イスラエルによる拷問

ムスタファ・バルグーティ
2004年6月9日
CounterPunch原文


イラクのアブグレイブ刑務所で米兵たちが拘束された人々を拷問している写真は世界に衝撃を与えた。けれども、パレスチナの人々にとっては、フードを被されたり裸にされた人々の写真は、驚きではなかった。イスラエルの監獄に入れられた経験のある数万人ものパレスチナ人にとって、これらの写真は、自分たち自身が受けた拷問の記憶を呼び起こさせるものでしかなかった。

アブグレイブでのイラク人に対する扱いは、多くの場合、イスラエルの拷問方法に驚くほど似ていた。現在、世界のメディアで、イスラエル治安部隊士官が、実際に、イラクに送られる米国私企業の治安契約者たちを訓練しているとの批判がなされている。

ここに真実があるかどうかとは別に、イスラエルでは拷問が日常的に行われていることを、世界は認識しなくてはならない。これら米兵たちの行為を批判しながら、パレスチナの人々に加えられている体系的な人権侵害を無視するならば、それは十分ではない。

米国と異なり、イスラエルは最高の道徳的基準を維持していると自称する。けれども、イスラエル軍そして政府の中には、必須の、使っても良い武器であるとして、拷問を認める者たちがいる。米国とイスラエルの二国がともに国際刑事裁判所の権威受け入れを拒否したことは、これら二国が虐待した犠牲者から決して責任を追及されることなしに拷問を承認しようと望んでいるのではないかとの疑念をさらに強める。

1999年9月6日に下されたイスラエル高裁の判断は、いくつもの拷問技術を禁止するものだった。しかしながら、これらの手法が完全に不法とされたわけではない。法廷の判断は、クネセト(イスラエル国会)に、諜報士官にこうした拷問方法を用いることを認める法律を採択することを許容している。法廷は、イスラエルが直面している治安状況は十分に深刻であり、諜報サービスに拷問権を認める必要があると見なしたのである。

パレスチナ人は誰もが皆「爆発しつつ時を刻む時限爆弾」だという言い訳は、イスラエル治安部隊に、自分たちの手の内にある囚人を誰でも---子どもも含めて---拷問して良いという白紙委任を与えることになった。人権団体は、過去2年間で、イスラエルの監獄における拷問の利用は増加し、いっそう体系的になってきたと報じている。国連拷問禁止条約への違反は、軍が占領地での弾圧を強めている中で、今や日常茶飯事である。

イスラエル軍と警察はイスラエル司法制度から無条件の支持を得ており、イスラエル監獄では何をしても不処罰でいられるという文化を永続させている。イスラエルの反拷問公共委員会(PCATI)は、イスラエル検事総長[司法長官?]が、拷問のすべてのケースを必要な治安上の手段として承認していることを発見した。高裁は、監獄に入れられた人々に法的扶助を受けさせないことに反対してPCATIが提出した124件の請願をすべて却下した。

以前投獄されていたパレスチナ人たちの、何千という証言は、イスラエルの拷問者たちが仕事にあたるときの雰囲気を証言している。イラクでと同様、治安という偽造された見せかけのもとでは、どんな侮辱や虐待もOKなのである。イスラエル軍と警察が人間の尊厳と国際法を気軽に無視していることは、本当に卑劣である。

多くのパレスチナ人囚人が殺されたり肢体不自由になったりといった証拠が沢山あるにもかかわらず、イスラエルは監獄で拷問が用いられていることを否定し続けている。現在、7000人以上のパレスチナ人がイスラエルの監獄に捕らわれており、その多くは告訴もされず裁判もうけていない。釈放される前にそのうちの多くが何らかの拷問を被るだろう。1967年以来、約65万人のパレスチナ人がイスラエルの留置場で過ごしたことは衝撃的である。その多くは成人男性だった。これは、パレスチナ人成人男性のほとんど二人に一人が投獄されてきた、ということである。

アブグレイブでの拷問はブッシュ政権をその芯から揺るがした。パレスチナ人囚人に対するイスラエルの残酷な扱いを究極的に暴き批判するために唯一かけているものは、写真証拠である。二つの違いは唯一写真だけである。元囚人の証言および人権団体の調査が記すイスラエルに対する証拠は反駁しようもないほど圧倒的である。何千人ものパレスチナ人が苦しみ続けている中、イラクの監獄における米兵の行為だけを批判するのは十分でない。イスラエルによる拷問の行使も暴かれなくてはならない。

ムスタファ・バルグーティはパレスチニアン・ナショナル・イニシアチブの書記長で、ラッマラー在住。


パレスチナをめぐっては、パレスチナ情報センターをご覧下さい。また、速報的なものとしては、P-navi infoをご覧下さい。

2004年6月14日。日本の参議院本会議で、「国民保護法」(ママ)を含む有事法制関連7法が成立しました。とても、不思議なことです。

国民保護法を「国民を保護する」ためのもの、と称して恩着せがましく、議論もなしにゴリ押しした、この政府は、4月上旬にイラクで人道活動家・ジャーナリストの3名が拘束されたとき、その3名を保護するどころか、見当はずれの「情報収集」と、市民による3名解放の動きを阻害することばかりやっていて、さらに、自ら、この3名は「自己責任」だ、と称していた政府だったはずです(詳細についてはグローバル・ウォッチ編『日本政府よ!嘘をつくな!』(作品社・1500円)を参照)。

こんな政府が「国民保護法」? そう言えば、拘束された3名は、色々なところから「非国民」と批判を受けていました。与党の柏村参議院議員は、「反日的分子」などと言っていました。

こんな政府が語る「国民保護法」ですから、中身を見る前から、その基本的性格を推測することができます。政府が「保護」の対象としたくない者は、「非国民」と決めつける。一方、政府が「保護」の対象とすると称する人々は、粛々として政府の命令に従い、様々な財やサービス、そして自分自身を、政府の人殺し活動に拠出する。

国会が議論の場ではなく、単なるごり押しの場と化した現在、選挙は非常に重要なものになります。次の選挙は7月。第20回参議院選挙です。戦争を好きになれないあなたのための選挙ガイドなどを見て、流れを変える投票(自分の投票だけでなく働きかけも)をやっていきたいと思います。

現在、落ち込まざるを得ないような、あまりにひどい状況です。そして、ただ目先の「勝ち組」に見える流れの末尾にできるだけぶら下がろうとする心情が露呈したエッセイやコメントなども、メディアやネットの掲示板などで、しばしば見られます。けれども、こんなときだから、落ち込まないための言葉を少し引用しておきましょう。
「後世に残るこの世界最大の悲劇は、悪しき人の暴言や暴力ではなく、善意の人の沈黙と無関心だ」(マーチン・ルーサー・キング牧師)

「もしあなたが、希望はないと考えてしまうならば、希望は確実になくなる。もしあなたが、人間には自由を求める本来的な力があり、ものごとを変える機会があると考えるならば、よりよい世界を作り出すためにあなた自身が貢献する機会があるかも知れない。その選択は、あなた自身がすることである」(ノーム・チョムスキー)

「あきらめたら、そこでゲームオーバーだよ」(『スラムダンク』の安西監督)
すみません。どれも、そんなに「落ち込まないため」に有用な言葉ではないかも知れません;;

英国では労働党がイラク侵略のアオリをうけて、地方選挙で第三党に落ちました。スペインでは、3月の選挙で反戦を唱える正当が勝利しました。イラクでも、米軍による占領支配は、すでに統制不能で、ほとんどのイラク人から完全に拒否されていることは、ますますはっきりしています。

熱心に反戦記事を翻訳していたグループTUPの『世界は変えられる――TUPが伝えるイラク戦争の「真実」と「非戦」』(七つ森書館・1800円)というアンソロジーが出版されました。イラク人のブログ『バグダードバーニング』日本語版もそろそろアートン社から出版される予定とのことです。

また、私といけだよしこさんが編訳した『ファルージャ 2004年4月』(現代企画室・1500円)も、来週半ばには、書店にならびます。

米軍海兵隊がファルージャを包囲し、人々を殺害していたただ中、ファルージャ入りした人道活動家やジャーナリスト3名の記事を中心に、現地で実際に何が起きていたのかを立体的に描き出し、それを通して、米英主導のイラク占領とはどのような事態なのか、テロテロとメディアが騒ぐ出来事は本当はどのようなものなのか、日本の自衛隊のイラク派遣はその中でどう位置づけられるのか・・・・・・などなどを、じっくり考えることができるように編集しました。

小さな、ささやかな本ですが、ファルージャで米軍が行なった歴史的な虐殺を記録するとともに、深く考える手がかりを提供することができたと、自負しています。現代企画室さんが、きれいな、読みやすい本に仕上げてくれました。

むろん、情報を知り、考えることは、第一歩に過ぎません。その次を考えるために、巻末に小さなものですが、「ささやかながら、できること」も付けました。

多くの人に読んでいただければと、心から願っています。

イラクをめぐっては、「イラクからの自衛隊の即時撤退を求め、憲法改悪に反対する意見広告運動」が始まっています。

最後の方、我田引水になってしまいました。ご容赦下さい。
2004年6月17日 

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