ニュース第51号 99年12月号より
NO.36 濡れ落ち葉紀行
中沢和彦
●にぎやかな秋
早朝に東京を出る「こまち」は、ほぼ満員だった。車両の3分の1は60歳代と思われる男女の団体で、紅葉と温泉に出かけるようだ。
私は一番前の通路側、もっともドア近くという席だった。背後にざわめきを感じ、団体の人々の生理現象による繁茂なドア開閉によって寒さも感じられるという位置だった。
こまち号は田沢湖線に入った。ここからは、車窓に紅葉が近くなり美しくもなってくる。と同時に、車内もどんどん盛りあがっていく。ワァーッすごい、キレーッ。その声をかき消すようにトンネルに入る。静寂。そして、高まるトンネルを抜けたとき色への期待、感動への予感。
ぬけた。「キレーッ」「ウワーッ」「ギョエーッ」などと声が上がる。自分の観ている側の景色も結構きれいだと思っていても、反対側から派手な声が上がれば、そっちも観たくなるのが人情。で、そっちを観てみるってぇというと、なに、こっちの方がずっといいじゃないか、と思って席に戻るってぇと、すでに景色は変わっていて、あたり一面はスギの黒が主になっていたりなんかする。うーむ、こりゃあいけねえ。なんて具合で、どうも腰が落ち着かない。視線が定まらない。
なんていう60歳代の人たち30人ほどいる車内である。車輌の中央あたりは団体が占めている。端の私たちも、当然、この紅葉高揚気分に巻き込まれないわけにはいかない。それがお座敷列車化した(乗ったことないけど)新幹線の運命なのであります。
それにしても、こんなに感動されれば、木々たちも散りゆく葉たちも幸せなのではないかと思う。それに引きかえ、黙々と整列する本場の秋田杉たちは肩身が狭まい。
団体の人たちは予想どおり角館で降りた。町並みを楽しみ、田沢湖あたりの紅葉に遊ぶのだろう。
下りるとき、集団の中の女性が誰にともなくこう言った。
「おさがわせしました」。
美しい。散り際ではなかった、下り際のこの一言で、紅葉はさらに美しいものになったのである。車内も窓の外も、濡れ落ち葉とは対局にある光景なのだった。
●猫
翌日は植樹のイベントだった。途中、美しい紅葉が見えたので、ちょっとだけ脇道に入って眺めていくことにした。廃土を積み上げて小山になったところがある。歩いていくと、数匹の野良猫が逃げ出した。
反対側には、刈り入れの終わった田んぼがあり、川が流れ、その先に紅葉が見える。ながめ、風を感じ、雲と太陽を気にしながら写真を撮り、川に沿って歩いた。とりたてて紅葉の名所でもないのだろう、誰もいない。いい気分だ。
砂利道を車に戻る途中、ふと足元を見ると、何かが落ちている。猫だった。ここに出入りするトラックにひかれたのだろう。すでに干からびている。なんてこった。
思い出したことがある。10年ほど前のこと、天竜川あたりに出かけたときのことだ。用事が済んで、なんとなく河川敷を歩いた。蛇行する川の対岸には、どこまでも続くかのように杉があり、その中に数本の紅葉があった。深緑の画用紙に、赤と黄の絵の具をたらしたような秋である。
ファインダーを覗くと、河原に小さな段ボール箱がある。川を流されてきたのか少し崩れかけている。邪魔だったので端に寄せようと箱に触れたら、なかが見えた。スーッと血が引くのが分かった。なかで猫が死んでいた。
●毎日が日曜
イベントが行われた青森県岩崎村は、フィンランドとサンタクロース協定を結んでおり「サンタランド白神」という施設もつくられている。
白神山登山口で植樹し、登山道を200メートルほど歩いてブナ大木を眺め、そして、その施設にもどってミニコンサートなどが行われた。
歌手が、参加している子どもにマイクを向けた。「君は、どんな気持ちで参加しているのかなぁ?」。子どもからは、予想外の答えが戻ってきた。
「・・・せっかくの休みなのに・・・」。
会場は爆笑だった。
「せっかくの休みの日」に、大人に言われて参加した植樹。だからこそ、今日のことは大人になっても覚えているかもしれない。そして、子どもたちが大人になってから「この日の作業は意味あることだった」と思えるのか、それともこの日と同じように「せっかくの日曜日をつぶした」と思っているのか。それは、いま大人である私たちの責任なんだろう。
翌日は雨になった。イベント会場近くにある十二湖の紅葉は終わりに近かった。落ち葉が混じった雨粒がボタボタ降ってくる。歩いている人はほとんどいない。
いつのまにか雨具のフードや背中には、濡れた落ち葉が張りついてはなれない。
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