77 2012年7月半ばを過ぎ、梅雨も開けて。 (2012年07月19日  掲載)  

 数日前、ある集会で知人から、このサイトに7月の半ばなのに何も載っていないので、健康を心配していた、などと言われてしまいました。病気でサイトに手を入れられなかったのではなく、ここのところ忙しすぎて、時間がありませんでした。ご心配をして下さった方には申し訳ありませんでした。 九州各地などでは、ひどい豪雨で死者も多数出ておりますが、東京は梅雨も開けて、毎日酷暑の日が続いています。疲れた日々ではありますが、どうやら動いています。今月からの報告、いろいろと並べることにいたします。                         

 
7.16さようなら原発10万人集会のこと まず 今月前半中で一番大きなことといえば、なんといっても16日の大集会・デモでした。参加された方も多くいらっしゃるでしょう。報道もずいぶん出され、迫力のある動画もたくさんありますので、いちいち経過は必要ないでしょう。主催者は17万人の参加だと言っています。確かに多数の参加者でした。最近では、イラク反戦の参加者をはるかに上回っていました。人数が多くさえ あればいいというわけではないはずですが、一部の人が、戦後最大とか、60年安保闘争を超えたという人もいるようです。しかし、それは事実と違うようでしょう。60年安保では以下のような記録があります。「6月11日(土)第18次統一行動、全国三六六ヵ所に二五〇万人参加。国会デモ二三万五千人、「声なき声」の会、同グループも参加。」「6月18日(土) 岸内閣打倒、国会解散、安保阻止、不当弾圧抗議国民大会、のち深夜にかけて国会デモ(三十三万人)」(以上は臼井吉見編『安保・1960』(1969年 筑摩書房刊)の荒瀬豊作成の「日録」)。
 
今度のデモは、これまでとはだいぶ違っていたという意見もいろいろ出されています。たとえば6月29日の首相官邸へのデモについての
鳥越俊太郎の解説(TVアサヒ、報道ステーション)は、現在のデモに団体の旗がまったくなくなっているという評価がありました。しかし7・16のデモではかなり多数の旗や団体の 幟がありました。また、60年安保やその後のベトナム反戦デモなどと違うとして、非暴力行動であること、火炎瓶闘争や機動隊との激突はないという指摘もあちこちで言われています。確かに、火炎瓶闘争はなく、機動隊との激突もありませんが、しかし、警察からの規制におとなしく従っていること、歩道の上だけにとどまって車道でデモはしないこと、また、ジグザク デモもないことなどが、非暴力行動のやり方だとされているのでしたら、それは間違いでしょう。イラク反戦のなかで、「もう『デモ』とは言わない」「今はパレードやピースウォークというのだ」という主張が強く出されていました 。この日の主催者のチラシには、やはり「パレードコース」などと書かれてありましたが、しかし、最近は「デモ」という言葉が、参加者も、マスコミもふたたび普通に使われるようになりました。それはなぜなのか。 また、連日のようの首相官邸付近のデモで、歩道のごく一部に留められている現在の警察の規制は、どこかで破られ、車道をいっぱいになるようなデモになることもあるのではなかろうか、と 私は思うのですが、それは非暴力でなくなるなどということでは ないはずです。非暴力と対立ありえない市民的不服従の行動がもっと能動化される必要があるでしょう。これらの問題は、今後、運動の中で、十分に議論し、整理される必要があると思います。 最近NHKブックスから出された五野井郁夫『「デモ」とは何か――変貌する直接民主主義』は、1979年生まれというとても若い研究者のですが、小熊英二の『1968』に詳述があるためか、ベ平連などのデモの検討、分析はあまり深くなく、今後の努力に期待したいと思っています。
 それにしても、この日も好天というよりは激暑という日でした。何万の会場の中で、仲間の「市民の意見30の会・東京」のグループにたどり着くだけで大変でした(右の写真が仲間たち)。高橋武智さんは、ついにどうしても一緒になれなかったと伝えてきました。私も最後までデモに参加はせず、歩き出すところで失礼しました。とにかく、それから車を置いてあった渋谷の駐車場に戻るまで会場にあふれている参加者の中を歩くだけで大変でした。熱中症にならずにたどれたところでやっとでした。

 小田実さんの没後5年のシンポジウムと偲ぶ会 このデモの2日前の14日(土)、東京・水道橋のYMCAアジア青少年センターで、シンポジウム「小田実のデモクラシーと希望」が開かれました。子安宣邦さん、島本慈子さん、山口幸夫さん(右の写真)、玄順恵さん報告があり、200人弱の参加者が集まりました( 左の写真)。シンポのあとは、同じ会館の2階のレストランアリアンで「偲ぶ会」のパーティがありました。シンポは午後1時半からで、パーティが終わったのが8時過ぎでしたから、これも年配には辛い時間ではありました。
 パーティでの挨拶で、私も発言させられました。以下のようの話をしました。(右の写真の右、吉田和雄さん撮影)
 ……
小田さんが点鬼簿に入ったわけですが、彼にしても、私の連れ合いにしても、ある意味では羨ましいところがあります。というのは、点鬼簿に入った人はその 時点で歳を止まっていられます。小田さんは今も75歳です。こっちはどんどん歳をとり、ろくなことがありません。私は2年前のこの会の集まりでは、脳梗塞で話もうまくできなくなりました 、とお知らせしたのでした。毎年、この集まりに参加し、ここでの講演もされた数学者の 福富節男さんも、この4月、やはり脳梗塞になって現在リハビリ中で、今日は参加できずにいます。でも、小田さんは、彼の小説も、彼の評論も、そして優れた運動の教訓も、3・11の中で活き活きと75歳の小田さんとして受け取られています。羨ましいとは、その意味です。…… 
 なお、その話の中で、最近受け取った色川大吉さんの文章にあった鶴見良行さんと小田実さんの話の一部を紹介しました。小田さんについての高く評価した部分のほかに、思想や行動の話ではな
いのですが、面白いエピソードでしたので、その部分も読んでみ たのです。以下のとおりです。
 ……
小田が玄順恵と結婚するとき、「きみは代表なのだから、式にきて挨拶をしてくれないか」と頼まれたことがある。「神戸まで行く余裕がない、祝電を打つから」と断ってしまったが、悪いことをした。小田はめずらしく遠慮しながら小声で懇願したのに。神戸への日帰りぐらいなんでもなかったはずなのに。順恵に惚れてい た小田は傷ついたろう。……
 なお、この集まりには、2日後の10万人デモへの参加とつないで、市民の意見30の北川靖一郎事務局長や、もと佐世保ベ平連の濱田亮典・滋子夫妻らも参加されていました(右の写真の 左の右側3人、左端は社民党党首の福島みずほさん)

 ベランダの鳩と花 前号の本欄76号で、ベランダの上に鳩の巣が作られ、雛2羽が生まれたという報告を載せました。それが生まれて約1月が経て、ついに翔び出すことになりました。ひと月の経過の写真をご紹介します。
   
 

 

 

 

 

  
 

 

 

 


 一番左が6月1日の写真、その右二つは11日、4枚めが23日、そして5枚めが7月1日、全部同じ雛の写真ですよ。そして、この7月1日に翔べることになれましたので、やっと、汚い巣の除去にとりかかりました。とにかく、鳩の巣というのはツバメの巣のような芸術的なものではなく、一番左の写真でわかるように、ただ枝の小切れを重ねてあるだけ。そして雛の糞 だけではなく、親鳩の糞もベランダのあちこちに散らかせたままですので、小さな虫がいっぱい集まり、とにかく汚くて臭くて、窓を開けられなかったのです。しかし、雛が生まれてしまった以上、叩きだして巣を壊すわけにもゆかず、ただ雛が飛び出すのを待っていました。そして、ついに7月1日に雛が翔ぶことになったので、一挙に巣を除去し、ベランダにこびりついた糞などを 削り、水をかけ、やっと綺麗にしてもらいました。してもらい、というのは、私が自分ではとてもできそうもなく、危ないこの狭いベランダに出て掃除をするのは危なく、若い知人に来て、全部助けてもらったのです。彼は窓ガラスまで綺麗に拭いてくれました。そして、それ以後、鳩が集まらないように、トゲトゲのついたプラスチックの鳩阻害用セットを買ってきて、これもベランダの手摺の上や下につけてもらいました。私がやったことは、その下にきれいな花鉢を買って並べたぐらいのものでした(一番右の写真)。そして、やっとすっきりなったベランダには、その翌日、鳩はまったく来なくなりました。
 これで鳩公害から助かったと思ったのでしたが、実はそれで終わりにはなりませんでした。セットを売った店員は、このトゲトゲで鳩は留められないようになる、と言っていたのですが、鳩が来なくなったのは翌日1日だけ! 何とその次の日、このトゲトゲの間に脚を入れて、ベランダの上に留っているではないですか! 花の鉢のまわりには、もう糞もついています。窓を開けて音を出すと、鳩は逃げますが、またしばらくすると戻ってくるのです。ま、鳩にしてみれば、このベランダは吾が生まれの故郷の場所で、戻りたいのは当然なのでしょう。しかし、私としては、成長して飛べるようになるまでは我慢しておいてきたのだから、もう先は汚くしないようにしてもらいたいのです。それで、網戸だけにして窓を開け、その中に蝿や蚊を殺す「アース」の噴射用の缶を置いておき、鳩が止まったら、この噴射を鳩に向けてシューっと吹くのです。鳩はすぐ逃げます。またしばらくすると鳩が来ます。私はシューッとやります。もう鳩と私との我慢比べです。どうやら、だんだん、鳩の来る度数が減っており、一日に一度か、二度くらいしか来ないようになったようです。さて、これからどうなるでしょうか。
 以上が、このひと月の間の、平和の象徴とに対する、私の闘いの次第報告でした。

  お盆の墓参と団地自治会の夏祭りなど

 毎年の例年ですが、15日(日)にお盆の墓参に、小平の霊園に行って来ました。さすがに99歳半になった母は来れられなくなったのですが、私をトップにした男3人、女3人の弟妹全6人が、みな参加できたのでした。またその日の夕方からは、私の部屋からすぐ下に見渡せる公園で、団地の自治会が主催する「夏祭り」がありました( 左の写真)。自治会から渡される券で、缶ビールや、味噌おでん、焼き鳥、焼きそばなどが入手でき、また子供たち用の小さなオモチャの店も出されています(右の写真の 左)。そして、中心の出し物、「保谷和太鼓」の演奏が行なわれます。これはなかなか見事なもので、評判が高く、毎年の夏祭りに出演されています(右の写真の右)。 
 7日の土曜には、調布市に新設された老人ホームの現場見学に出かけました。いずれ、今のマンションを離れ、食事の料理をはじめ、日常の世話をしてくれる老人ホームのどこかに入らなければなりません。長くてもあと2年ぐらいのうちでしょう。この日に行ったホームは一部屋25.17ヘクタールで、中に、バス、トイレのほか、単純な料理も作れるミニキッチン、そして洗濯機を置く場所もあるのです。 月額利用料は187,000円、別に食費は三食全部なら40,950円(とらないことも可能、部屋ごとの電気・水道費は別)なのですが、敷金がゼロなのです。これまでいろいろ調べてみましたが、今度見てきたホームが、私の今の条件では、一番いいのではないかと思ったのでした。こういうホームに移動する準備は、もうはじめなければならないでしょう。まずは膨大な書物や書類などの処分でしょう。わりと大きなボーズのスピーカーを含むオーディオのセットも、デッキ類だけで13もあり、その他、これまでの人生の中にかき集めた大小の品物を、ほとんど全部処分せざるをえないでしょう。それにはおそらく1年以上がかかるのだろうと思っています。

忙しかった7月前半 鳩の巣の掃除をやったのが7月2日でした。老人ホームを見に行ったのが7日、そして、14日の小田さんの会、15日の墓参と夏祭り、16日の10万人デモまでの間に、病院や医院への通いがありました。緑内障の治療の眼科医院、胃がんの切除をした病院外科でのエコー検査、膀胱切除をした病院泌尿科の検査、胃と食道の検査の病院内科、そして日常を診てくれる近くの かかりつけ医師の検査……と、この間に6回も医師のところに出かけたのでした。そして、市民の意見30の会の事務局会議への参加、同会の機関誌への原稿2点の作文もありました。というわけで、最初に書きましたように、結構忙しかった時期で、このサイトに手を入れられなかったのでした。失礼しました。以上を書くのもあまり楽ではなく、十分に読みなおしてありません。おかしい表現もあるかもしれません。お許し下さい。