ニュース第48号 1999年9月号より

 NO.33 北の国から、山の国から
                中沢和彦

●ナイとベツ 

 夏休みの羽田空港は大変な混雑である。子どもたちのかん高い声とエンジン音と揺れの不安などをイヤホーンで防ぎつつ旭川へ。

 翌日。空は、朝からぐずついている。ニュースによれば、数日前からの雨で、道内各地で被害も出ているようだ。市内を流れる忠別川は、茶濁して河岸を削るように急流している。
 この日、忠別川上流で、環境保全の市民団体「自然・文化創造会議」(略称 CCC)が主催する森林整備作業が行われることになっている。この会の議長をつとめる倉本聰さん(脚本家)にお話を伺った。
 「肥大化した胃と脳が東京にあり、脳は胃のことばかり考えている。ところが、私たちの身体は,血液を正常化して酸素を供給されないと生きていけない。その機能を持つのは森林。そして、その血液を身体中に流す血管は川です。そのことが忘れられているのでは」と話していた。

 忠別川を遡るほどに流れが荒れている。水温と気温の差が大きいのだろう、河面から霧があがっている。流れ近くに立つと巻き込まれるようで恐ろしい。

 倉本さんの小説『ニングル』にこんな会話が出てくる。
「ベツっていうのは河床が浅くて、水が出ると年中河床が移動する河をいうんだわ」「それに対してナイっていうのは、河床が深くて、洪水が出ても河床が絶対移動しない、そういう河を云うんだわ」
 アイヌの人たちは、河を大きさで分けるのではなくて、そばにいて危険か安全かで分けていたのだという。

 翌日、富良野へ。あのテレビドラマの人気を思い知らされる。夜、偶然にテレビで倉本聰さん脚本の映画『駅』を観る。

●発見

 ブルーノ・タウトの『日本美の再発見』(岩波新書)は、桂離宮や白川郷の民家を再評価した建築家の本として知られている。本は学生時代に持っていた。買ったからには少しは読んだのだろうけれど、内容をまったく覚えていない。偶然に書店で見かけて購入した。勤め帰りに紀行文を読み始めたら、これがおもしろい。とりわけ「飛騨から裏日本へ」がおかしい。戦前の日本が見えてくる。

 タイトルからして、日本美をほめあげて私たちをくすぐり続け
るのかと思ったら、そうではない。

 たとえば、旅館については「厠臭が家全体に漂っている(これはほとんどどこでもそうだ)。便所の所在を探すには、ただ犬のように鼻をはたらかせさえすればよい」と書く。「この旅館では、部屋から便所まで十歩ばかりだというのに、履き物が四遍も変わるのである。一,畳敷きの部屋では靴下だけ。二、廊下ではスリッパ。三,便所内の短い通路では下駄。四,最後に便所用の草履」などと記している。
 「日本人の睡眠というものが、また実に奇妙である。ひどく夜更かしをするくせに、朝は滅法早い。そして昼間になるとあちこちで昼寝をしている。これでは頭が少し馬鹿になりはしないだろうか」。
 発見角度の楽しさに何度も笑ってしまった。

 この本を読みながら高知県大川村へ向かう。「森林と市民を結ぶ全国の集い」である。大川村は2度目だ。小生が加わった分科会は「交流の森をとおしてなにができるのか」。

 なんとなく「交流」という言葉に「川と川の流れが一緒になること」というイメージがあった。けれど、考えてみたら、それは交流ではなくて「合流」だ。辞書を調べてみると、合流というのは「二つ以上の川の流れが相合すること。団体が他の団体と一緒になること」。一方、交流は何かというと「違った系統のものが互いに入りまじること。また、入りまじらせること」と書いてある。

 そう。交流は「いっしょになる」ことではなくて「入り交じる」ことなのだ。だから、交流によって「なにができるか」ではなくて「なにが生まれるか」なのだろう。なにが生まれるかは、交流してみないとわからないところがある。事前には想像しえないなにかが生まれる。異質なものとの出会いが発見を生む。発見されたものは価値となる。

 分科会でブルーノ・タウトの本の話をしたらウケた。

●大きな流れ

 高知県大川村の人口は613人(男306人 女307人)。288世帯である。ほとんどが森林の村である。

 東京に戻ってきて新聞を見たら、生産条件の不利な中山間地域の農家に補助を行う直接支払いの単価基準が決まったと出ていた。水田で、急傾斜地は10eあたり年間2万1000円、緩傾斜地は8000円。畑は急傾斜地は1万1500円、緩傾斜地は3500円だという。

 同じ日の新聞には、「現在ある3200市町村を、数年後に1000程度にすることを目標に市町村合併をすすめる予定」と書いてある。理由は「地方分権で強化される市町村の役割にふさわしい規模の実現をめざす」ためだという。渓流は大きな川に合流して、どんな流れになるのだろうか。
 
  朝、通勤ラッシュの流れのなかで突然に思った。少なくともこの流れは「ベツ」なんだろう、と。

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