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沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
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『一坪反戦通信』
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 第142号(2003年1月28日発行)

 【連載】 反戦地主の生き方に学ぶ

 前回(本誌第一三一、一三二号に掲載)好評を博した反戦地主の方々へのインタービュー第二弾の第二回。今回は島袋善祐さんのお話。聞き手・テープおこしは関東ブロック運営委員I。


   島袋善祐さん


◆今回の判決について

 あなたマスコミじゃないでしょ。これから話すことはマスコミ用と違うよ。マスコミの前では必ず勝つと言ったけれども、今の裁判官だったらこういう結果になると思っていた。だけど、どっちみち負けると思いながら裁判をするというのは沖縄人として対面がたたない。弁護団にも支援してくれる人たちにも申し訳ないさ。勝つためにみんながんばっているんだから。

 今は勝たなかったけれども将来は必ず勝つ。これは信念の闘いだからね。信念の念は今の心と書くでしょう。今の心をずっと持っていたから五十年間も闘い続けてこられた。今の心を捨てることは少女暴行事件も軍事基地も認めることになるわけだと私は思う。今の心をずっと持っていこうと私は思っている。だからマスコミには今日の判決では原告が勝つと言ったけれども本当の心はここにある。こうあってほしいというのではないよ。

 今日本が民主主義の国であるかというとそうではないわけさ。民主主義の語源というのはギリシャ語のデモスで、これは大衆の支配という意味なんだね。アメリカは自由の国、富める国だから、民主主義の国であるからといって喜んだこともあった。しかし実際はそうではなかった。高校のときにFFJ(日本学校農業クラブ連盟)の弁論大会があって私は全国大会に行くはずだった。私はアメリカーの民主主義はショーウィンドーに飾られているうその民主主義でありますと言って、落選しました。先生が書いた原稿を読まないで、アメリカーの民主主義のことを非難して落選した。アメリカの民主主義というのは学校でたくさん教えられたけれども、他人の家は傷つけるし、夜は女を追いかけるし、これはもう毎日頭にきていた。アメリカーが上等だったらみんながついて行くさ。これはおかしいとわかって祖国に帰ろうということになったさね。祖国復帰運動をした。アメリカの民主主義はショーウィンドーに飾られているうその民主主義だから、日本に帰ろうということになった。沖縄人民党というのがあって、これは共産主義者だと言われていた。私はこの話を聞くのがおもしろくて毎日聞きに行っていた。

 その当時は電気もないからね。電気をちょっと拝借したりした人もいた。盗んだんじゃないよ。戦果というんだ。これは泥棒とちがうわけさ。こんな話はいろいろあります。沖縄人はくちべたであまり話さないけれどね。でも私は子供の頃から見たこと、聞いた話は全部言っているわけさ。

  …ここで宮城正雄さん登場 …
 
 電気拝借の話ね。戦後、軍人たちの衣類の洗濯をしていました。洗濯をしてアイロンをかけるのに、最初のアイロンは木炭をいれてやっていたのです。電気がひかれたあとは釣針に線を結んで電線にひっかけて、電気を拝借した。そんなふうにやりました。電気がとおったらアイロンが使えた。メーターを通らないからただ!でも私がやったのではないですよ。聞いた話です。(笑)私が中学を卒業したころの話です。


◆善佑さんは沖縄戦では

 家族が七名いてひとりも殺されていない。殺されないようなことを私の父がやったから。父はひとの言うことをきかなかった。防空壕を掘りなさいとか、上からああせい、こうせいと言うのはきかなかった。言うことをきいて防空壕を掘って隠れていた人は、となりの防空壕に爆弾が落ちて、助ける人もないまま生き埋めになって死んでしまった。

 安保に風穴をあけた四日間ではにんにくを植えたけれど、そのあとにも基地に入った。基地は広いから自分の土地がわからんさ。そのために入ったときにスプレーで赤いマークをしておいたから、次に入ったときにわかるさ。基地に入るときには少しでも悪いことをすると逮捕される。この闘いは逮捕されるための闘いではないし、堂々と相手がギブアップするような闘いをしてかなくてはね。

 大田知事は偉いことをしたさね、でも大田知事を支えたのは私たちなんかさ。五十億円もらってきたときに、大田さんこんなことするとチジない(悪くなる)知事になると言ったけれど、次の選挙で落選しちゃった。大田さんが変わっていなかったら、情勢が変わっていたよ。九五年の代理書名を拒否したときに、やっと知事が自分たちのところに戻ってきたと思った。なのにまた向こうに行ってしまった。そうでないときには荒川先生と大田知事と瀬長亀次郎、この三名には父の日に百本のバラを贈っていました。大田さんには彼が変わってしまったときに贈るのをやめたけれどね。

◆善佑さんのシールズの土地は地籍不明地とされていますよね。

 されているのではなくて、私が不明地にしたわけ。これを署名したら不明地じゃなくなる。

 この土地は五・三%増えている。世の中には生物と無生物があるでしょ。無生物は増えない。でも私の土地は増えている。じゃあ私の土地は生物か、無生物かと防衛施設局に訊いた。相手は答えきれんさ。あなた方が答えきれなかったら、私が中学校の数学の本で増えないことを証明しましょうということになった。これがピタゴラスの定理。文部省、教育庁もさ、土地というのは増えないといっている。増やすというと五.三%がだんだん玉突きに増えていくさ。防衛施設局の職員は、少なくなっているのであれば島袋さんに迷惑になるけれど、多くなっているんだからいいじゃないですかと言う。喜ばしいことじゃないですかと。確かにそうだよ心情としては。それはわかる、ではどこから増えたのかと訊いた。こういうのは地球膨張論というんだ。地球が膨張して、そして土地が増えた。私の親戚も五・三%増えた。自由民主党や社会党を一生懸命応援した人は三%、私みたいな石厳当は五・三%。法の下の平等にも反するんだな。なんでこんなふうに増えたかを防衛施設局に訊いたんだけれど、誰も答えらえられないから、地球膨張論とすることにした。これはノーベル賞ものだと思うよ。増えたから喜ばないとおかしい、みんなは喜んでいるかもしれない、相手は、喜ばせるためにあなたの土地は増えましたよというけれど、これでは基地がなくなったら大変なことになる。

 地籍明確化法のときの話だけれど、地籍不明地というのは杭を打つわけさ。我々は日本国憲法二九条三項を適用されて土地が奪われた。だから反戦地主の集まりで、一緒になって境界線を設けようということにみんな賛成だったの。私ひとりが反対したよ。私が反対しますと言ったらもう大変だったけれどね、私はこれを確定すると土地収用法というのが口を開けて待っているわけだから、それを阻止するために反対すると言った。明確化したらこれはやられる。この杭を打つとね、将来に悔いを残すよと言ったさ。明確化しなかったから収用委員会によって強制使用が却下されたのは私のおかげだとあとで言われた。

 闘いというのは今だけじゃないよ、明日あさってのためのことを考えないといけない。これからの闘いについてなにをしますかという新しい方法なんてないさ。これを続けることが闘いであるわけさ。闘いというのは、今日の闘いは今日でおしまいというのではない。公明党なんかをみると、今日は革新です、次はまた自民党と一緒になりました。あっちになります、こっちになります、そんな政党がいっぱいあるさ。筋というのはまっすぐでなければいけない。筋を曲げるんだったらハブにやらせたらいいさ。

 たとえばSACO合意の話では、SACOを誰が作ったかといったら、村山富市だよね。この人は我々の味方だった。反戦地主を応援していた。しかし、自由民主党との連立政権の総理大臣になったときにSACO合意というのを作った。この人はSACO合意に基づいて普天間基地の移設をちゃくちゃくと進めていると言った。沖縄にはサッコウという言葉があってね。これでもかこれでもかと人をいじめる者のことをいう。英語ではSACO、沖縄語では人をいじめることをサッコウ。沖縄口がわからないからSACOなんて作った。日米特別行動委員会というさ。特別沖縄県民をいじめるという行動委員会なんだ。沖縄語がわからない人がつけたからこうなった。でも名前をつけたときに沖縄口がわかる人もいたよ。沖縄開発大臣の上原康助。これがいたわけさ。こんなことをやるんだったら、彼は政治家を辞めたほうがいいと思った。

 沖縄ではムシルヌアヤヌトゥイという言葉があるさ。心はいつもまっすぐでなければいけない。今沖縄の道はまっすぐで、ゆがんではいないけれど、昔の道は七曲なんていうのもあった。子供のときはこれを数えるのがおもしろかった。沖縄は年間二二〇〇ミリの雨が降る。道が曲がりくねっていれば赤土が海に流れ込まないから、海洋汚染がないわけ。だから昔の海はきれいだったの。道がまっすぐだと雨が降ったら赤土をさぁーっと海まで持って行く。アメリカーはこの曲がりくねっている道をまっすぐにした。アメリカーはねまっすぐがいいんだよね。部落の中には家があり、郵便局もある、公民館もある。これに火をつけて、ブルドーザーで押し潰した。アメリカーは道はまっすぐにするけれど、心は曲がっているさ。沖縄は逆。なんでアメリカーが道をまっすぐにするか、アメリカの地図を見てみるとわかるよ。まっすぐな線が引かれている。あれなんだかわかる?もともとあの国はインディアンのものだったでしょ。インディアンのものを地図をみて北緯何度、東経何度という具合に州を決めていったの。もともとそこに住んでいる人たちの住み分けがあったのに。アメリカの昔の地図があるけど道はみんなゆがんでいる。これを包丁で切っちゃった。よそ者が来て支配するときには、そこには文化もない、歴史もないわけだから、ただ自分勝手に切るわけ。

 私はアメリカーは嫌いだけれど、アメリカーのものに手をつけたことはない。アメリカーは四月一日から沖縄に上陸したでしょ。戦争が終わって、沖縄人を収容所に入れて、人がいないときに私たちの土地に基地を造った。沖縄の道はまっすぐになってしまった。道はゆがんでいるほうがいい。そして心はまっすぐであるのがいいと私は思う。