Edward Said




久しぶりに翻訳書籍を出版します。デモクラシー・ナウ!で取り上げた番組から翻訳書が出ることはけっこうあるのですが、今回はデモクラシー・ナウ!日本語版の仲間たちが翻訳しました。米国の社会福祉制度の歴史を貧者の体験を通して読み直すという画期的な試みで、南部の奴隷制度と社会福祉制度関係についての非常に興味深い考察があります。ぜひ、お手にとって御覧ください(アマゾンではここ

不自由で不平等な福祉小国の歴史
民衆が語る貧困大国アメリカ

スティーヴン・ピムペア著
桜井まり子+甘糟智子 翻訳 中野真紀子 監修

『民衆のアメリカ史』で有名な歴史家ハワード・ジンが監修する「民衆史シリーズ」の一環である本書は、実際に貧困の中で生きる人々の体験や声を通して「語り直され」たアメリカ合衆国の貧困と社会福祉制度の歴史です。ニューヨークのイェシーバ大学で政治学と社会福祉政策を教える著者スティーヴン・ピムペアは、イギリス殖民地の時代から現在にいたる米国の貧者の体験を、歴史書や公文書、伝記、口述記録など幅広い分野の二次資料から拾い上げた膨大な数の弱者の声を、的確な仕分けと解説によってより合わせ、非常にわかりやすく、心にひびく読みものに仕立てています。いわゆる「下からの社会史」の試みとして、きわめて優れた業績です。

ただし貧困の歴史といっても、時系列にそった出来事の連続として歴史の流れを説明するのではなく、いくつかのテーマを設定して、それぞれが時代とともにどう変わったか――いやむしろ、どんなに変わらなかったかを検証する手法をとっています。というのもピムペアは、米国の福祉や貧困対策は時代とともに進歩し、より手厚く優れたものになったという一般に信じられている見方を否定し、福祉を受ける貧しい人々の体験は昔も今もちっとも変わらないと考えているからです。そこには歴史を通じて存在する一定不変のパターンがあります。「貧困と救済にまつわる欺まん」と言い換えてもよいでしょう。

貧しい人たちが異口同音に訴えるのは、欲しいのは慈善や福祉ではなく、まともに暮らせるだけの賃金と安定した仕事だということです。でも社会福祉は労働意欲を損ない依存に陥らせると主張する人たちは「自立」の重要性を大いに吹聴しておきながら、生活できる仕事が欲しいという訴えには耳をふさぎます。その一方で、福祉政策や慈善は決して必要を十分に満たす程は与えられず(依存症を防ぐためとされます)、人並みの生活をするためさまざまな工夫やごまかしが必要になります。貧者にとっては生きるための知恵なのですが、援助を与える側は自分たちの意にそぐわない勝手な行動を激しく非難します。

あげくに貧乏人はゆだんもすきもないと人格に欠陥があるかのようにさげすみ、貧乏なのはモラルが低いせいだときめつける。貧乏人に何が必要か一番わかっているのは援助を与える側の専門家だという前提ができあがり、支援するはずの政策や制度が、結婚や出産や労働までも支配しようとします。貧しい人々が心配するのは明日の食事なのですが、政治家や宗教家は貧者の暮らしよりも素行や道徳心を心配しているのです。自尊心の強い者は、常に監視され、うるさく言われる屈辱を嫌い、援助に背を向けやせ我慢することになってしまいます。たぶん、それが狙いなのでしょう。

要するに、貧民層が家族を養おうとすると、二つに一つを選ばなければならない仕組みなのです――自分達を人間のくずのように扱う福祉制度にたよるか、働けば働くほど貧乏になる低賃金の仕事につくか。このパターンを鮮明に浮かび上がらせるのが、ピンペアが大きなスペースを割いている、貧しい女性と黒人という二つのグループです。

幼い子供を抱えた貧しい母親は、屈辱的なほどの低賃金を得るために外で働いて家庭を崩壊させるか、福祉に頼って横着者の烙印を押され監視のもとに置かれるかという選択を迫られます。一方、黒人の奴隷労働の歴史は、社会福祉制度における支配と懲罰の側面をあらわにします。

米国の貧困と社会福祉制度を奴隷制度との関係で論じた第7章は、本書の白眉です。奴隷制度は南部における黒人の社会福祉制度であったとみることができます。奴隷が家族を持ち生きていける最低限の生活を主人が保障したからです。奴隷解放によって、彼らはその最低限の保護を失いました。行き場をうしなった解放奴隷が大量に北部に移住してくるのを防ぐために、解放民局が設置されて彼らの生活を管理し、これが黒人専用(白人とは別立て)の社会福祉制度の端緒となりました。その後はジム・クロウ法(人種隔離政策)の制定と、黒人狩りともいえる手あたり次第の逮捕・投獄によって、刑務所がその役割を引き受けました。南部では囚人を民間会社に労働力として貸し出す強制労働が第二次大戦まで続いたのです。

ピムペアの重要な指摘は、奴隷制の時代からつづく強制労働のおかげで、南部には安価で従順な労働力がふんだんに存在し、そのため労働力の市場価値が下がり、結局は白人下層労働者の生活水準も引き下げたという点です。米国の貧困と福祉の全体像をとらえるには、一般に社会保障制度の起点とされるニューディールからではなく、はるか昔の奴隷制度にさかのぼる黒人労働の歴史を視野に入れる必要があるとピムペアは言います。

ちなみに、1980年代にレーガン大統領が始めた麻薬戦争によって、黒人の大量投獄は再開しています。現在の米国では投獄されたり保護観察中の黒人男性の数が、南北戦争以前の奴隷の数を上回っているそうです。刑務所の運営が民営化され、一大ビジネスとなっている現代米国の奇妙な現象も、奴隷労働の歴史を通してみると非常に納得がいくのでした。 (中野真紀子)


-目次-

序章 「怒れる貧者」と救済の「定法」

第一章 生きのびる――私は弟の番人か?
 ゲットーの「病理」
 スラム街のもうひとつの顔
 貧者どうしの助け合い
 ゲットーの政治経済学
 助け合いのコミュニティー

第二章 ねぐら――ホームとよべる場所
 施設の生活/路上にて
 退役軍人からホームレスへ
 放浪生活
 放浪する女性たち
 政府援助の例外
 他人の親切

第三章 食べる――ゴミあさり
 「アメリカに飢餓はない」
 信仰と食べ物
 ゴミあさり

第四章 働く――依存すること、しないこと
 働き、かつ福祉を受ける
 さまざまな依存のかたち

第五章 愛する――女性と子ども
 責任とはなにかを再考する
 母親であること
 父親たち
 セックスと支配と貧困
 子どもたち

第六章 尊敬――救済の代償
 貧者が払う代償
 福祉という最後の手段

第七章 逃亡――黒人と打ちひしがれた者たち
 福祉に関する分析範囲の再定義
 奴隷制と福祉
 つかのまの救済
 ジム・クロウと黒人からみたニューディール
 貧困と労働と刑務所

第八章 降伏――貧困の文化?
 「丘の上の町」はない
 あきらめることの正当性

第九章 抵抗――パンか血か
 消極的な抵抗
 行動による抵抗
 福祉を受ける権利
 憤りを肯定する

終章 貧困の計算
 公式の数字にみる貧困
 生涯にわたる貧困
 相対的貧困
 不平等
 流動性
 「自由の喪失」としての貧困

原註
 監訳者あとがき
 索引

416ページ 3,800円+税
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 (=^o^=)/:Contact        Posted on February 2011