3)アパルトヘイト否!国際美術館の絵画を訪ねてマイブエセンターへ

 南アフリカでは、残念なことに自動車の盗難があたりまえのことのように起きます。旅行者などがちょっと油断すると、信号待ちで大勢に囲まれてドアを開けられ、車ごと荷物も奪われるという事件が多いのです。片桐君も3年も住んでいるこの国ですが、夜など怖くて信号で止まれない(つまり無視する)ことがよくあるそうです。カメラを外に見せるなど、いかにも旅行者らしい態度はもってのほか、ということなのです。このことを私にリアルに感じさせたのは、旅の後半にヨハネスバーグで見た光景でした。郊外の野原に延々と置かれた何百台という中古車の市場。端の方には売れずに朽ち果てている車の山。これらのほとんどが盗難車だというのです。なんておおらかなお国柄なんだと感嘆したのですが、車の盗難には殺人など悲惨な事件がともなうなで、ほんとうはおおらかではありません。
 片桐君の車で訪れたのは、まずウエスト・ケープ大学です。この大学は南アで初めて作られたカラード(直接的には全人口の約1割を占める混血の人々をさす場合が多いのですが、アフリカ系、アジア系の人々もすべて含めた「非白人」、差別的に有色人種といわれる国民全体をさす場合もあるようです。この場合はアパルトヘイトで教育の機会を奪われてきた非白人たちという意味だと思います)のための大学です。アパルトヘイトの遺産のような感じの大学ですが。民主的で先進的なカラードの活動家や文化人の拠点になっているようです。片桐君の母校でもあります。ここにアパルトヘイト時代に世界で取り組まれた反アパルトヘイト運動の資料が収められた『マイブエセンター』という資料館があります。この中にあるという絵画たち再会するのが今回の私の旅の大きな目的のひとつだったのです。

その絵画とは、1990年の3月に調布市でも開催された(みさと屋が事務局となり、藤川が代表を務めた)アパルトヘイト否!国際美術展の作品群なのです。南アでアパルトヘイトが撤廃され、ANC政権が発足したことにともなってこの国に寄贈されたのです。あの時、私たちは、いつの日かこの闘いに勝ったらこの絵を南アに持っていくのだ、と誓い合ったものでした。それが完全に達成されたのです。
土曜日でマイブエセンターは休み、でも日本から来た私のために特別に開けてもらえるように設定されていたはずでした。しかし約束どおりに事が進まないこの国らしく、責任者の不在で入れません。外から写真だけ撮ってそこを離れました。淋しかったですが、しょうがない、と思ってあきらめました。
しかし、私は翌日には、この絵画たちのほぼ全部と別の場所で再会を果たしたのでした。

ケープタウンの全景

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