94 知人の葬儀や故人の偲ぶ会など、辛い集まりが続いています。(2013年09月2日 掲載) 

 腰痛は続いています: 前号でお伝えした私の腰痛は、依然として続いており、痛み止めの薬や腰への塗り薬などで治したいと思っていますが、相変わらず痛みは残り、歩けないわけではありませんが、50歩も進むと痛 みが強くなり、止まって少し休むことが必要になったり、 ま たまさに年寄りそのもののように、腰から曲がってしまい、前の下だけを見ているような姿勢になってしまいます。辛いのは、例えば5kgの米を買ってくるような、重いものを持ち歩くことと、食事の後の食器洗いでキッチンの流しの前で腰を曲げている仕事の時です。 毎週2日に整体クリニックでリハビリをしてもらっていますが、ひたすら我慢して時を待つしかないようです。以下も、あまりいい話ではないのですが……。
 「いい人」が次々増えています: ここのところ、私よりもずっと若い仲間の中に、「いい人」つまり、ガンが見つかる人がかなり増えています。すでにご承知のことはあるかと思いますが、以前、埼玉べ平連の活動家 だった東一邦さん、 新宿の「模索舎」の代表だった五味正彦さん、岩国での「ほびっと」のマネジャーだった作家の中川六平さんなどで、入院中、あるいは制癌剤での治療中です。いずれも、気分を元気でガンと付き合っているようですが……。
 知人の葬儀や故人の偲ぶ会: このところ、 知人の葬儀や故人の偲ぶ会などの集まりが続いています。
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「ご案内」でお知らせした
戸井十月の新たな旅立ちを見送る会は、825日(日)の午後、東京・新宿区の千日谷会堂で行なわれ、参加して


  「島を買ってきたから。」
  ある朝、家のベランダから新宿の高層ビルを眺めながら、戸井さんが言いました。
  「え?・・・」私もそれだけ答え、戸井さんもそれだけだったように思いだします。

     『Fiji−南の島の物語』より
       「もしよかったら、島の一部を譲りますから、‥」
        私は思わず身を乗り出していた。その夜、砂浜に張ったテントの中で私はあれこれ考えた。
        かくして、南太平洋の島に家を建てて暮らすという、嘘のような話が現実となったのだ。
        自然に抱かれて自分の時間を生きる人々を訪ねる旅の最後に、思ってもいなかったオマケ
        がついてしまったのである。

  戸井さんの生き方のほんの一部です。
  戸井さんが決めることは夢であり、時間がかかってもその夢は必ず実現してしまった。
  夢にまわりの人達をまきこんで。そして、まわりは戸惑いました。
  今、私たちはまだ戸惑いながら夢をみているようです。
  また・・、十月に、やられた・・・ね。

                                                         戸井鈴子

               十月さんの骨は、フィジーの小さな家から見える南の海の白い砂島に散骨します。
 

きました。さすがに広い範囲の活動の戸井さんだけに、さまざまの階層から300人ほどかと思えた多数の参加者でした。 集まりででは、戸井夫人の鈴子さんから上右のようなカードと、戸井さんの写真のはがき6枚を頂きました。2枚の写真もご紹介します。写真の左は、at La Higuera/Bolivia 2005 by Yuji Miyazaki、右は Across Tian Shan Mtn./Kirgyz 2009 by Yuji Miyazaki です。
 毎年の春と秋に山梨県の忍野村忍草で、かつての反戦運動活動関係者の泊まりこみの集まりがあり、その中心の一人が戸井さんでしたが、この集まりに来るメンバーの多くのメンバーは、この集まりのあと、新宿で戸井さんを偲ぶ二次会がありました。私は残念ながら、腰の痛みがあるので参加は失礼しました。
 故大島孝一さんの逝去から満1年になる8月31日には、新宿の日本基督教団信濃町教会で「大島孝一先生記念会」が開かれ、ご家族の方も含め、知人70人の方が参加しました
(右の写真)。坂内義子さんが司会をされ、岡田寛雄巡回牧師の説教や、糸井玲子さん、中川信明三、内田雅敏さん、岡安茂祐さんほかからスピーチがされました。キリスト者政治連盟(キ政連)の糸井玲子さんは、お話の中で、大島さんは2002年に、キ政連誌に書かれた中で、「1967年にアメリカ合同教会はベトナム戦争に反対を表明した」と記し、「その頃、大島先生は『ベ平連』の小田実さんと共に、ベトナム戦争に徴兵拒否した米兵をご自宅に匿ったのです。正義と平和と優しさのこの強さ!」と言われていました。この会では、私が『市民の意見』に掲載してあった大島さんについての「反戦交友録」がプリントして配布されました。 
 故村井吉敬さんの葬儀については、「感じること」欄のNo.88でご報告しましたが、村井さんのお連れ合いの内海愛子さんから「
ようやく暑さが一段落して、朝夕、秋の気配を感じる侯になりましたが 皆様、お元気でしょうか」というご挨拶とともに、9月28日(土)の午後に、上智大学で「村井さんの仲間の会」という集まりが予定されましたのでご参加くださればありがたいのですが……というご連絡をいただきました。以下のそれをご紹介します。

 
……村井吉敬が3月23日、「帰天」してから5カ月が過ぎました。膵臓ガンが再発して3カ月弱、短い闘病期間でしたが、その間、みなさまと過ごした日々に思いを馳せていました。
 趣味の写真や記録にその日々が記録されています。

 4月8日追悼ミサの後、本人の希望で四谷のイグナチオ教会地下にある クリプタ(納骨堂)に遺骨を収めました(I  659-5)。
 毎日午後4時まで開いていますので、近くにおいでの時は立ち寄って、一人で勝手に 旅立った村井に、声をかけ、時には「文句」を言ってやってください。村井にはそれが 一番うれしいことだと思います。

 4月8日の追悼ミサに多くの友人が参列してくださいました。ゆっくりお話し することも出来なかったので、あらためて、友人たちが思い出や村井の駄洒落などを 肴に、語り合う場を設けてくださいました。 「村井さんの仲間の会」です。
 ともに語り、学び、活動し、旅をした仲間との語り合いの会です。
 ご多用とは思いますがご参加いただければ幸いです。なお、参加できない場合も、 一言、想い出などをおよせくだされば幸いです。

日時:9月28日(土)14時半(開場)15時〜17時
場所:上智大学9号館地下カフェテリア
会費:追悼文集の代金を含んでちょっと高いのですが5000円です。
  
  なお、村井の『僕が歩いた東南アジア』(コモンズ)、『パプア 森と海と 人びと』(めこん)、『エビと日本人』(岩波新書)『アジア・ヒューマンライ ト』(共編著・梨の木舎)などを準備しておきます。ご希望の方は、当日、お持ち帰りください。

ご参加いただける場合は内海か下記の事務局宛てに、ご連絡ください。 
 内海愛子 /Utsumi Aiko
 〒272-0813  市川市中山1-14-2
 1-14-2 Nakayama Ichikawa,Japan
 T&F 047-335-5002  MP 090-3544-2159
 <utsumi@jca.apc.org>