2)ケープタウン空港

 ケープタウン空港に到着した私は、出迎えの人の波の中で留学生の片桐君を探しました。まったく面識のない私を空港まで出迎えてくれることになっていたのです。こちらのみなさんはなんでこんなに親切なんだろうか、なんて疑問に思ったりしたのですが、旅を続けるうちに、私が受けた親切の数々はヨハネスバーグで私を出迎えてくれた津山直子さんの人望のゆえであるということがわかってきました。津山さんはANC(アフリカ民族会議・南アの政権政党。2年前の全人類参加の歴史的な選挙で圧勝してネルソン・マンデラ議長が大統領となった。その3年ほど前までは、アパルトヘイトという人種隔離政策の下で非合法組織であり、マンデラ氏も27年にわたって投獄されていた)の職員として長く活動してきた方なのです。ひとり旅、とイキがってみた私ですが、この津山さんのアフリカン・コネクションともいうべき人脈の庇護の中を泳いでいるだけだということに気づくのに時間はかかりませんでした。
 さて、片桐君とはカウンターを出てすぐに目が合ったのですが、お互いに声をかけずにすれちがってしまいました。聞いていた私のイメージ(経営者、社長!)が実物とちがったのかもしれません。私の乗った飛行機には若干の日本人らしい人が乗っていました(ちなみに香港からヨハネスバーグに飛ぶ国際線は日本人だらけでした。この人たちはみな、『ビクトリア瀑布と喜望峰の旅』とか『豪華ブルートレインで行くケープタウンの旅』などの団体客です。国内線に乗り換えたらさすがに日本人らしい人は2〜3人です)。彼は別人に声をかけたようです。私も彼がカップルで迎えに来ていたので、留学生とうい感じには見えませんでした。とりあえずすぐに見つけるのをあきらめた私は、まずはトイレに行って落ち着こうと思いました。そこにモップでトイレの床を掃除しながら腰をふってビートのきいた歌を歌っている黒人の少年がいたのですが、その歌のうまいことといったらたいへんなもので、用を足しながら聞きほれてしまいました。ああここはアフリカなんだな、なんて変な所で実感してしまいました。そんなことをしている間に片桐君は私を捜していたのはいうまでもありません。トイレから出て行った私の目に入ったのは、さっきのカップルが掲げたレポート用紙に書いた『藤川様』です。
 片桐君のワーゲンに乗って空港を出発。彼と迎えに来てくれた女性はKさんという日本人で、やはり留学生。卒業のための短期滞在をしているそうです。片桐君いわく『津山さんには頭が上がりませんから』。そして次にいったことがこの後の私の3日間を決定的に縛ることになります。『日本の旅行社がなんでそんな場所のホテルをしっていたのでしょう』。私が予約していたホテルがとても危険な地域にあるというのです。彼自身も大学が近いのでそこの電車の駅を利用していたことがあるそうですが、最近は危なくて近づけないとのことです。ここで『ひとりでの外出はダメ』といい渡されました。一人旅、単独行にこだわっていた私はちょっとムッとしたのですが、後述するその夜の出来事がそんな私の意思など吹き飛ばしてしまったのでした。
 片桐君がそこまでいうのには理由がありました。ただでさえ治安の悪化が進んでしまってたいへんらしいのですが、私が着く2日ほど前にケープタウンのギャングのボスがモスリムの自警団に襲われて30発もの銃弾をあびたうえ、路上に引き出されてガソリンで焼かれるという事件があったばかりなのです。それは私も日本の新聞で知ってはいました。片桐君は内乱状態だといいました。あまりの治安の悪化に耐えかねたイスラム教徒たちが、頼りにならない警察の代わりに社会浄化に立ち上がったといういのです。たしかに町のあちこちに緊張した雰囲気がありました。こちらの新聞も大見だしでモスリムの決起集会を伝えていました。

 車で町に出てみると、やっぱり思ったとおりの南アフリカでした。路上の野菜売り、信号待ちの車に来る花売りの少年、そしてあちこちの街角で国旗を売っているのが印象的です。生まれ変わったこの国の新しい旗です。そういえば空港の職員の黒人たちがこの国旗のバッジをつけていたのを見て、私も胸が熱くなったのでした。路上の国旗売りもみんな黒人の少年たちです。道行くタクシーはみんなハイエースなどのワゴンの乗り合い。ブラックタクシーです。黒人の通勤客がぎっしり乗っています。興味を引かれる風景ばかりなので、つい写真を撮りたくなるのですが、片桐君が『カメラを出してはいけない』といいました。

ケープタウンの街から見たテーブルマウンテン

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