいざとなれば凄く思い入れがあるみたいなところがあるわけですね。 これは問題はあるんですけれども。
   もう一つ、誰か管理してくださいと。例えば私の親父は森林管理する気持ちがなかったと しますね。そのときに管理を誰かに委譲したり管理権を委譲したりする。相続がおきて上手く相続が出来て、息子が森林管理した いよと。しかし20年、30年ずっと他人が管理している山がそこに存在していたと。俺の土地を所有する権利は何なの、という話に なって。借地権みたいな話になっていくわけですね。そういう意味では管理している人の既得権みたいな話と所有権みたいな話と いうのは、なかなか整理つけていかないと、森林所有者側からすればですね、非常に問題があるだろうと思うし、私はどちらか というと、管理をさせていただければ面白いと思っている方ですから、そういう者にとっても、しばらく管理していてまた元の 土地所有者に戻っていってしまったらこれは困るよみたいな話があるわけですよね。そういう点で、そういうところの整理が 出来ないので、なかなか林野庁もハッキリそこまでは踏み込めないんだろうなという気持ちもちょっと、これは予想して おります。
   一つ、今の森林計画は、僕は10数年前ですか、帰ってしばらくしてからそれについてあるところで書けと いわれまして、ずいぶん長文の論文を書いたときに、同じように下から積み上げるべきだと。それで県のレベルで資源計画から 経営計画の整合性をとらせればいい。つまり国は資源計画で押してこいと。下からは積み上げてこいと。県のレベルで資源計画と 経営計画の整合性をとるようにしっかり揉めという論文を書いた覚えがありましてですね、今でも同じように思っております。 なぜかというと、今の森林計画って案外いい計画なんですよ。バカに出来ない。この森林計画をダメにしたのは、一つは 団地施業計画という形でどんどん無責任な計画を広げていったシステムが一つですね。個別の属人計画、つまりある個人に 対した森林施業計画だけであれば、時代とともにより制度が高まっていくはずなんです。私は高めてきた。私の周辺でもかなり 施業計画をしっかり立ててらっしゃる方はいらっしゃる。長期の方針も書きますし、いろんなことが書ける。自分でやろうと 思ったら、すばらしい森林施業計画がつくれる制度なんです。しかしながら現実にはどのような計画が立っているか知らない人が いっぱいいるわけですよ。自分の森林に。それじゃあ、計画でも何でもない。だから森林施業計画を変えなければいけないと いうのは、正直言えばそれはおかしいだろうと思う。ただ、これから森林施業計画というのはいろんな方に開示、つまり どこまでオープンにするか。逆に言うとここだけは見せませんよということさえ決めて、あとは全部開示してしまうということは 非常に重要だと思っていますし、私自身はあるホームページというか、あるところで全部開示していますので、ピピッと見て もらえれば、私の計画は全部見てもらうことが出来ます。

山本    少しずつ話が ずれてはいるのですが、せっかく面白いので、このままいきたいと思います。その辺の所有と管理の分離ですとか経営計画の 作り方というところは、フォーラムの提言にも出ていたかと思います。これは内山先生、お願いできますか。

内山    その辺は フォーラムの提言を読んでまた議論していただくことにしまして、ちょっと話題提供を逆にさせていただきたいと思って いるのですけれど。関係する話題提供です。私がよく行っている国にフランスという国があるのですけれど、まじめに調査した ことがないもので、地元の人はこういっているよという程度の話なので、性格に誰かが調べたら違っているよという話に なるかも知れませんけれど。
   フランスの人たちにも森林所有者が当然いるわけですけれど、雑木林があの国は主体なんです けれど、それでも間伐の目標というものがありまして、どのくらい間伐しなければいけないという目標は地域ごとに 定められているのだそうです。それを進めていく場合の、自分自身が間伐をしてその木を薪ストーブに使うとかですね、 そういう方もたくさんいますけれど、実際には間伐していない人たちもいるわけです。それをどうやって誘導しているのかと いう話を地元の人に聞きますと、こういう言い方です。言われた通りの間伐をしないと、固定資産税が高くなるんだと。 だからたまらないからやるんだと。これは本当にどういう制度になっているのかはよく分かりませんけれど、面白い制度だなと 思います。つまりきちんとした森林管理をしていればほとんど無税なんだそうですけれど、森林の固定資産税というのは。 しかし地域の公共的な役割を果たせないほど荒らしていると、固定資産税がべらぼうに高くなってしまうので、手放すか 整備するかのどちらかしかないというのが、地元の人はそういっていると言うことですね。
   それからもう一つ話題提供 いたしますと、所有と経営の分離とは関係ないのかも知れませんが、ある村に行きましたら、中世の町並みを復元してそのまま 観光に使ってしまおうという、そういう企みをやっているわけです。中世の町並みといっても小さい村ですから一カ所の 集落なんですけれども、向こうの家は石組みで中世に造られていたので、それが崩れてきている。どういう方法でそれを 復元しているのかといいますと、その村で単独の条例をつくって、所有者は三年以内に元の姿に復元しなさいという条例を 作ったと。ところが大変なお金がかかるわけです。石を組み直さなければいけませんので。三年間に復元できなかった場合には、 三年後に村に寄付をしなさいという条例を村で通したと。その結果全員が寄付をしたと。今は村の手で復元をして、 エコミュージアムみたいな形でそれを利用しているのですけれど。ですから、家屋についてもそれぐらい強い、公共的な役割を 果たしていく、景観というものが公共的な役割を果たしていく以上、所有者はそれだけ従わなければならないという、 そんな考え方が向こうにはあるということです。
   それからもう一つ、政策決定機関についてもちょっと向こうの話をしたい のですけれど、フランスの場合に、国があって州があって県があって市町村があるというふうな四段構えの行政機構になって います。国、州、県、市町村という、四つの機関が何に基づいて分業体制をとっているかと言うことなんですけれど、 これも向こうの人たちが言うところによればに過ぎないのですが、意志決定の時間速度の速さと自治の強弱は反比例すると いう言い方をよくするのです。ハッキリ言うと、つまりゆっくり時間をかけてやった方が自治としては高いということですね。 ところが、拙速にというか、一日で決定してしまおうということは、自治を高めることにならないということです。その場合に、 時間がかかっても自治度を高めた方がいいものは、市町村が権限を持つべきであると。その逆に、のたのたしていられないと、 つまり自治よりもスピードが要求されるというもの、これを国が持つべきであると。極端なケースでいいますと、例えば隣の国が 攻めてきちゃったというようなときに、住民自治でみんなで議論をしているうちに負けちゃったみたいなことがあるわけですから 、これはやはりその瞬間に誰かが決定するしかないと。その決定が悪かったら後でその政府はひっくり返っていくということに なっていく。つまり、これが一番極端なケースですけれど、例えば外国との交渉ですとか、自分の都合だけでやっていられないと いう、自治よりも時間の早さが要求されていることについては国が持つ。しかし時間の早さよりも自治の方が重要と考えられる ものについて、それをだんだん下におろしていくといいますか。ですので、市町村というのは時間よりも自治であるというふうに 考えられて、住民の意思決定が出来なければ何年でも待つというふうなことが行われると。
   そのことを考えてきますと、 日本の国、県、市町村の関係というのは、むしろそれが逆になっていることさえあると言いますか、例えば、予算なんかは国が 決まらないと県が方針出せなくて、国と県の方針が決まってから拙速に市町村が予算をつくるというような。本来これは逆で なければならないといいますか。あるいは日本の場合は、国、県、市町村が同じ時間速度でやっているというふうに考えても いいと。そうではなくて、そこのところでもしメリハリがつけることが出来るならば、その時間がかかっても自治が強い方が いいんだという、そういう形で意志決定できる部門を明確にすることによって、そこに住民参加、市民参加というものが いくらでも出来ると。それから意志決定のスピードを要求される部門については、住民、国民、市民がどういう参加が出来るかと いうことも考えられる。だから、市町村に対する市民参加のやり方と、県行政に対する県民参加のやり方と、国に対する 国民参加のやり方が、今だと同じ土俵で議論されているというのは、大変私たちの力がまだ足りない証拠で、国に対しては こういう参加の仕方なんだと、県にはこうなんだと、そのかわり市町村へはこうなんだというような、メリハリの利いた 参加型社会といいますか、これを行政側の変革と併せて我々も考えていかなければならないと、我々も思っています。

>山本  今までの流れを 若干整理させていただくと、やはり速水さんのおっしゃったような森林所有者の誇り、プライドというか、そういうものが 今までの森を支えてきていると同時に、昔私がある不在村森林所有者の調査をやるとですね、その方から電話がかかってくるんですね。 「家に山があるとは知らなかった。場所を教えてくれ」って、僕も分かるわけがないんですがね。残念ながら、そのような 森林所有者もいる。日本の森林所有者は、非常に小さい所有規模の方から大きな方まで十把ひとからげに森林所有者といって しまえないものがあるものを、一抱えに取り扱ってきたことにやはり問題があるとすれば、熱意のある経営者の方々を エンパワーメントしながら、そこから管理出来ない人たちにいかに、所有者の責任を果たしてもらうかといった枠組みの なかでは、先ほどの内山先生のお話にあった固定資産税の話のような形で作っていく、なにか日本型のシステムも必要なんだ ろうと思います。ただ、忘れてはいけないのは、先ほどの山村の話と同じように、森林所有者の方たちのプライドを守れる 制度であるべきであろうと言うことではなかろうかと思います。それから、先ほど出た計画の開示のお話は、まさに森林所有者の プライドの「俺はこれだけのものが出来るんだ」というものを満点に示せる制度なのかなと、ちょっと感じております。 若干交通整理をかねてお話ししましたけれども、このあたりの話について、森先生、お話しいただけますでしょうか。

森     皆さんの意見と全く同感です。同じことを 繰り返してもしょうがないので、ちょっと違う角度から申し上げたいと思いますが。実は古橋先生が林政審議会の会長で、 林政の基本方向を定めて、それが今度、昨年の暮れに新しい林政審議会の林政の基本方向が出た。その途中で森林・林業・ 木材産業基本政策検討会という組織がつくられて、そこで林政の方向をいろいろ議論したわけですが。たまたま私は速水さんと 一緒に、それに関係しました。そこでも、計画制度の問題だとか経営と所有の分離の問題だとか、新しい担い手はどういう人を 考えたらいいかといういろんな議論が出ました。それはそれで、その話を今ここで繰り返してもしょうがありませんけれど。 計画制度というのは、これからの森林の目指す方向を含めてきわめて大事なものだと思います。施業のあり方も含めて、 日本の計画制度というのは、ある意味では極めてすばらしいものです。体系だっていますし、なんといいますかキチンと しているものです。ただしそれは、かつての官治の時代の、上が主導権を持って、上から下への計画体系としては、それは 見事な体制になっているわけですが、これは民主主義的ではないといったらいいでしょう。要するに、森林計画制度はもう 破綻していると。計画量に対する実行量というのは、造林で4割くらい、間伐で5割くらい、林道で6割くらいと、あと残りは 不実行と、実行性がない。
   それはなぜかと言えば、なんと言ったって国が定める、国は霞ヶ関ですが、現場から霞んでいる から霞ヶ関という、と私はいつも悪口を言っているのですが、あんなところ、というと関係の方がずいぶんいらっしゃるけれども、 現場のことをよく分かっていないと。現地に即して物事を考えなければならないというのが世の中の流れでもありますし、 現実に昨年の4月1日から地方分権一括法が施行されて、様々な分野で権限が地方に移管されている。同じように林業についても 権限が地方にずいぶんと移されましたけれども、これは去年の4月がきっかけではなくて、そのしばらく前から、例えば間伐の 促進については市町村が特定森林の整備計画を立てると言うことで、市町村長にその権限を移しているわけですね。ところが、 この市町村というのは林政の体制のなかで、それに耐え得るだけの実力を持っているかというと、決してそうではない。それは 先ほどから言っているように、我が国の林政は国から県にきて、県から森林組合を通じて森林所有者という流れで、市町村 なんか完全に浮いておった、あるいは阻害されておった。ですから、現実に今でも市町村は全国に3200ありますが、森林のない ところ、林業に関係ないところもありますが、それを除いても林務関係の課があるとか係がいるところは少ない。まして林業の 予算などはほとんどないと言っていいほど乏しい訳ですから、いくら権限をもらったって、あるいは押しつけられた、 押しつけといった方がいいかも知れませんが、実行性がない。三ケン、権限も財源も人間も一体でなければいけないとよく 市町村長達が言うわけですが、そういう意味で、市町村に期待はかけられても、それを実行しうるだけの経済的な裏付けなり、 あるいは組織的な裏付けがないところに、口では市町村が主体になるべきだとみんな言うのだけれど、それを保証していない 弱さがあるわけですね。
   ですから、題目と、掲げている姿と現状との乖離というところを無視して市町村が大事だと 一方的に言っただけでは足りないのではないかという気がいたします。他の団体の提言にケチをつける必要は全くないけれども、 私ども森とむらの会では、市町村というものを非常に重視しました。なぜかと言えば、これからの森林は木材だけではない、 圧倒的にいわゆる公益的機能を重視する。それを一番担保しうるのは現場で行政なり、いろんな団体、個人、法人と一体となって いる市町村が最もふさわしい組織だと思うからです。ところが、今言ったように、それに対する財政的な裏付けもないという わけで、なぜかこれまたフォーラムの、これほど影響力を持つフォーラムの提言に、私はむしろお願い申し上げたいと思うのですが、 皆さんも、ひょっとしたらご存じない方の方が多いかも知れませんが、全国の市町村長さんたちが、やはりこれから我々の 山を大事にしようと考えた首長さんたちが全くの手弁当で、8年前から金を出し合って、森林交付税という交付金をつくれと いう運動を自主的に始めているわけです。霞ヶ関が旗を振っているわけではない。かつての水源税みたいなものとは全く違う。 自主的に手弁当、毎年2万円ずつだして、それが全国に880の市町村長が集まって森林交付税創設連盟というものをつくって 自主的な運動を始めている。これはまさに地沸きの運動です。こういうものに対する連帯というか協調というか支援というものが、 こういう市民団体から出てくることが私は望まれるのではないかと思います。地方分権を実のあるものにするために、 林政が足についたものにするために、私はそれを提案したいと思います。

山本    コーディネーター の役割をやっていただいてしまいましたが、最初の疑問のところにですね、すべて答えていただけたかと思っております。 もちろん今の話題のなかにも、森林交付税を含め、私たちがどういった形でそういったものを負担するかとか、議論するべき 余地はたくさん残っているかと思いますが、少なくとも今問題とするべきは、森林管理の分権化というのはやはり時代の 必然であろうと。ただし実際的にそれを担える体制にないと。その問題をこれから一つ一つほじくり出して議論して、 新しく作り上げていく必要があるのではないか。それからもう一つ大きな問題としては、森林交付税に代表されるような、 森を支えていく財源を私たちがどうやってつくっていくのかといったところが、これからの議論になろうかと思います。

      パネルディスカッション4(質疑応答)

山本    本当はその議論をしたいところなんでございます が、市民参加をうたっているシンポジウムでフロアの参加を求めずに終わるわけにはいきませんので、私コーディネーターの 不手際で、フロアからのご意見を伺う時間が、後17分しかございません。ですので、本当であれば皆さんに ご意見をいただきたいところなのですが、こういう話題に議論してほしい、というような形で、問題点をあげていただけません でしょうか。それについて、パネラーの方から、その問題はこういうことではないかというふうに議論をしていければと 思っております。我こそはと思わんかたはどうぞ。

フロア1(志々目千潮氏:埼玉県森林公社造林課長) 私は 埼玉県の森林公社というところに勤めていまして、21世紀の日本の森林を誰が、どう守るのかというテーマで、多少あの、 林業公社問題が話題になっていますので触れられるかなと思って期待してきたので、ちょっと話を聞きたいと言うことであります。 特に今問題になっています林政大綱とか、林業後継者問題懇談会の話のなかでも、森林管理を森林所有者の責任であるという 論議が非常に強く出てしまっていて、放置森林の問題に林業公社が携わるとも、なんというか後ろ向きの報告が出ているような 感じがしますので、ちょっとご意見を伺いたいと思います。

山本    公社の問題は 非常に重要な問題でして、岡山県がすべての情報開示を確か最初にやったときに、大変な赤宇問題が明るみになりまして、 今全国的にもいろんなところで議論されているところでございます。これにつきましては森先生、いかがでしょうか。

森     フロアに公社 関係の方、お見えでないですか?

山本    もしフロアの 中で公社問題はこうあるべきだというものがございましたら、お願いできますでしょうか。まあ急に言われましてもいうのが 普通だと思いますので、これについては、今までの経緯に含めて半田先生なにか。

半田    私は公社の ことはちょっと

山本    なかなか 難しいもので。

森      じゃあちょっと。全国に造林公社とか 林業公社とか、いわゆる森林整備法人がずいぶんとつくられているわけですね。いずれも、と言っていいほどみな赤宇です。 赤字の総額は、俗に9900億円とか言われていて、1兆円近いんですね。99ってのは、うまい数字をつけたものだなと私は思って いるのですが、このフォーラムのなかにも、実際はもっと赤字が大きいんじゃないかとどっかに書いてありますね。 これは国有林が3兆8000億円。おそらく公社だってそれに匹敵するほどじゃないけれどちょっと少ない程度で、 大変な赤字を抱えているんじゃないかと。その赤字が今、それぞれの県民のなかで知られていないところに私は最大の問題が あると思うんですね。それぞれの県知事が理事長になったり副知事が理事長になったりが多いのですが、自分のところの 森林を守っているのにどうなっているのかと。

松下    先生の話 を止める気はなかったのですけれど、公社の関係は提言の中身だけで言わせてもらうと非常にオープンにすることがまず最初 だろうということから始まっています。それと公社の問題はおそらく公的管理も含めて担い手対策、昔から林業経済の世界では 林業の担い手は誰かという議論が延々となされているようですけれど、今後新しく森林を整備していく担い手は誰かという 論議に深く関わる問題なのだろうと思いますけれど。それで、この問題はハッキリとなかなか姿は明示できていません。 ただ一点大きな、先ほどいった考え方、システムをどう運営するかという考え方につながっていくんでしょうけれど、 いろんな先生方も言っておられますけれど、いわゆる育林だけで林業だと言って、それで森林の管理の全てをまかなえるという 理念は捨てないと林業公社は救われない。このままずっと赤字を増やすだけだというところがあるので、そこのところで 分収造林的な林業利回りで森林の経営を回していくんだという理論は捨てるというか、そこのところに何らかの形で 踏み込まなければダメだろうというのはハッキリしているようですから、そこのところはまじめに議論していかなければ ダメだろう。それはおそらく山村における森林組合なり林家なりといったときも、いわゆる林業、木材を生産して収益を あげてという、それだけの論理で回していくという、いわゆるかつての林業ではダメだという路線をどう考えるかという、 非常に深い問題につながっているんで、簡単になかなか、こうやればいいということは言えていない、というのが現状では ないかと思います。

山本    なかなか議論が難しいので、止めるわけでは ないのですが。私も最近林業公社がらみのことを調査しております。実体としては林業関係者の方には言わずもがなの ことですが、昭和30年代、40年代くらいに拡大造林を続けていったときに農山村に仕事がない、だから農山村に社会事業的な 意味としても、公社が仕事を持ってきてやってきたという面が強い。という意味では、もともと儲からないであろうという 見通しはみんな持ちながら、ただ県議会とかに対してはそんなことを言うわけにはいかないので、儲かりますとやってきた 結果、大赤字になってしまったという実体であろうと思うんです。ということは、今までのやり方では立ちゆかないと 言うことでは問題がない。とすれば、極端な話公社自体がいるのか、止めてしまえという声も当然のことながら一般の人からは 出てくるだろうと思うんですね。そのときに公社というものが体質を変えて、本当に公的な森林管理の一翼を担う存在に なれるか否かということが、これからの公社の生き残りということになるのかなと思っております。

松下    ちょっとだけ 市民感覚でですね付け加えたいことがあるんですが、先ほど出た林業公社の検討報告は林野庁のホームページにも出ております けれども、あれを読みますと、いまだに緑資源公団なんかは水源涵養機能を高めるために今後ともそういう水源林整備を、 国有林なんかも含めて、重要だからやっていくという姿勢がずっと出ています。その水源林造成は拡大造林はやらないんだよ、 粗悪林だとか散生しているところにしか植えないんだよと言いながらですね、現場での実情なんか聞いていても広葉樹林を 伐採しながら実質的には拡大造林をやっている。この図式を市民は知らない。これをずっとやり続けて、まだ水源林整備を やっていくんだというのはですね、ぜひ止めていただくか、もう一度白紙に戻して議論していただきたい。このまま水源林対策で どんどんやっていくというのは実質拡大造林をやっているということですね。言葉の隠れ蓑でやっちゃったらダメだということを もっと市民は気づくべきだという問題提起だけちょっと。

山本    たぶん これだけ言われたら言い返したいこともあろうかと思いますが、よろしいですか?

フロア1 大変ごもっともというか、拡大造林自体は本当に 必要ない。特に緑資源公団は我が県でも拡大造林をしてしまっていて、なんであんな無駄な経費を投入しているんだろうと、 たまたま埼玉の公社が拡大造林を止めたのでそう思っているわけなんですけれども。ただ他の県でも、特に南九州なんか 非常に多いですけれども、伐採跡地の放置が増えていまして、そこを見過ごしていると県から怒られると。やればやったで 分収林事業縮小の方向だろうと怒られると。いろいろ板挟みで大変なところがありまして。ただ分収林制度が成り立たない。 さっき言ったお金を借りて木を植えて育てて、儲けた金で返すという制度を、ほとんどの県でやっていますけれども成り立たない というところがもうちょっとオープンになっていって、ただし、その放置森林の問題なんかで、誰がどうやってそれに 対応するのかということを、また今後議論にしていっていただきたいと思います。

山本    ありがとう ございます。放置森林の問題も実は根が深くて、東北・北海道では、何もしなくても広葉樹が生えて来るじゃないかと いう議論があれぱ、九州あたりではやはり植えなければいかんとかですね。それも地域性の問題が非常に深く絡んで こようかと思います。そういったことも含めて、これからの問題として公社の問題は当然取り上げていくことになろうかと 思います。今回は申し訳ありませんが、ここで打ち切らせていただきます。他になにか、これはという問題はございません でしょうか。

フロア2(日野岡近治氏:南越森林組合参事、福井県フォレスト サポーターの会会長)  福井県からきた日野岡というのですけれど、私は森林組合に勤めていて、今の組合だけでは対応できないと いうことで、平成10年にフォレストサポーターという市民参加でそういう森づくりを出来るような体制をつくって、昨年今日の 協賛団体であります国土緑推から助成をいただいて、9回ほど、いろんな森づくりの体験学習をやってきたのですが。そのなかで やはり行き着くところは、昔は薪とか炭とか、いろんな形で森を利用するなかで、農山村が生活が出来てきた、経済的に 成り立ってきたという、そういう経済活動のなかで農山村が支えられたというパターンが、化石燃料、石油石炭を使うことに よって、山村、あるいは都市の緑も含めて崩壊していったみたいなところが社会的に問われているのではないかと思います。 そんななかで、今国会議員のなかでも自然エネルギー促進期成同盟とかいろんな形が出てきていると思うのですが、もうすこし 森林を利用したエネルギー、木質エネルギーとかそういったことについても、もっと積極的な形でこれからの政策提言をして いただけたらなと思っています。

山本    具体的には パイオマスとか、そういう問題のことであろうかと思います。この話もこちらから答えると言うより、例えばバイオマスに 関わってこういう活動をしているぞという方、是非積極的に発言をお願いします。

フロア3(田中冨士雄氏:エコネット市民の会)   千葉から 参りました、草の根の市民活動をやっている、一応ポランティアですけれども、田中と申しますが。先ほどエネルギーの話が ございましたけれども、これは確か岩手県でしょうか、東北の地域では、木炭自動車を使った運動とかペレット事業ですね。 そういうものを地方から霞ヶ関へ、全国へ情報を発信しようという団体もございますし、私自身、千葉県でケナフを栽培して おりまして、ケナフは大変ゴミの山になりますけれども、紙づくりの他に、実はケナフで炭をつくっております。そんななかで、 いろんな審議会とかいろいろ各地方でも、エネルギー問題はこれから重要なテーマかと思うのですが、森林の資源の有効利用、 活性化という視点からですね、是非この木質エネルギーの問題を先生方はもっともっと前向きに捉えてもらいたいと思います。 よろしくお願いします。

山本    岩手県の話が 出ましたので、私がしゃべればいいのでしょうが、実は岩手県の木質パイオマス関係の事務局長がお見えになっておりますので、 金沢さん、お願いできますか。

フロア4(金沢滋氏:金沢林業岩手木質パイオマス研究会事務 局長) 岩手木質パイオマス研究会事務局長を務めている金沢と申します。よろしくお願いします。この会場に駆けつけて きまして、まず発言をということでちょっと恐縮しているのですが、岩手では木質パイオマス研究会というものを昨年の7月5日 に発足させました。それで反響の多さに今驚いているところです。岩手は非常に森林県でございまして、四国ほどの面積がある わけです。その約7割を森林が占めているわけですが、そこに占める人工林の割合が非常に増えている。そのかわり、それを利用 するという立場の方々がどんどん、林業関係あるいはその関係とか、木を利用する人がどんどん減っているという事態、それと 同時に県の行政の方も、何とかして森林を活かしていこうということで会を発足することが出来ました。主に民間企業、それから 行政、行政のほうも県、それと市町村のなかで新エネルギービジョンといって新しいエネルギーをどう考えようかというふうな 自治体が11ありまして、そのうちの6自治体が木質パイオマスで何とかエネルギーをつくり出そうというふうなことを掲げて おります。それで木質パイオマス研究会は主に民間中心で、昨年からスウェーデンに調査団を派遺したり、今も調査団が実は スウェーデンに行っているんですけれど、先進地を視察しながら、まずは小さなステップから始めようということでやって おります。
   例えば今年取り組む課題としては、南部鉄器を使ったペレット、ペレットというのは木の粉を固めて、 それを効率化、熱効率がいいんですね、炭素率がだいたい8〜10%のものなので、非常に灰の成分が全体量の5%という 非常に少ない割合で発生する。そして熱効率が非常に高い。カロリー的には灯油のほぼ半分なんですけれど、燃料としては 非常に効率がいいと。そういうことに着目して、エネルギーをつくり出そうというふうに考えております。非常に申し訳ないので すが、林野庁あるいは他のところではですね、発電というような大きなプロジェクトを考えるのですけれど、我々は民間の 調査研究機関ですので、何をしようかといえば、まずは一般の住宅にどうやって普及しようかということを考えております。 ですから申し上げた南部鉄器によるペレットストーブ、あるいは床暖房に使える燃料としての価値とか、そういうようなことを 考えていきたいと思います。昔の終戦直後のパイオマスというのは、どうも木炭の、一酸化炭素を吐き出すような形のものが 多かったりするのですが、そういうものではなくて、温故知新と申しますか、その昔の意気込みを使いながら、現在の新しい 科学をつかって、なんとか木をエネルギーに変えたいと、こういうふうに考えております。地域のエネルギーをどうやって 考えるのかを考えるとですね、新しい将来の循環型社会が見えてくるような気が今しております。これからもみなさまの ご協力を得ることが多いと思いますけれども、よろしくご理解のほど、お願いいたします。

山本   実は金沢さんは、岩手県でも有数の 林業経営者でございます。ですから林業経営そのものがこういうところまで関わってきているということの、象徴的なお話を いただけたのではないかと思います。そういったことを私ども、市民としてそういう構造をつくっていくかということは、 これからの課題であろうかと思います。大変残念ではございますが、フロアからご意見をいただく時間が、ちょうど終わって しまいました。大変申し訳ありませんが、これで一端打ち切らせていただきます。最後にパネラーの皆さん方から、 本当はこれが言いたかったということが皆さんおありだと思いますので、一人1分以内で、おひとりずつお願いしたいと思います。 内山さんからお願いできますでしょうか。

内山   先ほど申し 上げたんですけれど、私自身が山村の村民であって都市の市民であると申しますか。そういう歴史を振り返ってみましても、 今山村とか都市とかいう垣根というのは、ある人達にとっては急激に壊れてきている。つまり都市と山村だということよりも、 むしろもう協力してやっていこうという機運が高くなってきております。ですので、これから私たち森づくりフォーラムと しましても、都市市民のポランティア活動、あるいは都市市民の提言活動だけに終わらせないで、どうやって、山村に暮らして いる人間もまたその一員であると。山村に暮らしている人間が今度は都市のあり方について提言してもいいではないかと いうような、そういうふうな一体性をこれからつくっていけるように努力していきたいと思っておりますので、これからも お願いいたします。

速水    もう一度林業 の話で。やはり私自身は林業経営で森林を管理していくというのが、一番効率的に、国民経済的に見てもいいんだろうという ふうに、まだ信じています。ただし、それがうまくいかなくなった、例えば国の補助にしましても、もうすこし本当の意味で 林業経営が成り立つような、森林管理につながるような補助体系というものが必要なんだろうというのが、常々思っていますし、 あるいは木材の使っていただく方々の考え方も、そういうものをもう少し見ていただきたいというふうなことを思っております。もう一つ、今度は自らの森林管理をする責任を持ったものとして、やはり針葉樹の森林管理というのは、もっと環境の部分に配慮して、そしてもっと社会性を持った経営というものに展開していかないと、認めてもらえないだろうというふうに思っております。みなさまがお考えの針葉樹林というものと、本当にキッチリと計画を立てて管理された針葉樹林というものは、多分想像も出来ないほど豊かな姿を見せることが可能です。これはもう間違いありません。そういうものを一つの目標に立てた人工林の管理というものを、もっと技術も含めて議論をしないとですね、先ほど半田先生が技術、施業といったことを少しお話しされましたけれど、そういうものをもう一度元に戻ってみないといけないんだろうと、いつも思っております。

半田    私は二点だけ 申し上げたいと思います。一つは山村ということですが、私どもは山村といいますと非常に狭い地域を考えがちなんですが、 しかしながら、先ほど松下さんもおっしゃったように、山村という関係、むしろ関係概念というふうに捉えれば、その関係には いろんな公共様々な面がある。広く捉えれば中央都市の木材消費者と山村、それを含めたものを一つの地域と捉えることも 可能だと思います。そう言った公共様々ななかで、山で働く林業従業者といいますか林業労働者といいますか、こういう人々が 山村のなかにかなり大きく位置を占めるだろうと。しかもそれは非常に狭い意味の山村ではなくて、もう少し広い、消費圏まで 含めたところまではいかないかも知れませんが、循環的な一つの圏というなかで、やはり山村と関連した労働力の問題、 これを考える必要があるのではないかなと。それからもう一点は、先ほども申しました、森林・林業の問題というのは、非常に 長期な問題であります。一つの技術、私は択伐と申しましたが、択伐ということを今言い出して、実際択伐ということが出来る までには、これは半世紀かかる仕事だろうと思います。林道をつけるのにも、オーストリアやスイス並みの林道ということになる には、やはり半世紀かかることだろうと思います。だから功を急がずに、地道に積み上げていく。正しい方向はこれだということ は今の段階で明確にして出す必要があるのではないかということです。それと、当面問題になっております間伐材問題をはじめと する問題をどの様に解決するかという、これは二段構えで考えていく必要があるのではないかなというふうに思っております。

松下    短い時間です ので早口になりますけれど、一つは速水さんがおっしゃった林業、狭い意味じゃないと思いますけれど木材だけでっていう 林業が行き詰まっている現状を、やはり考えていくべきで、それで維持できる森林というのはかなり限られるだろうということを 考えると、今までの林業をもっと違う林業にしなくてはならないだろうという、これは森先生の分野の森業になるのかも知れ ませんが、そういう視点が必要だろうというのが一つですね。
それと先ほどの森林計画にかかるのですけれど、どのような 目標を設定するかという話がずいぶんでてますが、それも大切だけれど、私は一番それを導き出す過程が大切だろうと 思ってますので、いかに議論を集約できるシステムを作り上げていくかということをまず議論すべきだと思います。例えば 森林計画は、皆さん全国森林計画、地域森林計画の計画書を見て意見を言えといわれて、意見が言えますか?あれを見ても、 意見を言う意味はあるんですけれど、目の前の森林がどうなるかなんて見えませんよ。いわゆる具体の森林についての処分性は、 あの計画制度は低い。確かに速水さんのように使えば、施業計画なんかはものすごくいいシステムです。でも使えてないと いうことからすると、市民が直接具体の森林にどういうふうに関わっていけるかというシステムをやはり研究すべきでしょう。 速水さんがとられた森林認証なんて、一つのいい事例だと思います。そういう新しい具体的なシステムの提案もやはり 考えていくべきだと思います。今後の日程も含めて、これは提案なんですけれど、先ほど内山先生が森を利用する率を議論しよう といいましたけれど、私も具体的に今後の提案をどうするのだということを問われると、多分一番効果的なのは、直接支払い 制度ですね、これについてみんなで議論しましょうということを提案したいです。なぜかというと、いくつかの点だけいって おきますと、提言のなかでいろいろ言っておりますが、例えば農地の場合は直接支払いをやっても農地法で農地はちゃんと 押さえられています。担保されています。でも森林は森林法では完全に担保していませんよね。そういう面で保続対象森林 みたいな私たちの提言の話が、関連で出てきます。それと農業委員会が出てくれば当然森林委員会という話が出てきます。 例えば、所得補償ということで新たな税負担というと、都市と山村の間の財源の配分をどうするかといった話も当然出てきます。 そういう意味で、おそらく今後の具体的なポイントは、直接支払い制度について議論をしていけば、ここで皆さんやっている 提言の各要素は、すべて関連で出てくるのではないか。だから森の利用率も含めて直接支払い制度を是非、具体的に議論を 皆さんで大いにしていけば、各提言のなかの全部の項目が関連で出てくる気がしますので、是非一緒に議論していただきたいと 思います。

森     今松下さんから森業という話が出たので ちょっと申し上げたいと思いますが、森とむらの会はかなり前から、これまでの狭い意味での林業から森業、または山業という ものに転換しようということを提唱しておりました。その中身は、単なる木材をとるばかりではなく、森林の持っている多面的な 機能を人との生活のなかで活かしていく仕事として、山業、あるいは森業。実はこの言葉は、最初我々が使い始めたわけです けれど、新しい全国総合開発計画、5回目の全国総合開発計画の政府決定の正式文書のなかにも、いわば森業ともいうべき産業を 興す必要がある、とちゃんと認められている、市民権を獲得している言葉であります。いつまでも狭い意味での既存概念の林業 から脱皮する必要があるということが一点。
   二つ目はちょっと話が極端に変わりますけれど、21世紀というのは世紀と 本当に違ってきているということを、いろんな分野で実感することが多いです。いわゆる言葉ではなくて。世紀は簡単にいえば 経済の時代ですし、そして大規模化、集中化、画一化、効率化ということが価値観の基準になっておったけれども、世紀の末から いろんな社会現象、トラブルが出てきて、世の中はまちがいなくパラダイムが安全とか安心とか、あるいはゆとりだとか文化だ とか、そういうものに変わっている。環境の時代、森の時代という話も出ましたけれども、私はもっとそれを含めまして、 現場の時代、地方の時代と。ですから林政も、あるいは森林の取り扱いも、現場の人たちが自分たちで一番いい使い方をする ことが基本になるべきだと私は思っています。もう一つは、ポランティアの方々が今日大勢おいでのようでございますので、 私もボランティア活動、極めて不十分ながらやっているつもりですけれども、ポランティアというのは丁稚奉公とは違うよと いうことを、これは釈迦に説法だと思いますが、労働というものはもともと自分の能力、肉体的・精神的能力を高めていく、 その自然との関わりで労働が出てきたのがいつのまにか、労働が骨折りになったり、それは社会構造がそういうわけで自分を 高める仕事じゃなくて骨折りだったり、金稼ぎの仕事になってしまっているというところに、この労働の問題があるように思い ます。そういう意味ではボランティア活動はそのようなものを取り戻すものだという感じがする、そういう運動だと思うと、 決して限界なんかないんじゃないかなと。ますます誇りを持って、21世紀は暗い時代じゃないと、こう思っています。

山本    ありがとうございました。それでは、 時間もなくなっておりますので、特に私の方からまとめはいたしませんが、一つだけ今日確認しておきたかったのは、 山に住んでいる方、行政関係者だけでなく、やはり私たち全員がこれからの新しい森林管理体制をつくる主体であると。 それを全体像を見渡しながら個別の問題をこれからもっともっと議論していく必要がある。今日はその第一歩にすぎません。 いろんな団体が集まり、いろんな方が集まって、一堂に会して話が出来た、これだけが今日の、ひょっとしたら成果かも しれません。今後こういった形をもっと続けていくために、皆さんの一層のご協力をお願いしたいと思います。座長の不手際で 時間も押してしまいまして、大変申し訳ありませんでした。これで本日のパネルディスカッションを終了させていただきます。 どうもありがとうございました。

      
   

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