二度童子と直感と観察の森の哲学
東京大学富良野演習林の名誉教授で高橋延清先生というらしいのだが、御年87歳、どろ亀さんと呼ばれ、というか自ら名乗り、森林界ではひどく(森林研究の世界的な権威、とプロフィールにはある)有名な人だという。門外漢の私はその有名な先生を存じ上げないでいたのだが、昨年の秋に北海道での下草刈りキャラバン隊という胆振支庁のイベントに参加した折、お目にかかる機会があった。
首を上に向けて柄の長い高枝用ノコギリを手に、カラマツの枝打ちに挑戦して四苦八苦していた私のところへとことことやってきて、どろ亀先生は言ったのだ。「握手してください」と。にっこりとツーショットの写真におさまり、園田さんと連名で署名入りの著書までいただいてしまった。なぜか。東京くんだりからはるばる森林ボランティアとしてやってきたのはすばらしいことだから。女性の山仕事に慣れないのか、同じ参加者のおじさんたちに「大丈夫? 替わろうか? 無理しなくていいよ、適当で」と勝手にいたわられてむっとしていた私に、どろ亀先生は卓越した印象を残していったのだった。
あとで聞いたら、東大教授をしながら本郷キャンパスでは一度も教壇に立ったことがなく、博士論文も書いていない名物先生なのだという。なんというバンカラな。そういえば、開会の挨拶のときも、札幌からカメ虫とずっと一緒に仲良くここまで来たとか、素頓狂なことを言っていたしなあ。この本を読んでいると、「二度童子になった」という言葉がよく出てくるが、まさにそういう趣きであった。 こんな詩が載っていた。
老いて/二度童子になった/どろ亀さん/科学者の目を落として/森の中へ 見える 見える/よく見えてくる/今まで気がつかなかった/森の中の小さな/美しいデザインも・・・ 動かずに/黙って座っている、と/生きものたちが/心を開けてやってくる/仲間にならんか、と(略) どちらかというと、どろ亀さんが、心を開けてやってくる生きもののようである。
ところで、どろ亀さんはどういう研究をしていたのかというと、天然林における「林分施業法」という理論をつくったのだそうだ。本を読んで勝手に平たく言うと、天然林であっても人間が適切に手入れをすれば、森林環境もより豊かになり、そのことで人間が利用できる木材の供給も安定する。そのためには、森林を特徴のある小さな単位ごと−林分−に分類し、「その林分ごとに木と対話し、どの木を残し、どれを伐るかを検討して処置していく。そうして林分ごとに最も適した技術を哲学として確立したのが」林分施業法の六原則だということらしい。門外漢でも内容はそれなりに理解できるが、具体的にどうしたらいいか? となると樹海で何から手をつけていいかわからなくて目が点になりそうなさっぱりとした六原則が並んでいる。
どろ亀さんは、白洲正子さんとの対談で「どの木を伐るのかは、どこで判断するの?」とたずねられて「それはね、ダンスと同じなんだ。森のどの木を伐るか伐らないかは」。「つまりね、ダンスでも右足がどうの、左足がどうのということではなくて、もう音楽が鳴りだすとすうーっと入っていけるでしょ。それと同じだ、どの木を伐るのか伐らないのかなんてのは。もう直感でわかるようになる。そういうもんなんです」。
直感。まるで職人の言葉のようである。「山の問題では、技術が正しければそりゃいいんだけれど、技術以前に心の問題があるんですよ。心がさ、正しければ、森を愛するという心が一番大事なんだ。そして、ぼくの「林分施業法」のことを生半可覚えて、知識だけ、技術だけ真似しても、意外とだめなもんなんだ」。
こういう言葉に、実際にどろ亀さんという人にわずかに接したささやかな印象から、私は実体を上滑りしていくような言葉としてではなく、肉声としてじんわりと心にしみるものを感じてしまう。除伐と称して、広葉樹の幼木や、植林したのに根元が曲がってしまった杉の若木などをばっさばっさと伐っている自分が野蛮に思える。まあ、どろ亀さんの年までたっぷり50年以上はあるので、こんな言葉をぼそっとしゃべっても嫌味にならない老婆になるにはどんな日常を送ろうか。
直感はやはり経験の上に立ちあらわれるものなのだろうか。富良野の樹海はもとより、ワラジ虫の観察だの、オタマジャクシの観察だの、猫にマタタビの実験だの、日常的な生きものとのかかわりが(カメ虫との戯れとか!)またおもしろい。どんな観察をしているのかは本文にあたっていただければわかるだろう。近所の女の子と一緒になって「猫にマタタビ」を試してみるマタタビおじさんのくだりなどとても愉快だ。大真面目な観察態度。現場にいてこそわかる物事の本質。どろ亀さん的楽しい老婆への道であろうか。 どろ亀さんの富良野での林分施業法に基づいた実験は、昭和32年から始められたのだという。そもそも演習林に赴任したのが昭和13年で、20年を森で這いずり回って過ごした後の実験の開始なのだ。 「自然相手の実験は時間がかかるものだが、それでも1、2年で見えてくる結果もあるんだよ。自分の手で老衰木や暴れ木を伐ったり、ツル切りや枝打ち、稚苗を植えたりといった、細かい施業を一つひとつ積み重ねていったことで、それまで乱雑だった森がすっきりとして、すくすくと育っていくのを見てからは、もうみんなが競って山へ行くようになったんだ。仲間たちの愛情と熱意に応えて森が変化していく、そのドラマに魅せられたんだね」。こんな楽しさを私も森の仲間たちと共有してみたい。早く老婆になって、みんなで手入れした山を歩いてみたいよ、どろ亀さんみたいに。
本は、厚さが3cm、300頁もあってとても重いが、水越武さんというカメラマンによるとても美しい富良野の樹海のカラー写真がたくさん載っていて、どろ亀さんの詩もそこここにさしはさまれ、詩のようなつかみどころのない文章が綴られていて楽しい本だ。
森の図書館・目次 森の図書館00年3月 森の図書館99年11月
|