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駐留軍用地使用裁決申請事件に係る公開審理(第11回)

日時:2005年5月30日(水)13:30
       場所:自治会館大ホール




(午後3時21分 再開)

〇渡久地会長 
 次の発言者は、島袋善祐さん。ご発言お願いします。
〇島袋善祐(嘉手納基地土地所有者) 
 嘉手納に土地を持っている島袋です。よろしいですか。

 先ほどは、島田さんが黒か赤かという話ありましたよね。きょうは土地の話ですから、自分の土地を取り戻すために黒い話、白い話をちょうどやられましたので、デモンストレーションでまずは黒いのからお見せしたいと思っています。

 これは弁当じゃないです。ここに持ってきたのは、私の父が今から58年前、米軍に奪われた土地を取り返した土地なんです。黒いでしょう。そして、私の父と私は一緒に捕虜収容所にぶち込まれて、そこから帰ってくるときに、米軍によって大量な血を抜かれました。これによって死期を早めて、47歳でこの世を去りました。そして、捕虜収容所から自分の部落に来たときに、私たち立入禁止のフェンスが張られて、自分の家は瓦屋があるのにそこに入れなかったんです。そして、隣の1,000メートルぐらい離れた人の牛小屋に住んでいました。私の父はもう弱っているので、どっちみち死ぬんだったらドゥーヌヤーンジル死ヌル(自分の家で死ぬんだ)と言って、瓦屋が残っていましたので、米軍や警官が、多くの人たちがそこに入るのはいけないと言っていました。そして、イクサヤ負キティルウルヌムンヌ シカターナイミ(戦に負けているので仕方ない)ということでしたけれども。私の父は、そういう話を皆振り切って、そこに入ったときに取り返した土地なんです。

 では、この取り返した土地の音です、これをまず聞いてみてください。

(土を新聞の上に落とす音)

 こういう土地は本来の沖縄の土地でした。そして、これは黒い話ですね。

 そして、今、米軍に奪われた土地。私は基地の中に入ることができて、これ家に保管してありました。これを新聞紙に落とすとどうなるか。ウリ、デージナインドー(ほら、大変なことになるぞ)大事なお家も汚すので、こういう野蛮なことはやりませんけれども。この音を聞いて、皆さんがどの考えでやられたのか、これをパパーッと落とします。片方はポトーンと落ちる。爆弾の音と同じと、私は思います。

 そして、この土地はパラパラと落ちるのは、前の収用委員会でも私話しましたけれども、この土地は空気が入っているわけです。そして、土地の構造からいうと、団粒組織というんです、専門用語では。団粒になっているわけです。そして、団粒の間に空気が入るわけです。これはカチカチなんです。そういうことを私は、軍事基地問題のときには、いつも自分の土地は取り返して、我々は流民政治でもない、流民と言ったことないんです。奪われたものは自分の財産ですから、自分のお父さんやお母さんがつくったものですから、これを返すというのは当然の権利だと思っています。

 そこで、私によく、軍事基地返されたらデージナインドー(大変なことになるぞ)というのがよくあるんです。私は、沖縄県から頼まれて花のオリンピックに行きました。フランス、ドイツ、オランダ、ベルギーに行ってきました。そこらへんでは農業で国が栄えているんです。オランダでは農業の自給率が160パーセント。よく見ると、真っすぐな畑にいろんなものが植えられている。

 私は、嘉手納基地は4,000メートルとられていますね。それをこういう土に取り返して、そしてそこに大根を撒いてみよう、4,000メートル。この1本からはいくらの大根ができると思いますか。私は計算した。20万本の大根がとれる。7本つくると140万本。沖縄県民一人一人に全部配って、防衛庁の人にも配りますよ。

 本来、土地というのはこういうふうに使うのが、我々の祖先が考えた、有史以前からずっと考えた土地の平和利用だと私は思っています。

 そして、こういう人もいるんです。大根はおもしろくないと言うのもいますけれども、大根は沖縄のお年寄りはデークネーデージナマーサン(大根はとてもおいしい)と言う。そして、もう一つは大根のことを医者知らずという。大根を食べると元気出るって。医者ヌヤーガモウカラン(お医者さんは儲からん)って、そう言われている。そして、あの台風があって大変だろうというのがよくありますけれども、そこに動物を入れて、動物と植物を共生させて、農業を立体化してみたらどうかと思っています。

 立体化の話になると、この前中国から持ってきた相思樹の話をしましたね、そうすると、そこにメジロも来るしウグイスも来るんです。爆音よりはホーホケキョ、こういうのがいいんじゃないかと私は思うんです。そして、そういうふうに土地を利用して、本来私たちが住んでいた、これ沖縄の土地ですから、必ず取り戻すことができる。そして、私はそう思うんです。

 私たちの祖先は非常に頑張った。沖縄県の本島だけに飛行場が幾つあったかご存知ですか。確か12あった。私の部落にもありました。旧美里村にも二つありました。みんなで力を合わせて飛行場をなくした。だから、やればできると私は思っています。

 60年間の話ですけれども、10分間に圧縮して話してくれということですので、たくさんの人たちがまた控えていますので、古い話、赤い話はこれで終わらせてもらいたいと思います。

 そして、収用委員会の先生方に先ほどもありましたけれども、お願いですけれども、私たちが反米思想でアメリカ嫌いとか、そういうのではなくして、私たちはここにも外人の方がおられますけれども、本来、沖縄に来る外人は、みんなパスポートを持ってくるように、この軍事基地にいるアメリカーはパスポートも持たないで、あちこち飛び回って多くの被害を与えているので、沖縄の土地というのは人を殺すものではなくして人を育てる土地につくりあげるように、私たちは思っていますので、収用委員会の先生方もそういううちなーんちゅの訴えをよく聞かれて、土地を返す方法をお考えくだされば幸いだと思っています。時間がきましたので失礼します。
○渡久地会長 
 それでは、次の発言者、宮城正雄さん。お願いします。
○宮城正雄(普天間基地土地所有者) 
 普天間基地の宮城正雄と申します。

 発言の予定はありませんでしたが、私、前に長時間とって話したことがあって譲ってきたんですが、どうしても話したいことがあって、2、3点結論だけ申し上げて発言したいと思います。

 その前に、去った9月2日の公開審理の中で、私は普天間で起こったヘリコプターの墜落事故に関連して緊急発言をいたしました。
(パンフレットを各収用委員に配付)
 そのとき、普天間の爆音問題も含めて、このパンフレットは表紙にも書かれてありますように、普天間基地撤去を目指す宜野湾市民協議会、私もそこに参加している一人で、ヘリコプターの墜落事件を取り上げてつくりましたパンフであります。ですから、この中には普天間基地の成り立ちや危険な実態、ヘリコプターがなんで墜落したのか、いろいろ書いてあります。ぜひ裁決のときに重要な参考資料としていただきたいということを申し添えておきます。

 発言の意見陳述の第1点は、SACO合意で5年ないし7年という期限は、もうすでに期限が切れて9年になります。9年過ぎました。それでも返還するどころか防衛施設局は、あと10年間使用裁決申請をしているわけであります。この普天間基地はなんのためにいつだれがとりあげたかということは、もう前に述べました。ですから、日本政府の戦争によって米軍が取り上げて、本土決戦に備えて普天間基地は構築されたということもはっきりしている。今、地籍が不明地であって、収用委員会のほうも私の不明地について却下した実例があります。ですから、境界線もわからない。米軍が敷きならして、犯人はもうはっきりしているわけです。土地を奪った犯人。地籍をめちゃめちゃにした犯人。そして、ヘリコプター事故を起こして危険にさらしている張本人。これは米軍でありますから、日本政府も協力してやっているわけでありますから、私は結論として、この普天間基地は、元は農業をしていたところ、つまり、復元して直ちに返還するよう強く要求したいと思うのであります。

 それから、米軍基地の賃貸料、基地維持費の問題について。これはどなたもあまり触れられてないんですが、日本政府が軍用地料を負担している。日本政府はこのお金をどこから持ってくるのか。国民の税金ですよ。そのうえに思いやり予算というものをつくりあげて、至れり尽くせり国民の税金を湯水のように使っている。ですから、契約していらっしゃる方々や、あるいは収用委員の皆さんも、そして防衛施設局の皆さんもアメリカが使っている土地代はアメリカが払いなさいということでは、だれも反対できないと思うんです。当然、この賃貸料や基地維持費については、アメリカが負担すべきだと私は思うのであります。

 皆さん、安保条約があるからとか、地位協定があるとか、諸々の協定があるということを理由にしております。しかし、皆さん何を基準にしてこの問題を決めるかという場合に、日本は独立国です。日本国には憲法があるんです。憲法をものさしにして、そういうのを割り出していく必要があると思うんです。ですから、私はこの結論として無駄遣い。国民の税金を教育・福祉・医療などに回す、この無駄遣いをやめる。軍用地料や基地の維持費はアメリカが当然払うべきだと。この安保条約、地位協定などは憲法に照らして不法、不当、違法で無効だということを強調したいわけであります。

 それから、収用委員会の皆さん、私は心から訴えたいと思います。先ほどもありました。米軍特措法が1回ならず二度も改悪されて、皆さんの権限そのものを奪い去りました。いくら反対しても総理大臣の一存で勝手に取り上げて米軍に提供するような仕組みになっているはずです。しかし、皆さん、国はそういう悪法を改悪に改悪を続けて土地を強奪する、これは犯罪に犯罪を重ねて大犯罪を起こしているということであります。

 ですから、皆さんは何ものも奪ってはならない。日本国憲法の立場を堅持して、自主的に、主体的に判断をして、この問題の裁決について判断を下していただきたいということを心から訴えたいと思うのであります。

 最後に、私は辺野古でも宜野湾でも普天間基地はただちに無条件に撤去しなさい。海上基地建設はやめなさい。こういう1年余りの座り込み闘争、アメリカ政府も日本政府も追い詰められております。ですから、ただちに普天間基地の無条件撤去、そして海上基地建設をいさぎよく断念すべきだということを申し上げたいと思います。

 ところが皆さん、追い詰められると彼等はただでは起きない。沖縄の戦後の戦いを振り返ってみますと、土地闘争や復帰運動でもあらわれました。復帰運動で全県民が一丸となって戦い、本土の民主勢力とも協力して戦いを進めたときに、彼等は追い詰められて先島分離返還、教育権の分離返還。こういう策動をやりました。しかし、皆さん沖縄県民は即時無条件全面返還という旗を掲げて統一して戦い、72年復帰を実現したわけであります。

 皆さん、そういうことで、今、それと同じようなことが起こっております。追い詰められて、追い詰められて、日米両国政府は、例えば嘉手納にヘリコプターを移すとか、あるいは下地空港に移すとか、伊江島の補助飛行場に移すとか、岩国に移すとか、こういう策動を強めております。

 さらに、基地受け入れを表明した稲嶺県政を支えるために、助けるために県議会の与党、自民党と公明党、いろんな策動をして本土に要請行動を起こす。しかし、普天間基地の撤去とか、あるいは海上基地建設を断念させるということは一言も言っていないです。こういうことで悪あがきを続けている。こういうことは沖縄県民は絶対に許さないと思います。土地闘争もそうだったですね。一括払いで沖縄を買い上げようとしたときに、沖縄県民は4原則貫徹を掲げて戦い、それを跳ね返した。その中で当時の那覇市長、一括払い賛成をしてアメリカに撫でられて主席の座に就いた経過もあります。しかし、そういうことはありましたが、沖縄の戦後の戦いの中で基地を誘致する、基地を受け入れる、こういうことは一度も許しておりません。今の稲嶺県政1人であります。名護市長の1人であります。そういう策動を跳ね返して、私たちはこの戦いは、この土地闘争と密接に不可分に結びついていると思います。

 ですから、これまでの意見陳述や求釈明の中で、地主や弁護士、関係者の方々の意見陳述、求釈明は、正々堂々と事実と道理に基づいて発言をし、訴えてきました。それに対して防衛施設局は実にふざけて、私は自分たちの子供や孫たちの寝ている顔を見てごらんなさい。そう言いたいのであります。ですから、正義と真実は必ず勝つ。どんな苦しくても踏まれても蹴られても戦い続けてきて、沖縄県民はこういう沖縄を築き上げた。アメリカや日本政府から与えられたもの何一つもありません。戦い抜いて勝ち取ってきた成果であります。私たちはそういう確信をもって今後も戦い続けていく決意であります。

 収用委員の皆さんも先ほど申し上げたように、自主的に主体的にアメリカ政府や日本政府がどうであろうと、勇気をもった決断を下していただきたい。以上であります。
○渡久地会長 
 次、栄野川安邦さん。ご意見いただきます。
○栄野川安邦(嘉手納基地土地所有者) 
 栄野川安邦と申します。

 宜野湾市民でございます。なおさらに、一坪反戦地主であります。宜野湾市に住んでいて、私、その土地は嘉手納に持っているわけです。嘉手納に持つ者が宜野湾市に住んでいて、そしてここに出たわけは、非常に深い理由があります。といいますのは、沖国大ヘリ事故が去年の8月13日に起こりました。その件について私は証言をして、私どもこれを追及しているうちに何が見えてきたかということをこれから申し上げて、収用委員の皆さんに強くお願いをしたいことがございます。

 私は宜野湾市に住んでいて、もちろん一番関係が深いのは普天間基地なんです。このヘリコプターというのは、固定翼の飛行機とは違って、固定翼飛行機は滑走路の端から端をこう使いますが、せいぜい回るとしてもこう回るんですが、あのヘリコプターというのは、横にも飛んでいくし、横から入ってきて基地に帰るんです。

 私の家はもちろん、ちょっと島田さんの家とは、島田さんの家は基地の細長い端っこですから、このへんは大変な、もちろん爆音ですが、私の家はちょっと横に外れていまして、愛知というところに住んでいて、しかし、そんなには爆音はないとはいうものの、私非常に怖いことが一つあるんです。といいますのは、私の家はセメン瓦に赤ペンキ塗ったようなもんで、周囲にその赤い瓦の家はないんですが、夕方6時ごろになると南北の方向ですか、ヘリが必ず帰ってくるんです。おそらくこれを見ていると、辺野古あたりで演習をして帰ってくるヘリだと私は見ているんですが、何だか私の家は赤ペンキなんで、帰る目印になってないかなと、いつもそれを不安に思うんです。

 そうしているところに事故が起きたんです。8月13日・金曜日。もうこれは、当事者としてちょっとその話をしますと、ちょうどその日、我が伊波宜野湾市長が、この普天間飛行場は何でSACOで合意されたのに7年たっても返らないかという不満を述べながら、早く返せという要求をしに、その年、7月に行ったばっかりなんです。帰っての報告が、ちょうど8月13日、その日だったんです。市民会館に皆集まりまして、市民を集めて、我々、じゃあこれからその様子を聞こうという、帰りの報告を聞こうということで、2時に始まったら、前段の挨拶がちょっと終わって、始まると同時に、何だかあわただしく入ってきたかと思うと、「中止します、沖国大にヘリが落ちました」というわけです。これは大変なことだなと思って、みんなもうそれから蜘蛛の子を散らすようにみんなもう外に出て急いだんですが。

 行きながら、私もういろんなことが頭に浮かびました。まず第一に、沖国大の事故はこれで2度目なんです。72年の復帰の年、その年に沖国大は開校したんですが、その末12月頃に、建築中のビルの上にガソリンタンクが落ちたんです。もちろん、これ飛行機が落としてしまったんですけど。そのときも、労働者10名ぐらいいたんですよ。ガソリンみんなかぶっているんです、あのときだれかタバコの火でもつけていたら大変なことになっていたんですが、これが幸いに一人もけが人出ないんです。これも奇跡でした。

 で、今度のことでしょう。今度は、あんなに大事故で、ローターを吹っ飛ばして、人の屋根にぶつかって落ちた。そして大きなセメントの塊を吹っ飛ばして、近くの赤子をもつ母親のアパートに突っ込んできた。これがもう突っ込んできたという、こんな大事故なのに、一人もけが人出なかったということは、まあこれも不思議でした。

 それで、ある中学生が、これは大会で挨拶をしたんですが、こういう事故は、この事故は最後の警告ですという挨拶をしたんです。中学生がですよ。それをこの題名にしたんです。これは、私どもに対する最後の通告です。次に何と言ったかというと、この中学生が、次何と言ったかというと、沖縄戦で死んだ人が、こういう基地とか武器があるところは危険だよということを言うであろうと言っているわけです。今度の事故は最後の警告ですと、次起こったらどういうことになるか分かりませんと。これ中学生が言ったんです。本当に言ったんです。ちゃんと新聞にも書かれています。

 ということで、今度の事故は本当に奇跡でした。ちょっと話を進めます。そこで到達したとき、私到達したときは、もう火は消えていました。ものすごい変な臭いがして、一番問題は、広く米軍がまず囲っていました、黄色いテープで。立入禁止のテープを囲って、だれも入れないんです。だれも入れないその一人に、学長さえ入れないんですよ。これは大学法人の財産です。私有地です。その持ち主さえ入れないんですよ。普通、犯罪捜査とか何とかという場合は、よくテレビなんかもみんなご覧になったと思うんですが、やっぱり警察が黄色いテープ張ってだれも入れないんですが、家主は入れて、ちゃんと理由を聞いたりなんか、見せたりしますよね。それができないんですよ。憲法に保障された財産権、もう一つ、大学の自治権もないんです。これが日本の国の姿なんですよ。基地内ならまだしも、基地内ならもちろん僕らは入ろうと言いませんよ。私有地ですよ、ここは。入れないんです。

 しかも、そのとき県知事は南米訪問でした、不在でした。副知事が来ました。この人も入れない。伊波市長さえも入れないんです。市長がものすごい抗議をして、いやこれは我々に第一捜査権があるから入れろと言ってものすごい抗議をして、やっと入れたんです。翌日来た。翌日、外務省の荒井正吾政務官が来ました。何と言ったかというと、新聞記者の記者会見で何と言ったかというと、ここはイラクじゃないんだから、日本の領土だから、日本の主権がある、そういう主権を代表する私に入れさせないとは何事かと言ったんです。荒井正吾政務官が言ってますよ。ちゃんと書いているんです。

 政務官は、あそこのテープの中はどうなっているかというと、いわゆる警察が言ったように、直近、いわゆる事故機の周辺はアメリカ兵が守っているんです。その外周、そこを最初はアメリカ兵が守っていたんですが、2〜3時間後は県警が立つようになりました、外周のテープ部分は。この直近部分、これもだれも入れないということなんです。こういう実態なんです。

 施設長はよく今まで「土地収用しなければいけないのは、安保条約によって安定的に我々はアメリカに土地を提供しなければならない」と、よく言いますよ、もう耳に私たちタコができるほど聞きました、安保条約によって。

 ということは、私、思い出すのは、我々は復帰……もう復帰の話も遠くなりましたが、復帰のときは、我々の合言葉といいますか、それは大きな、祖国に返るということが一つあったんですが、もう一つ大きなことがあるんです。日本国憲法の下に返るということなんです。これが大きな目標でしたね。人権も保障される、アメリカの統治時代、もう植民地でした。殺され損、汚され損、何をされても我々は損ばっかり、人権はもう無視された。虫けらの話はもう前から出ていました。我々の命は虫けら同様という状況でした。

 しかし、日本国憲法が保障するのは、この平和主義、そして人権、国民主権。こんなすごい憲法があるから、我々は日本国に返ればこんな状況は脱却できるんだと思って、我々ものすごい運動をしたんです。したんですが、現在の状況は何かというと、私は、これ弁護士の先生に聞いたんですが、よく言われていますように、日本国には二つの法体系があると。一つは安保条約体系、ご存知のとおり。一つは憲法体系があるといわれています。私、弁護士の先生に聞いたんです。「あのね、先生、私は安保条約は日本の第一憲法じゃないですか。今ある、私が持っている憲法は第二憲法じゃないですか。二つがぶつかるとき、どこが優先されるか」と。安保条約が優先されるんです。これが私たち日本の国の姿です。それが見えたんです。この事故ではっきり見えたんです。

 警察はどうしたかなんですけれども、日本国の法律では、航空機事故はその事故の法律がありますよね。航空危険行為、ちょっと長ったらしいんですが、航空危険行為処罰法、簡単に言って、これがあるのはご存知だと思うんですが。これにのっとって警察は、事故が実際に目の前に起こっていますから、ヘリコプター事故ですね。これを調査しようとしたら、立ちはだかるのは地位協定と特別刑事法、これが立ちはだかって……。どうも長くなりますが、もうちょっと話を進めます

 立ちはだかって、警察はどうしたかというと、合同捜査の願い出ていますよね。そして消防署、我が宜野湾市の消防署、一番先に来て消したんです。そして、3人のけがした米兵を、消防署の救急車で送っているんです。消防署も捜査願いを出しているんです。これは消防法の33条でしたか、それにのっとって、火事とか何とかあるときは、消防署は、原因は何なのか、どういう損害があるかを調査するようになっているんです、日本の法律では。消防署も、これ要するに要請書を出したんです、調査させてくれと。ところがこれがどうなりましたか。13日に事故が起こって、16日にアメリカ兵は一斉にヘリの残骸を撤去を始めたんです。そして、木も全部切って、土も持って行ったんです。これも地主の沖国大の了解も得ずに、許可は与えてないんです、電話で連絡したようですね、施設庁が。しかし、許可は与えてないと言っていました。許可を与えてないものを、弁護士が何と言ったかというと、これは強盗だと言っていました、ある弁護士が。あれはどういう行為に当てはまるかといったら、あれは強盗だと、捕まえろと言っていました。これが堂々とできるんです。こんな状況ですよ。

 もう時間がないので、あと一つだけ、私もうぜひ述べたいのが一つあるんです。それは、あのヘリについていた、6つ、CH53D型は、上の回るプロペラみたいな、これローターというんですが、これ6枚あるんですが、根元にストロンチウム90という放射性物質をつけているんです。何のためかよく分からんけど、それ飛行のためですね、つけているんですが。1個がないんです。調査発表したときに、1個紛失。何と言ったかというと、これは燃えて、もう気化してしまっただろうというわけです。これは全然危険なものではなく、放射能でもベータ波を出す放射能で、あまり危険はないと。レントゲンをあてるぐらいのものだと言ったんですが、矢ケ崎琉大教授、いわゆる核物質専門家が何と言ったか。これは劣化ウランの1億5,000万倍の放射能を持つと言ったんですよ。私など毎日ここを通っていますからね。吸っているかもしれない。これ、どうなるのか。この何年か後に、私は吸っているからどこかガンが出るかもしれないんだけど、何年か後に出て、じゃどう因果関係を説明するか。これも大変なこと。この件も、私、核物質専門家に聞いたんです。小出という早稲田大学の核物質専門家に。この行為は何ですか。アメリカ軍は知りながら、そのとき周囲に勧告を与えないといけないはずですよ。このヘリコプターは核物質を持っていた。だから、皆さん危険ですよということを周囲の住民にも言い、そこに集まった者に言わないといけないのに、何にも言わなかった。ただ言ったことは、爆発物が爆発する危険があるからと言って、黄色いテープを張っているんだと言っているんですが。言わなかった、何も言わなかった。放射能物質があるということを何も言わなかった。この行為なんですかと聞いたら、これは犯罪ですと言っていました。この小出教授が。はっきりしていますよ。こんなことが行われるんです。もう宜野湾市は怖くて怖くて、将来もう本当に大変です、宜野湾市で生活すると言うのは。学校の子供たちは上からヘリコプターが通るでしょう、みんな逃げるらしい。これほど恐怖感でみんな生活しているんですよ。

 また10年これから使おうと言うんだけど、SACO合意ももう飛び越してどうなったかわからないけど、あと10年使って、じゃ次落ちたら、これ先の8月13日は最後の警告だったけど、次落ちたらどういうことになるかわからない。第2の宮森小学校になるかわからないですよ。宮森小学校、どんな事件でしたか。わからない人はどうぞ歴史を紐解いてください。

 もう結論に入りますけれども、渡久地会長、その他の代理人の皆さん、この場合、日本の国というのは、安保条約が第1憲法になっているんです。我が憲法は第2に、もうおとしめられているんです。この憲法をどうか第1に押し上げてください。そのために、そのことによって我々の人権、あるいは財産権、不要不急の基地を返せ。却下してください。こういう申し出をよろしくお願いします。
○渡久地会長 
 予定されておりました4時を少々過ぎておりますけれども、延長、まだ発言予定者、おふた方ございますので、そのまま延長したいと思います。よろしいですか。防衛施設局、よろしいでしょうか。

 はい。それでは、阿波根弁護士、代理人。
○阿波根昌秀代理人(土地所有者側) 
 地主代理人の弁護士の阿波根です。

 きょうで11回目の公開審理ですので、これまでの審理の中で私が感じたことについて2、3申し上げたいなと思っております。

 この審理の中で、私は大澤部長、大変だったと思うんですけど、一ついいことをしてくれました。

 やっぱり基地内立ち入りができたということは、これまでの公開審理のあれでなかったものですから、これはもう大澤さんが渡久地会長といろいろ話し合って実現できたものじゃないかと考えています。

 ただ、私、11月24日に基地内立ち入りしたんですけど、残念ながら地主が基地内立入りできたということは、マスコミでは報道されなかったですね。そうですよね。残念だったんですけれども、これはやはり入ったのは限られた弁護士だけだったからなんですよ。地主の多くの皆さんが希望していたのは、地主本人が現地立ち入りして調査したいという希望だったわけです。

 このことに関しては、実は渡久地会長から去年の8月頃だったでしょうか、文書でもって立ち入り希望者の名簿を出してくれということがありましたので、地主の代表的な方々の名前と、弁護士の名前を何人か連ねて収用委員会に私が提示しました。その中でちょっとニュアンスが違いますよと、やっぱり弁護士のあれではだめだというようなことで、渡久地会長さんからそういう説明がありました。それでしょうがないかと思ってお受けしたんですけれども、これは弁護士だけ入った形でよかったのかなということを今でも私は、どうだったんだろうなと思っているんですけど。全くできなかった基地内立ち入りが審理の中でできたということは、今後の基地内立ち入りの道が一つ開けたんじゃないか、風穴を開けたんじゃないかというように私は考えたいと思って、皆さんと一緒に入ったことは自分は評価をしています。そのことで大澤部長が努力なさったことについても評価をしたいと思っております。

 基地内に入ったとき、まず私、普天間基地に入ったんですけど、基地の外から普天間基地、いろんな事故がありますので見ることはできますけど、中から宮城正雄さんの土地のあるところから、沖縄国際大学の方向に向けて現地を確認したんですけど、そのときに感じたのは、アメリカさんの立場で言うと自分等がいる施設がビルの谷間にあるような感じがして、ビルの壁に囲まれているような感じがしました。やっぱりそこで演習するなり、基地機能を維持するのは大変じゃないかというふうに私は考えました。そこで普天間基地は適格性を欠いているんだと。基地としての適格性はもう失っているんだなということを実感いたしました。

 それから、嘉手納飛行場に入りました。それから石根原の真栄城さんの土地、伊森原の有銘さんの土地へ入ったんですけど、まずは入るときに非常に面白かったんですけど、みんな黙認耕作地として使われている場所なんかありましたよね。要するに、そんなに入るのが難しいところじゃないというふうに私は考えました。それで、真栄城さんの土地を見ながら、例えば真栄城さんのお父さん、お母さんがそこで牛や馬を養った屋敷跡がここだったのか。畑に使ったのはここだったのか。薪をとった山はここだったのかということを彼からいろいろ聞いていましたので、それを思い出しながら私、現地で現場を確認するようにしました。やっぱり現場を確認しようとしてみると、どうも彼が言っているのと防衛施設局の説明するのが違うなと、印象はその場で、現地で私は感じました。やっぱりおかしい。地形から見てもこれは真栄城さんが言っているのが本当だろうというふうに考えました。

 有銘さんの土地についても、現場を見ると、そこはアメリカさんの住宅地として建物が建っておりました。敷地の一部は道路となっておりましたけれども、そこが有銘さんのお父さんですか、祖先の方が買い求められた土地、そこはおばさんたちが聞いた土地の形とは違うんだということだったので、そのことも私はなるほどと実感いたしました。

 それから、私は4、5日経ってからでしょうか、伊江島の飛行場に行きました。伊江島の飛行場には阿波根昌鴻さんの残した土地がたくさんあります。謝花さんの意見陳述にもございました。その中で知念忠二さんの土地も北側のほうにありました。ハリアーパット演習場になっておりまして、ポリエステル関係の樹脂でつくられた床が敷かれていて、そこからハリアーが飛び出すというように使われていました。やっぱりきょう考えてみても、その土地は知念忠二さんにとってはどういう意味のある土地だったのかなということを実感できます。私は、たまたま本部町の生まれのものですから、伊江島はすぐ目の前に子供の頃から見ておりました。平安山さんとか、友寄さんとか、本部から伊江島に行って、大体、真謝原でそこで開墾して豊かな農地を築いてきたわけです。その土地に阿波根昌鴻さんが若いときにどういう思いでそこに渡ったのかということを実感することができました。このような中で、本当にいつまでも沖縄の軍事基地がこのまま米軍に提供されるような状況でいついてしまうかということは、非常に残念な気持ちというのかな、無念の気持ちというのをずっと私はもっておりますけれども、特に現場確認しながら、そのことを強く感ずることができました。

 この現場確認をする中で、私は前回の強制収用事件で当山会長、渡久地会長代理さんが中心になって書かれた裁決書の中で地籍不明地、位置不明地域の土地については、それは特定されていないと、強制収用の手続きは間違っていると、申請手続きは誤りであるんだということで却下をなされた。残念ながらこれは当時の建設大臣が却下されましたけれども、しかし、その精神、そのものの考え方は今でも正しいし、それは維持すべきだと私は考えております。

 どうか一度、却下されても何回却下されても同じなんですよ。正しいことは正しいことをどんどん書くと。何回切られてもやるんだというようなことで、さすがはうちなーの収用委員会、すごい先生方がやっぱり残っているなということを思わせるような裁決を、見事な裁決を、今回の裁決で出していただきたいというふうに考えます。以上です。
○仲山忠克代理人(土地所有者側) 
 地主代理人の仲山と申します。私のほうから2点ばかり意見を述べさせていただきます。

 一つは、収用委員会に対する意見でございます。一つは那覇防衛施設局に対する意見ということで述べさせていただきます。

 まず、前者のほうからですが、かつて比嘉春潮先生は沖縄の県民の特性として「愚直」という言葉を使われました。それは正しいものについてはどういうような困難があろうと貫くという県民の精神を表わしたものだろうと思っております。そしてまさに反戦地主の戦いは、その愚直さの代表的な表現だろうというふうに思っております。

 今、阿波根代理人のほうから地籍不明地について、却下裁決をという話がありました。確かに審査請求の中で前回ひっくり返られましたけれども、さらに今回、収用委員会も県民の気風・気質その愚直さを開眼していただいて、再び却下裁決をしていただきたいということを阿波根先生に続いて申し述べたいと思っております。

 さらに公開審理は、地主が意見を述べる場でありますけれども、収用委員会の委員の先生方が直接またその意見を聞く場でもあります。そういう意味で、直接地主の意見を聞かれた現在の収用委員の皆さんで裁決をしていただきたい。

 聞くところによりますと、渡久地会長、比嘉会長代理、大城委員が7月15日をもって退任される任期満了だというふうに聞いております。再任されるかどうか、ちょっとそれは分かりませんけれども、いずれにしろ直接地主の意見を聞いた皆さん方で裁決をしていただきたい。そういう意味では、7月15日以前に結論を出していただきたいということを強く申し述べたいと思っております。

 次に、那覇防衛施設庁に対するご意見を申し述べさせていただきます。

 那覇防衛施設庁の施設局から申請が出ているわけですが、その申請は安保条約に基づくものであります。沖縄県民の置かれた実態や基地の使用状況、そういうことを全く無視した形で、安保あるが故に申請をされるということについては、まさに非常に残念に思うとともに、ちょっと言葉はきついかもしれませんが、皆さんのやっている行為はまさに安保条約の奴隷であります。主観的な思惑とか収用委員の皆さんの人間性はどうかじゃなくて、客観的にそういう役割を果たしているんだということを自覚していただきたい。そうであれば、その自覚の上に立ってどうすべきかということであります。

 さらにちょっとつけ加えさせていだきたいんですが、そういう安保条約に依拠し、それに隷属化をしているだけでなくて、私は基地をめぐるいわば乞食根性を持った人たちに依拠しているのが皆さんの立場だろうと思います。

 かつて楽聖ベートーベンがこういうことを言っております。もう200年前のことになりますが。「今の時代にとって必要なのは、けちでずるい卑怯な乞食根性を人間の魂から払い落とすような、剛毅な精神の人々である。」

 これは私まさに今の沖縄に対する警告じゃないかと思っておりますけれども。そういうようなこじき根性を持った風潮、それに依拠した形で私は現在の使用裁決申請がなされているというふうに思っております。

 そういうような精神に依拠することと、安保条約に対する隷属化、奴隷化というそういうことが、結局は今回の申請に至っていると思います。そういう意味で、皆さんが独立国家としての誇りと基地のもたらす被害、これまで聞かれたと思いますが、そういう県民に対する人間としての良心があるならば、申請を直ちに取り下げていただきたい。

 収用委員会の権限がどうのこうのは別でして、それが皆さんに与えられた、歴史を切り開く見本じゃないかというふうに思っております。とりわけどんなに最低でも、普天間基地に対する裁決申請を取り下げていただきたい。そういうことを希望し、期待しているというんでしょうか、したいと思っております。

 歴史は現在に生きる者にしか未来を託せないんです。その沖縄の未来を託すためにも、どうか勇気を持って申請を取り下げていただくことを希望して、意見にかえさせていただきます。
〇有銘政夫(嘉手納基地・普天間基地土地所有者) 
 嘉手納の地主の有銘です。少しきょうは時間を延長していますけれども、ご苦労さんです。

 おもしろい話が最近、巷でよく聞くことなんです。特に基地の町で。基地には定年はないのかということです。これはある講演会でも出ましたし、それから茶飲み話でもよく出ます。防衛施設局の皆さんも、定年になったらさっさと栄転をして、逃げ帰りますよね。しかし、沖縄の基地に定年はないんでしょうか。満60歳ですよ。それをいかに沖縄の人たちが、基地の悪影響だけ受けて、その基地の被害にアップアップしているかという証拠です。これは我々のように直接反対運動している人たちの表現ではありません。このことは非常に重要な意味だと思います。そして、私たちは、基地は何も生産しない。破壊はするけれども、人殺しはするけれども、生産しないと思っています。全部、消費です。思いやり予算も、あれは全部消費です。だから何の生産もしません。だから基地が開放されると、先ほどの意見にもあったように、繁栄します。そういうことが前提です。

 もう一つ、おもしろい話が最近よく語られます。これ一般の人ですよ。いわゆる運動をしている人たちじゃないんです。基地被害、もろに受けているわけだから、関係ない人たちが受けているわけだから、これに対する補償要求はできないものかなという話が、最近あちこちで出ます。これも意味深長ですよね。通ずるものがあると思います。

 この間、11回にわたり、求釈明と、きょうはまとめて意見陳述をやりました。収用委員会の先生方の皆さん、お聞きになってはっきりしたと思います。訴えている側には道理があります。切実な、そして間違いなく資本主義社会においては許されない財産の強奪です。

 だから私は常に言いますけれども、私など反戦地主はていのいい、今いろいろ言われていますけれども、戦争難民ですよ。そういう状況なんです。一度もふるさとに帰ったことはありませんから。しかし、防衛施設局は、それに対して防衛施設局はいい加減、どうでもいい。これは国の方針がそうだから、受けて立つところは何も感じないから、ああいったいい加減なことを平気で言います。そして、困ってくると、なじみませんと言う。こういう言葉をずっと使ってきたでしょう。このことを対比しても、対比はどこにあるか、そして収用委員会の先生方が判断すべきは何か。これは沖縄の側に立って、さっきもあった憲法の立場に立って、法の精神を生かして、きちっと結論を出すこと。ということであれば、きょうの訴えも全部そうです。すべて却下することです。とりわけ普天間基地の問題は、もう本当に二重三重に、今そういう状態にあってはならないという具体的な事例がいくらでもあります。これは訴えられてお分かりじゃなくて、既に皆さんもご承知です。

 こんな危険な存在は、その趣旨に沿って追認するというときの場合は、やっぱり私たちは今も考えますけれども、私たちはある意味では、軍用地に提供したつもりはないけれども、利用されている。私たちはその課題の一端を担っているという自覚に立って、この運動を続けています。

 そういう立場からするなら、やっぱり防衛施設局が戦争に加担する、同罪者と言われかねない状況にありますので、ぜひその点は強く申し上げておきます。

 さらに、不明地についても、今回さらに突っ込んだ立場で、防衛施設局の言っているのがいかにいいかげんであるか、責任逃れなのか、法的根拠のないものを、ああ言いこう言いして、言いくるめて、何とかその場をつくろっているということが明らかになったと思います。ぜひその点も最大限に考慮をしていただいて、ぜひ却下の方向で審理をしていただきたい。

 もし仮に、今後も防衛施設局がそういったような態度で終始するなら、先ほど二つの、今の民衆の動向を申し上げましたけれども、防衛施設局不要論、追い出せ論が出てくることは確実です。何を防衛していますか。アメリカの基地を防衛するという法がありますか。だから、要らない。基地より先に防衛施設局を撤去せんといかんという声が出てくることは間違いありません。そういうことにならないように、鋭意、最大限の注意を払っていただきたいと思います。

 さらにもう1点は、今、重要な時期です。米軍再編問題、これは百もご承知でしょう。こういう時期にきちっとした方向性、結論を出して、この行方をきちっと沖縄県民のために判断をしていただく絶好の機会です。ということであれば、7月、8月はヤマ場と言われていますから、それに向けて最大限の努力をしていただいて、却下の方向で全力を投球していただきたい、そのことをこちらにいる全員と、これを支援している県民に成りかわって特段の要請をしておきます。ぜひよろしくお願いします。

 ほぼ求釈明、意見は出尽くしたと思っていますので、そういう立場で今申し上げましたから、よろしくご配慮をお願いします。
〇渡久地会長 
 那覇防衛施設局、何か最終陳述ございませんか。
〇大澤代理人(起業者側) 
 ございません。
〇渡久地会長 
 それでは、本日の審理を終了いたします。

 この第11回審理をもちまして、普天間飛行場をはじめ11施設についての審理をすべて終了いたしました。なお、これまでの公開審理のご意見等を踏まえまして、裁決は7月8日を予定してございます。

 平成15年3月13日に第1回目の公開審理を開催して以来、約2年3カ月に及びました公開審理ですが、その間、皆様の真剣なご意見をいただき、ありがとうございました。一生懸命裁決するつもりでございます。

 どうもご苦労様でした。
(午後4時28分 閉会)

資料提供:安里秀雄さん


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