数年前まで、私は木と森に強く思い入れを持っていたものの、自分が傾倒しているその『森』と、林業で扱うところの『山』とを同じ視野の中にいれることができなかった。拒否していたわけではなく、林業という営みで人が山を造る、ということを知識としても経験としても実感する機会がほとんどなかったことと、よく読んだ『森』の本には林業のことは出てこなかったので、視界に入ってこなかった、というほうが正しい。
読む本がしだいに広がって、林業の知識を少しずつ持つようになっても、「大変だ」と深刻になりこそすれ、自分が、素人でオンナの自分が、できることがあるとは思いつかなかった。7Kとまで言われるような過酷で厳しい労働だから、職希望者が激減しているんだ、という強い刷り込みが皮肉にも読書によってされた気がする。知識はもっても、あいかわらず自分とは縁遠い関れない世界、というのは変わらなかったのだ。
ところが、遠い世界、に思っていた林業を「山造りは難しくない。素人でも習いさえすれば誰でもできる。休日の楽しみとして山造りをするだけで今の日本のは見違える」と目からウロコが落ちるようなことを言う人に出会ってから、私の暮らしは大きく変わった。週末にはせっせと横浜から長野県に通って山仕事を習い、関ったこともない市民運動のような立場にも身を置くようになったり、山仕事講座を開いて組織を作ってしまったり、国産材で家を建てて、挙げ句の果てに伊那に住んでしまうまでになっている。出会って以来、この6年間の我が身の変化には、自分で目を見張ってしまう。
そうして、「島崎菌を伝染するの」などと言って、多くの感染者を出しているだけれど、これがとにかくよく感染するのでラクチンな菌なのだ。感染者は次の感染者をつくるので、ネズミ講方式とも言われたりするが、その感染元というか病原菌が、『山造り承ります』の著者島崎洋路さんである。
島崎先生は(信州大学農学部林学科の元教授なので、ふだんからセンセイと呼びなれている。ゆえに島崎さんとか氏などと書くとどうも別人になってしまうので、敬愛をこめて先生を通したい)退官まで大学付属の山を管理する演習林長を勤めていたが、在学中一貫して山の現場で自ら作業をし続けた人だ。自ら考えて、作業して、確かめて、さらに実践し、あるいは指導する、という一連の繰り返しは45年間変わることがない。この本は、その長年の実践の一まとめ、というものだ。
今しきりに問題になっている間伐が、島崎先生の終生のテーマになったのは40年前で、これだけの時間を経て山とは縁のない一般の私たちにまで危機感や問題意識を喚起するまでになったことに、ごく最近の弟子である私でさえ感慨がある。先生が危機感を持ったころは拡大造林が勢いのあった時代で、演習林の下草刈りだけでさえ大変な負担だったことから、農山村の人口がどんどん都市に流れて減っていく中「間伐の時代になったらエライことになる」と背筋が冷たくなったことが間伐をテーマにしていくきっかけだった。
林業就業者がどんどん減る中で、どうしたらプロではない山持ちさんたちが間伐をできるようになるか、という具体的な打開策を考えて心理的な負担を取り除く策、体力的な負担を取り除く策、を考える。あるいは周りからさまざまに起きる逆風に、地道に対処していく。そういう中で、コツコツと実践して指導してきた40年間は本当にドラマで、何度聞いても飽きない。「ベストが無理でも、ベターをめざしたい」としばしば口にする先生の現実的な思考と実践は、山造りとか林業を越えて私たちを惹き付けるところがある。生きていく、ということは常に工夫と創意をこらしてメげず、クサらず、自分の手で築き上げていくことだ、というメッセージが話の内容を問わず隠れているからだ。決してお説教ではなく、本人はひたすら山造りに打ち込み、情熱を傾けているだけなのに。生きざまを示すだけで周りの人の生き方を触発してしまう"大人"がいることに感動する。私もそういう大人になりたいものだ。ぜひご一読を。できるならば、島崎菌に感染しに行ってほしい。
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