「うちの理事さん」

     「森林(もり)のハーモニスト」代表・濱田智子さん

2000年11月号掲載・紹介者:鶴見浩子

 

 さて、先月とうって変わって今月は一番遠くの理事さん、北海道の濱田智子女史である。遠くであることから、直接あってあれこれ聞くことができない。それで、同じ北海道で濱田女史の仕事の後輩である鶴見浩子嬢にその人となりを書いてもらった。一応、後輩ですからそのつもりで読んでもらえれば。

 森林への関わり、思っていることなどは直接濱田さんに書いてもらいました。今回の肩書きは「森林のハーモニスト」となっていますが、あるときは「レディースネットワーク21」であったり、胆振なんとかというグループだったりで、ま、要するにあれこれやっているということでしょう。

 

【濱田さんは『タフ』な人】

           北海道  鶴見 浩子

 昨日(10月24日)、自宅にFAXが来ていて「何かなー」と読んでみると園田さんからの“濱田さんの紹介原稿書いて!”FAXでした。しかも締め切りまで1週間しかないということで「どうしようかなー」と考えましたが書いてみることにしました。

 超個人的観点の文章なので濱田さんの人となりがわかってもらえるかどうか不安ですがご一読頂けたら幸いです。

 私が濱田さんと出会ったのは、平成5年私が上川支庁林務課に新規採用された時、隣の係にいました。初めて職場に行ったとき「女の人がたくさんいるなー」と思っていたらほとんど臨時職員で正職員は2人で唯一の技術職が濱田さんでした(一応私も)。しかも、その頃産休明けだったのか、職場や飲み会に赤ちゃん(長女めいちゃん)を連れてきたりしていたのがすごく驚いて印象的でした。長男ゆきひろくんと2人前と後ろにしょってクロスカントリー大会に出ていたのも驚きでしたが。

 この頃女性技術職員が多く採用され始めた頃で、“レディースネットワーク21”(都道府県の女性林業技術職員で構成)や“北の雑技団”(北海道の技術系女性職員で構成)などが立ち上がり「女の人は元気ですごい!」と思いました。それらの立ち上げに関わっていたのも濱田さんでした。私は訳も分からず楽しそうだし、友達が増えると思って参加していました。

 濱田さんが胆振東部地区林業指導事務所に転勤して1年後の平成8年なんと私もAGとして隣の林指に転勤となりいろいろとお誘いを受け一緒に活動させてもらいました。

 濱田さんが関わっている森づくりグループの方が主催している苫東雑木林育林コンペ(3年間5グループが1区画借りて好きなように手入れをして審査してもらう)に参加させてもらいました。大変だったけど楽しかったですね。冬道を車で約3時間かけて行くのは怖くてつらかったですが、伐った木でたき火してダッチオーブンでパンやピザを焼いて食べるのがおいしい!!ほとんど食べるの楽しみに行っていました。仕事ではない“楽しい森つくり”ができる機会に恵まれて良かったです。

 平成11年に濱田さんは異動してしまいましたが、現在も相変わらずお誘いを受けいろいろとやっております。

 出会ってから8年近くなりますが、私じゃ相談相手にもなれないので濱田さんの愚痴を聞いたりや落ち込んだ所を見たことはありませんが、子育てをしながらも自分の好きなこと(したいこと)を現実にしていく姿を見ていると本当に「すごいなー。タフだなー。」とただただ感心ばかりしています。私は濱田さんの背中を見ながら(多大に影響を受けながら)ここまで来れたのかなーと思います。この縁が続く限りくっついていきたいと思ってます。

 今回森づくりフォーラムの理事になったというのを聞いてまたまた「すごいなー」と思いました。タフな濱田さんですが健康にだけは気をつけてがんばって下さい!!

 

【北海道で森づくりネットワークを】

               濱田 智子

◆林業との出会い

 私は北海道生まれの北海道育ちで、物心ついた時から裏山で草花を摘んで遊んでいました。学生時代は花を求めて道内の山を巡り歩き、林床ばかり見ていたので、顔を上げて森を見たい、樹木のことを知りたいと思い、林学科に進みました。そこで、林業に出会いカルチャーショックを受けました。どんな森林にも人の手が入っているということ、北海道ですら原生林なんて、もうほとんどないということを知り、森林に人が関わる林業というものに心惹かれ、施業論みたいなことを研究テーマにしていました。まもなく、知床国有林での伐採が世間をにぎわし、一方的に伐採に反対する自然保護や、伐採と保護を対比するマスコミに反発を感じ、林業に対する誤解を解くこと、林業を理解してもらうことが必要と感じ、北海道の林業技術職員となりました。始めの6年間は行政事務ばかりだったので、現場に近いところに配置替えしてもらい、5年前から林業改良指導員となり現在に至っています。ちなみに3児の母です。

◆森林ボランテイアへの期待

 林務行政の仕事を通して考えさせられることも多く、疑問や不満もたくさんあります。林業生産活動を否定するつもりは微塵もありませんが、今は森林を取り巻く制度や仕組みが、あまりにも木材価格に収束していて、それゆえに硬直しているようにも感じます(観念的ですが…)。法改正もあり上からも変わりつつありますが、市民参加やボランテイアの森づくり活動は、従来の林業の枠組みとは違った多様な視点から、森林と人との関係を足元から組み直す手助けになるのでは?と期待しています。

◆私の活動

 頭で考えてばかりいても始まらないので、身近なところから行動を!と思っています。仕事の中で4年ほど前に、森林ボランテイアの仕組みを作れないだろうかと事業を企画したことがあります。発案したのは私ですが、組織の中を転々とするうちに事業は形を変え、当初描いたものとは大きく違った形で実現されました(その節は、森づくりフォーラムにも大変お世話になりました)。行政の組織が動けば大きなこともでき、多くの人への波及効果もあります。しかし、振り返ってみると、果たして地域に対して本当に良いことだったのか?。結局、土のないところに種を蒔いても芽は育たないということを痛感しました。以来、私の活動のウエイトは、公よりも私へとシフトしています。

 はじめは「いぶり雑木林懇話会」(現在休眠中)というグループで、地域の雑木林の魅力をPRしていました。この活動がきっかけとなり「育林コンペ」(市民グループが3年かけて広葉樹林の手入れをし、その出来栄えを競うというもの)が始まり、フィールドの世話人をつとめました。”おんな子供の森づくり”を提唱し、知友人に声をかけ、総勢80人くらいが入れ替わり森に来て作業を楽しんでくれました。昨年11月に実施されたコンペで第1ステージが終了し、私のグループは作業の参加者から8人も赤ちゃんが産まれ、森づくりは少子化対策(?)と評価されました。

 また、今年の2月から道産材で3本のアルプホルンを作っています。ホルン制作を続けながら、木のことを学んだり、森の手入れをしたりという活動をしていこうと「森林のハーモニスト」という団体を結成し、10月には”森へ行って木を切って、何かいいもの作りましょう”というコンセプトで行事を開催しました。1日目はトドマツ林の手入れ作業、翌日は伐採した材を活用した木工教室というプログラムで、当初の定員30名を大きく上回る45人が参加し、なかなか好評でした。

  この他にも、7月に北海道のLN21主催による「森づくり体験ツアー」という行事を開催したり、8月には中川重年さん率いるスイス民俗音楽コンサートの受入れをしたり、この春に発足した「北の里山の会」(事務局は札幌)の運営を手伝ったりしています。また、子供たちの森林体験活動を応援したいと思っているので、9月に地元の青年会議所主催による行事の企画を頼まれ、インストラクターをやったりもしました。なんか、あっちこっちと忙しく、イベントには子供を連れまわし、家事はそっちのけ。家庭は大切にしなくちゃと思う今日このごろ。

◆これから

 北海道では2年前くらいからようやく、市民参加の森づくりや里山の活動がポツポツと芽生えて来ています。あちこち覗いて顔つなぎをしながら、北海道内の森づくりグループをネットワークしていけたらな〜とも思っています。                                            

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