┃憎まれ愚痴入口木村書店戻る┃  第1部第1章┃3┃10

詳細目次
はしがき
序章
第1部:解放50年式典が分裂した背景
  第1章
  第2章
第2部/冷戦構造のはざまで〜米ソ賛成、アラブ総反対のパレスチナ分割決議の背景〜
  第3章
  第4章
第3部:隠れていた核心的争点
  第5章
  第6章
第4部:マスメディア報道の裏側〜無意識の誤解からテロによる言論封殺まで〜
  第7章
  第8章
終章:核心的真実〜または人類史の最後にしてほしい情報操作の本音の真相〜


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『アウシュヴィッツの争点』
ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために
(11)
第1部:解放50年式典が分裂した背景
第一章:身元不明で遺骨も灰も確認できない「大量虐殺事件」 3/10

『週ポ』Bashing反撃)

「約一五〇万」は元収容所司令官ホェス「告白」の範囲内

 アウシュヴィッツの「四〇〇万人」という数字について、朝日新聞は、つぎのようにしるしている。
「収容所を解放したソ連軍の特別調査委員会が元ナチ親衛隊員らの尋問をもとにまとめた数字で、戦犯裁判などでもおおむね妥当とされてきた」
 だがもともと、この「四〇〇万人」説についても最初から疑問があった。
 とくに重要なのは、「元ナチ親衛隊員」の中でも最高の地位にあった元収容所司令官の「ルドルフ・ヘスの告白」とされるものが、五つもあり、それがくるくるかわっていたことだ。この「ヘス」(Hoss)[oは上に2つの丸い点が付くオー・ウムラウト]は、ナチス・ドイツ副総統でイギリスにパラシュート落下して和平工作を試みたルドルフ・ヘス(Hess)と、従来の慣行の日本語表記ではおなじになっているが、まったくの別人である。しかも、「へ」に当たる母音がeとo(オー・ウムラウト、「オ」と「エ」の中間音、英語ではoeとも表記する)でちがっており、日本語では「ホェス」または「ヘォス」の表記がただしい。以下では「ホェス」と表記する。また、本書では副総統のルドルフ・ヘスにはふれないので、以下で登場する引用文中の「ヘス」はすべて、「元収容所司令官のホェス」である。ホェスは、ソ連軍ではなくてイギリス軍に逮捕された。、ホェスがアウシュヴィッツ収容所の司令官だったのは、本格的な収容所建設がはじまった一九四〇年から四三年までの三年間である。
 前掲の朝日新聞報道をさらにくわしくしたのが、『週刊金曜日』(94・7・15)の見ひらき二ページの記事、「アウシュヴィッツの犠牲者数の変遷」である。この記事では、さきの「精密な論文」について、「収容所博物館歴史部主任F・ピペル博士により、一九九〇年七月に発表されたもの」としている。「数年」を正確にかぞえると、一九九四年の碑文の数字訂正決定までに「四年」が経過していることになる。さらに同記事はホェスが、ソ連軍が「四〇〇万人」説をだした調査の直後の、一九四六年四月一五日にニュルンベルグ裁判で証言した内容を、つぎのように要約して紹介している。
「アウシュヴィッツにおいては二五〇万人がガス室で殺され、そのほか五〇万人が飢えと病気で死亡した」
 ホェスは、その後、「犠牲者の総数は一一三万人であったと前の証言を訂正」したりしている。だから、「精密な論文」以後の「四年」間のゆれの結末の約一五〇万人は、ホェス「告白」のゆれの範囲内にとどまっていることになる。
 ホェス「告白」は、ニュルンベルグ裁判の判決でも最大の根拠となったが、その最大の数値がもともと「二五〇万」だった。だから、ソ連発表の「四〇〇万」は最初からあやしい数字だったのだ。これまでアウシュヴィッツはソ連の勢力範囲にあったから、その数字のままだったにすぎないのである。
 見直し論者から提出されている疑問は数字だけの問題にとどまらない。ホェスらの「元ナチ親衛隊員らの尋問」によってえられた「証言」、「告白」についての決定的な問題点は、それが連合軍兵士による「すさまじいまでの″拷問″」の結果だったということだ。

(12)ホェスを「拷問」した英国籍ユダヤ人軍曹の確信犯的「自慢」


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