軍用地を生活と生産の場に!
沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
http://www.jca.apc.org/HHK
東京都千代田区三崎町2-2-13-502
電話:090- 3910-4140
FAX:03-3386-2362
郵便振替:00150-8-120796

『一坪反戦通信』 毎月1回 28日発行 一部200円 定期購読料 年2,000円

第141号(2002年11月28日発行)

 【連載】 反戦地主の生き方に学ぶ

 前回(本誌第一三一、一三二号に掲載)好評を博した反戦地主の方々へのインタービュー第二弾。今回は、高裁判決のあとに、知花昌一さん、照屋秀傳さん、島袋善祐さんにお話を伺った。聞き手・テープおこしは関東ブロック運営委員のI。今号・次号と二回に分けて掲載します。

 知花昌一さん

◆今日の判決について
 裁判所の中で判決を聞いたときには棄却するということくらいしかわからなかった。詳しい内容については何もわからなかったけれど、弁護士と話し、内容がわかってくるうちに、だんだん「わじわじ〜」としてきた。これは最低の判決だと思う。

 私の権利を制限して強制使用しているわけだから、これに対する損害賠償というのは当然あるべきである。一審でもこの問題に関しては国の占有権原がなく、違法行為だと認めざるを得なかったわけで、国家賠償法による損害賠償を負う責任はあるいうことで四七万円の損害賠償の判決がでたけれど、二審ではその損害賠償も必要ないということになっている。私が自分の権利に基づいて立ち入りをしようとしたのを、国が千人の機動隊を導入して阻止したのは正当な行為だといっている。地主の権利に対する国の権力行使だから、費用に関しては阻止したほうが負うべきだと私は思うけれど、裁判所はその必要はないと判断した。緊急に立ち入る必要性がないという理由からです。

 国に占有権があり、占有している国の承諾を得ずに入るということは、いかに地主としての権利を持っていたとしても、権利を逸脱した行為であると。国が占有しているから入るなと言えば、地主にいくら権利があっても入ることはいけないということを裁判所が判断したわけですね。それが今回の高裁の判決です。ということは私が個人的な権利として地権の回復を求めて政府に立ち入りを要求し、裁判を起こせば、裁判所は国の行為は違法ではないと判断する。一連の国家権力行使の過程はすべて正義である、地主が自分の土地への立ち入りを要求することは、自分の権利を逸脱した行為であるから、やってはいけないことである、ということになるわけです。そのことについては当然損害賠償があると私は思っているが、立ち入りをするということは私の逸脱した行為だから損害賠償も必要ないという。

 そうすると私たちの個人の権利というのは、権利回復というのはどうすればいいのかということになる。なにもないんじゃないか。正当な手続きをとって国に要求し、裁判を通して自分の土地に入ろうとする。違法行為はなにもしていないわけです。違法行為をしたのは国のほうなんです。だけど法の番人としての裁判所、裁判官は国の主張が正当だと判断した。では私はどうすればいいんだ。法律行為に基づいて自分の権利を主張して、それを回復しようとしたのにもかかわらず、それが認められない。これはもう正当な行為で主張することでは、権利を回復する道がないということになる。

 石を投げたり、棒を持ったり、あるいは基地の塀を駆け上って入るとか、そんな実力行使にでなければ主張できないような、そんなことをやれと言っているのではないか。実力行使にでなければ地主の権利というものは守れないのか。法律、裁判所でさえ国民の権利を守りきれないという事態が今回の判決ででたということです。もうこれはとんでもないことです。

◆今回の判決は憲法には触れていないのですか。
 憲法はもうあってないような状態になってしまっていますね。憲法は解釈によっていろいろなことができる。行政権力がすべてねじ曲げ、それを司法権力が追従していく、それが今の司法制度の中にある。今度の判決でもそれが現れている.。

 特措法に関しても、総理大臣が適正かつ必要性を認めれば暫定使用を認めるということは違法ではないとしている。法律に照らし合わせるというのではなく、行政権力が必要であるということを認めればいいというのが今回裁判所がだした判決でしょ。裁判所はなにもやっていない。

◆一審より後退したのですね。
 そう、もうメタメタな状態ですね。今の世情と同じじゃないですか。有事三法案みたいな法律をどんどん認定していって、ものを言わさないような状態、行政の思惑をすべて通すような状態になっている。三権分立ではなくなっていますね。高裁が一審どおりの賠償金を認めたとしても、最高裁までいってあるべきだと思っていたのですが、判決を聞いたときにはもうどうでも最高裁までいかなければと思いました。

◆今後の闘いについて
 最高裁というのはこちら側がつくった書類が裁判所に届いて、裁判が開かれるかがわからないくらいの権力のとりでのような密室の中で審議されるわけで、最高裁での闘いというのは弁護士がちゃんと検討して、書類を書いて提出して終わり。

 大田知事の裁判が最高裁の大法廷で行われたような状況は、世論の盛りあがり、支持がなければなかなかできない。しかし反戦地主の闘いというのは裁判が闘いではなくて、闘いを通して基地の撤去を訴えるということが目的だから、いろいろな方法がある。最高裁もそのひとつの方法だし、また運動自体が反米・反基地の怒りの中でもっと広がればいいなと思っています。判決がどうであっても継続して闘いを続けていこうと思っています。


 照屋秀傳さん

◆今回の判決について
 民事訴訟、刑事訴訟、行政訴訟の違いは何かというと、民事とか刑事とかいうのは国民対国民が良いか悪いかを裁くわけだからわりと明暗がわかる。行政訴訟、特に国が被告になった場合は、今日の判決もそうだけれど、裁判官がどう国の政治権力あるいは政治体制を擁護するかということが大前提になっているなとつくづく感じました。三権分立というのがあるが、これはもう政府・国会・司法が三権一体となって今の体制をどう守っていくか、そのために国民ひとりひとりの権利とか自由とかを侵害すること、あるいは奪うことは合憲であるということを前提として、初めから裁判が進められているという状況です。

 それじゃあ、それをあきらめるかということなんだろうけど、こんな判決はもう何回もでている。ああ、またこんな判決かと、我々は闘えばいいさと、こういう気持ちで今日の判決を聞いていました。法廷にはいる前からどっちに転んだって我々の立場は変わらんよと思っていました。この闘いをやることによってどのような意義があるのかということで、メチャクチャに踏んだり蹴ったりされているけれど、裁判の結果じゃなくて裁判を通じてなにがわかってくるのかを世の中に知らしめたい。これは裁判所と行政が法廷で恥をさらす裁判になっている。この闘いを続けていかなければ世の中はよくならないと思う。

 これは地主だけや県だけの問題ではない。かつての朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争の軍事拠点がどこかというと沖縄です。アメリカは今度はイラクにしかけようとしている。日本政府もことあらば北朝鮮を力でねじ伏せようとしている。その根拠地は沖縄なんだということが、これは急には広がらないとしても、徐々に世の中にわかってくると思う。このことを裁判を通じて知らしめていくことに意義があるんじゃないかと考えています。

 地主側からすればこんなひどい判決はない。しかしそれでもおしまいではない。この判決がでたときから新しい闘いが始まっている。こういうとらえかたをしたほうがいいのではないか。裁判の結果で一喜一憂するのではなくて、その判決がでるまでに何をしてきたのか、この国の政府や司法の姿がどう見えてきたのか、そういう考え方のほうがもっと大切じゃないかという気がします。

 今回なんかも恥さらし裁判。権力というのは恐ろしいけれど、恐ろしいことを見抜いてあざけ笑う、そういう気持ちでまた闘う。ニ回戦、三回戦、この闘いは基地が無くなるまでまで終わらない。

◆有事立法だとか、日本の国民に対しての締めつけが強くなっていく中で、展望がなくなり、何をやってもしょうがないと思ってしまいます。でもそうじゃないんだと、裁判を通してでもおかしいということを明らかにさせることで、司法、政府に幻想を持たないで、みんなでどうにかしようということになっていくと思います。そこの生き方というか、それこそあきらめないで闘っていくことの大切さというのは、反戦地主にみんなが共感することじゃないかと思います。
 日本政府を責めていっているのは日本人だけじゃない。今、インドネシアで日本政府からの援助に対するコトパンジャン・ダム訴訟が始まっている。こういうようなことがだんだん広がっていくと思う。アメリカはもちろんだけれども日本政府が自分の都合のいいように世の中を作っていこうとしている姿が見えてきたよ。闘っているのは日本人だけじゃない。世界の民衆が小泉首相を裁判にかけるところまで来つつある。ぼくたちはその中のひとつとして闘う。

 ぼくたちは土地の契約を拒否するだけで大変な思いをしてきた。親が周囲から責められる。兄弟が責められる。権力側は知恵がついてきたものだから俺のところには来ない。まわりの人間に圧力をかけた。政府が国民を抑圧するときには、同じ民衆を利用して抑圧差別していく。反戦地主といわれる人たちが最初にやられたのは、国家権力じゃなく自分たちの周囲にいる人たちからだった。おじさんであり兄貴であり、隣近所の人であったり、地域社会の人たちが寄ってたかって契約拒否地主を責めた。おまえたちが契約を拒否するために地域が大変なことになっている、政府はみんなの土地を返すといっている、ぼくらの生活保証は秀伝くんがやってくれますかと父親や兄を責める、父親や兄から呼ばれて、おまえはこんな何千名かの生活を保証できるのかと責められた。自分の生活さえもみきれない人間がそんなことできるはずがないさ。権力側が表面にでてこないでまわりから責める。権力の構造というのはそんなものです。

 反戦地主は三千名からだんだん少なくなって今は百何十名になった。だけどこの人たちは煮ても焼いても食えないよ。筋金入りだからね。最近は他の地主が「みなさんご苦労さん」って言うんだ。ぼくらを責めた人間が。みなさんのおかげで自分たちの土地代の交渉がやりやすくなりましたと、のうのうと言うの。恥ずかしくない人はこうなるんだね。権力の支配構造は、差別の構造というのはよくできているなと思うね。

         (次号は島袋善祐さん