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ニュース第54号 00年3月号より
NO.38 椿
の 春
中沢和彦
●アブを伏せる
スミレが咲く道を小さな尾根に向かって歩いた。
植えられて2年目ほどのヒノキ植林地ごしに霞みがかった町が左下に見えている。遠く、新宿の高層ビル群や横浜港近くのビルも見える 。右手には、伐採されずに残ったマツや広葉樹などがあるから見通しはきかない。傾斜がゆるくなったあたりで一息つくと、ツバキの花びらが落ちて いる。
以前、寺田寅彦の『柿の種』(岩波文庫)という随筆集を読んでいたら、「椿の花が必ず仰向き落ちるのはなぜだろう」との記述に出会った。以来、落ちたツバキを見ると気になって仕方がない。ここのツバキは落ちて数日経っているのか、バラバラに散らかっている。
寺田は、植物学者にその理由を尋ねている。そして、「花が樹にくっついている間は植物学の問題になるが、樹をはなれた瞬間から以後の事柄は問題にならぬ」と聞かされたのだという。そして、師である夏目漱石の句「落ちざまに虻を伏せたる椿哉」は、実景だったのか空想であったかとも書いている。
ところで、木偏に春と記せば日本では、春に咲く椿のことだけれど、漢字の国・中国では違うらしい。『荘子』に、八千年を春とし八千年を秋とする想像上の木が出てくる。そこで長寿の木を椿と名付けたといわれる。年月のことを春秋というのもここから来ているようだ。 ?
「古池や茶筅花咲く椿かな」(蕪村)なんていう句もある。
これは仰向き状態である。
●椿泊
ツバキの北限は、青森県夏泊半島の北端にある。海岸に面した傾斜地にヤブツバキが群生している。けれど、花期に訪ねていないこともあって印象が薄い。椿ということで思い出す場所はといえば、徳島県阿南市の椿泊だ。
四国の最東部、二股に分かれた岬が太平洋に突き出している。南側が蒲生田岬のある椿、北側が椿泊である。ここは椿半島とも呼ばれている。この地名は椿の木が多かったという説や「つば・刀」「き・城」で「刀の城」説もあるようだ。釣場としても知られているらしく、インターネットでここの地名を検索すると、大半が釣りと関 連している。
機会あって、数人でここの民宿に泊まった。ここの魅力のひとつは、民宿に着くまでの驚きとスリルである。集落手前まで民宿のおばちゃんが迎えに来てくれる。くねくねと曲がった裏道風軒先をワゴン車でズンズン走っていく。軽4輪どころか宅配ピザのお兄さんたちが乗る三輪車だって最徐行してしまうような道である。家族の悩みどころか、お父さんの水虫の具合すら聞き取れてしまいそうに家々は迫っている。
その道をおばちゃんは、後部座席に乗った私たちと世間話をしながら進んでいく。 ときどき、すれ違いのために広いところがある。乗用車が一台、こちらを待っている。
「あの子は、ええ子でなあ、必ず待ってくれるけんなあ」
などと言う。彼は、譲るべきものが何であるかを知っている点で、確かに好青年なのだろう。曲がり角の家は、軒先が車に削り取られている。
山村を行くバスの「車体最前部をがけ上に突き出しての急カーブ」や「細道すれ違い」技術にも驚かされるけれど、おばちゃんの技術は潮香漂う豪快さがある。
そして、窓の外はすぐ海という民宿の魅力は、やはり料理だ。「鯛や平目の舞い踊り」は、浦島太郎だけれど、大皿に盛りつけられたタイとヒラメは、こちらの眼も胃も舞い踊る感じだ。で、料理と酒にかなり酔ったけれど、それらを運んできた人は乙姫様にも椿姫にも見えなかった。おばちゃんだった。
宴の終わりに、おばちゃんは残った刺身ほかを混ぜてオジヤをつくってくれた。
「この料理は、何年か前に、泊まった男の人から教えてもろたんよ。ほの人は、とても紳士的で親切な人だったんよ。ほなけんど詐欺師で(笑)、宿代も払わんと逃げてしもたんよな」。
「それ以来、このオジヤをうちとこの料理ということにして出しとんよ」。
笑いながら聞いている方にとっては「珍事」だけれど、おばちゃんにとっては大変な「椿事」だったわけだ。けれど、それを明るい物語にしているところがたくましい。
●椿園
翌朝、幅3mもない路地を岬まで散策してみた。途中、左側にちょっとしゃれた時計台があり、その脇の急傾斜な階段を上がると、海を見渡すように神社があり、階段の途中には1本の椿があった。重なり合う家並みのすぐ向こうに海、背後には常緑広葉樹林が急傾斜に迫っている。ここは、かつて阿波水軍の拠点となっていたところだという。
ここ椿泊にも椿園があり、700種3000本が植えられているという。いつか訪ねたら、落花に閉じこめられたアブを救ってみたいものだと思っている。
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