1931 (昭和6)  0歳
3月14日 
  吉川春吉・寿々江の長男として東京市麹町区飯田町(現・千代田区飯田橋)で生まれる。
  家はトラック4台をもつ自営の運送業をやっていた。
  この年の9月18日に「満州事変」がおこった。

1932 (昭和7) 1歳 (以下の年齢は、その年の誕生日 3/14 以後のもの)
3月1日 満州国建国宣言。
5月15日 5・15事件おこる。

1933 (昭和8) 2歳
1月 ヒトラー、政権につく。
3月 日本、国際連盟を脱退。
5月 京都大学、滝川事件。

1934 (昭和9) 3歳
10月 中国紅軍、長征開始。

1935 (昭和10) 4歳
2月 天皇機関説、問題化。
4月 麹町区立富士見幼稚園に入る。

1936 (昭和11) 5歳
2月26日 2・26事件おこる。
7月17日 スペイン内乱はじまる。
11月25日 日独防共協定成立。

1937 (昭和12) 6歳
4月 麹町区立富士見尋常小学校入学 (途中で 富士見国民学校と改名) 
7月7日、日中戦争が開始される。父親が陸軍に召集され、輜重兵として中国戦線で従軍した。
12月13日 日本軍、南京占領、大虐殺事件。(私は「南京陥落祝賀」の皇居前ちょうちん行列に参加した。

1938 (昭和13) 7歳 小学校2年
4月1日 国家総動員法公布。

1939 (昭和14) 8歳 小学校3年
5月11日 ノモンハン事件
8月23日 独ソ不可侵条約調印。
9月1日 ドイツ軍、ポーランドに侵入。第2次世界大戦はじまる。

1940 (昭和15) 9歳 小学校4年
9月23日 日本軍、北部仏印に進駐開始。
9月27日 日独伊3国同盟締結。
10月12日 大政翼賛会結成。

1941 (昭和16) 10歳 小学校5年
4月 この年から、教科書の「日本歴史」が「国史」と変わる。
6月22日 ドイツ軍、ソ連に侵入。独ソ戦争開始。
12月8日 太平洋戦争開始。感激して小躍り。

1942 (昭和17) 11歳 小学校6年
2月15日 日本軍、シンガポール占領。
4月5日 日本軍、バターン半島占領、「死の行進」はじまる。
6月5日 ミッドウェー海戦。
8月7日 米軍、ガダルカナル島上陸。

1943 (昭和18) 12歳 中学校1年
2月1日 日本軍、ガダルカナル島撤退開始。
4月 第一東京市立中学校入学(途中で 東京都立九段中学校と改名 現・都立九段高校)
4月18日 山本五十六連合艦隊司令長官戦死。
10月21日 出陣学徒壮行会(神宮外苑競技場)

1944 (昭和19) 13歳 中学校2年
6月4日 連合軍、ノルマンジー上陸。
6月15日 米軍、サイパン上陸。
8月4日 学童集団疎開開始。
10月25日 神風特別攻撃隊出動。
11月24日 マリアナ基地の米B-29、東京初空襲。本土各地への爆撃本格化。学校防衛隊に入れられ、空襲警報のたびに深夜でも鉄兜、ゲートルで登校。

1945 (昭和20)  14歳 中学校3年
4月1日 米軍、沖縄本島に上陸。
5月7日 ドイツ軍、無条件降伏。
5月25日 米軍B-29による東京大空襲で自宅が全焼した。母と弟妹たちは埼玉県に疎開していたが、東京に残っていた父と祖母と私は、みな焼夷弾の破片により負傷した。
 埼玉県立川越中学校(現・埼玉県立川越高校)に転校。
 授業はなく、日高市の陸軍飛行場に勤労動員。
連日、米艦載機による空襲。
8月6日 広島に原爆投下。9日に長崎に。
8月8日 ソ連、対日宣戦布告。
8月15日 敗戦の放送。ソ連への宣戦布告の発表だとばかり思い込んでいたので、敗戦と知り、ガックリ。
9月27日 天皇、マッカーサーを訪問。
11月29日 第1次農地改革。

1946 (昭和21) 15歳 中学校4年
1月1日 天皇、人間宣言。
5月3日 極東国際軍事裁判(東京法廷)開始。
11月3日 日本国憲法公布。
中学校のクラブ「郷土班」に参加。農村調査など。

1947 (昭和22) 16歳 中学5年
1月31日 マッカーサー、2・1ゼネスト中止を指令。
6月1日 片山哲社会党首班内閣成立。

1948 (昭和23) 17歳 旧制高校1年
3月 県立川越中学校を5年で卒業
4月1日 ベルリン封鎖。
4月 旧制浦和高等学校入学。寮生活。同級生に大野明男、半藤一利らがいた。(学制改革により1年終了で廃校)

1949 (昭和24) 18歳 大学1年
4月4日 NATO成立。
6月 東京大学教養学部文科2類に入学(新制第1期入学)
 学生サークルの「日本文化研究会」に参加。また「民俗学研究会」を結成。武藤一羊と知り合う。
 このころ、成城の民俗学研究所に通う。

7月6日 下山事件。8月17日には松川事件おこる。
10月1日 中華人民共和国成立。

1950 (昭和25) 19歳 大学2年
1月6日 コミンフォルム機関紙、日本共産党を批判。
1月15日 平和問題談話会、全面講和論の声明。
6月25日 朝鮮戦争開戦。共産党幹部追放。『アカハタ』発禁。
7月24日 レッドパージはじまる。戦争、民主主義の危機感を抱くようになる。
8月10日 警察予備隊令公布。
10月 レッドパージ反対の試験ボイコット闘争などに1学生として参加。
 民俗学研究会として、伊豆の神津島の離島調査などを行なう。
 冬には、東京都下恩方村(現八王子市)の山村調査
(兼 共産党系の山村工作の一環)
 きだみのる『きちがい部落紳士録』に、この山村調査のことが書かれている。

1951 (昭和26) 20歳 大学3年
3月20日〜4月 民俗学研究所の離島調査の一部として、伊豆神津島村の調査を行なう。 
4月 東京大学文学部社会学科に進学。福武直助教授のゼミに入る。
5月 日本共産党に入党。
9月8日 サンフランシスコで講和・安保両条約調印。
10月 東大学生自治会中央委員会議長に選出される。
12月5〜7日 スクールバス値上げ反対ボイコット闘争。
12月12日 「南原繁総長を送る会」で挨拶。生まれてはじめての演説。冷や汗もの。

1952 (昭和27) 21歳 大学4年(中退)
2月20日 ポポロ事件(警察手帳事件)おこる。衆参両院の法務委員会、文部委員会などで、参考人、証人として発言。
4月28日 講和・安保両条約発効に抗議して全学ストライキ。
5月1日 血のメーデー事件。その前日に本富士署への抗議デモで逮捕され(初逮捕)、留置場にいた。
5月14日 退学処分(両条約発効抗議の全学ストライキを指導したとの理由で)
10月2-12日 北京で「アジア太平洋平和会議」開催。吉川はこれへの日本代表に選出されるが、外務省が旅券発給を拒否したため、参加でできず。ただたまたま海外にいてそこから参加した南博、金子健太氏らのほか、共産党の組織するいわゆる「人民艦隊」(非合法の密出国をさせた地下の船舶ルート)によって出国した亀田東伍、中村翫右衞門らが参加した。吉川もこのメンバーに選ばれていたが、乗船予定の船が警察によって摘発され、中止となり、密出国できなかった。

 その後、全学連書記局員、日本戦没学生記念会(わだつみ会)事務局員(組織部長)など。

1953 (昭和28) 22歳
7月27日 朝鮮休戦協定調印。
11月11日 京都で全学連主催の「学園復興会議」に参加。(大島渚らと)。
日本平和委員会の事務局員となる。『平和新聞』(編集長=赤岩栄牧師)の編集。同じ編集部に、軍事評論家の林茂夫 (2004年7月に75歳で逝去)がいた。

1954 (昭和29) 23歳
3月1日 ビキニでアメリカの水爆実験。第5福竜丸被爆。夏以降、原水爆禁止運動はじまる。
3月14日 全学連の「スパイ監禁事件」と関連して逮捕、起訴される。(小菅拘置所に80日間) 頭、禿げはじめる。裁判は4年つづいて、無罪判決。(共同の被告には、武藤一羊、大谷喜伝次、下村由一)
6月9日 自衛隊発足。
10月30日 中国紅十字会、李徳全女史ら来日。日本平和連絡会の事務局にいた南條祐子と知り合う。

1955 (昭和30) 24歳
7月27日 共産党第6回全国協議会(六全協)。
8月 広島で第1回原水爆禁止世界大会開催。国際部の仕事を手伝う。
 このとき以後、毎年、この大会の国際部の仕事を10年間つづける。
9月13日 砂川基地強制測量、反対派と警官隊が衝突。

1956 (昭和31) 25歳
10月19日 日ソ共同宣言調印。
10月23日 ハンガリー事件。
10月29日 スエズ戦争開戦。
12月18日 日本、国連に加盟。

1957 (昭和32) 26歳
1月30日 群馬県相馬が原射撃場でジラード事件。
6月 コロンボでの世界平和評議会総会に日本代表団(団長=小畑忠良)に事務局として参加。初の海外旅行。(代表団には、羽仁五郎、平野義太郎、安井郁、藤井日達、西園寺公一ら、事務局には武藤一羊もいた。)
9月 日教組の勤務評定反対闘争。
10月4日 ソ連、人工衛星スプートニク1号打ち上げ。

1958 (昭和33) 27歳
4月27日 南條祐子と結婚。東京都中野区沼袋で6畳一間のアパート暮らし。
10月8日 警察官職務執行法案(警職法)国会提出。反対闘争激化。
11月27日 皇太子婚約発表。

1959 (昭和34) 28歳
1月1日 キューバ革命。
3月28日 安保改訂阻止国民会議結成。
3月30日 砂川基地問題での伊達判決。
4月10日 皇太子結婚パレード。
9月30日 フルシチョフ、訪中(中ソ対立表面化)。

1960  (昭和35) 29歳
4月28日 沖縄県祖国復帰協議会結成。
三池闘争
5月20日 安保改訂、強行採決。連日、国会デモに参加。
6月19日 新安保条約、自然成立。7月15日 岸内閣、総辞職。
10月12日 浅沼稲次郎社会党委員長、刺殺される。
12月8日 池田内閣成立。27日、国民所得倍増計画を決定。
また、この頃(年度不明) 日本平和委員会の常任理事になる。

1961 (昭和36) 30歳
2月1日 嶋中事件(「風流夢譚」事件)。
3月17日 新島ミサイル反対闘争で右翼と支援オルグ団が衝突。
4月19日 ライシャワー米大使着任。
9月16日 第2室戸台風
12月27日 中野区沼袋より都下保谷町上保谷に転居。以後2007年10月まで居住。

1962 (昭和37) 31歳
5月17日 サリドマイド販売停止
7月9-14日 モスクワで「全般的軍縮と平和のための世界大会」。日本から108名参加。吉川も日本代表団事務局員として参加。
10月22日 キューバ危機 28日 ソ連、キューバからミサイル撤去。

1963 (昭和38) 32歳
8月14日 部分的核実験停止条約調印。
8月5日 広島の第9回原水禁世界大会、社会党・総評系のボイコットで分裂。
8月15日 第1回全国戦没者追悼式。
8月28日 米、ワシントンで人種差別反対の20万人行進。
11月22日 ケネディ米大統領、ダラスで暗殺。

1964 (昭和39) 33歳
8月2日 トンキン湾事件
8月28日 第10回原水爆禁止世界大会での共産党の方針に反対して、平和委員会常任理事会で発言。
 平和委員会常任理事を罷免され、また同会から除名される。

10月1日 東海道新幹線開業。
10月10日 東京オリンピック開幕。
11月17日 公明党結成。

1965 (昭和40) 34歳
2月1日 原水爆禁止国民会議(原水禁)結成。
2月7日 米軍機、北ベトナム爆撃(北爆)開始
4月5日 日本共産党中央委員会から正式に除名の通知がくる。
4月24日 べ平連発足。このデモには参加していない。
6月    ヘルシンキ世界平和大会に日本代表団(団長=高橋正雄)の一員として参加。
6月22日 日韓基本条約に調印。
8月14日 べ平連の徹夜ティーチインにベトナムの地図を書いて協力。
11月16日 べ平連、米『ニューヨーク・タイムズ』にベトナム反戦の意見広告。
12月 べ平連事務局長の久保圭之介のあとを継いで事務局長をひきうける。
  以後のべ平連での活動は、べ平連ホームページの年表に譲る。詳しくは以下のサイト参照。 http://www.jca.apc.org/beheiren

1966 (昭和41) 35歳
志賀義雄、中野重治らの政治組織「日本のこえ」に参加。のち、いいだもも、白川真澄、樋口篤三、武藤一羊、栗原幸夫らと「共産主義労働者党」結成。参加。
 同党は 19  年に内部の意見対立が激化して分解。以後左翼政治党派には属さない。
8月    「ベトナムに平和を!日米市民会議」(東京)に参加。
8月18日 北京で紅衛兵100万人の集会。文革、中国全土に波及。
10月21日 総評など、ベトナム反戦のストライキ。

1967 (昭和42) 36歳
1月25日 べ平連、ジョーン・バエズとの集会。
2月11日 初の建国記念日
4月15日 東京都知事に美濃部亮吉当選。
5月2日 ストックホルムでラッセル、サルトルらのベトナム国際戦犯法廷開催。
7月23日 米、デトロイトで史上最大の黒人暴動。
8月1日 べ平連の「殺すな!バッジ」登場。
10月8日 第1次羽田事件、学生1名死亡。 11月12日 第2次羽田事件。
10月21日 米、ワシントンで10万人の反戦集会。
11月11日 由比忠之進、政府の北爆支持に抗議して首相官邸前で焼身自殺。
11月13日 べ平連、横須賀寄港の米空母イントレピッド号からの4水兵の脱走発表。28日、右翼、べ平連事務所を襲撃、破壊。

1968 (昭和43) 37歳
1月16日 米原子力空母エンタープライズ、佐世保寄港。エンプラ闘争。小田実氏と二人で、エンタープライズの周りを小船でまわり、脱走をよびかけたり、佐世保の町でデモをしたり。
3月 東京・王子の米軍野戦病院反対闘争激化。連日のようにデモに参加
3月16日 ソンミ事件。
4月4日 マーチン・ルーサー・キング牧師、暗殺。このころ脱走兵援助で大変
5月4日 パリで学生デモ。「5月革命」始まる。
6月15日 ベトナム反戦の市民の統一行動。
8月11日 京都で「反戦と変革に関する国際会議」開幕。
9月30日 日大で1万人の大衆団交。
11月5日 米脱走兵メイヤーズ、山口文憲、北海道で逮捕される。
12月10日 三億円強盗事件。

1969 (昭和44) 38歳
1月18日 東大安田講堂闘争。(神田カルチェラタン)
6月29日 新宿西口地下広場の反戦フォーク集会に 7,000人参加。
8月7-11日 大阪城公園で「反戦のための万国博」(ハンパク)開催。大テントの中で、日大全共闘や声なき声の会と大激論。
10月15日 全米で反戦デモ。
『週刊アンポ』創刊
11月1日 自衛隊佐渡基地で、小西誠三曹、反戦ビラを撒いて逮捕される。以後、新潟の小西裁判に、「小西反軍裁判支援委員会」の1員として、新潟地裁での公判傍聴のため、ほとんど毎回新潟通い。

1970 (昭和45) 39歳
3月14日 大阪で日本万国博覧会開幕。
3月31日 赤軍派、日航機よど号をハイジャック。北朝鮮へ。
4月 瀬戸市の名古屋学院大学講師となる(倫理学、外書講読、社会学ゼミ――ミニコミ論を担当)。72年3月に退職。
4月30日 米軍、カンボジア侵攻。
6月23日 日米安保条約、自動延長。
10月20日 コザ暴動。
11月25日 三島由紀夫、市ヶ谷自衛隊で自殺。
11月28日 チッソ株主総会に水俣病患者ら、1株主として出席。
この年、公害深刻化

1971 (昭和46) 40歳
2月22日 三里塚で第1次強制代執行。
5月    三菱重工株主総会に1株主として出席、右翼、総会屋から暴行を受ける。
6月17日 沖縄返還協定調印。
7月30日 全日空雫石事件。
11月30日 三菱重工株主総会で、また暴行を受ける。三菱製品、麒麟ビールなど個人ボイコットを始める
高見圭司が立候補した参議院選挙を支援。
$1=308
この頃、予備校の代々木ゼミナール講師(英語)となる。1998年12月まで在職。

1972 (昭和47) 41歳
2月19日 連合赤軍、浅間山荘事件。28日まで篭城。
2月25日 岩国に、べ平連の反戦スナック「ほびっと」開店。たびたび岩国通い。
4月4日 蓮見・西山両氏逮捕、「知る権利」問題化。
5月15日 沖縄施政権返還。沖縄県発足。
6月17日 米、ウォーターゲート事件発覚。
9月25日 田中角栄首相訪中、29日 日中共同声明調印。日中国交回復。
11月8日 相模補給廠からM48戦車、機動隊に守られて横浜に積み出される。それまで、たびたび相模原での運動に参加。

1973 (昭和48) 42歳
1月27日 ベトナム和平協定調印。
3月 共編『市民の暦』出版(朝日新聞社)
8月8日 東京で、金大中、KCIAに拉致される。
10月25日 石油ショック。

1974 (昭和49) 43歳
1月 べ平連解散。
3月10日 ルバング島で小野田寛郎元少尉救出。
4月 はじめて東南アジア諸国を回る (香港、タイ、シンガポール、ビルマ、インドネシア、フィリピン)。
7月7日 参議院選挙。与野党伯仲。立候補した三里塚の戸村一作落選。
10月 『文藝春秋』11月号、立花隆の「田中角栄研究」掲載。12月9日 田中内閣総辞職。
11月 旧べ平連の有志による「吉川勇一にカツラを贈る会」から、カツラを贈呈される。

1975 (昭和50) 44歳
4〜5月 日本文化界訪中団(団長=安藤彦太郎)の1員として、日高六郎、前田俊彦、福富節男らと訪中。
4月30日 南ベトナム、サイゴン政権降伏。
6月 テリー・ホイットモアの自伝『兄弟よ、俺はもう帰らない』の翻訳出版(時事通信社)。
7月19日 沖縄海洋博開幕。
8月 タイでの「アジア人会議」に日本代表の1員として参加。(代表団には、小田実、戸村一作、和田春樹、西川潤、李恢成、小中陽太郎らも)。
9月30日 天皇夫妻、初の訪米。

1976 (昭和51) 45歳
4月5日 天安門事件。
4月13日 カンボジアにポルポト政権樹立。大虐殺はじまる。
7月27日 ロッキード事件で田中逮捕。
9月9日 中国で、江青ら4人組逮捕。

1977 (昭和52) 46歳
参議院選挙に吉武輝子が立候補。
4月26日 中山千夏らの革新自由連合(革自連)発足。参加。
7月10日 第11回参議院選挙。立候補の吉武輝子、落選。
『週刊ピーナッツ』創刊。編集・執筆に協力。
9月28日 赤軍、パリゆき日航機ハイジャック事件(ダッカ空港)

1978 (昭和53) 47歳
3月26日 三里塚管制塔占拠闘争。5月20日、成田空港開港。
6月 ベトナム軍、カンボジアに侵攻。
8月12日 日中平和友好条約調印。
10月15日 前田俊彦氏の「三里塚瓢鰻亭」完成。この頃三里塚闘争にたびたび参加。
11月27日 ガイドライン安保決定。

1979 (昭和54) 48歳
2月 ウィリアム・ウォレン『失踪』の翻訳出版(時事通信社)。
2月11日 ホメイニ指導のイラン革命。
6月6日 元号法制化。
12月27日 ソ連軍、アフガニスタンに侵攻。

1980 (昭和55) 49歳
4月  日本ジャーナリスト専門学校(青地晨校長)の講師(英語)となる。85年3月に辞任。
6月22日 衆参同時選挙。自民党圧勝。参議院議員に中山千夏当選。
9月22日 ポーランドで自主労組「連帯」結成。
12月23日 「日本はこれでいいのか市民連合」(日市連)(代表=色川大吉・小田実)発足。最初から世話人として参加。

1981 (昭和56) 50歳
米原潜、鹿児島沖で貨物船「日昇丸」に衝突、沈没させる。

1982 (昭和57) 51歳
5月23日 反核東京行動。40万6千人が参加。
6月23日 東北新幹線開通
7月6日 中国政府、日本の教科書の「進出」記述など批判。
7月 共著『反核の論理』出版(柘植書房)
12月12日 パソコン初めて購入。(NECのPC-9800)
12月25日 時局協商懇談会発足。参加。(87年9月12日に解散。)

1983 (昭和58) 52歳
1月17日 中曽根首相訪米、18日 「日米は運命共同体」と表明。
3月8日 三里塚空港反対同盟、分裂。
6月26日 第13回参議院選挙。無党派市民連合で永六輔、前田俊彦氏ら立候補、敗北。
9月2日 第1回「ピースボート」出航。私はアメリカのビザを拒否され、乗船できず。(船が出てしまった後の 9月6日になって、ビザを発給される。)
10月3日 三宅島噴火
8月21日 フィリピンでアキノ暗殺。
9月1日 大韓航空機、ソ連に撃墜される。
10月12日 ロッキード事件の田中角栄被告に懲役4年の実刑判決。

1984 (昭和59) 53歳
3月7日 前田俊彦、近藤悠子氏らと三里塚一坪共有運動に対する中核派の暴行に抗議する共同声明。
5月15日 防衛費のGNP1%枠見直し作業に着手。
8月6日 スパイ防止法第3次案発表。
10月2日 父死亡(84歳)

1985 (昭和60) 54歳 
4月5日 「日本海アジア平和の船」計画の打ち合わせに、北朝鮮を初訪問。4月9日には中国訪問。
4月26日〜5月16日 日本海アジア平和の船(代表=岩井章、宇都宮徳馬、小田実)に参加、ソ連、北朝鮮、中国を訪問。(同行者には、吉岡忍、遠藤洋一、吉田嘉清、辻元清美らも)
8月12日 日航機墜落事件

1986 (昭和61) 55歳
1月21日 横浜市の「共学舎」で、成人のチューターを対象とした英語講座担当。
2月25日 フィリピンでアキノ大統領就任宣言。
3月20日 初めてパソコン通信にトライ。
4月26日 ソ連、チェルノブイリ原発事故。
7月6日 衆参同日選挙、自民圧勝。
9月6日 土井たか子、社会党委員長に当選。 
11月5日 はじめて自動車の運転免許をとる。

1987 (昭和62) 56歳
4月1日 国鉄、分割民営化。JR6社発足。
東京都知事選挙への小田実出馬の是非をめぐり、日市連の若手メンバーと対立。同会から離れる
4月11日 統一地方選挙
4月23日 防衛費、5.2%増でGNP1%枠を突破。
9月12日
11月6日 竹下政権発足
三宅島アクションボートに参加、三宅島の空港反対派を訪問。
この年、保谷市で住民の町づくりの組織、「保谷の衆のコーヒータイム」を結成、参加。

1988 (昭和63) 57歳
2月 小田実、中山千夏、福富節男らと「市民の意見30の会」を結成。
4月1日 東京の地価、前年比68.6%上昇。史上最高。
8月20日 イラン・イラク戦争終結
7月23日 自衛隊の潜水艦「なだしお」、釣り舟と衝突、30人死亡。
11月10日 自民党、消費税など単独強行採決。
10月1日 天皇の容態悪化。興行・宣伝などの自粛相次ぐ。

1989 (昭和64/平成1) 58歳
1月7日 天皇死亡。昭和→平成。
1月16日 『朝日新聞』全国版に「市民の意見30」の10ダン意見広告掲載。
2月24日 天皇大葬の礼。
4月1日 消費税スタート。
4月15日 中国の胡燿邦死亡。学生、天安門で追悼集会。6月4日、戦車等で制圧。
5月29日 五島列島にベトナム難民ら107人漂着。
7月23日 参議院選挙で与野党逆転。
11月9日 東独、ベルリンの壁を実質的に撤去。
11月21日 日本労働組合総連合(連合)発足。総評解散。

1990 (平成2) 59歳
1月18日 本島長崎市長、右翼に銃撃され、負傷。
2月12日 ソ連、大統領制
2〜3月 東欧の激変
7月 R・H・ヘイブンズ『海の向こうの火事』の翻訳出版(筑摩書房)。
8月2日 イラク軍、クウェートを制圧。
東西ドイツ統一
国連平和協力法
9月24日 金丸副総理ら自社両党代表団、北朝鮮を訪問。
11月12日 天皇即位の礼。
12月8日 湾岸戦争批判の意見広告を米『ニューヨーク・タイムズ』に掲載する運動開始。これを機会に「市民の意見30の会・東京」を結成。現在まで参加。

1991 (平成3) 60歳
1月17日 湾岸戦争開始。2月28日 戦争終結。
1月24日 政府、湾岸戦争支援の90億ドル追加支出決定。
3月18日 NYTに湾岸戦争批判の日本の市民の意見広告掲載。
7月1日 ワルシャワ条約機構解体。
7月 『吉川のベーシック英語』出版(代々木ライブラリー)。
8月19日 ソ連でクーデター。ゴルバチョフ大統領軟禁。
9月 『市民運動の宿題』(思想の科学社)出版
9月5日 膀胱にガンがみつかり、25日 東海大付属東京病院で手術。
11月17日 武藤一羊、花崎皋平とともに「トリオの還暦を祝う会」に招かれる。
11月27日 自民・公明両党、衆院国際平和協力委でPKO協力法案を強行議決。社会党は牛歩戦術で抵抗。12月10日 政府、PKO法の成立を断念。
12月1日 予備校講師を中心とした「PKO法案に反対し堂々と一歩を歩く教師の会」のデモ。500人参加。
12月 『「アメリカは正しい」か』出版(第三書館)
12月30日 ソ連邦解体。CIS成立。

1992 (平成4) 61歳
2月4日 膀胱ガンで膀胱全摘出の手術(身体障害者手帳第4級) 22日 退院
1〜6月  住宅改築 この頃、抗癌剤で困憊。
6月14日 衆院本会議でPKO法案可決、成立。
7月26日 第16回参議院選挙。立候補の内田雅敏弁護士落選。
9月17日 PKO部隊の自衛隊第1陣、呉港から出発。
11月8日 逗子市長選で米軍住宅反対派の女性市議が当選。

1993 (平成5) 62歳

  1月18日 『産経新聞』、べ平連がソ連KGBと接触との記事を大きく報道。
2月3〜4日 共産党の『赤旗』、吉川と吉田嘉清を批判する不破哲三の大論文掲載。
3月28日〜4月10日 元反戦脱走兵の黒人海兵隊員、テリー・ホイットモアをストックホルムから招待。各地で集会。
6月2日 『世界日報』が「吉川勇一はKGBのエージェントだった」という記事を報道。
8月6日 土井たか子、衆議院議長に。
8月9日 非自民6党連立の細川内閣発足。
7月6日 胃にガンがみつかる。8月11日 切除手術。体重62kg→47kg
12月27日 月刊『話の特集』に「ハゲもガンになるの記」掲載。好評。 

1994 (平成6) 63歳

  3月4日 参院本会議、小選挙区比例代表並立制の政治改革4法案を可決。
4月10日 「吉川さんの健康回復を嬉しく思う人びとのつどい」(福富節男氏らのよびかけ)に130名参加。
4月25日 はじめてのイレウス(腸閉塞)をおこす。その後、手術による癒着でイレウス(腸閉塞)の頻発。 
4月 共編『帰ってきた脱走兵』出版(第三書館)。著書『納得できる英文法』出版(研究社出版)。
7月8日 北朝鮮、金日成主席死亡。
6月30日 自・社・さきがけ連立の村山社会党首班内閣発足。
11月3日 『読売新聞』、独自の改憲試案を発表。
12月16日 鶴見良行氏急逝。大ショック。
この年、イレウス(腸閉塞)で入院3回。
 

1995 (平成7)  戦後50年   64歳
1月17日 阪神淡路大震災。死者 6,000人以上。
3月20日 オーム真理教による地下鉄サリン事件
3〜11月 『市民の意見30の会・東京ニュース」誌上で和田春樹氏と、平和運動の評価をめぐり、公開論争。
6月9日 衆議院の「戦後50年決議」
7月 『反戦平和の思想と運動』刊行(社会評論社)
8月15日 『朝日新聞』全国版に「戦後50年・市民の不戦宣言」の意見広告。
腸閉塞手術
8月29日 村山内閣、ゴラン高原への自衛隊派遣決定。
9月3日 日教組大会、君が代、日の丸など棚上げの大路線転換。
9月4日 沖縄で米兵による少女暴行事件。10月21日 抗議の県民大集会。

1996 (平成8) 65歳
1月11日 橋本龍太郎内閣発足。
父13回忌法要
9月8日 沖縄の基地賛否県民投票。賛成91.26%。
9月10日 保谷市の平和事業実行委員長となる。
つれあいの祐子胃潰瘍入院
12月8日 日米平和友好条約起草。
12月17日 ペルー日本大使館占拠事件。

1997 (平成9) 66歳
3月9日 保谷市平和事業実行委による平和集会。シンサーズのライブなど。
4月 インターネット上に「旧べ平連の資料」のホームページを開設。
4月1日 消費税、5%へ。
11月 デイヴ・デリンジャー自伝の翻訳『「アメリカ」が知らないアメリカ』出版(藤原書店)。
12月 デイヴ・デリンジャー夫妻来日
12月6日 米『ニューヨーク・タイムズ』に日米平和友好条約提案の意見広告掲載。

1998 (平成10) 67歳
8月15日 新ガイドラインを批判する「提言」発表。
8月19日 胃にポリープが見つかり、9月7日、入院手術。
12月17日 米軍、イラクをミサイル攻撃。
12月 27年つとめた予備校講師を退職。

1999 (平成11) 68歳
2月22日 この個人ホームページを開設
3月 『いい人はガンになる』出版(KSS出版)。14日の出版記念会(東京全日空ホテル)には210名の知人が参加。
3月24日 自衛隊初の海上警備行動。日本海での「不審船」に威嚇の実弾射撃、爆弾投下。NATO空軍、ユーゴスラビアに空爆開始。
4月4日 新ガイドライン関連法案反対の集会、デモに、母(87歳)、妹とともに参加。
4月27日 周辺事態法など、新ガイドライン関連法案、衆議院を通過。反対は、共産、社民、民主党。
5月24日 参議院本会議でも、自民、自由、公明の賛成で通過。民主党は、3法案のうち、「周辺事態安全確保法」にのみ反対。すべてに反対は、共産、社民両党。
7月22日 「国旗国歌法」が衆議院を通過、8月9日には参議院を通過、自民、自由、公明が賛成。社民、共産が反対、民主は自由投票で賛否は半分に割れる。
8月13日 「国旗国歌法」施行
11月5日 「日の丸・君が代」強制に反対する不服従運動を開始。その呼びかけ人になる。
11月13日 居住地の保谷市が田無市と合併する件につき、合併の是非を問う住民投票を求める保谷市民の会」を結成、直接請求運動をはじめることになる。その代表呼びかけ人になる。

2000 (平成12) 69歳

  1月6日 連れあいの祐子、インフルエンザ悪化で入院。以後重態の状態が4月まで続く。 一時は人工呼吸器をつけて、植物人間状態になる。
4月4日 住民投票を求める直接請求の本請求を、保谷市長に手交する。
4月 恵泉女学園大学非常勤講師となり、「アメリカとアジア」の講座をうけもつ。(2001年3月まで。そこで定年退職)
4月19日 保谷市議会、住民投票条例提案を否決。田無市も。
6月23日 祐子退院。(しかし、入院中にかかった真菌性眼内炎により半失明状態となる。8月に「介護保険」の「要介護1」と認定、ホームヘルパーの派遣を依頼。9月に「身障者手帳」第2級を交付される。これで夫婦ともに身障者手帳保持者。) 家中の廊下→浴室、トイレなどに手すりを張り巡らし、階段には、電動式の「階段昇降機」をとりつける。(この階段昇降機は、友人たちからのカンパで設置された。)以後、3度の炊事、病院への通院の介護などが続く。

2001 (平成13) 70歳
2月15日 保谷市と田無市とが合併。新市の名称は「西東京市」という最悪の名になる。
9月11日、アメリカ、ニューヨークなどで、ハイジャックされた民間航空機がビルに突入する連続テロ事件発生。
10月8日、アメリカとイギリス、アフガニスタンに報復攻撃を開始。
10月29日、自衛隊の戦時海外派遣を可能とする「テロ対策特別措置法」成立。
11月 ホーチミン市の戦争証跡博物館にベ平連など日本のベトナム反戦市民運動の資料を贈る運動をよびかける。(全部で200万を超える基金が集まる)

2002 (平成14) 71歳
2月26日〜3月5日 ホーチミン市の戦争証跡博物館に日本のベトナム反戦運動の資料を届けるため、ベトナムを初訪問。(小田実、遠藤洋一、東一邦、吉岡忍、和田春樹さんら31人のグループで)。27日、小田実、高橋武智さんとともに、友好団体連合会から「諸民族間の平和と友好メダル」を贈られる。3月1日、グエン・チ・ビン副大統領らと懇談。3月3日、ソンミ村訪問。
4月26日〜5月3日 ベトナム友好協会連合会とベトナム平和委員会の招待で、再度のベトナム訪問。(小田実、小中陽太郎、坂元良江、山口幸夫、鎌田慧、加納実紀代さんら19人のグループ)。各種団体幹部と懇談。ハノイのホーチミン廟 、クチの地下壕など見学。
5月〜 有事法制制定に反対する運動に参加。
9月17日 日朝首脳会談。小泉純一郎首相と金正一総書記が「日朝平壌宣言」に署名。金総書記は日本人拉致問題を認め、謝罪。
12月8日 旧ベトナム反戦市民運動参加者有志の呼びかけによる「殺すな!――ベトナム・アフガン・パレスチナ・イラク……と私たち」集会。アメリカによるイラク攻撃の危険性強まる。 全世界で反戦デモ広がる。
12月19日 韓国大統領選挙で「太陽政策」継承を主張する与党の盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏当選。

2003 (平成15) 72歳
1月18日 イラク攻撃反対の市民デモに参加(東京・日比谷)。以降、反戦デモ続く。 3月8日のデモ(日比谷→東京駅)には4万人が参加。4月5日は、激しい風雨の中をデモ。この日、米英軍、バクダッドに侵攻。
3月20日 米英軍によるイラクへの攻撃開始。小泉首相、直ちにそれを支持。夜、アメリカ大使館前での抗議行動に参加。
5月3日 立川市の憲法記念日市民集会で講演。
5月4日 『毎日新聞』全国版にイラク戦争反対、有事関連3法案反対の全面意見広告を掲載。その事務局を担当。
6月6日 武力攻撃事態対処法、改正自衛隊法、改正安全保障会議設置法の有事法制3法が成立。与党3党と民主、自由両党など出席議員235人(棄権1人)のうち202人が賛成、共産、社民両党は反対。7月26日には、イラクへの自衛隊派遣を決め る「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」(イラク特措法)、自民、公明、保守新の3党の賛成で成立。
9〜11月 しばらくおこらなかったイレウスが3度も起こり、入院、通院を繰り返すことになる。
11月9日 衆議院議員選挙。マスコミの「二大政党化時代」という世論誘導がひどい。自民/公明の与党連合は安定過半数、民主党はかなりの増加、共産党と社民党は半減以下に縮小。
13 社民党の土井たか子党首、辞任。後任は福島瑞穂氏。
●この月、イラク各地で米軍、その他派遣軍や国連、赤十字などに対する攻撃が激化。戦死者数激増。イラク戦争はベトナム戦争化する。
11月30日、イラクで日本大使館員ら3名、殺される。
12月9日 内閣、イラクへの自衛隊派遣の基本計画を決定。
12月10日 『朝日新聞』「声」欄に投稿掲載される。
12月14日 フセイン元イラク大統領、米軍に拘束される。
12月25日 航空自衛隊先遣隊イラク派兵の前日、市民の意見30の会緊急行動、宗教者平和ネットなどの市民グループ、150人で防衛庁へ派兵撤回の申し入れ行動。 私も参加。(右の写真の中央)

2004 (平成16) 73歳
1月15日 『朝日新聞』全国版、『北海道新聞』にイラク派兵反対、憲法改悪反対、市民の戦争非協力の宣言の全面意見広告掲載。賛同団体・賛同者数5,000以上、募金額約3000万という前例のない反響。掲載名簿の整理を手伝い、締切日前日の11日は完全徹夜作業。いささか体力に自信を取り戻したように思えた。
1月16日 陸上自衛隊先遣隊、イラクに向け出発。17日は、防衛庁への抗議申し入れデモに参加。
2月7日 月刊誌『論座』3月号に拙論「デモとパレードとピースウォーク」掲載。以後、論議を呼ぶ。
2月27日 立川の自衛隊監視テント村の活動家3人が、自衛隊官舎にビラを撒いたのが住居侵入に当たるとして事後逮捕。以後75日間も拘留される。→ 12/16無罪判決
3月11日 スペイン、マドリードの3駅で列車爆発、約00人死亡。アルカイダが実行を認める。14日の総選挙で、イラク撤退を公約した野党が勝利。
4月8日 委託で日本人ボランティア活動家、高遠菜穂子さんら3人を武装勢力が拘束。15日に解放される。14日にもフリージャーナリストら2人が拘束されるが17日に解放される。
4月 公共哲学研究会の公開討論会「世代間の対話を求めて」にパネリストして参加。小林正弥さんとの議論はじまる
4月28日 イラク・アブグレイブ刑務所で拘置中のイラク人への米兵による虐待行為が発覚。
5月22日 小泉首相、2度目の訪朝。金正日総書記と会談。拉致被害者の蓮池さんら計5人が帰国。
5月27日 イラクで二人の日本人ジャーナリスト、橋田信介さん、小川功太郎さんとイラク人通訳の計三人が殺害される。
6月10日 小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔さんら9人による「9条の会」発足。その後の各地の講演会は大盛況となる。、
6月28日 イラク暫定占領当局、イラクの主権をイラク暫定政府に「移譲」して解散。
7月11日 参議院選挙。マスコミは2大政党制をあおる。自民党、改選議席を下回る49。民主は50議席獲得。共産、社民は大後退。
8月6日 『毎日新聞』全国版、『河北新報』、『東奥日報』にイラク派兵反対、憲法改悪反対の全面意見広告掲載。
8月9日 福井県美浜原発で配管破裂・蒸気噴出事故、作業員5人が犠牲。
夏〜秋 大型台風が数次にわたり日本に上陸、各地で被害甚大。年間で10個の上陸。過去最多。10月20日の23号では死者・行方不明者90人以上。
8月20日 連れ合いの在宅酸素療法始まる。
9月1〜3日 ロシア南部でチェチェン独立を求める武装集団による学校占拠。児童ら1000人以上が監禁。ロシア特殊部隊が突入、制圧。児童ら300人以上が犠牲となる。
10月6日 米政府調査団、イラクに大量破壊兵器はなかったとする最終報告を発表。
10月23日 新潟県中越地域で大地震発生。死者40人以上、被害甚大。10万人以上が避難所生活。農林水産業の被害金額は1305億円で、阪神大震災を上回る。
10月31日 イラクで「武装グループ」の人質になっていた日本人旅行者、香田証生さんの死体発見。また、サマーワの自衛隊基地へのロケット弾攻撃が続発するなど、イラクの治安ますます悪化。11月には、米軍が中部のファルージャを総攻撃。市民の犠牲者多数。
11月3日 米大統領選。ブッシュ、民主党のケリー上院議員を破って再選。
11月11日 ヤセル・アラファト・パレスチナ自治政府議長死去。75歳。
11月12日 自衛隊イラク派兵延長反対の防衛庁へのデモに参加。
12月7日 電動車椅子、我が家に到着。連れ合いの運転練習はじまる。
12月9日 政府、自衛隊のイラク派兵1年間延長を決定。
12月16日 立川テント村ビラ弾圧事件の裁判で、八王子地裁が無罪判決。
12月26日 スマトラ島沖でマグニチュード9.0の大地震。インド洋沿岸諸国を大津浪が襲い、死者は15万人以上、被災者は数百万人に及ぶ。津波被害としては20世紀以降最大級。

2005 (平成17) 74歳
2月9日 私の不注意から、ガスレンジにかけていたフライパンの油が引火し、小火を起こす。幸い、消火できたが、家中煤だらけ。天井や壁の張替え、清掃に1ヵ月ほどかかる。
4月25日 JR西日本宝塚線の尼崎・塚口間で脱線事故。電車はマンションに激突、多数の死傷者が出る。
5月3日 『朝日新聞』と『毎日新聞』の全国版に、「九条実現」の全面意見広告掲載。
6月7日 午後3時50分、妻、祐子、急性心不全にて死亡。74歳。(写真は2005年3月撮影) 通夜は翌8日夜、葬儀は9日昼、西東京市の総持寺、大日堂にて、無宗教形式で行なわれる。 「香典返し」をせず、その分は市民の意見30の会・東京に寄贈。
9月10日 「障害者患者九条の会」発足集会。(私も呼びかけ人)
9月11日 衆議院議員選挙。自民圧勝。 与党327で衆院の2/3を超す。(自民 296 民主 113 公明 31 共産 9 社民 7 国民新党 4 新党日本 1 諸派 1 無所属 18〈うち自民系 14〉)
12月17日 深夜、ひさしぶりにイレウスが再訪。次第に激痛となり、18日早朝、救急車で入院。幸い、軽度の症状で、3日後に退院。

2006 (平成18) 75歳
3月2日 『朝日新聞』夕刊に連載中の「ニッポン人脈記」で、私と祐子のことがとりあげられる。
3月18日 イラク派兵反対のWorld Peace Now 主催のデモに参加。
4月1日 『市民の意見30の会・東京ニュース』No.95発行。この号をもって、『ニュース』の編集担当を辞任。
5月3日 『読売新聞』全国版、『沖縄タイムス』、『琉球新聞』に「九条実現」の全面意見広告掲載。
9月26日 安倍晋三内閣成立
12月15日 参議院本会議で教育基本法の改悪、強行採決。成立。(施行は12月22日)
12月24日 西東京市市議会議員選挙。私の推薦した森輝雄さん、最高位当選。

2007 (平成19) 76歳
1月9日 防衛省発足。
1月10日 夜(日本時間11日午前)、ブッシュ米大統領、「イラク新戦略」だとして、イラク派遣米軍約2万1000人増派など表明。
3月18日 沖縄・慶良間列島沖に祐子の散骨。(右の写真)
4月8日  東京都知事選挙で、石原慎太郎氏当選。
4月13日 国民投票法案――「日本国憲法の改正手続に関する法律案」が衆議院憲法調査特別委員会で自民・公明の賛成多数で可決され、翌13日に衆議院本会議で可決、参議院に送られた。
4月17日 伊藤一長・長崎市長(61) 、銃撃され重態。のち死亡。
5月3日 『朝日新聞』全国版、『中国新聞』、『東京新聞』に「九条実現」の全面意見広告掲載。
5月7日 小田実さん、重度の胃がんで入院、化学療法。
5月14日 改憲手続法――国民投票法が自民・公明の賛成で成立。
7月29日 参議院議員選挙。自民党大敗。
7月30日 小田実さん逝去。75歳。8月4日に葬儀。弔辞を読む。その後、追悼デモ(青山葬儀所→青葉公園、300人)に参加(右の写真、右は鶴見俊輔さん。撮影=島川雅史さん)
9月26日 安倍内閣総辞職、福田康夫内閣:発足。
10月3〜5日 1961年暮れ以来住んでいた保谷の土地、建物を売却、同市内の賃
貸マンションに転居。念願の電子ピアノを購入。(右の写真)

2008 (平成20) 77歳
3月16日 東京・青山で「吉川勇一さん 人生の新ステージ 七七歳を祝う会」。170人が参加くださる。同日、著書『民衆を信ぜず、民衆を信じる――「ベ平連」から「市民の意見30」へ』(第三書館)刊行。
4月6日 防衛省包囲の人間の鎖行動(08/04/06)に参加。(右の写真)
4月8日 「読売新聞」の憲法世論調査で、改憲賛成が42.5%で、反対の43.1%を下回る。
4月11日 最高裁第二小法廷は、立川反戦ビラ入れ裁判の高裁判決を支持して、上告棄却の判決。
5月3日 反改憲の意見広告、
『読売新聞』の全国版と、『西日本新聞』、『東京新聞』の3紙に2色刷りで掲載。
8月23日 名古屋学院大学の旧吉川ゼミの教え子たち(還暦となる)の懇親会に参加。
9月はじめ 髭を伸ばし始める。
9月24日 福田内閣総辞職。麻生太郎内閣発足。
10月13日 久しぶりにイレウス再訪。3日間、入院加療。
10月25〜27日 沖縄・慶良間諸島沖の祐子の散骨場所を再訪。
10月31日 航空自衛隊の田母神俊雄航空幕僚長が「日本が侵略国家は濡れ衣」などとする論文を執筆、浜田靖一防衛相が更迭を表明。退職となるが、退職金6,000万円!
11月4日 米大統領選挙で、民主党のバラク・オバマ候補が圧勝。
11〜12月 立て続けにまたイレウス(腸閉塞)にみまわれ、緊急入院、5日間。
12月 肺のCTスキャンで、またも肺がんらしきものが見つかり、2月まで待って再度検査の結果、判定するとのこと。

2009年(平成21) 78歳
2月8〜13日 またイレウスで入院。
2月25日 肺のCTスキャン検査で、肺ガンではないとの最終診断が出る。
4月1日 運転免許証更新。
6月2日 脳梗塞で救急車で入院。15日に退院。手足などの運動や車の運転などには不自由はないが、失語症の影響があり、11月までリハビリを続ける。 入院中に昨年から伸ばした髭を切る。
9月16日 
民主党の鳩山由紀夫内閣発足。

2010年(平成22) 79歳
2月15日 三鷹・武蔵野反安保ちょうちんデモの第700回。寒い雨の中を参加する。
5月3日 反改憲の意見広告、『読売新聞』の全国版と、『西日本新聞 』に2色刷りで掲載。
5月28日、6月4日 慶應義塾大学の高草木光一教授の授業で、「原水爆禁止運動からベ平連」という授業を4コマ担当する。
6月2日 社民党の分離問題で鳩山首相が辞表、8日菅直人内閣発足。

6月16日 市民の意見30の会・東京主催の「
60年安保闘争」50年・ベトナム解放35年 池澤夏樹・吉川勇一講演会 」で講演。(東京・千駄ヶ谷区民会館)(右の写真)
7月11日 参議院議員選挙。参議院では衆議院と「ねじれ」となり、自民党が最大党派になる。
7月22日 連日酷暑。多治見市では39.4℃。熱中症で65歳以上の高齢者の死者が30年前の6倍という。
8月6日 ヒロシマ記念日に、菅首相は記者会見で「核抑止力はわが国にとって必要だ」と発表。
9月24日 那覇検察局は、尖閣諸島沖での衝突中国漁船長を「処分保留」で釈放。中国側からは依然として強行態度。
10月1日 タバコ代が大幅に値上げ!
10月9日 主婦会館で「高木仁三郎没後10年の集い 希望へと歩みつづける」が満員集会。私も3分間、反安保闘争についてスピーチ。
11月23日 韓国領の延坪島(ヨンビョン)に、北朝鮮軍艦が砲撃。韓国軍人、民間人らにかなりの死傷が出る。
12月26日 西東京市の市議員選挙。私の推薦する森輝雄さんが最高点当選。

2011年(平成23) 80歳
2月21日 リビアでカダフィ大佐独裁への暴動状況が発生、内乱状態。

2月25日 岩波書店から、高草木光一編集、吉川勇一
・原田正純・最首悟・山口幸夫共著『一九六〇年代 未来へつづく思想』¥2,500 +税)刊行。(右の写真)
3月11日 東日本大地震。東北地方各県、関東北部などに大規模な地震と津波。被害・死傷者多数。福島県第一原発が地震と津波のために破壊。放射能影響で大規模の被害。私の部屋もスライド書棚などが倒壊など、被害が出る。福島県の楢葉町にいる実弟と長男とは自宅から避難をせざるをえなくなる。都内ではほとんどの電車など交通手段がストップする。
3月15日 福島第一原発の2号機、炉心溶融で高濃度の放射能が放出される。都内では計画停電が実行される。
4月11日 都知事選挙。石原慎太郎が当選。地方自治体選挙では全国的に民主党の支持が激減する。
5月3日 『朝日新聞』全国版、『河北新報』、『福島民報』に反改憲の意見広告掲載。反原発の主張も。
5月6日 菅首相、中部電力の静岡県浜岡原発の原子炉停止を要請。5月9日に中部電力は停止を決定。
5月15日 母が有料老人ホームに入所する。私もその老人ホームへの入所を申し込む。

5月29日 「原発いらない西東京集会・デモ」。雨だったが、集会に参加。デモは一部参加。

6月11日 各地での反原発集会、デモ。私も新宿駅前の集会に参加。(右の写真)
6月17日 市民の意見30の会・東京での事務局会議で、会の事務分担・代表資格などの辞退を提案。以後の「代表委員制」の一人に残ることを別とし、あとのほとんどの実務の辞退が承認される。
9月18日 
脱原発の9.18西東京集会・デモに参加。
9月19日 
大江健三郎、鎌田慧、澤地久枝さんらが呼びかけ人の「さようなら原発1000万人アクション」の9.19反原発集会に参加。数万人が参加の大規模なデモ。主催者の発表では6万人。
10月29日 東京・文京市民センターで、「
吉川勇一さん・武藤一羊さんの80+80=160歳を祝う会」が開催され、約150人の方がご参加。ここをクリックしてください。
12月4日 西東京市で4回目の「原発はいらない集会&デモ」参加。

2012年(平成24) 81歳
1月18日 母が白寿(満99歳)になる。足腰は悪くなるが、頭はまだ元気。
1月19日 横須賀の神奈川県立近代美術館で開催された「ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト」展を観る。

2月18日 西東京市柳沢公民館での柳田真さんの講演会「東京電力福島第一原発事故から1年」に参加
2月26日 西東京市での第5回目の反原発デモ西東京市役所田無庁舎市民広場から西武柳沢駅周辺しじゅうから公園へ)に参加
3月8日 
運転免許証をあと3年間延長の検査、許可証発行。
3月11日 
3・11から1周年、国会議事堂を取り巻くデモに参加。(右の写真の左端は坂元良枝さん、その右が私、右端は神戸から参加した海老坂武さん)
5月3日 市民の意見30の会・東京と市民意見広告運動が、今年も『朝日新聞』全国版、『琉球新報』、『東京新聞』に反改憲の意見広告掲載。今年は、賛同者の氏名の掲載をやめ、多くの人が書いた「命」という文字をレイアウトした広告になる。伊勢藤 - 外観写真:(左をクリックすると大きな意見広告を見ることができます。)
5月16日 久しぶりに神楽坂の「伊勢藤」(右の写真)でお酒。
ここをクリックしてください。
6月15日 「声なき声の会」の6・15集会に参加し、その後、国会南通用門前で樺美智子さんへの献花
7月14日 東京YMCA
アジア青少年センターシンポジウム「小田実のデ モクラシーと希望」。夜の「小田実没後5年 偲ぶ会」にも参加ここをクリックしてください。
7月15日 団地の自治会が主催する「夏祭り」に参加。
7月16日 東京・代々木公園での
さようなら原発10万人集会」に参加。主催者は17万人参加と発表しているが? ここをクリックしてください。
7月29日 東京・日比谷公園からの反原発のデ モに参加。(右の写真) ここをクリックしてください。 反原発の大きなデモや西東京市での地元デモにはなるべく全部に参加するようにしているが、やはり全部を歩き通すのはかなり疲れてきつい。デモの途中で抜けることもある。