フランス共和主義とシオニズムの危険な関係

「郊外蜂起」から見えてくるもの

丸山真幸


「蜂起は決して道徳的状態ではないが、しかしそれは共和国というものの
永久的状態でなければならない。」
――サド 「フランス人よ、共和主義者たらんとすればいま一歩の努力だ」

「郊外蜂起」以前/以後

2005年10月27日から11月半ばまでつづいた、ブーナ・トラオレとジエド・ベンナという「フランス人」少年の痛ましい死を発端としたフランスの「郊外蜂起」。これに対するフランス政府の対応のうちには、自らの過去に対する無感覚さが認められた。なぜならば、植民地主義の遺産たる移民を出自とする者たちが多く住まう「郊外」に、アルジェリア独立戦争に由来する「非常事態令」を適用したのであるから。

その後もフランスでは、シオニスト知識人にして「新反動家」であるアラン・フィンケルクロートがこの「郊外蜂起」を巡り11月17日付のイスラエルの日刊紙『ハアレツ』紙上でおこなった人種主義発言(「民族・宗教的特徴を有する反乱」)が問題となり、また11月末には、植民地からの帰還者に関する「2005年2月23日制定法」が新たに論議の的となる。すでに制定の直後から歴史家を中心とする者たちによって問題とされていたこの法律は、その第4項で、教科書の中での「海外領土、とりわけ北アフリカにおけるフランスのプレザンスのポジティヴな役割」の認知を求めている。この条項を削除する案が国民議会で社会党などにより提出されたが、これが与党UMP(国民運動連合)を中心として否決されたことから再び大議論となったのである〔1〕

2005年5月8日におこなわれた「われら共和国の原住民」の行進
60年前の同じ日にフランスはナチからの解放を享受した一方
まさにその同じ日にアルジェリア人による解放要求を鎮圧した

こうした騒動を背景にして、アンティル諸島――「海外県」という名の植民地――、マルチニック島在住の元国民議会議員である詩人エメ・セゼールは、内務大臣にしてUMP党首でもある「ならず者」ニコラ・サルコジの当初予定されていた彼の地への訪問の、迎え入れを拒否する意向を明らかにする。結果としてサルコジは予定を中止せざるをえなくなった。

しかしその後サルコジは、問題の法律の再検討にあたらせるために一人の弁護士を任命する。このアルノー・クラルスフェルドという人物はモーリス・パポン裁判の原告弁護人を務めるのみならず、イスラエル国籍を取得後(フランスでは二重国籍が可能)、彼の地で兵役につき国境警備にも携わった経歴をもつ人物である。たしかにクラルスフェルドが検討の任を受けたのはこの法律ばかりではなく、ユダヤ人虐殺に関するものを含む一連の法律全体である。しかしここで留意すべきは、植民地主義に他ならないシオニズムを支持する者が植民地主義に関わる法律の検討をおこなうという、この事実である。

こうした流れが「郊外蜂起」の「以後」である。そしてそれ「以前」には、いわゆる「イスラム・スカーフ問題」を契機として共和国の根幹をなす「ライシテ」(政教分離原理)が問いに付され――しかしこれは2004年3月に「宗教シンボル禁止法」が制定されたことで実務本位的に処理された――、また2005年1月には植民地主義的な構造に由来する社会的差別に反対する知識人や活動家たちによる声明「われら共和国の原住民」が公にされ、その他方で3月には「反白人の人種主義」というものの弾劾が歴史的省察を欠いたかたちでとりおこなわれた〔2〕

フランス共和主義とシオニズム――植民地主義を蝶番として

ならばこうした一連の流れからは何が見えてくるのだろうか。そこに共通して浮かび上がってくるものは、いうなればフランスの共和主義というものの限界である。差し当たりここでいう共和主義とは、プラトンやアリストテレスにまで遡るのではなく、革命以降のフランスにおいて「人間および市民の諸権利の宣言」とともに諸個人の平等と自由を実現した理念としておこう。しかしこの同じ理念が「普遍性」を謳い「文明化の使命」を自覚することにより、植民地主義を正当化するイデオロギーともなりうるということにも注意しておこう。すなわちわれわれが見た一連の出来事において、植民地主義をともなった実のところ白人キリスト教文化を内在化している共和国の原理を、普遍的なものとして押し通すことの欺瞞が否定しがたいかたちであらわになったのである〔3〕

こうした共和主義を、歴史家のパスカル・ブランシャールに倣い「共和国のコミュノタリズム」と呼ぶことも可能だろう。ここで彼は、フランスではしばしばマイノリティーの権利要求に対する批判として投じられる「コミュノタリズム」という言葉を逆手に用いている〔4〕。こうした視座の転換を果たしたならば、「郊外蜂起」をはじめとする出来事を、旧植民地に出自をもつフランス人の「コミュノタリズム」と「共和国」の対立であるとする見方とは別の構図が浮かび上がってくるはずである。すなわちそうした出来事は、マジョリティーのコミュノタリズムが支配する空間のただ中での「デモクラシー」の要求に他ならなかったともいえるのである〔5〕

これ以外にもう一点指摘しておきたい。それはこの共和主義とシオニズムが見せる奇妙な親和性についてである。ここでいうシオニズムとは、ドレフュス事件を契機としてテオドール・ヘルツルにより開始された、イスラエル国家創設にまでいたる植民地化運動を指し示すばかりではない。むしろここでは、それ以降にも依然としてとりおこなわれている、イスラエル国家の現状のあらゆる水準での正当化ということの方に、その力点を置いておこう。

しかし一見したところでは、このシオニズムと共和主義の関係はそれほど定かなものではない。「ライシテ」を標榜するフランス共和国とユダヤ国家たる――「イスラエル人の」国家ではない――イスラエルのあいだにはいかなる関係も見出しえないように思われるからだ。無論ここでも、フランス共和国の原理たる「ライシテ」を白人キリスト教の枠内に留まるものと規定することも可能だろう。すなわち「非アラブ」として。これを紐帯とすれば、フィンケルクロートのような人物にとり「フランスを守ることがイスラエルを守ることであり、その逆もまた然り」〔6〕であることの整合性が成り立つのかもしれない。あるいは彼がユダヤ系ポーランド人移民の2世であるという個的来歴がそこでは情動的に作用しているのかもしれない。しかしひとまずそうした「意図」は措いておこう。映画作家のエイアル・シヴァンも指摘するように、政治の場において問われるべきものはいまそこでなされている「行為」なのであるから〔7〕。そしてこの「行為」だけを見たならば、この二つの国家のあいだには植民地主義の行使という共通項がはっきりと認められるのである。

「近代的発展の最初期段階からイスラエル創設という頂点に至るまで、シオニズムによって訴えかけの対象とされてきたのは、海外の領土や原住民を不均衡な種々の階級へと分類することが規範的で『自然な』行為だと考えるヨーロッパ人の観衆であった。」〔8〕

ヨーロッパ列強とシオニズムの共犯関係をこのように指摘していたのはエドワード・サイードであるが、現在のフランスにおいても、共和主義者とシオニストは植民地主義を蝶番として結びつくことが可能なのである。事実、サルコジはフィンケルクロートについても「フランスの知性」と称えている。あるいは二つが一人の人物において両立することが可能なのである。事実、フィンケルクロートの場合と同じくクラルスフェルドの言葉のうちにも、共和主義の正当化とシオニズムの正当化が見事に共存しているさまが認められる。「フランスは道路や無料診療所をつくりましたし文化や行政をもたらしました。わたしはこの種の主題の専門家ではありませんが、しかしそうした事実を否定してしまうことは歴史に対して盲目であるように思います。」「人は植民地化について語りますが、しかしイスラエル人は、土着民を搾取することで原料を土地から採掘しそこから所得を引き出すことをしていますか? かつてフランスがアルジェリアないしはニュー・カレドニアで、イギリスがインドで、ポルトガルがアンゴラでそうしたように?」〔9〕植民地主義者に典型的であるこうした視座からは、当然のことながら植民地主義がそれ自体として問題にされることは決してないだろう。

したがってまずは現在のフランスという文脈の中で、共和主義とシオニズムという二つのものを、植民地主義という観点から同時に検討し直す必要があるのだ。

日本(人)の問題として

しかし忘れてはならないのは、こうした作業がおこなわれるのは、日本と無縁な場所においてでは決してないということである。ブランシャールらの指摘によれば、フランスと日本は植民地(旧)宗主国の中でいまだ植民地時代への郷愁をもっており、なおかつ国民史と植民地史を切り離そうとしている二つの国であるという〔10〕

そしていま一度「反セム主義を巡るある種の傾向」についていえば、フランス・シオニスト知識人は日本で格別の扱いを受けているように思われる。故ベニー・レヴィおよびフィンケルクロートとともにイェルサレムに「レヴィナス研究センター」(とその雑誌『レヴィナス研究手帖』)を立ち上げたベルナール・アンリ‐レヴィの、サルトルに関する著作も2005年に翻訳刊行されたと聞く。また同じ年の秋にはエリック・マルティも来日を果たしたそうである。とりわけこの『ロラン・バルト全集』編者の人種主義発言、シオニズム肯定発言は限度を越えたものであるだけに――たとえば彼にとりイスラエルによる「人種隔離壁」は「セキュリティー・フェンス」であるにすぎない〔11〕――、日本での紹介のされ方はどのようなものであったのだろうか。

フランスでの事例を見てもわかるように、シオニズムに対する無感覚と植民地主義の否認はどこかで繋がっているはずである。アメリカを軸とした中東におけるイスラエルの役割とアジアにおける日本の役割の類似を想起するだけでも、そうした所作の暴力的な効果は明白であるように思われる。ゆえにこの問題はわれわれ自身の問題としても思考する必要があるのだ。

2006年1月、パリ11区にて
丸山真幸(高等研究実習院EPHE在籍)


註 1 UMPのこうした姿勢はその党首であるニコラ・サルコジ自身の考えとも合致している。事実、彼はあるインタヴューの中で、フランスが北アフリカにおいて行使した植民地主義には否定的な側面ばかりがあるわけではないということを強調している。Nicolas Sarkozy, La Republique, les religions, l'esperance, Pocket, 2005, pp. 97-98.

註 2 フィンケルクロートはこの三つの問題に関しても、次に触れる「共和主義」の立場から介入している。とりわけ「われら共和国の原住民」声明署名者の一人であるラ・デクヴェルト出版社主フランソワ・ジェズとの対話では、彼との対立のもとに、「反白人の人種主義」声明に署名したフィンケルクロートの立場がはっきりと見て取られる。Cf. " La France est-elle un Etat colonial ? ", Le Point, N°1704, 12 mai 2005.

註 3 現下の状況における(フランス)共和国の問題点に関しては、『運動』誌の特集「同一性の共和国政治」(Mouvements, N°38, mars-avril 2005, La Decouverte)および哲学者ダニエル・ベンサイードの著作『無信仰的断章』(Daniel Bensaid, Fragments mecreants, Lignes & Manifestes, 2005)を参照のこと。

註 4 ブランシャールは「2005年2月23日制定法」騒動を契機として『ル・モンド』電子版でなされた読者との対話において、この言葉を用いている。" Comment ecrire l'histoire de la colonisation ". またロラン・レヴィはその『コミュノタリズムの亡霊』(Laurent Levy, Le Spectre du communautarisme, Amsterdam, 2005)の中で、「コミュノタリズム」という言葉がある特定の対象に対してのみ投じられる恣意性を指摘している。

註 5 この点に関しては、「郊外蜂起」の「以前」に出版された哲学者ジャック・ランシエールの著作『デモクラシーの憎悪』(Jacques Ranciere, La Haine de la democratie, La Fabrique, 2005)を参照のこと。とりわけ「籤引きの平等」に触れた「政治あるいは失われた牧人」の章。

註 6 Christophe Ayad, " Finkielkraut Bile en tete ", Liberation du 29 decembre 2005. なお「ライシテ」に対するシオニストの考えを概観するにあたっては、同じシオニストながらもその立場に差異を見せているフィンケルクロートとベニー・レヴィの対話が有益だろう。Cf. Alain Finkielkraut et Benny Levy, Le Livre et les livres, Entretiens sur la laicite, Verdier, 2005.

註 7 " Izkor, Les Esclaves de la memoire, debat avec Eyal Sivan ", La Revue Documentaires, N°19, 2005, p. 87.

註 8 エドワード・W・サイード『パレスチナ問題』、杉田英明訳、みすず書房、2004年、101頁。

註 9 " Pour une solution d'apaisement ", Liberation du 30 decembre 2005 ; " Polemique sur la designation d'Arno Klarsfeld pour mener la reflexion sur la colonisation ", Le Monde du 27 decembre 2005.

註 10 Pascal Blanchard, Nicolas Bancel et Sandrine Lemaire, " Introduction, La fracture coloniale : une crise francaise ", in La Fracture coloniale, La Decouverte, 2005, p. 14.

註 11 Eric Marty, " Israel, le mur et les Palestiniens ", Le Monde du 13 aout 2003. 拙稿「フランスにおける『反セム主義』を巡るある種の傾向」に付した註(10)も参照のこと。


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Posted on: 26/Feb/068