日本列島森づくり百科

(16)“粗放”から環境型林業へ

遠藤厚寛(栃木県葛生町) 

 

 

 かつて“粗放”と呼ばれた林業があった。苗木の植え付け後は間伐や枝打ちといった一般的な森林管理をせず、最終的に林内に残った木だけを販売する形態から名付けられたようだ。栃木県葛生町秋山地区では1950年代中盤まで、この“粗放林業”が続けられていた。材質の悪さゆえに「野州のガラ材」と揶揄されていたものの、この地区で伐出されたスギは電信柱の材料として重宝され、一定の収入を林業にもたらしていた。
この町で林業を営む林業家・遠藤厚寛さんは「多種多様な樹齢・樹種の木材供給」を標榜する。“粗放”から森林管理の実施へ。そして今「環境と共存する林業」を目指す遠藤さんの森づくりとは―

 「確かに戦後30年ぐらいまでは『材質はそこそこあればいい』という粗放林業だった」と秋山さんは振り返った。それが変わる契機となったのは燃料にするための「枝こぎ」だったという。スギの枝を落とす行為がある程度の枝打ち効果を生み、結果的に材質が向上。首都圏の住宅ブームに乗る形で需要が拡大したことから、「優良材の生産を目的とする間伐・枝打ちが当たり前になっていった」と遠藤さんは説明した。


 遠藤さんは葛生町内に約750haの森林を所有する。このうちの3分の1は県や町、緑資源公団と分収造林契約。3分の1は自力で管理・経営。残りの3分の1は広葉樹林で遷移に任せる形だ。自力分のスギとヒノキの割合は7:3となっている。

 広葉樹林をそのままにしている理由は「椎茸栽培に必要なほだ木の原木を確保するために広葉樹林を残しているという話を参考にしたため」。また、北関東は風が強く、スギを植栽しても寒風害で枯れてしまうため、そうした寒風が直接当たる場所は人工林化しなかったところ、最終的に「250haが残った」のだとか。
 その林内はサクラやケヤキ、モミなど多種多様な樹種で構成されている。大径木も多く、100年生のモミにはクマタカが営巣しており、「この広葉樹林を何とか残しながらスギ、ヒノキを充実させていきたい」と遠藤さんは話す。


 森づくりの理念は「環境と共存する林業」「地域社会に受け入れられる林業」。具体的には「オールマイティな木材生産及び供給」だ。
 遠藤さんの言葉を借りれば「とにかく太いもの、細いもの、長いもの、短いものと何でも恒常的に生産する。広葉樹だってお好みに応じて、ということ。ケヤキの太いものはテーブルに、サクラは燻煙材に。スギの細いものは杭に、太いものは天井板にしたっていい。とにかく『ウチは角材用の丸太生産しかやりません』というように偏向した考え方ではない」。
 遠藤さんは小規模だが、毎年スギ、ヒノキを植え付けている。伐採も植栽もしないのでは、ユーザーが利用したい様々な太さの木材を供給できないからだ。
 しかし、木材価格は長期低迷を続けており、自力分250haで遠藤さんの言う「暮らしていける経営」を実現するのは簡単なことではない。遠藤さんはどんな努力をしているのだろうか。

 「コスト削減と効率を常に考えている」と遠藤さん。「効率を考えて森林施業の手順を組み立て、無駄な時間を排除する。だから、管理作業はできる限り自ら実施する。機械化も必要だが効率の悪い大型機械ではなく、小型の機械を駆使する」
 実例を挙げると、まず作業道は遠藤さん自ら開設しており、その幅は2m。「これで4t半のパワーショベルが入る」と遠藤さんは説明した。
 伐採した木を大型機械で掴んで大型トラックに載せれば効率的に見えるかもしれないが、大型機械は高価なだけでなく、それを森に入れるためには幅の広い作業道が必要となる。
 このため、遠藤さんは「どうしたら経済的な小さい機械で大型機械と同じ作業を効率よくこなせるかを考える」。だからこそ作業道は2mであり、山が受けるダメージも少なく済むというわけだ。もちろん、こうした機械を遊ばせない施業計画が「コスト削減・効率の良さ」の前提となっていることは言うまでもない。
 一方で、遠藤さんは「これからの時代を担う子どもたちに森のこと、林業のことを知ってもらいたい」と森林教育にも力を注いでいる。地元の小学校の3年生や、遠藤さんの土地に佐野市に開設したキャンプ場を訪れる子どもたちが対象で、遠藤さんは“先生”というわけだ。

 「これも森林所有者の役割」とボランティアで子どもたちの前に立つ遠藤さんは「チェーンソーを後ろから支えて子どもたちに持たせ、輪切りができたときの感動する様子」や「一方的に教えるのではなく、子どもたちに考えさせながらの質疑応答」が「とても楽しい」と言う。「森林や林業についての理解を深め、農山村での暮らしが楽しいと思うような大人に成長てくれたら」と、遠藤さんは子どもたちの将来に期待している。
 そんな遠藤さんが頭を痛めている問題がシカの食害だ。主に広葉樹林が餌場と化してしまい、保安林内はシカ柵の設置や補植を続けているものの根本的な解決にはほど遠いのが現状という。(編集部)

ATSUHIRO ENDOH
林業家。
22歳から家業の林業に携わる。東京農大林学科卒。
鳥獣保護員。日本林業経営者協会理事。53歳。