「うちの理事さん」

     林業家・ 羽生卓史さん

2000年10月号掲載・紹介者:園田安男

 

 先月は「森林と市民を結ぶ全国の集い」の忙しさの中で、理事さん紹介をお休みにしたが、今月は園田の住む「森の家」のオーナーであり、理事さんの中では2番目に近くに住む羽生卓史さんを、手近な園田が紹介する。今回、羽生さんになったのは、てっとり早く、という理由からでは決して、ない。

 先回の井上さんにはインタビューする形で紹介した。今回もと思い、インタビューする形を取ったが、いつものことながらただの酒飲みになってしまい、「適当に書いてよ」という、これまた、いつものパターンになってしまった。相変わらずの関係である。

 

◆羽生卓史さん

 東京の西、日の出町に住んでいる。古くからの林業家。180haぐらいの山林所有者である。家業の林業を継ぐために、父上が亡くなられたのを機に、47才でサラリーマン生活を離れて、多くの相続税とともに林業家となった。それほどはっきりと林業を継ぐという意識があったのではないが、そうなるだろうという程度のものはあったといっている。1年ばかりのちには、日の出町森林組合長をやるようになり、15年間のおつとめの後、今年の5月に日の出町森林組合長を退任された。

 羽生さんといえば、長髪ちょんまげ、長髭、オーバーオールという出で立ちの印象であるが、昔から今のようなラフというか、小汚い(あまり人のことは言えないが)、風体をしていたのではない。10年前に会ったときは、ごくごく普通のおじさんだった。それが、ちょうど森づくりフォーラムを立ち上げてすぐの頃、だんだんと今のような風体になり、それがある種、独特のスタイルへと昇華したのである。

 しかし、羽生さんは日の出町では「お大尽」といわれる人である。町の人たちもいろいろと、このスタイルにはあれこれ推測する。今、もっとも一般化されている町の噂。ちょうどあのころ頭の血管が切れて入院していた頃でもあったので、「入院して死が見え、もうこれからは好きにするんだと悟り、まわりを気にしなくなってあのきたない格好になった」というものである。直接本人に理由を聞いたことがないので、あるいは聞いたかもしれないが忘れてしまったので、真偽のほどはなんともいえない。

 そして、今では生まれたときからこのスタイルだったのでは、と思わせるほどである。

◆日の出町森林組合

 日の出町森林組合はおよそ240人の組合員、それも9割以上が5ha未満の所有というものである。

 羽生さんが森林組合長をやっていた15年間の変化を聞いてみた。最初の頃は、役場のなかに森林組合が置かれていた。羽生さんが組合長を引き受けたころ、独立した事務所を構えるようになり、その後、専従スタッフと自前の作業班を持ち、そして、磨き丸太生産という事業も始めるようになってきた、そうだ。

 どうも推測するに、それまでは林業は個々の林業家の事業としてみなされていたものが、林業構造改善事業、造林補助金制度などの支援などが行われて、だんだんと公的な色彩を帯びたものになっていったのではなかろうか、と思われた。林業家はそれぞれに作業員を持っていたのである。羽生さんのところもそうだった。それが、森林組合が抱えるというふうに変わってきたのであろう。

 このことは、一方では林業が個々の林業家の努力だけでは立ちいかない状態へと変化したということでもあろう。すると、公的な援助に頼ることを中心とする動きがどうしても大きくなっていく。国−都−町−森林組合というラインが敷かれていくのである。

◆市民参加

 羽生さんに「なぜ、市民参加ということにそれほどかかわってきたのか」ということを聞いた。

 羽生さんは、森林組合や林業関係者の集まりで、林業が大変なことをなげきあったり、愚痴を言い合ったり、不満を言い合ったりすることに、疑問を感じていたそうである。本当は、この林業家の声を聞いてもらいたいのは林業家仲間ではなく、林業には関係ないと思っている都市住民ではないかと。つまり、林業の困難な状態が「仲間内の議論」で終始していることに疑問があったのである。

 林業が滅びてもいいものならそれでもいいが、結局、困るのは直接林業に関わってない人たちでもあるのだという思いがあった。だからこそ、多くの都市住民の理解がいる、言い換えれば市民参加の森づくりが必要ということになる。だからこそ、その窓口としての役割として、森づくりフォーラムに期待もしているし、ともにやってきたということになるのである。

 さらにいえば、林業の困難さを族議員さんに陳情し、政治的な解決手法でやろうとしても、税源が乏しく、票数も少ない林業団体が他の業界と同じようなことをするというのにも疑問があったそうである。

 そんななかで、森林組合長を務めながら、林業関係者に市民参加ということの伝えようとしてきたが、しかし、なかなか理解されない現実が待っていた。このところの木材価格の低迷は、そんな悠長なことを、という気分を林業関係者のなかに増幅している。

◆森林組合長を辞める

 今年の5月、日の出町森林組合長を辞めた。これは相変わらず、国や都の補助金で林業を何とかしようという人たちがまだまだ大きな流れであり、ある種の「むなしさ」みたいなものが胸のなかに大きくなってきたことのようだ。少し自信がなくなってきているというようなことを言っていたが、森林組合という組織内でのことはともかく、地元の林業家だからこそできるということも多いのだから、ここは今後もひとつよろしく、と書いておきましょう。その意味では、森林を所有してない私たちがいくらバタついても、どうにもならないことは多いわけで、そんなに誰も彼もができる役回りではないということだと思う。それぞれがそれぞれの役回りを活かせるようになったとき、森づくりフォーラムもちゃんとした組織になっているだろう。今はまだ、つながっているという段階のような気がする。

◆森づくりフォーラムでは

 羽生さんは森づくりフォーラムでは、最初のころから林業家という立場での運営委員だった。今、森づくりフォーラムのホームページの管理・運営を中沢さんと分担して担当している。最近、インターネットを見て、という参加者が増えてる。これは確実に、です。こまめにメンテナンスをしてくれる羽生さんのおかげです。と、感謝していますが、ホームページにある掲示板に書かないとメンテナンス作業をしないぞ、「ストライキ準備中」と脅かすのはやめてもらえませんかねえ。このニュースを読んでいる会員のみなさんで、インターネットにアクセスできる方、ぜひ、森づくりフォーラムのホームページの掲示板を活発化するのに協力してください。ひとつ、よろしくお願いします(理事さん紹介コーナーでこんなお願いをするとは思いませんでしたが)。

 また、羽生さんはいま、森林関係の市民グループの活動には林業家というところで、いろいろと参加している。「東京の木で家を造る会」、「森づくり政策市民研究会」、その他。「林業家がもっと市民に発言する」という最初の意志を表現しているのである。

◆ついでに

 この際だから、ついでに。昔はずいぶん、硬い文章を書いていた。いつもご注意申し上げていたことは「漢字が多すぎる」ということだったのだが、最近はえらくくだけた文章も書くようになってしまった。

 花咲き村通信に「絶賛」連載中の「ずんだらけ羽生のけっかん日記」などを機会があれば、みなさんにもご一読願いたいものだ。

 もうひとつ、ついでに。一応、理事さん紹介だから、ついでのことをもう少し。よけいなことを書くな、という声が後ろの方で聞こえてきそうだが、「適当に書いてよ」といわれているので、「問題なし」にしとこう。

 羽生さんは日の出町という地域ではいろんなこともやっているわけで、この前までは教育委員長だったが、最近では、福祉関係でも活躍している。知的障害者の更正施設「山の子の家」の理事長でもある。そして、今度は精神障害者のグループホームの運営委員長。

 日の出町のようなところでは、障害者への理解といっても充分とは言い難い。理解してもらうわねばすすまない。最近ではいくらか変化しているが。そんな環境で、羽生さんの支持と支援は地元への説得では大いに活躍される場となり、期待されるのである。

◆原点

 羽生さんと出会ってから10年以上たっているが、この間、林業も森づくり市民活動もかなり変化してきている。花咲き村通信で羽生さんが書いている「けっかん日記」に昔の花咲き村通信の引用があった。自分が書いた文章であっても結構、新鮮であった。原点、という言葉を思い出した。森づくり市民活動の原点、林業家としての原点、なんだかブレようとするときには誰もがそれぞれの座標軸を持っている。その座標軸に今を乗せてみると気づかされることもある。

 さて、相変わらずの飲んだくれてのつきあいでこれからもこうして続いていくだろうが、原点という言葉をかみしめて、森林や林業のこれからの展望は、という問いに答えられるほどのものを準備できればいい。これからを模索できるような、そんな未来への道筋をともに考えていきたいと思っている。 

 

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