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特定非営利活動法人
日本下水文化研究会
Japan Association of Drainage and Environment
日本下水文化研究会は新しい人と水との関係を考えていきます。
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11/22 JAL935
(羽田2100:関空2215)
TG321合流するにはまず関空へ 写真
11/23 TG627
(関空0125:Bangkok0550) 
TG321
(Bangkok1030:Dhaka1200)
ダッカ到着。喧騒は著しいが思ったほど暑くはない。(あとで知ったが台湾とほぼ同緯度)荷物を解いて夜はBilqis夫妻からカレーレストランに招待される。(食事はこのあと朝食を除いてすべてカレーであった。ラマダン中であったので、昼食抜きにもお付き合いした。また、アルコールは一切口にしなかった。)バングラデシュとダッカ市の地図を買う。地図も含めて出版物関係はインドネシアより充実している。 バングラデシュの地図1(全国)
バングラデシュの地図2(今回関係)
Bilqis夫妻
11/24 Dhaka市 午前中:日程・スケジュールについて打合せ、 観光を名目に陸路インドへ入国することを決定。(本来の目的は、Farakka堰)銀行で両替、昼食(First Food)のあとDhaka市内のスラム地区へ。人やリキシャがごった返す道を進む。きちんとした商店(織物)もありどこからがスラムなのか判然としな い。訪れたスラムは区画や排水路はきちんとしていた。子供も大人もたくさん集まってくる。デジカメの写真を見せたら収拾がつかなくなってしまい、顰蹙をか う。子供たちの目は輝いていた。バイオガスプラントからのメタンでお湯を沸かし、きれいな水も供給されていた。ただし水位が下がって使えない井戸もあっ た。ため池の水は汚い。排水路もごみだらけで流れていない状態。Pan-Pasiホテルでguidebook購入(Bangkok空港より安かった)。夜 は、Bilqisさんの家に招待される。行ってみると今朝打合わせしたところと同じ。自宅の1階をOfficeにしている。手作りのカレーで、ビーフ、マ トン、fish、野菜と何種類も用意されていた。おいしかった。 出発前の打合せ
スラムの排水路
ため池とスラムの家1
バイオガスで湯を沸かす1
スラムに供給される水
スラムの子供たち1
地下水位低下で使えない井戸
新しい井戸で洗濯
スラムの通り(大)(小)
BGP以外のし尿の流れる先(?)
Bilquis家でのparty
11/25 Dhaka市
→Rajshahi市
今日から4泊5日でバングラデシュ西部とインドFarakka堰を見に行く小旅行。ダッカ市を離れるとすぐに田園地帯、水田が広がる。しばらくはよくない道路が続いたが、ブラマプトラ川(ジャムナ川)にかかるジャムナ・ブリッジに近づくと舗装の状態も素晴らしくよくなる。勿論橋は立派であったが車はほとんど走っていない。(この時点では車の多くがどうやって川を渡るのか不明であった。)そのあとクシュティアというところ(今度はガンジス川を渡る)のirrigationプロジェクトを見に行く。雨季が終わったばかりというのにポンプ場の水位は確かに低い。ガンジス川の水量も昼に渡ったブラマプトラ川と比べて、これがあのガンガーなのか?という感じ。平たい鉄板だけのフェリーで渡る。切符売り場は乗り場からずっと離れた村のはずれにあった。ガンジス川の水位変化のためなのだろうか?ガンジス川を車で渡れる橋はバングラデシュにはまだない。夜9時ごろRasjahiに着く。途中の星空がきれいだった。ここには立派なホテルはない。(かつて、ここの一番高級なホテル(政府のguest house)で山村尊房氏が一晩に500箇所以上蚊に刺されたそうで、このはじめの晩はそこを選択肢からはずしたようです。)この夜の食事が一番よくなかったけれど、Bilqisさんはテーブルや食器をきれいにするよう厳しく注文をつけていた。 ビルの建設
農村風景<
Jyamuna Bridge
ガンジス川を渡るフェリー1
ガンジス川唯一の鉄橋1
砂の浚渫
かんがいポンプ場1
11/26 Rajshahi
⇔インド国境
この日は朝食後ホテルを変わった。例の尊房氏が500箇所かまれたというところ。昨晩もそうだったが、ダッカ以外ではホテルに蚊帳が付いている。朝食前に街を散歩したが、リキシャがバンバン来るので絶えず後 ろを見ながらになってしまう。目の合うリキシャマンは必ず乗らないのか?という顔をするし、のんびり歩ことができなかった。ホテルを変わった後、 Dhakaへの帰路は飛行機でということに変更した。そのとき見た舗装工事ではその場でコールタールを溶かしていたのには驚いた。(竹を使った支保にも驚 いたが)航空会社の支店に入る我々を見てドアの外には物乞いが集まってきた。午後は、Farakkaにある火力発電所の煙突を見つけに行った。(国境から たった15kmのところにインドが水をコントロールできるダムをもっているとういうこと)ここでもどこから見えるかと尋ねていくと集団ができるほど人が集 まってくる。必ずしも言っていることは同じじゃないとのだろう。国境に近い村は、非合法の交易(密輸)で比較的収入が多いそうだ。多くの農家が牛を飼って いる。牛糞を串刺しにして燃料用に乾燥させている。Farakka Damができる前はほとんど年中川の底だったのが、農業のできる期間が長くなったというところもあるらしい。わらを満載した牛車がのんびり進むのを待って いると不思議といらいらしない。Rajshahiに戻るとちょうど日没。ガンジス川の夕陽が実に美しかった。この日から、ラマダンの習慣にお付き合いして 昼食抜き、日没直後からスナックと飲み物、8時ごろ夕食という食事時間を取ることにした。 Dajshahi市内の喧騒1
田園地帯(マスタードの花)1
乾季のガンジス沿川1
Farakkaの煙突を探して
国境近くの村1
牛車1<
ポンプ設備とバファッロー
ガンジスの夕陽1
ガンジス川の夕暮れ
ガンジス沿川の村<
ガンジス沿川の村の子どもたち
ホテルの部屋<
夜食のお菓子
11/27 Rajshahi→
Farakka→
Murshidabad
この日インドへ入国した。入国目的は、ヒ素問題がバングラデシュだけでなく、ガンジス川の沖積地には同様に見られることと観光である。入国前にProf. Hoque(彼は簡単にインドには入国できないとのこと)から、持って行かない方がいいものを指摘された。Farakka関係の資料、バングラデシュの通 貨、バングラデシュ国内で撮ったデジカメの写真など。インドで撮ったものもチェックされるかもしれないとのことだった。バングラデシュでの出国手続きは好 意的だった。かつて独立の勇士であったという人が日本はバングラデシュの独立を3番目に承認した国であったことを教えてくれた。いよいよ赤レンガのよう壁 の間の向こうにあるインド目指して歩いて国境を渡るときが来た。どちら側からもおびただしい数のトラックが出入国を待っていた。インド側へ渡ると一昨日の 夜、Rajshahiで出会ったEPRCのスタッフが車を手配して待っていてくれた。バングラデシュとインド西ベンガル州は、もともと民族・言語が同じな のだ。ここから、国境を越える人などほとんどいないのにインド側では時間はかかった。萩原教授は、入国の理由をひつこく聞かれていた(一行を代表して)。 インドでは、インド製の車になった。これが、サイドミラーはぶらぶら、バックミラーもドライバーが見るつもりがないらしく、あっちの方向を向いたまま。そ してエアコン無し(壊れている)。開け放たれた窓からはほこりや排気ガス。そして道路はインドの辺境のこの地では修理もままならない様子。そんなことを嘆 いていると早速交通事故に遭遇。ルート変更してFarakka堰へ。さすがに堰の上流は「海」であった。車を降りて見物したり、写真を撮るわけにもいか ず、堰で分水後の水路を見に行く。コルカタへ水を送っているという人工水路でありながらその規模に驚く。堰の見張りは厳しかった。夜は明日の観光のために Murshidabadという町へ。トラックターミナルかと思えるほどたくさんのトラック。暗くなって見えにくく、スピードがまるで違う牛車と同じ道を走 らざるを得ず、それでもドライバーは一台でも追い越そうとカーチェイスを繰り広げるため、窮屈な座席でひざは突っ張り、命の縮む思いがした。Bilqis さんは、ホテルに到着後本屋が閉まってしまうからと町へ出て、ベンガル語の地図など買い込む。歴史のある町のようだけれど、よほど細かい地図でないと載っ ていないこの町でも夜の商店街はにぎやかだし、本屋もちゃんとあった。そして10時前にようやく夕食。さすがに今日1日は疲れた。インドに入ったのに萩原 先生もビールも無しに熟睡されたとのこと。 カルカッタへ水を送る水路
牛が道路を渡る
Murshidabadの町の夜
11/28 Murshidabad→
Farakka→Rajshahi
インドは2日目で最後。両替もできず、銀行を探そうにも町の中はトラックであふれ渋滞しきり。そんななかで、荷を積みすぎたリヤカーがタイヤをひしゃげさせ(しかも 一台は踏み切りのなかで)たりで、あらゆる交通手段が混在するこの国では混乱はまだまだ続くだろう。訪れた観光地はイギリスに抵抗した領主の城とイギリス 統治時代の行政府、それからイスラムのモスクでこちらもイギリスに抵抗したところだという。インドでありながらイスラムのモスクがきれいに保存され、周辺 整備もきちんとされているのにはやや意外であったが、インドにもイスラム教徒は少なくないし、ましてイスラム国バングラデシュに隣接するこの地でモスクが 維持されていても不思議ではない。帰りにまたFarakka堰を渡る。インドとバングラデシュを比べてどちらがよりgreenかと問われたが、水が自由に なるだけインドの方が緑が多いような気がした。しかし、環境という面では、インドの大気汚染はちょっと耐えがたかった。昨夜もホテルの前の道路も深夜まで にぎやかだった。それだけ活気があるということなのだが、その割りに道路の補修が行き届いていない。インド国内で行き違った車両の90%以上はトラックで あった。バングラデシュに戻る前に西ベンガル州内で、砒素を含む井戸水を飲んでいる村を見て歩いた。症状が出ている人もいるとのことだったが、それはわか らずじまい。国境の審査は特段何も調べられなかった。バングラデシュに戻り、車が変わって舗装の傷みがまだなく、交通量の少ないことにホッとする。経済的 に活気がまだないということなのだろうか。夕食時に出たPETボトルのミネラルウォーターに”arsenic free”の文字があることに気付く。 川で洗濯する人
かつての領主の城
英国統治時代の行政府
イスラムモスク1
Mursidabad市内の渋滞<
交通事故
ヒ素に汚染された井戸<
その村のため池
PETボトルのラベル(Arsenic Free)
11/29 Rajshahi→Dhaka
(バングラデシュ
国内航空)
ラジャヒのガンジス川へ散歩。ここでは、対岸は遠い。(対岸はインド)中州に家があり、川沿いでは多くの人々が洗濯、船の修理などの日常生活を営んでいた。 いい眺めである。河川敷には、洪水時のエロージョン防止のため石が整然と並べられている。屋根の補修する萱も干されている。空港に行く前、当地の名産であ る絹のシャツをプレゼントしていただいた。プロペラ機でDhakaに戻る。空から見下ろすと、川沿いを除くと緑が 少ないことや中洲だらけのブラマプトラ川であることなどがよくわかる。さて、この日は、ラマダン最後の金曜日ということで、市内は人であふれていた。 Hoque家へ夕食に招待された後、これまで経験した中でもハードなtraffic jamに遭遇したが、書店で多くの本を見つけることもでき、Old Dhakaにも案内していただいた。 ガンジス沿線で暮らす人々1
ガンジス川遠景1
侵食防止用の石1
Bilqis家のカレー1
デザート
Dhakaの書店
ミャンマー上空1
11/30 TG322
(Dhaka1310:Bangkok1425)
TG622
(Bangkok2359:関空0710)
お金の精算。滞在費はほとんどかからなかった。Hoqueご夫妻にはお礼の言葉もないというところである。
12/1 JAL512
(関空1000:羽田1105)
タイ航空が定時よりは約到着し、約3時間待たされて東京へ向かう。
Bangladesh側
コーディネート

同行者
Dr. Bilqis Amin Hoque (Environment & Population Research Center)
Prof. M Mozzammel Hoque (Institute of Water & Flood Management)
ほかEPRCスタッフ

萩原良巳(京都大学防災研究所教授)
萩原清子(都立大学都市研究所教授)
坂本麻衣子(京都大学大学院博士課程)