捕獲現場での手記と写真集-1


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私が太地町に着いたのが9日の午後7時半。 羽田から関西新空港・タクシーで太地へ(これは自殺行為だった) 羽田からトータルで実に五時間半もかかりました。
その日のうちに現場の下見をしたのですが、暗くてオルカ達は 良く見えませんでしたが、ブローの音は良く聞こえました。 もちろん漁師さん達は24時間体制で見張っているようでした。

次の日、6時20分頃に宿のおばさんが、捕獲が始まったらしい 水族館の人達が現場に向かったと教えてくれ、すぐに現場へ。 私が着いた時には10頭のオルカを浅瀬に追い込んでいました。 印象的だったのは、前日の夜に見たときには一番大きな雄の 背鰭はぴんと立っていたのに、朝になったら斜めに曲がって いたことです。

まず一頭が浅瀬に乗り上げ、横倒しとなり、漁師さん達がすぐに 駆けつけ押さえ込み、体長を計り、雌雄の判別をしました。 その子は雄で体長4メートル半、いらないということで、2重に なった網の間に一頭だけ別にされました。 その他のオルカは、無造作に海に入った漁師達が1頭8人ほどで 浅瀬に運びます。

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オルカ達はなすがままで、身を捩るぐらいの抵抗しかせず、見て いて、とてもじれったくなります。

3頭がクレーンでつり上げられ、トラックで運ばれたんですが、 始めに運ばれ、現在行方が解らないオルカは、捕まった時から 運ばれるまでずっとピーピーと鳴きどうしでした。

子供のオルカの声

浅瀬で押さえられているとき、この子のすぐそばに、一番大きな 雄と一番大きな雌がおり、鳴き声に答えて、尾で海面を叩いたり 身を捩ったりしていました。

3頭がトラックで運ばれたあと、残りの2頭はしばらく漁師に より、浅瀬に押さえられたままになっていたんですが、1頭が 問題の1〜2歳の雄でした。 この子もずっとピーピー鳴いていたんですが、鳴いているときに 噴気坑から海水が入ってしまっているようでした。 (ピ〜ぶくぶくぶく)みたいな感じで、身を切られる想いでした。 その後、まずチビのほうが、2艘の船の間に網で釣り下げられる ような形で連れていかれました。その時に、1頭のオルカが その船に摺り寄るような仕草を見せていてとてもつらい思いを しました。

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最後の1頭は、尾びれを傷つけながらも(血が流れていた)暴れ に暴れたんですが、同じく船で連れて行かれました。

そして10時半過ぎに残った5頭が解放されました。 まず2重になった網をはずしたんですが、オルカは出ていこうと しませんでした。 そこで、漁師達が海に入り、押し出そうとし、船の船外機で 脅して沖に出そうとしていました。 すぐに若い1頭が先に沖に向かい、そこで尾びれで海面を叩き、 その後しばらくして残りの4頭が沖へと向かいました。


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