博物館提言活動
第2章  これまでの県立博物館

 

1.博物館の概要

 千葉県における博物館設置(博物館相当施設、類似施設も含む)の歩みは、自然科学系では1925年(大正14年)にできた京成電鉄の谷津動植物園、人文科学系では成田市にある1935年(昭和10年)頃にできた宗吾霊宝殿(個人設置)に始まるとされる。2001年(平成13年)の統計によると、全国に約44万ヵ所ある遺跡のうち、約7%の2万9千ヵ所が千葉県に集中し、貝塚では全国約3,000ヵ所のうち5分の1の約600ヵ所が県内にあり、さらに古墳が約8,000ヵ所とこれも全国一を誇る。千葉県には埋蔵文化財の宝庫ともいえる地域性がある。こうした地域性が、博物館設置の歩みにも深く結びついている。

 博物館法第十条による千葉県内の登録博物館の第1号は野田市立郷土博物館(1960年登録)であり、私立芝山はにわ博物館(同1963年)、千葉市立加曽利貝塚博物館(同1968年)がこれに続いた。現在、県文化財課の博物館登録原簿に登録されている登録博物館は37館で、その種別は総合博物館が5館、人文系博物館28館、自然系博物館4館である。このうち県立博物館は、中央博物館の分館の海の博物館を含め11館である。これに加えて、千葉県内には博物館法第二十九条に定める博物館相当施設が6館、博物館類似施設が66館ある。(「平成14年度千葉県の博物館・文化財行政」千葉県教育庁生涯学習部文化財課) 

また、資料館を含めた博物館数を地域ごとに比較すると、印旛地区27館、千葉地区27館、東葛地区60館、安房地区23館、内房地区21館、外房地区30館、東総地区24館の計212館となっており、県北西と県央地区に集中している。(第6章資料編:千葉県内博物館一覧表を参照) 

千葉県の2002年度(平成14年度)の博物館・美術館の予算は、総額約35億円で全体予算の0.2%と、県財政に占める比率は小さい。内訳は、人件費が約10億円で、残りの約25億円で11館の運営を行っている。中央博物館の職員数は93名(内博士号取得者38名)であるが、一人当たりの年間の研究費は5万4千円にすぎない。他方、教育普及の面では、小中学生や高校生が日本学生科学賞の県知事賞・教育賞を取得するなどの実績も残している。

 

2.博物館の現状

2−1.マクロ評価(地方公共団体相対比較)

(1) 県民一人当たりの博物館費分析

 平成13年度地方教育費報告書(文部科学省)によれば、千葉県の県民一人当たりの博物館費は県分797円と県内の市町村平均分1,030円である。図1に、全都道府県の平均値を縦軸・横軸にとり、各都道府県の一人当たりの博物館費(都道府県分、市町村分)を配置した図を示す。

 福井・岩手・群馬・愛媛・兵庫が都道府県分で、長野・島根が市町村分で突出している。両方の合計では富山県が全国一位であり、県分が2,360円、市町村分が4,302円となっている。これに対し、都道府県分、市町村分とも全国平均を下回るグループ(左下)に3分の1ほどが属しており、東京・神奈川・埼玉・千葉の首都圏4都県もここに含まれている。

 千葉県の県民1人当たりの博物館費は全国平均より約1割ほど低いことから、千葉県の財政逼迫が博物館の運営に起因するものではなく、また真っ先に削ることを検討するような規模のものでもないことが理解できよう。

 なお、奈良県と京都府は、都道府県・市町村分の両方が全国平均を大幅に下回り全国最低に位置している。これは、地域全体が野外博物館(フィールドミュージアム)を形成していて自治体がさらに博物館という形式でサービスを追加する必要が薄いためと解釈できると思われる。

 

(2)財政支出における博物館費の比率の比較

図2に、都道府県歳出に占める博物館経費の比率を、都道府県順に示す。(博物館費は文部科学省による平成13年度地方教育費報告書、歳出は総務省による平成11年度都道府県歳出決算から算出)。

これによると、千葉県は0.3%(金額で46億9,706万円)で、47都道府県中第12位となっている。ベスト3は群馬県(1.0%)・兵庫県・愛媛県、ワースト3は愛知県・高知県・京都府の順である。ただし、例えば最下位の愛知県は、県支出分を第1位の群馬県と比較すると4,774倍(群馬県83億276万5千円、愛知県173万9千円)の格差になるが、市町村分が多いためこれを加えると博物館費はほぼ同額の100億円(群馬県109億8,464万8千円、愛知県106億7,189万1千円)となることなど、取扱いには注意を要する。

 

2−2.博物館個別評価項目

(1)来館者数

 「博物館に関する基礎資料」(国立教育政策研究所作成、平成13年度版)によれば、1998年度の日本全国の博物館数は1,030館(登録と相当博物館の合計)、来館者数は1億1,327万3千人と、国民一人が1年間で約1回見学した換算になる。全国統計では、1993年度の2億2,000万5,678人を頂点に、来館者数は減少傾向にある。

 千葉県の「博物館・文化財行政14年度版」(文化財課発行)によれば、県立博物館の入場者数は、おおむね年間約140万人で、1999年(平成11年)以降は海の博物館が加わり、平成11年167万人、平成12年153万人、平成13年169万人を記録した。全国で入場者数が減少傾向にある中、健闘しているといえよう。

 博物館ごとの入場者数は、2001年(平成13年度)統計では、第1位が現代産業科学館の343,139人、以下房総のむら230,985人、分館海の博物館214,668人、中央博物館166,401人、美術館165,680人、関宿城博物館142,393人、房総風土記の丘137,137人、総南博物館124,859人、大利根博物館80,019人、安房博物館62,214人、上総博物館27,338人となっている。

 図3に、県立博物館11館(分館海の博物館を含む)の来館者数の推移を示す。1997年(平成6年)開館で食堂・図書室やドームシアターを併設する現代産業科学館が1館当たりの来館者数では第1位となっている。体験型学習を主体とする房総のむら博物館が平成4・5年に高い来館者数を示した後に低迷したように、全般的に来館者数は減少してきたが、平成13年はほとんどの館で前年より来館者数を伸ばした。美術館の来館者数は平均で年間約17万人であり、昭和62年と平成2年に高いピークがみとめられるが、これは「ピカソ展」や「マリー・ローランサン展」など特別展によるものと推測される。

 開館時から平成13年度までの各館の延べ来館数は、開館した順に、上総博物館107万5,289人、安房博物館151万7,113人、美術館465万9,640人、総南博物館374万6,648人、房総風土記の丘博物館286万1,698人、大利根博物館127万7,830人、房総のむら博物館330万6,184人、中央博物館211万5,619人、現代産業科学館253万7,190人、関宿城博物館102万3,549人、分館海の博物館71万6,439人で、総計2,483万7,199人に達し、県民1人当たり4回ほど博物館を見学ないし体験した計算になる。

 

(2)予算

博物館ごとの詳細データは、第6章資料編「県博物館予算」のとおりである。

 表1に、平成11年度から平成14年度の4年間の展示、普及活動、調査研究、その他(情報提供、資料・図書購入)の各事業の年度当初予算を示す。4年間の総予算は若干減少しつつも35億円台で推移している。肝心の事業費(展示、普及)減少傾向にある。調査研究費は中央博物館では平成11年度の1,783万円から平成14年度の722万円に、関宿城博物館では平成11年度の195万円から平成14年度の41万円に急減している。参考のため、表1に茨城自然博物館の予算も記入した。茨城県自然博物館と比較すると、同じ自然系博物館である中央博物館が相当な低予算で運営されていることがわかる。

 

3.博物館設置の経緯と役割

 県立博物館はこれまで、「県立博物館設置構想」(1968年策定、1973年補足)に基づき計画的に設置されてきた。その背景の一つとして、数多くの開発による貴重な文化財や自然環境の破壊に直面し、その保全や保護を求める県民や専門家の声があった。

1980年に設けられた「千葉県の博物館設置構想検討委員会」の方針で確認された博物館ネットワーク構想は、地域の特性を生かし、かつ専門性を有する博物館として、また各館相互のネットワークを形成し、活動を展開することを基本としている。平成14年度の千葉県教育庁生涯学習部文化財課の「千葉県の博物館・文化財行政」では、博物館の役割を「地域の文化活動の拠点」と位置づけ、文化財等の資料の収集・展示・保存・教育普及の場として事業を実施しているとしている。

 以下に、千葉県における県立博物館の設置の経緯とこれまで求められてきた役割、ネットワーク構想についてまとめる。

 

3−1.昭和40年(1965年)代からの県立博物館の設置の経緯と役割

 日本では第2次世界大戦終結後、教育基本法(1947年)、社会教育法(1949年)、文化財保護法(1950年)の施行の後、1951年に博物館法が施行され、地方自治体の博物館設置が本格的にスタートしている。

 博物館の役割は、社会教育法第9条において「図書館及び博物館は、社会教育のための機関とする」とされ、必要な事項は博物館法で定めるとしている。

 国民の教育、学術及び文化の発展に寄与することを目的(第一条)とする博物館法は、その第二条で博物館を「歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む)し、展示して、教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクレーション等に資するために必要な事業を行い、合わせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関」と定義している。

 千葉県では、1968年に当時の社会教育課内の博物館準備室から「県立博物館設置構想」が出され、1973年に内容が補足された。この博物館設置の機運が高まったのは、宅地、工場用地等の開発の進行にともなう文化財などの保全等が大きな課題となったことが背景にある。

 この「県立博物館設置構想」では、博物館の「設置目的」、「設置計画立案上の留意点」、「具体的配置計画」が規定された。「設置目的」では、博物館法第二条の定義に加えて、文化財保護を図るという視点を加えたことに当時としては特色があった。

 「設置計画立案上の留意点」としては、第一に博物館を単なる箱物としてではなく博物館網として機能的にとらえること、第二に教育的拠点に相応しい積極的、動的なものとすること、第三に各種機関・団体と協力しサポートすること、の3点が挙げられている。

 これらを踏まえた「具体的配置計画」として、県中央に「総合センター」(中央博物館、科学博物館、美術館)を、県内数箇所に地域博物館を設置するとした。地域博物館の役割は、その地域の特色ある資料の収集・保管・展示と一部専門性を持たせることであった。

 この「県立博物館設置構想」に基づき、上総博物館(1971年)、安房博物館(1973年)、美術館(1974年)、総南博物館(1975年)、房総風土記の丘(1976年)、大利根博物館(1979年)などの主に地域博物館から開館していった。

 その後、1980年に設置した「千葉県の博物館設置構想検討委員会」から、地域博物館としての役割だけでなく専門博物館としての性格を強化する方針が出され、博物館相互のネットワーク機能が強調されるようになった。また、少子高齢化の急速な進行などにともなう生涯学習社会の到来という観点から、1990年には社会教育審議会の社会教育施設分科会が中間報告「博物館の整備・運営の在り方について」をまとめ、博物館に「高度化する人々の学習活動に適確に対応するための重要な社会教育施設として機能」を求めた。この間、総合センターとして中央博物館(1989年)、現代産業科学館(1994年)、中央博物館海の博物館(1999年)が、地域博物館として房総のむら(1986年)、関宿城博物館(1995年)が開館し、現在に至っている。

 一方、県は1995年度から1997年度の3年間、文部省(当時)の委嘱を受けて、生涯学習時代の中核拠点施設として博物館がその役割を果すためのモデル事業を実施した。そこでは、現代社会に対応した新しい博物館のあり方について、「国際交流事業」、「県民参画事業」、「学校連携事業」、「市町村立博物館等とのネットワーク事業」の4つの面でその成果と課題を報告している。(本項3−3を参照)

 現在、完全学校週5日制、総合的な学習の時間の導入、及び生涯学習審議会の答申などを受けて、地域における学校教育と社会教育の連携・融合が強く求められており、その点からも博物館の果たす役割が一層期待されている。

 

3−2.中央博物館設置の経緯と役割

 千葉県立中央博物館は、県内の博物館ネットワークのセンターとしての役割を果し、自然誌に重点を置き、歴史も加えた博物館として1989年(平成元年)開館した。

 先人によって培われた房総の豊かな自然を守ることを主旨として、自然科学博物館の設立要請が「千葉県生物学会」、「千葉県地学教育研究会」から最初に県に出されたのが1965年。その後度重なる要請を受けて、1984年になって県は自然誌中心の総合博物館構想である「千葉県立中央博物館(仮称)基本構想」を策定した。既にこの構想の中には、現在の生態園の原型である野外観察地、あるいは海・山の自然の現場で博物館活動を展開する「フィールド・ミュージアム構想」などが盛り込まれている。

なお、初代館長の沼田眞氏は、その著書「自然保護という思想」(岩波新書)の中で、「自然誌」は「自然の記述」を意味するとし、中央博物館の果すべき役割の第一に、「千葉県の自然を詳細にしかも持続的に調査し、その資料を整理保管し、成果を刊行して、さまざまな利用に応えること」としている。これは、地域の自然と調和しない開発計画が進められてきた要因の一つが、「地域の自然を予め調査し、その資料を蓄積する場がなかったことにある」とする考えに基づく。また近年の日本の大学における自然誌科学研究の衰退状況から、博物館が自然誌科学を守る立場から、「単に地域の自然を調査するだけではなく、日本の自然誌科学の一端を担ってゆかねばならぬ状況になっている」とし、自然誌科学の分野での博物館の役割の重要性を強調している。更に沼田氏は博物館に寄せられる自然保護・環境保全の要請に対しても、現場及び研究の両面で応えうる組織として1997年に「自然保護基礎研究所(仮称)構想」を発表している。

 こうした経緯から、中央博物館の設置目的は、「国内外での調査研究を中核とし、資料収集、整理保存、展示、教育普及等の諸活動を行い、特に野外の博物館施設の充実と活用を図る」としている。このような経緯から中央博物館は開館後も館の充実が図られ、1992年には文部省指定研究機関となり、1995年に「生態園」が全面オープン、1999年には勝浦市に分館「海の博物館」が開館した。

 なお、2000年の「新世紀ちば5ヵ年計画」には分館「山の博物館」の整備及び「自然保護と生態系保全のための研究機能の強化」が謳われたものの、財政状況の変化のためか、これらの計画の進展はみられていない。


3−3.県立博物館ネットワーク構想〜平成9年度文部省委嘱事業報告書より

 3−1で述べたように、1980年に設置した「千葉県の博物館設置構想検討委員会」により、県立博物館は地域博物館としての役割だけでなく専門博物館としての性格を強化する方針が出され、博物館相互のネットワーク機能が強調されるようになった。各博物館の専門性は第6章2の「博物館ネットワーク構想」にあるとおりである。一方、ネットワーク構想については、1995〜1997年度の3年間、文部省(当時)の委嘱を受けて、生涯学習時代の中核拠点施設として、現代社会に対応した新しい博物館のあり方について、国際交流事業、県民参画事業、学校連携事業、市町村立博物館等とのネットワーク事業の4つの面から検討が加えられ、その成果と課題が報告されている。

 この報告書(平成9年度文部省委嘱事業報告書「県立博物館ネットワーク事業」千葉県教育委員会、平成10年3月)の中から、今回の提言書作成にあたり密接に関係のあると思われる「博物館活動の今後の課題」として記されている提言内容を以下に簡略にまとめた。

 

(1)相互に不足部分を補い合う補完型のネットワーク

  余暇の増大、情報化・国際化等の進展、高齢化の進行、生涯学習意欲の高まりなどの社会状況の急激な変化の中で、利用者自らが博物館の行う事業の企画や実施に参画するという、「県民参画型事業の実現」が求められている。

 これに対応するためには、館種の異なる多くの博物館のネットワークによる総合的な対応が必要になってきていると考えられる。県が当初目指したネットワーク構想は、「県内数箇所に地域の特性を生かした専門性を有する博物館を設置し、中央に全ての機能を完備した博物館を設置して、相互に関連を持たせながら、全県的博物館網を形成する」というものだった。しかし、個別化・複雑化した要望に対応するためには、ネットワークの考え方を、各博物館が相互に不足部分を補い合う補完型のネットワークとして考え直すことが必要で、異なる分野の間の連携がより総合的な博物館機能の獲得を実現することになる。

 そのためには、各博物館がそれぞれに個性を発揮して個別化し、それにより他の博物館に無いそれぞれの博物館独自の特色を持ち、他の博物館を補完する能力を持つ必要があると考えられる。一方的に援助を受けたり、利用するだけであればネットワークと呼ぶ必要はない。

 また博物館相互の連携事業(市町村立博物館等も含む)の実施のためには、およそのスケジュール調整と役割分担など、人的な配置と予算面の裏づけを含め、数年を見通した計画を立案することが必要である。

 

(2)県民参画の前提となる基本方針の確立

  博物館においても、生涯学習の場としてのみならず、成果の発表や活用の場としての対応が求められるようになり、ボランティア活動の場と考えられるようになった。積極的に県民に参画の場を提供していくことは、生涯学習時代の役割の一つであり、博物館活動のどの部分にどの様にどのくらいの範囲で県民の参画を認めるのか、あるいは参画を求めるのか、といった県民参画の前提となる基本方針の確立を急ぐ必要がある。

 また、ボランティア用の部屋の確保とともに、備品や図書の使用や消耗品等の提供など、他県では既に多く見られるような便宜を図り、ボランティアが気がねなく博物館を支援できる作業環境の提供が大切である。

 

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