一坪反戦通信 Vol.81 一坪反戦通信 95(1998.5.29)

軍用地を生活と生産の場に!
No. 95
1998年5月29日
東京都千代田区三崎町
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沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック


◆本号の記事◆


 5月19日に収用委員会は裁決内容を決定した。裁決申請のうち、普天間飛行場など229筆については地主の意思を踏みにじる強制使用裁決。しかし嘉手納飛行場など13筆については申請却下の裁決だった。

 1981年3月21日付申請で始まったこれまで四次にわたる強制使用で却下裁決は今回が初めてだ。

 却下理由は、申請が使用する土地の区域を特定するものとなっておらず、土地収用法違反だからだ。収用委員会は、現地立入調査によってもその場所が、土地の所在・地番・地積・土地所有者などを特定はできなかった−−と述べ、特定できないこれら地籍不明地は、施設局が添付した実測平面図と整合せず却下になった。公開審理で「審理になじみません」を連発、申請理由を明かにしなかった施設局自身の責任だ。


施設局は審査請求するな!

嘉手納共有地に却下判決

普天間は4年使用の強制使用裁決

 強制使用の裁決申請に対して県収用委員会は去る5月19日、われわれの共有地=嘉手納飛行場内=を含む土地について却下裁決を決定した。裁決書は全地主に送達中だが、「4年裁決」となった普天間については損失補償金の支払いが開始される模様だ。また却下になった嘉手納については、裁決によって使用権原を那覇防衛施設局は失っている状態。一日も早い地主への返還を実現しよう!

 初の却下裁決が出たのは嘉手納飛行場 内にある8筆など、4施設だ。すべて地籍不明地であると公開審理で地主側が強力に主張した土地ばかり。

 嘉手納飛行場にはわれわれの共有地二筆のほか、有銘政夫さんと真栄城玄徳さんの土地が含まれる。

 また普天間飛行場は、われわれのもう一つの共有地は四年の強制使用裁決となったが、宮城正雄さん(反戦地主会副会長)所有の二筆は地籍不明地として却下裁決となっている。

 地籍不明地と言えば、「私の土地には足が生えている。あっちへ行ったりこっちへ行ったりする」と嘆いた島袋善祐さん所有のキャンプ・シールズも却下された。土地物件調書作成の時に施設局が添付すべき図面を「忘れた」のも、実は現況と図面が一致しておらず及び腰だったためであろう。島袋さんのこの土地は地籍不明地の見本みたいなところだから、却下も当然というべきだろう。

 今回の裁決で見逃せないのは、強制使用の使用期間について憲法二九条の適正補償が考慮されなければならないとしている点だ。嘉手納基地の「近傍類地」の賃料は一年払いで、一年ごとに賃料も増額されていたとし、強制使用だと使用認定時の使用料で一括払いされ、所有者が不利益を受けるおそれがある、とズバリ述べられていることだ。強制使用が認められ、その期間だけが問題として考慮されるのはまったく一面的なのであるが、伊江島の阿波根さんの重課税訴訟で地主側が主張していたことを裁決では認めているのである。

裁決申請が却下された嘉手納については、施設局側は建設省に審査請求して暫定使用を継続することが予想される。

他方、申請が認容された普天間については損失補償金の支払いに施設局が六月初めごろから会員を訪問すると思われる。会員は強制使用に抗議を!


 裁決についての五者協声明(1998年5月19日)


 関東ブロックでは5月22日、防衛施設庁長官 ・萩次郎あてに明け渡し要求書を提出し、裁決に 従い返還するよう求めた


米軍用地明け渡し要求

 那覇防衛施設局庁が申請した米軍用地強制使用について沖縄県収用委員会は5月19日裁決を行いました。

 裁決の内容はご承知のとおり13施設242筆の対象土地のうち229筆の土地については強制使用を認め、13筆の土地については強制使用を認めないとする却下裁決でありました。

 嘉手納飛行場内にある私たちの2筆の共有地約2000平方米については、裁決申請が土地収用法に違反する不当のものであることが公平中立な収用委員会によって明かにされ、却下の裁決となりました。この裁決に従って私たちの土地をただちに明け渡すことを要求します。

 また普天間飛行場内の私たちの共有地については強制使用を認める裁決ですが、同飛行場は数年以内に全面返還することに日米両政府で合意されているのであるから早期にこの基地そのものを廃止し、私たちの土地を返還するよう求めます。

 収用委員会の却下裁決に対して、貴職らが不服申立てをすることが予想されますが、不服申し立て制度は本来行政によって権利を侵害されがちな庶民の権利を擁護するために設けられたもので、貴職ら権力者の側が法解釈を悪用して却下取り消しの審査請求を行うことは道義的に許されないことです。審査請求を行うことなく、素直に裁決に従うべきであることも重ねて要求します。以上



沖縄県の動き

海兵隊削減を対米要求

知事が5月15日から渡米へ

 日米両政府があいかわらず“最善のもの”とするSACO(日米特別行動委員会)報告は、ほんとうに米軍基地の整理・縮小につながっているのだろうか? 基地面積が20%削減されるという中身が、実は北部訓練場返還が8割を占めており、県民が基地は減ったと実感するにはほど遠いものである さらに一一施設返還のうち、8施設が県内移設を条件としており、移転先が機能強化されるばかりで狭い沖縄全体では何も変わらない。何よりも事件・事故をひきおこす米兵が一人も削減されないことは、県民の要求を踏みにじって余りある。

 今月15日から大田知事は7度目の訪米に立ち、基地問題の根本的な解決は兵力削減であることを米政府に粘り強く訴え続けている。これに先立ち宮平副知事は日本政府に要請を行なった SACO報告による海上ヘリ基地建設は受け入れられないことと“普天間”の早期返還実現のために県外移設をとりわけハワイ・グァムなどへの移転を公式に要請した。これに対して古川貞二郎官房副長官は「政府としては海上ヘリポートが最適と思う」と相変わらずのオウム返し。昨年の軍用地強制使用の公開審理における施設局坂本氏の「審理になじみません」のオウム返しと似たものを感じる。さらに「沖縄を含む国全体の安全を考える立場として分かりましたとは言えない」と続いた。これでは沖縄は安全を守るために危険を引き受けるという、おかしにな話になる。しかも沖縄だけなぜ集中するのか、その問いに政府は政府は納得できる答えを出したことがない。

 “普天間”の地元宜野湾市長、比嘉盛光氏はこれまでの政府の手法を批判すると共に、責任をもって解決にあたるべきことを強調する。そして「凍結あるいは先送りならば市として重大な決断をせざるを得ない。市民ぐるみの返還運動を展開する決意である」と語ったと言われる。移設先の反対と共に今、移設元での返還要求が大きく形づくられようとしている。(N)


防衛施設庁抗議に200人

返還26年目の「5・15」集会ひらく

 日本への沖縄返還後、26年たっても依然として75%も沖縄に集中したままの米軍基地に対して、この意味を再度・再々度問い、これをハネ返す闘いをいま開始しよう−−と関東ブロック主催の抗議集会が5月15日夜、防衛施設庁近くの檜町公園で開かれた。参加者は労組・市民団体等約200人。

 午後4時から集会に先だって施設庁へ抗議の申し入れ(20人参加)。沖縄から駆けつけた有銘政夫さん(嘉手納基地内反戦地主)が、施設庁側の普天間返還のスタンスを厳しく追及した。施設庁側は「大田知事が返還要求したから」返還する、海上ヘリ基地も「普天間の機能を移設するだけ」を繰り返すだけの、逃げの姿勢に終始した。

 夜の集会では、この施設庁の対応を含め、政府の不誠意・不当性について今後も追及していくことを確認した。有銘さんによる沖縄での反戦地主の闘いと、PKO法改悪や新ガイドラインなど次第に迫る軍靴の響きに対して国会で闘っている矢田部参議院議員・秘書の筑紫さんからの国会報告を受けたほか、去る5月9日と10日の道ジュネーについて参加した林田さんからの報告があった(ジャンヌ会の真志喜トミさんからお礼のメッセージも紹介された)。

集会後、シュプレヒコールを防衛施設庁へ向けて行い青葉公園までデモ行進した。


私のひとこと

「ヒージャーミー」 と 「ジャパニー」

 私がまだ赤ん坊の頃、我が家ではヤギを飼っていました。家族総出でヤギの草刈りに行くときは、家の柱につながれて私は一人で遊びながら待っていました。昔の沖縄では、よくある風景だったのです。

 ある日のこと、家族が草刈りから帰ってくると私の姿がありません。近所中が総出で探して、やっと見つけたのは近所の外人(アメリカ人)専用アパートでした。そのアパートの二階に住む夫婦が無断で私を連れ去ったのです みんなに問い詰められてそのアメリカ人は、あろうことかまだハイハイしたばかりの私が、勝手に階段を上がってきたのだと言って譲らなかったそうです。

 その日以来、その夫婦は「ヒージャーミー」と呼ばれました。「ヒージャー」というのはヤギのことで、「ヒージャーミー」というのはヤギの目が青いことからアメリカ人(白人)とりわけ嫌な白人に対して言う言葉です。それまではただのアメリカ人だった夫婦は、その事件から「ヒージャーミー」に格下げになったのでした。それは自分たちが有利な立場にあることを利用して、悪いことをしたことを認めず逃げたからです。

 現在の沖縄には、「ヒージャーミー」がたくさんいます。「世界の警察」の名のもとにアジアの民衆を苦しめているアメリカ政府や、殺人の教育を受け、私たちの「平和的生存権」を脅かしているアメリカ軍がそうです。同時に、アメリカ軍の後ろで「後方支援」を行おうとしている自衛隊や日本政府も、復帰前の「ヒージャーミー」のようです。なぜなら明かに憲法に違反しているのに、勝手な理由をあとからつくり、自分たちに有利な状況をつくって逃げてばかりいるからです。

 さて、私もすくすくと育ち小学生になった頃、復帰を記念して沖縄では海洋博覧会が行われました。「海洋博覧会が行われると沖縄の経済も潤う」とのふれこみで行われたものですが、いざふたを開けてみると沖縄の土地は次々と本土資本の買い占めに遭いました このころの、札束で頬をたたくようにして土地を買いあさって行った人達を、私たちは「ジャパニー」と呼びました。日本人は「ヤマトンチュ」、嫌な日本人は「ナイチャー」、お金で人の心を買うようなやり方をする日本人は「ジャパニー」です。

 このような行為は、復帰後何度も行われてきました。「海上ヘリ基地建設反対闘争」で市民投票が行われた時に政府の行った行為もそうです。日本政府は、振興策と引き替えに「海上ヘリ基地」を建設しようとしました。まさに、今の政府のやり方こそが「ジャパニー」なのです。

 ところで、視点をアジアに向けてみましょう。日米安保条約によって私たちはアジアの民衆を苦しめています。 たとえば、政府によるODAは一見アジアの経済を支援しているかのように見せかけて、実はその利益が日本企業に戻ってくる仕組みになっています また、アジアの国々に現在起こっている内乱・紛争等も、その実日本またはアメリカに有利な政権を維持させようとして起こっています。そしてそれを支えているのが、沖縄にある軍事基地なのです。

 このようなことを考えてみた場合、私たちはアジアにとっての「ジャパニー」であり、「ヒージャーミー」なのではないでしょうか?

 沖縄から、県外へ米軍基地が移設されてもアジアに向けられた刃は変わりません、やはり、沖縄の基地は移設するのではなく「無条件撤去」するべきだと思います。

M. T.(会員)


普天間を包囲する

人間の鎖となって

 5月17日、沖縄の空がまぶしい。人間の鎖としては雲がほしいところ。 14時の開始に向け人々がフェンスづたいにアリのようにぞろぞろとつながり始める。

 今年は離れた道路沿いではなく、直接にフェンスを囲む。ゲート前こそ平坦だが、あとは谷あり山あり、時に足をとられながら各自の場所に急ぐ。

 以前、嘉数高台から望遠したもののバスの中からはなかなか見えない普天間飛行場。今日こそはわが一坪もある滑走路なんぞ見えるだろうと思ったのが間違い。目の前はなだらかな坂の道路ときれいな芝生、そして樹木が覆っている。全然見えない程の広さで沖縄の土地が囲い込まれていることを改めて思う。

 合図を機に一斉に手がつながれる。基地が還るまで決して解かれることのない心の鎖が今しっかりと基地を基地を包み込む。そのことをお互いに確認し合えた一時間であった。

N. Y.(会員) 


 普天間包囲行動(画像)


寄稿●普天間基地の「本土」移設要求について

政府への基地の「本土」移転要求・反基地闘争論について引き続き掲載する。

反対論 

 移転要求では戦争準備に対決できない T.(会員)

 在沖米軍基地(普天間基地)の「本土」移設要求をめぐる論議が始まっている。原則論だけでは何も動かない、まずヤマトに移設することで安保をめぐる国民的論議がおこせるのではないか、あくまで政府が沖縄にこだわり「本土」は無理というなら、「どうぞ『本土』にもってきてください」という運動をまきおこすことで政府の足元をゆさぶれるのではないかという意見が出されている。

 私は「本土」移設要求を運動として行なうのには反対である。基地が集中する沖縄の現実を変えていくことは勿論賛成する。しかしこれは「代案」(まず「本土」へもってくる)によって変えるのではなく、基地の全面撤去へ向けた闘いによってしか絶対に解決しないものだと考えている。

 「県」道104号越え実弾砲撃演習の「本土」移転は、「沖縄の痛みを公平に分担する」どころか、射程距離の拡大や夜間演習の実施など、より実戦に向けた訓練として行なわれている。更に沖縄においても、155ミリ榴弾砲以外の演習は逆に増えている。政府は(普天間については「県」外移設を現在否定しているが)、軍隊としての機能がそこなわれないこと、反対運動をおさえこめることを条件に、「本土」への基地移転・演習移転は厭わないのではないか。新「ガイドライン」のもと、前線基地を沖縄においたまま、日本全土を出撃拠点とすることを目論む政府にとって基地の「本土」移設要求運動はまさに「願ったり」ではないのか。

 どこか「本土」の自衛隊基地や米軍基地に統合すればいいという意見や、「本土」で引き受けてそこで安保論議をおこそうというのでは、現実に進む戦争準備に対決できないと考える。政府が最も恐れるのは戦争につながる一切のものと闘い、そうした政府の有り様を問題にする人々の存在だ。反戦地主をはじめとした沖縄の闘いこそこれであり、ヤマトンチュを揺さぶり闘いへの合流を実現してきたと思う。「もういいかげんにしろ! 沖縄に犠牲を集中するのはやめろ!」という怒りを受けとめ応える道は、「本土」移設要求ではなく、基地の全面撤去へ向けた闘い以外にないと考える。


お知らせ

基地を明け渡せ! 米軍用地強制使用の却下裁決緊急報告集会

時=六月四日(木)午後六時三〇分 開場、七時開会

所=シニアワーク東京・講堂(飯田橋下車)

報告=■松島暁さん(反戦地主会弁護団)■崎原秀明さん(反戦地主)

主催=沖縄・一坪反戦地主会関東ブ ロック

*施設局の地主・会員訪問への対応模 擬劇もあり。

◆沖縄・大きな輪フェスタ!イン南部

時=七月五日(日)午前一〇時〜午 後三時

所=大森・グリーンベルト、入新井集会室(JR大森駅下車)

子供向けアニメ/写真展/歌と踊り /沖縄物産展/バザーなど(出店募集中)

主催=沖縄・大きな輪フェスタ!イ ン南部実行委員会

03−5736 −0755石川気付


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