4)ケープタウンの夜

 その後、私たち3人はロベン・アイランド展示館インフォメーションセンターに行きました。ロベン島というのはケープタウンから数キロ離れた大西洋に浮かぶ小さな島で、政治犯が収監されていたことで有名な監獄島です。アパルトヘイトの象徴のような場所ですが、もちろんこの悪法が撤廃された今はすべての政治犯が釈放されています。マンデラ大統領は27年におよんだ獄中生活のうち19年をここで過ごしたそうです。近い将来、この島自体を歴史を刻む観光ポイントにする計画があるそうですが、まずはこの島が見える対岸のウォーターフロントに記念館の準備が進んでいるのです。私たちが訪れたのはその準備室ともいうべき場所です。数々の写真やアパルトヘイトに抵抗した政治犯たちの暮らしぶりを紹介する品が並んでいます。興味深かったのは、彼らが獄中で看守の目を盗んで交換したという手紙がたくさんあったことです。お互いの意見交換や政治教育のテキストがトイレットペーパーなどにびっしり書かれています。ANCの政治犯たちが絶望的に長かった獄中生活をがんばりぬけた理由がわかったような気がしました。

ロベン・アイランド展示館
インフォメーションセンターの展示物

チャカ・ハデベさん

 ここの管理をしていたチャカ・ハデベさんという人はとても親切で、日本の私たちの反アパルトヘイト運動に興味を示してくださり、住所の交換をして別れました。この人もロベン島の経験者なのでした。

 さて、この後、私たちはケープ港のちょっとおもしろいチャイニーズ・レストランで食事をしたり、なんとも美しい海岸線をドライブしたりしたのですが、すべてを書いていたらこの旅行記はなかなか終わりません。そこで話は一気にその日の夜に飛びます。
 片桐君に送ってもらって郊外にあるホテルにチェックイン、外出禁止をいい渡されていたし、徹夜の飛行機の旅と昼間の欲張ったツアーで疲れていたので、うとうとと寝込んでいました。そこに電話の音。8時ごろです。相手が話す言葉が何語なのか、不覚にもわかりません。ここは市内にあるような観光客用のホテルではなく、ほぼ完璧に地元も人のためのホテルのようで、フロントなどで使われている言葉もアフリカーンス語です。この言葉はこの国の公用語のひとつで、オランダ系の移民たちが古くから使ってきた言語です。もちろん私たちにはまったく解りません。この突然の電話に私は片言の英語で対応したのですが、相手に通じた様子がありません。相手の言葉も英語まじりになったような気がしましたが、それでも誰なのか、何の用なのかまったく解りません。どうもホテルの中にいるんだ、といっているようなので、フロントまで出向こうか、といったのですが、ノーノーなんていってまたわからないことをベラベラというのです。ついに解らない、ごめんなさい、といって電話を切ってしまいました。しかし数分後にまたかかってきました。どうも何人かいるようで、途中で相手が代わります。代わってもやはり何をいっているのか解りません。こちらもいっしょうけんめいにフロントで会おうとかいってみるのですが、やはりノーノー。相手がまた代わります。なんだかからかわれているような気もしてきましたが、それでもまだ失礼があってはならないとも思っていました。何かしゃべっては『ナタリー』とかならずいいます。このナタリーはいったい何なのか?ついに部屋までやってきました。ノックの音。私は定石どおりに無視。するとまた電話で『ナタリー』です。ついに12時を回っても電話が鳴り続けます。これは常識的な人ではないな、どこか暗い所に呼び出しての強盗か、ドラッグの押し売りか、と考え始めました。おなかはすいていませんでしたが、ラウンジでビールくらい飲みたいなと考えていたのですが、なんだか部屋を出るのが怖くなってそのまま寝てしまいました。電話も午後1時くらいを最後にかからなくなりました。ちょっと寝たような気がしましたが、また電話のベル。4時でした。なんとも怖いケープタウンの第一夜でした。
 翌日、片桐君に『ドラッグか売春だろう』といわれましたが、なぜこの部屋に旅行者がひとりで泊まっていることがわかったんだろう、私のことを知っている南ア人は何人もいないのにと私がいったら、彼は顔色も変えずにいいました。『ホテルの人が知ってるよ』

片桐君と行った海岸

次頁へ▼