沖縄は生き抜くぞ!憲法違反の土地強奪を許さない!

講演集会

新崎盛暉さん(一坪反戦地主会代表世話人・沖縄大学教授)


 えっと。みなさんのところに二枚綴りの資料がわたっています。あの、今日の5月10日講演集会と書いてあって、そこに「特措法改悪後の運動の方向性について講演していただきます」などと、勝手に書いてあるんですけれども、「そんなに運動の方向性なんて、すぐ、ほいほいとしゃべれたら世話無いわけで、そんなのは到底出来ないよ。「いったい方向性てのは、どう言うことをしゃべればいいのか。」と上原成信さんに聞いたら、「そんなのは僕もよくわからん。」「俺が聞かれたら、そんなのおまえ達が自分達で考えろといってるんだ。」とおっしゃっていたんですが、しかし、そのくせ、僕にはこういうことをしゃべらせようということらしくて。ま、非常に困っています。

 この前、実は、4月19日の土曜日でしたかね、あの、両国の江戸博、でしたっけ。江戸東京博物館というところでも、大体その特措法改悪の問題の中身については、まあ、話したばっかりですし、えー、まあ、たぶん、一坪とその集会はかなりだぶって、顔ぶれも、いるのでしょうから、同じ様な話をするわけにもいきませんし、ということで、あんまり、体系的な話はできそうにもありませんけれども、僕がいまぽつぽつと考えていますようなことを、沖縄の最近の状況などもふまえて、1時間ちょっとお話をして、それでまた、ご質問等あれば、みなさんといっしょに、今後の方向性というのは考えていくと。考えていく場合の材料ぐらいは、なんとか提供してみようというつもりでここに立っています。

 で、わたしたちはつい、この半月ほど前に、国家権力の暴力性といいますか、そういうものを露骨に示す二つの具体的な事例に出会っているわけです。その一つはいうまでもなく、特措法改悪という問題であり、もう一つは、ペルーにおけるフジモリ政権の日本大使館の武力制圧、というものであったとわたしは思っています。

 いうまでもないことですけれども、爛熟した資本主義国家である日本と、開発、独裁体制の途上国ペルーでは、その現れ方は違っていますけど、基本的にそこに共通しているものはなにかといえば、現存する世界の軍事的・経済的・政治的体制を、というか、その秩序をどのように維持するか、そのためにある意味では、必死になっているという状況が、浮き彫りにされているのではないかという気がします。で、欧米諸国も、日本も、ある意味では、なりふりかまわずにフジモリ政権支持と言うことをアピールしているわけです。で、そこで、彼らが掲げている建て前、社会の建て前とか理念というもの、例えば人権であったり、国家主権であったり、というようなものを、自ら否定しながらもある意味では、そういう世界的な秩序を維持しよう、あるいは維持せざるを得ない、そういう状況に追い込まれている結果が、そういう露骨な暴力性を露呈せざるを得ないような、現れ方をしてきているのではないか、と私はこのところ痛感している訳です。

 で、なんで、そういうことを敢えて冒頭で話をするかといいますと、上原さんの先ほどの話にもありましたけれども、特措法の「改正」というのは、まあ、ある意味では、日本の政治が沖縄の世論を踏みつぶす(gif画像 87k)というような現れ方をしたということもあって、まあ、ある種の沖縄独立論的な雰囲気、みたいなものも高まっている、というか、そういう社会的な雰囲気も強まりつつある、という面があります。私はその、独立論的な考え方それ自体を否定するつもりは、いささかもないわけですけれども、その時にその独立論的な考え方が、ヤマトと沖縄との、いわば二項対立の関係みたいなところにひき縮められたり、情緒的というか心情的な問題としてとらえられてしまうと、発展性はぜんぜん無くなってしまうのであって。いま我々が直面しているのは、日本の政治が沖縄を押しつぶしているんだけれども、沖縄の世論を押しつぶしているんだけれども、その、日本の政治というのは、ある意味では、世界的なつながりのなかに存在している、ということも、片方では見ておかないといけないだろうということを言いたいわけです。

 いうまでもないことですけれども、今回の特措法の「改正」、改悪というものの背景で形成されていたのは、少なくとも、国会内における安保翼賛体制、とでも呼ぶべき政治状況、だと思います。

 そういうのは安保の再定義というものによって裏打ちされているわけですけれども、その安保の再定義という形で、日米軍事同盟が、アメリカの世界戦略に結びつけられていっている、というのは、もっと視野を大きくして見れば、例えば、NATOの東ヨーロッパにおける拡大などというものなどともつながっていると言わなければいけないように思います。要するに、安保というのは、そもそも冷戦が崩壊したら、必要なくなるはずではないか、なぜ、安保再定義なんだ、安保の拡大強化なんだ、という議論がずいぶん為されますけれども、しかし、一方では、まさに冷戦が無くなり、あのワルシャワ条約機構が無くなっているのに、かつてのワルシャワ条約機構が構成をもその傘下におさめようという形でNATOが拡大されていこうとしているのはなんなのか。そういういわばアメリカの世界戦略の一環として、それが、ヨーロッパにおける現れ方がNATOというものであるとすれば、極東・太平洋地域における現れ方が日米安保再定義であって、その再定義というものが、どこまで突き詰めて考えられたかわかりませんけれども、ともかく国会内では安保翼賛体制というものを形作っているという。そしてそれが、特措法というもので非常に露骨に出てきたのではないかというふうに思うわけです。

 その安保翼賛体制というものを考えて見るときに、これはこちらの新聞でどれくらいきちんと全文が紹介されたかわかりませんけれども、4月22日に衆議院の本会議で、決議された「沖縄における基地問題並びに地域振興に関する決議」というものがある。これはやはり見過ごすことができない決議ではないかとわたしは思っています。この決議は特措法に反対した社民党を含む賛成多数で可決されているわけです。それで、みなさんにお配りする資料の中にも、その全文を入れてあります。

 これは非常に具体的に今の問題点を、ある意味では、浮き彫りにしているところがあります。あまり、NATOだとかペルーだとか、話を広げすぎていますので、もっと具体的なところに、沖縄に戻っていきたいと思いますが、この決議はこのように書かれています。「本院は本年五月の沖縄の祖国復帰二十五年の節目にあたり、ここに改めて、長きに亘る沖縄の苦汁の歴史に思いをいたし、かつ、沖縄県民の筆舌に尽くし難い米軍基地の過重負担に対する諸施策が極めて不十分であったことを反省する。この際、沖縄のこころをこころとして厳しく受けとめ、沖縄問題解決へ向けて最大限の努力を払う決意を表明する。」ま、ここが前置きです。

 よくもいったり、と思うのですけれども、わたしは衆議院の安保・土地等の特別委員会で参考人として意見を冒頭に述べたときの最後に、特措法に賛成する者は、二度と、沖縄のこころをこころとして、などということを、言葉を使わないでほしいと、それだけは使わないでほしいといったんですけれども、ちゃあんと使ってくれているわけです。

 で、これは、かつて岡山県議会が沖縄に対する感謝決議をやるとかいって、これは流れましたけれども、アメリカでも上院下院双方の委員会で、沖縄に対する感謝決議というものが行われているわけです。しかし、それは、ある意味では、感謝決議がなされている背景というのは、少なくとも沖縄にある基地は、沖縄のために存在しているわけではない、例えばアメリカの議会がそういう決議をしているということは、アメリカの世界戦略のために沖縄の基地が存在していることを自ら表明しているということだけは間違いないところとして、わたしたちは受け止めておく必要があると思います。そのことを自ら暴露せざるを得なかった。そうでなければ、感謝してくれる必要はないわけですから、沖縄のために沖縄に基地があるんであったら、基地がなければ経済的に成り立たないとか、そういうことで沖縄に基地をおいとくのであれば、別段沖縄に感謝する必要などはいささかもないわけで、なぜアメリカの議会が感謝せざるを得ないのかというのは、沖縄にある基地は沖縄のために存在するのではないということを、如実に物語っているわけです。この衆議院における決議というものも、実はそうした流れの中にあるものだと思います。

 その前段部分を引き継いで、こういうことが書かれているわけですね。「本院はその決意に基づいて」、つまり「沖縄のこころをこころとして厳しく受け止める」という姿勢に、沖縄問題解決に向けて最大限の努力を払うという決意に基づいて、決議に基づいて具体的にどんなことをしようといっているのかというと、「政府に対し、沖縄が直面している諸問題の解決を図るため、引き続き米国との協議を通じ、沖縄に関する特別行動委員会(SACO)における合意事項の早期実現を期しつつ、在沖米軍基地の整理・統合・縮小・移転等について、全力で取り組む。」これはちょっと非常にゴロの悪い、政府に対していっている部分と、「本院は」という主語にかかっている部分が日本語としてもどうもいいかげんなところがありますが、ともかくここでいっているのは、「SACOにおける合意事項の早期実現」といっているんですね。SACOそのものを全体として承認をしている。しかし、沖縄の大勢はそれを承認していない、というのが海上ヘリポートの問題一つをとってみても、明らかなわけですけれども。

 それから、ここで、ま、一つ最近大きく出てきている問題の一つに、「整理・統合・縮小・移転等」というやつがありますね。「痛みを分かち合う」というやつです。これは、特措法を成立させた直後でしたが、自社さ3与党の沖縄問題に対する合意事項の中にも、この移転という部分があらたにクローズアップされているはずです。それを踏まえた決議だといっていいでしょう。

 で、「また、アジア状勢の安定化のための積極的な外交努力を行い、二国間及び多国間の安全保障対話を推進すると共に、“日米安保共同宣言”に基づきアジア・太平洋地域における米軍の兵力構成のあり方を含む軍事態勢について日米間の協議を進めるよう求める。」

 ここのところをみなさんはどういう具合にお読みになるでしょうか。「日米安保共同宣言」というのは、言うまでもなく去年の4月にクリントンと橋本によって交わされたいわば安保再定義の基本文書です。そしてそれは日米安保条約の条文を何一つ変えることなく、日本とアメリカの大統領・首相という最高権力者の合意のみによって為されたものであって、国会の審議とか承認が行われていないものです。そのところにこの安保再定義の持っている問題性、あるいは脆弱性というのを私たちは指摘してきました。それは、沖縄返還を取り決めた69年11月の佐藤・ニクソンの共同声明の、ある意味では、ひそみにならうというか、やり方だともいってきた訳です。

 しかし、まあ、佐藤・ニクソン共同声明に関しては、国会内でもさまざまな論議がなされた訳です。しかしこの「日米安保共同宣言」に関しては、ほとんど論議が為されないばかりか、ま、ある程度論議らしいこともなされたかどうか知りませんけれども、結果的にはここで、全面的に議会が承認する手続きをやっているわけですね。「日米安保共同宣言に基づき」、これはしいて言えば、米軍の兵力構成のあり方を含む軍事態勢云々の協議をやると、「日米安保共同宣言」のなかに書いてありますから、その部分だけを受けているのだ、そこにだけかかっているのだと、まあ、言って言えないことはないかもしれないけれども。しかし、明らかにここで、「日米安保共同宣言」、というものを基礎において、沖縄問題の解決を考えるという姿勢を、特措法を成立させた安保翼賛体制をひとまわり広げる形で議会勢力が、なにげなくというか、何事も無いかのようにというか、こういう決議のなかに織り込んでいることの意味、ということを私たちは見逃してはならないと思っています。

 私はこの3段階に分かれているこの決議の真ん中の部分が極めて本質的な部分、この決議の本質的な部分ではないかというくらいに思っています。

 で、「さらに沖縄県の過去の歴史と伝統的な特性を維持しつつも」云々という問題が、国際交流拠点だとか、活気に満ちあふれた云々というのがくっついてきますけれど。ま、こういう決議がある意味では、特措法を強引に押し通したことに対する罪滅ぼしのつもりなのか、免罪符をなにかこれで得たいとするつもりなのか、こういうことがなされている。ということを私たちはきちんと理解しておく必要があるし、それは私たちの怒りをやはり倍加するものとしてとらえておかなければいけないのではないか、と私は思っています。

 この決議の問題などはあまり議論はされないように思います。ヤマトの新聞では、この記事はほとんどの決議がなされたというのはベタ記事かなんかで出たり出なかったりしたくらいではないでしょうか。沖縄の新聞には全文が一応のりましたけれども、社説その他等も、地域振興云々に引きずられて、その本質的な部分は、どちらかと言えば、……沖縄の一坪反戦地主などによって支配されているといわれる沖縄の新聞でも……、なかなかそういうことを鋭く批判する論調は書けていない、といっていいような気がします。

 私たちは、さっきいったような世界的な広がりと同時にこういう具体的な一つ一つの事実関係を、やっぱり的確に押さえていく必要がこれからますます強くなっていくのではないかと言う具合にわたしは考えているわけです。

 で、今5月10日ですから、もうすぐ、5月14日、15日というのがやってきます。

 で、そのためにこそ、ある意味では、特措法の改悪というのは為されたわけです。しかし、したがって、今後の問題というのはどういう風になっていくかということを考えていくと、5月14、15日という時点で瞬間的になにかが変わっていく、あるいは問題が決着していくという問題ではなくて、むしろこれからある意味では、一種のデスマッチ的長期戦みたいな様相が繰り広げられていくのではないか。そういうなかで私たちは一つ一つ具体的な問題をどのように捉えていったらいいのかということにおそらく直面しているのだろうという風に思います。

 で、特措法との直接的な関係でいいますと、この5月29日に第4回目の公開審理が開かれることになりました。で、これは前々から言っていることですけれども、ある意味では日本政府は、特措法改悪というものは、この公開審理でどのような議論が為されようと、あるいはそれに基づいて収用委員会がどのような裁決を行おうと、審査請求という手続きしさえすれば、暫定使用という名の下に永久・永続的に土地が使用できる、という事になるわけです。

 そのなかで公開審理というのがどのような意味を持ちうるのかというと、わたしはやはりこれは、この特措法の改悪が持つ意味を一つ一つ立証し、一般的に大衆化していくプロセスであろうと言う風に理解をしています。そういうものとして、大切なものだと思っています。

 で、特措法とはどういう意味があるのかということについては、もう、ここで具体的な中身については繰り返そうとは思いませんが、特措法反対、という声を大きく挙げている沖縄の世論は、例えば世論調査でも6割か7割、そういう方向ですけれども、であっても、その特措法改悪の持つ具体的な意味というものがなお十分に浸透しているとは言えないということを、私は特措法の中身をあちらこちらで解説したり、あるいは学生なんかと話しをしたりする過程で痛感をしています。

 もちろん、試合中にルールを変えるようなもんだ、けしからん、というようなこととか、沖縄のみに適用される沖縄のみをターゲットにした法改正ではないかということとか、そういうことについては、みな直感的に理解はしているわけです。しかし、なおその具体的な意味というのがどこまで本当に理解されているのかというと、心許ないところがあります。そういうものを一つ一つ大衆化していく一つの場として、公開審理というのが今後とも位置づけることができるだろうとわたしは考えています。

 その公開審理が実質審理の過程で明らかにした一つの結論がすでに出ています。

 それが昨日の土地収用委員会によるの裁決の一部却下というものだとわたしは思っています。で、これについては先ほど上原さんとか、そういうところにはファックスで裁決書の全文が出ていると思いますけれども、みなさんはまだまだそれをご覧になってはいないだろうとおもいます。

 で、今日お配りした、琉球新報の5月10日の、つまり今日の朝刊ですけれども、これはあの、僕がもってきて急いでコピーをしてもらったのですけれども、ここに収用委員会の裁決書の、ま、全体ではないのですが、主要部分があります。

 で、この問題というのはある意味では、非常に防衛施設局の姿勢、あるいは日本政府の姿勢、それから収用委員会の姿勢とかそういうものを含めて、特措法改正の意味をもある意味では垣間見せる側面を持っていますので、ちょっともう一つの具体的な話しとしては、この収用委員会の裁決について、すこし触れてみたいと思います。

 収用委員会の、この琉球新報にのっている部分は、どういう部分かといいますと、裁決書というのがありまして、先ほど上原さんからも紹介がありましたが、あの、まず、主文というのがあります。これは裁決を同じような形式です。で、「起業者の申請はこれを却下する。」とあって、「却下する部分は下表の通りである。」とあって、そこに石原さん4名の、土地所有者とその持ち分が列挙されています。その次に、「事実」。事実関係がどういうものかというのがあって、その、第一として、「起業者の裁決申請及び明け渡し裁決申請ならびに補正の申立について」というのがあります。那覇・防衛施設局、つまり起業者が裁決申請を申し立てて、それからこの間違いが指摘されたので、その補正というのをやっているのですが、その申立というのはどういうものであるか、ということが、書かれています。その次に、第二として起業者の説明による「誤認の理由」。間違った理由、と言うのがあります。それから第三として、当収用委員会の調査により判明した事実というのがあります。そして4番目に却下裁決の理由があるわけです。みなさんのところにわたっているのは、その理由にあたる部分の全文です。

 この問題については、ここにお集まりいただいたみなさんは、おおむねご存じとは思いますけれども、もう一度、その中身をまあ、説明しておきたいと思います。

 この問題というのは、実は、一坪反戦地主会で、公開審理における意見陳述のための名簿の整理とかそういうことをやっているときに、つまり3月の段階でですけれども、どうも、われわれが一坪の会員として連絡をしている人が裁決書の中にのっていなくて、違う人がのっているんじゃないかということに気が付いたのは、すでに3月に入ってからでした。で、いろいろ、しかし我々としても、それは、そんなことがあるということは信じられませんでした。

 大体、那覇防衛施設局というのは、税金で飯を食っているわけですし、一坪反戦地主会は全部ボランティアですから、名簿の整理等その他など極めて雑なのは、一坪反戦地主の側であって、自分達の会員も正確には掌握しきれないということで、裁決申請がなされたら、向こうの名簿を持ってきてそれでこちらの名簿を補正しようと言うような、大体そういうことを、(笑い)、あの、実際上はやっていたわけですね。大体それが合わなければ、こっちが間違ってる、というのが、我々の常識だったわけですが、どうもその常識では通用しない部分が出てきたわけです。

 それで、ご本人と連絡をする等のことをやって、そして、はっきりしたのは、もうご承知かと思いますけれども、一坪反戦地主のなかの、石原正一さんとおっしゃる静岡県の清水市にお住まいの方が一坪反戦地主会のメンバー、一坪地主としていらっしゃるわけですけれども、80才になる高齢の方ですが、新聞販売店を経営されている無教会派のクリスチャンの方です。

 で、その方がいらっしゃるわけですけれども、その方と全く無関係の人が裁決申請書のなかにあると。これはどうしたことかと、ご本人にも問い合わせたり、いろいろした結果分かったことは、同じ静岡県の清水市というところに住んでいる、全然、清水市は同じですけれども所番地も違うわけですが、同姓同名の石原正一さん。片方は、「いしはらまさかず」さんとお呼びするらしいんですけれども、が、いらして、一坪の地主じゃないほうの石原さんがだいぶ前にお亡くなりになっていて、それで、亡くなった方を、防衛施設局が一坪反戦地主の石原正一さんと勘違いして、本物の石原正一さんの所有している土地を、職権で、亡くなった方の4人の相続人、奥さんと3人のこどもさんに、法定相続分づつ相続させてしまったと。そして、相続させた上で裁決申請をした、という事実がわかった訳です。

 で、そして、ご本人にそのことを確認し、ご本人の名前を含めて、こういう事実があることを公表していいかということで、了解なども取れたのが、実は第二回の公開審理が始まる前々日の晩かなり遅くでした。

 それまでには土地をゆずられたほう、職権で相続させられた方々にも勿論連絡を取っています。で、その、相続を職権でさせられた方々は、じゃどうして、その事実を知っていたのかというと、まあ、防衛施設局の職員は1回だけは行ったらしいんですね。「こういうことで、みなさんが相続されることになりました。」「あ、そうですか、そういうことは聞いたこともないし」といったら、「それじゃ、契約してください」といったらしいんですね。で、「こういうことをしますけれども」、「じゃあ、ちょっと自分達もきちんと調べてみます」といったら、「じゃ、一月後に来ます」といって、それっきり防衛施設局はそれっきり現れなかったそうです。

 ところが防衛施設局が公開審理の中で答弁している所によると、その石原さんの奥さんは「自分は知らなかったけれども、自分の夫が主義主張をもってそういうことをやっていたのであれば、自分達もそれを引き継ぎます」と応えたというんですね。防衛施設局側の言い分ですけれども。それだから分からなかったと、こういうことになるわけです。それでわたしたちはそのことを第二回の公開審理の前日に記者会見で発表しました。そしたら、その翌日、つまり公開審理、当日の朝6時くらいに防衛施設局の役人たちが2人、石原正一さんのところに出かけていって、そして、どうも間違ったらしいということをいっているんです。いってるけれども、防衛施設局は、第二回公開審理の時には、まだ調査中で事実関係は分からないと言っています。

 しかし、その時には石原正一さんとわたしたちは連絡が取れていますから、石原正一さんは相手の言ってることなんかも記録して置いてくれといったんで、ちゃんと録音を取って置いてくれているわけですね。それはあとから送られてきて、第三回公開審理の時に明らかにするのですが、あの、その時にもこれまた随分とでたらめなことをいっています。つまり石原さんの土地が、前の所有者が契約をしていたと、その契約をした土地をあなたが共有地として登記をしているわけだけれども、その契約期限が5月14日で切れるので再契約してほしいみたいな話しをしているわけですね。それはもう、テープにとられているわけです。少なくとも強制使用という話は全然出てきていない。

 まあ、ところがそれで防衛施設局は非常に大慌てをしているように見えました。ところがどうやら防衛施設局はそれ以前に事実関係に気づいていた節があります。驚くべきことですけれども、われわれが暴露する前に彼らは知っていた。知っていながら、その段階で申請を取り下げてやり直すとかそういうことをやらないで、気づかれなければそのまま押し通そうとした節があるんですね。

 防衛施設局側がなぜそういう間違いをしたのか。自分達の間違いが生じたのか。という大きな理由として挙げられるのは、どういうことかというと、清水市にその石原正一さんの住民票を請求したと。そしたらその石原正一さんのものだと称して清水市が亡くなった人の住民票を送ってきた。そこで間違ってしまった、とこういう話なんですね。

 それもまあ、おかしな話しです。つまり、ご本人に会ってればそんなことは起こらないわけですから。しかし、その後、その、例えばわかったことはどういうことかといいますと、みなさんにお渡しした資料の中でも、収用委員会が指摘していることですけれども、2段目にちょっと線が引いてあるところがありますね。送ってきた住民票除票という、つまりこの方はもう亡くなっているわけですから、あの、誤った住民票が送られてくるとは思いもしなかった。で、そのまま住民票の記載をそのまま信じたことが、誤認の原因であると、2段目の真ん中くらいに書いてあります。

 「しかし、右住民票除票では、亡石原正一の(亡くなった方のほうです、亡という字を付けてあるほうは、亡くなった方と言うことで収用委員会は区別しています。)死亡年月日は、昭和61年9月19日となっており、一方、本件土地の登記簿謄本では石原正一の名義で登記がなされた年月日は昭和62年3月30日となっていて、両者の関係はきわめて不自然である。」

 つまり、なくなった後で登記をしているんですね。亡くなった人が土地を登記していることになるんです。もし間違ったものを送られてきたとしても、この人はもう亡くなっていますよというのが送られて来たわけですから、日を確認しさえすればそんな間違いをおこらないわけですね。

 ここで、ちゃんと書いてあるように、半年前に亡くなった人が半年後に土地を所有して登記をしたと、間違った住民票が送られてきたから信じてしまったとこういうわけですね。あり得ないことであると。これはもう収用委員会じゃなくたってそう言わざるを得ないでしょう。

 で、その他、もう一つ収用委員会が明らかにしていることは、当委員会の調査により判明した事実、つまり収用委員会もいろいろ調査しているわけですけれども、事実として挙げている中に、こういうのがあります。

 「亡石原正一(亡くなった方)について、起業者は本件申請後、ようやく平成8年11月5日付けの戸籍附票の取り寄せをした。」

 平成というのは、今年は9年ですよね。平成8年というと96年の11月5日に、戸籍謄本の附票、僕も戸籍のことなんか良く知らないんですが、にわか勉強をしたところによると、なにか本籍地には、移動の度に、転居の度に、そういうものが送られてきて、現住地から、それが附票として残っているようなんです。

 なぜか彼らは、11月5日付けで、おかしいと思ったのか何か、附票を取り寄せているわけです。そこで、そのことは裁決書には書かれていませんけれども、記者との話の中なんかで、収用委員会は言っているようですけれども、もしそこで気づいているようなら、そこで訂正しておけば間にあったかもしれない。

 しかし、彼らはしていなかったわけです。つまり、暴露されなければ、そのまま押し通してしまおうとした。実はこういうことは5年前の公開審理の時にもありました。私たちが3人の元反戦地主、復帰直後は反戦地主だったけれども、いろいろな事情の中で契約をしてしまった人たちの契約期限は切れていないのに、強制使用の対象にしている人が3人ある。ということを公開審理で明らかにしました。そしたら、すぐに、防衛施設局は、次の公開審理の直前に事務的ミスである、と称してこれを取り下げた例があります。1回だけではありません。

 で、ただ、そういうことがなされても、5年前の状況下では、そうゆう事実をわたしたちは声を大にして叫んでもなかなか大きくクローズアップされることはなかった。今回はその一人の土地所有者の間違いという事が、一坪反戦地主の(指摘した)間違いがそれだけ大きな話題を呼んでいる。

 つまりどういうことなのかというと、これだけでたらめなことをやっているということなんですね。今度の特措法改悪の時に、はじめは政府が言ってきたことは、審査中は、収用委員会が審査している間は、期限が切れても暫定的に使用はできるようにしたい。ということを繰り返し、繰り返し言っていたわけですね。

 しかし、蓋を開けてみたらそれどころではない。却下されても審査請求をすれば、建設大臣に審査請求をすればいつまででも使えるということになっていたわけです。実に毒を食らわば皿まで、ということだったし、わたしたちはこの3月12日の公開審理によってこういう問題が明らかに、あるいはその前の記者会見で明らかにされたことによって後からこれをつけ加えたのか、と言う風にも思いましたけれども、どうやらそうではなくて、この法改正というものは、もっと前から、ここまで徹底した形で準備をされていた。そういうことがこういう過程で、徐々に明らかになってきた、ということが言えると思います。

 で、ともかくここまで来てしまったら、収用委員会は、ある意味では却下せざるを得ない、といっていいでしょう。しかし、収用委員会も、独自にこの問題については、自分達が調査したりしてまじめに取り組んでいる、という意味では従来の収用委員会とは違うというところはあります。

 それから、ただ、やや問題点というのもないわけではないとわたしは思っています。それは収用委員会の問題としてどう理解すべきか微妙なところですけれども、ひとつはこういうことを言ってます。

 1、2、3、4段目の、後ろから2、4、6行目に三というところがあります。起業者側は、これは軽微なものだから補正すればいいといっているんです。あ、そのちょっと前まで如何に政府が図々しいかとということを知るために、4段目の二というところを見てみたいと思います。那覇防衛施設局長、起業者は、確かに間違ったけれども、差し替えたんだから、それでいいんじゃないか、つまり補正したからいいじゃないかといっているわけです。その理由は次の通りであると収用委員会は指摘してます。

 イとして、「公告縦覧が適正に為されている以上、真の権利者関係者には意見書提出の機会は与えられている。」つまり公告縦覧が為された、つまり書類はみんなに縦覧されたんだから、石原正一さんは清水市からやってきてそれをちゃんと見てれば、自分がのっていないということがわかるんだから、彼の権利を侵害してないと、称しているわけです。ロとして、「手続きにおける軽微な瑕疵の理由に、本件申請を却下することは、公共のために必要な土地について迅速な収用の手続きの確保を旨とする法の主旨にもとる」っていってるんですね。これは那覇防衛施設局、つまり政府の主張です。

 それに対して収用委員会がなにをいっているかというと、「本件申請は、駐留軍用地特措法に基づくものである。同法に基づく本件申請が妥当であるか否かを認めるかという問題と、土地収用法に基づく裁決申請の補正を認めることが妥当か否かという問題は同一ではない。」といって、こういうことをいってるんですね。

 イとして「駐留軍用地特措法第7条第二項は防衛施設局は内閣総理大臣から使用認定の通知を受けた後、速やかに土地所有者および関係人に通知すべき事を定めている。もし仮に真の所有者を誤認した場合でも、補正が認められるとすれば、真の所有者関係人から、利益を奪うことになる。」つまり、使用認定と言う前の段階で、本人に通知をして、本人がそれに対してその事実を知ることができたはずなのだけれども、そういうことがなされていないということがそもそもおかしいではないかという指摘です。

 その次がいささか問題だと思われる所ですが、なんと言っているかというと、ロとして、「駐留軍用地特措法の第15条第1項第1号によれば、(これは今度の付加わった改悪部分です。)裁決申請が却下された時でも、一定の期間、裁決申請の対象となった土地を使用することができるとされており、裁決申請が却下された場合でも、ある程度公益が確保される方途が講じられている。」この公益を言う言葉はその法的な言葉をそのまま使っている訳ですけれども、使えるからいいじゃないかとはいわないけれども、これ、ケツまくった感じなんですね。

 で、これはいささか問題ではないかとわたしは思っているんですけれども、それで、その次、4として、「駐留軍用地特措法に基づく本件申請を認めた場合、国側の言い分を認めた場合、石原正一・関係人の利益は損なわれ、補正をみとめず却下した場合でも起業者に生ずる不利益は軽減される。補正を認めることが、石原正一・関係人の利益を損ねる反面、起業者の利益に偏することは明らかある。」

 比較したら、明らかに権利を侵害しているから、という理由になっているのですが、どうもこの15条を使うのは問題ではないかとわたしなどは思っているのですが、ある意味では法改正で如何に収用委員会が頭に来ているかということを、ある意味で、いささか勇み足的に、暴露してしまったという側面もありそうな、気がします。

 まあ、そんなややこしいことをいろいろ細かく言ってきたのは、なにかというと、やはりこういう具体的な事実を通して、ようするに政府権力者というものが如何に自分達の建て前を否定しているか。私有財産制というのは、資本主義国家の基本のはずですから。一方では安保は国家存立の基盤であると、橋本はいっているわけですから、そうすると、安保と資本主義との間にある意味では矛盾が生じざるを得ない状況に彼らを追い込まれてきていて、そして、安保によって資本主義の成立基盤を否定するというような自己矛盾に陥ってしまっているというところがあるのではないだろうか。と、わたしは思っているわけです。

 そういう問題を、きちんきちんと指摘していくためにも、今後の公開審理の役割というのは、非常に、決して小さいことにはならないだろうと思います。

 それから言うまでもありませんけれども、基地問題というのは、この公開審理だけではありません。米軍基地の強制使用の問題だけではありません。とくに先ほどの衆議院の決議との関係で言えば、SACOの報告、その中で基地をどこに移転するかという問題があるわけです。その最大が眼目が海上ヘリポートです。

 そして、ただここに、非常に、いわば、沖縄内部のといいますか、行政と、行政という場合には、今までは大田知事に代表される県政、というレベルだったんですが、今度は例えば名護市或いは名護市長という市制のレベルにまで下りていって、そういう行政と住民・民衆との矛盾にもなって現れてきているという点があります。

 あの、この特措法改悪に対しては、大田知事自身最後までこれはおかしいといいつづけた事は間違いありません。それで、「日本にとって沖縄とはなんなのか」などと名言も吐いています。これははじめてではないですけれども。しかし、日本にとって沖縄とはなんなのかって、それはもういちいち聞かなくたって、軍事植民地であることは分かっているわけですが、ま、とにかく、そういうことを言っている。言っているけれども、その最後の3月何日かの特措法「改正」をやらざるを得ないという橋本から通告をされた段階でも、それに遺憾だと言いながら、一方では政府との信頼関係は崩れていない、という言い方をしています。

 で、結局そこになにがあるのかというと、いわゆる新たな振興策云々。あの、決議が持ち出している地域振興の問題です。で、私は今日みなさんにお配りした沖縄タイムスにかいた文章の中でも、これは後で読んでいただけたらいいのですが、その他の所でも強調しているのですけれども、基地の問題については沖縄県の行政と日本国との間には確かに鋭い対立がありますけれども、もう一つは、ある意味では、沖縄県が、国際都市形成構想とか新しい振興策というものを打ち出すことによって、そして、それを政府の財政支援によって実現しようとすることによって、非常に大きな矛盾というものを生じてきています。

 私の書いた文章の3段目のところの1行目からちょっと見ていただきたいのですけれども、県のほうは、広大な基地が経済発展を妨げていると主張し、基地なき後の経済発展にむけての財政的制度的支援。それが一国二制度的規制緩和といろいろ言われていますけど、これを政府に求めている。一方、政府は基地機能維持のためにであれば、できるだけの財政的制度的支援は惜しまない。という姿勢をとっているわけです。ここでまさに私のいうところの同床異夢の関係というのが生じているわけです。これを断ち切らない限り、沖縄の自立も独立も展望は出来ない。

 そしてそれをもっと地域化したのが、名護市における北部振興策と海上へリポートとの関係と言うことになります。で、まあ、調査だけはするけれども建設には反対だとか市長はいってますけれども、住民側が指摘していますように、極めて欺瞞的なことであって、問題はそういうところには、ないはずなんですね。

 ちょうど県と同じように、海上へリポートには反対だけれども、しかし、この際、なんらかの形で北部振興策を、という綱渡りを名護市長はやろうとしている。それに対して住民側が、どういう具体的な動きをしているかというと、例えば、すでに住民投票によってその賛否を問おうという動きが具体化しつつあります。この住民投票というのはいうまでもなく去年の県民投票の一つの成果、といってもいいだろうと思います。こういう行政の行動に対する直接行動としての直接民主主義的意思表示というものが、ひとつの闘いの成果として、地域住民の中に深く浸透しているという問題があります。

 もちろんこの、署名運動が始まったとしても、名護市議会が条例制定に反対する可能性があります。これは日本の多くの地域でそうですけれども、住民の直接請求によって住民投票条例が制定された例というのは、非常に少ない。むしろ議会が音頭をとれば出来るけれども、住民側が直接請求として、例えば有権者の50分の1の署名を集めて、というのは幾つも例がない。沖縄の去年の県民投票はまさにそういう一つの事例でしたけれども、しかしそれは議会内多数派と結びつくことによって可能だったということです。もちろん知事そのものもそれを積極的に、少なくとも、県民投票が提起された段階では、日本政府との対抗手段として使おうとしていましたから、そういう意味では、知事、議会、住民の運動というのが一致をしていたわけですね。

 で、今度の名護市の場合には住民側の運動が直接条例制定請求を可能にするような署名を集めることは恐らく間違いないと思いますけれども、その先がそのままの手法でいくかどうかというのは、もう一つ問題が残ります。ただその時に、住民側はすでにそういう事態の場合には、市長リコールの署名を集めるという次のステップも考えていますから、ともかく直接請求、直接民主主義的手法というものを、民衆がつかんでいってきているという一つの成果、というものが非常に大きいとわたしは思っています。

 去年の県民投票の結果をどう評価するかで、評価が分かれました。私は常に繰り返し繰り返し、中身を分析しながら高い評価をしているけれども、投票率が低かったんではないかとか、棄権が多かったのではないかとか言う反対の評価もないわけではありません。しかし、ああいう一つの民衆自身による実験、闘いのテストというのは様々な形で引き継がれていくという事実を私たちはこのヘリポートの反対運動の中にみることができると私は思っているのです。

 それからあの県道104号越えの実弾砲撃演習の問題があります。これは特措法改正を沖縄に押しつけたある意味では見返りとして5つの演習場に押しつけられたものですね。結局受け入れたといいましたけれども、新聞をちょっと注意深く読んでいる方はどなたでも気づかれるように、あれは別に地元が積極的に受け入れたというよりは、強引にその方針を押しつけられて対抗手段を持ち得なかった。国がやるなら仕方がないという状況の問題だと思います。

 ただこのことはこれからいろんな問題を生んでいくだろうと思います。沖縄とヤマトとのいろいろな連帯云々ということを言っても、例えば沖縄からの演習移転反対というのでは、本当にやっぱりすんなりと沖縄側との連帯が成り立つだろうかという問題は常につきまとっています。しかし、こういう問題が政府によって、押しつけられた後に残る問題はなにかといえば、後は安保反対か基地反対しかないということです。で、その事は、沖縄でもどこでも共通の課題として、通用しうる問題になるはずです。

 それからここでも政府は、この104号越えを押しつけるために、いろいろ自己矛盾を起こし始めています。例えば、砲撃音がうるさければ防音をしようなどということで防音装置をする補助金を出すとかこんなことを始めています。

 これはしかし、沖縄ではやってこなかったことです。

 つまり騒音防止というのは、航空機の騒音のみについてやられてきたことなんですね。それが例えば砲撃についてもやられる、ということになったら、なぜ沖縄でやらないことをなぜそっちでやるのか、ということになるでしょう。沖縄でもやれということになるでしょう。

 それからもっと問題なのは、どこまで本気でやっているかはわからないけれども、外出する米兵を、施設局の役人が付いて歩くというのがありますね。沖縄ではそんなことはやってない。それだったら、沖縄でも米兵が出歩くときに、全部施設局が付いて歩け、ということになったらどうなるか。

 つまり無理矢理104号越えを、沖縄の痛みを分け合うなどと称して、押しつけるために、いろいろな小手先の、姑息な手段を労したことが、きちんと具体的にきめ細かく捉えていくと、彼らの矛盾となって跳ね返っていく可能性を秘めているということも、私たちは見逃してはいけないし、先ほどいった、安保反対基地撤去という問題と、こういう細かい、例えば、なぜ、今までやらなかった砲撃音の防音装置をやるのかとか、なぜいちいち米兵に護衛を付けて歩くのかとか、そういう問題も具体的な問題としては、さまざまな局面で引き出していくべき問題だろうと思います。

 先ほどの却下裁決の問題にしても、こういう問題にしても、問題は非常に細かいところに踏み込んでいきますけれども、やはり先ほどわたしが言った長期的な形で、しかし彼らの矛盾は段々と広がっている訳ですから、それをきちんと押さえながら、原則的な世界的な広がりをもったアメリカの世界戦略への一環としての安保再定義に反対する運動と、そういう日常普段の問題。それは、もう一つ、私の文章の中にも書いてある、ようするに、生活の質、すなわち豊かさの問い直しという問題と結びついてくる問題で、沖縄だけの問題ではなく、この5つの演習場すべてそうですけれども、ある意味では自衛隊の演習場として、基地周辺整備費などがばらまかれている地域、なんですね。沖縄のような新しい振興策とはいってないけれども、さまざまなそのうわずみが基地を演習を押しつける代償としてばらまかれているわけですが、そういう問題と対決していくためには、もう一度私たちが持っている私たちの今の生活の質、内容を問い返すと言う問題がやっぱり不可欠の問題としてでてくるのではないかと思います。

 それからもう一つ。私たちが見ておいていいことは、先ほど言ったように、特措法改悪それ自体が国会内における安保翼賛体制の成立によって成り立ったわけです。そして、先ほどの決議の賛同政党をみればその翼賛体制はなお広がっているとすら言えるわけです。しかし、その広がりはどこまで強固なものなのかということも同時に考えて置かなければならないことだと思います。

 特措法成立の後に朝日新聞や毎日新聞が世論調査などを行っています。この法改正には納得できないという世論は、かなりのパーセンテージを占めています。毎日新聞と朝日新聞では極端に違いますけれども。しかしあれ質問のやり方によっても変わってくるわけですよね。「暫定的に使用ができる法改正をどう思いますか。」というように、そこに法改正を切り縮めるような質問の仕方をしたりしていますからなんとも言えないのですが。そういういわば世論とのギャップを私たちがどう突いていくかと言う問題もあろうかと思います。この間95年の秋以降全国紙などが安保その他について何度も世論調査をしてます。その時の状況状況において、世論調査の数字は大きく変動しているということを私たちは見ておかなければならないと思います。なにもなければ安保賛成というのが圧倒的多数を占めます。しかし何かがあれば、それが極端に減っていくということも、そういう世論調査という一つの、世論調査のすべてではありませんけれども、世論調査という一つの窓を通してみても、さまざまな問題が見えてきているわけです。

 そういう意味では、この完璧なまでに、例えば反戦地主の主張を制度的には遮断してみせた特措法改正や、国会内における安保翼賛体制というものが意外なもろさを反面では持っているという事実をも、私たちは見ておかなければならないわけで、その辺を私たちがこれから息長く、どのようにして、日常的な運動、闘いの中に、活かしていくことができるのか、ということがこれからの課題になるのではないでしょうか。

 どうも、あまり体系的なまとまった話しはできなかったような気がしますけれども、私が今考えていること、多少、断片的にではありますけれども、皆さんの前に提起をしてみたつもりです。後は、ご質問等があれにお答えする形で時間の許す限り補足等をしていきたいと思います。



テープ起こしは比嘉(higa@jca.ax.apc.org)


沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック