虐殺と米軍/米国製兵器----二つの記事

イスラエルによるガザ攻撃とガザ市民の虐殺が続く中、米国がギリシャの港からイスラエルに大量の武器を輸送しようとしていること、ギリシャの活動家によりその武器輸送が阻止されていることといったニュースが入っています。

1999年、米国と仲良しのインドネシア軍が東ティモールで虐殺を続けていたときの米国の対応がこの出来事そしてオバマ政権の高官指名動向から生々しく蘇って来ました。

東ティモールとガザ。この二つの場所に関する翻訳記事を並列してご紹介します。

* * *

オバマが選んだ米国国家諜報部長官の手は、インドネシアによる虐殺を手助けしたために血まみれだ
デニス・ブレア米国海軍大将と東ティモール教会での虐殺
2009年1月7日
アラン・ネアン
CounterPunch原文


オバマ次期大統領は、元米国海軍大将デニス・ブレアをアメリカ合衆国国家情報長官に任命したがっているとメディアは伝えている。

1999年、東ティモールの民間人と教会関係者が虐殺されていた中、ブレア海軍大将は虐殺を行っていたインドネシア軍を擁護し、支持した。

リキサの虐殺----遺体の肉が教会の壁に残されていた----から二日後【リキサ虐殺は1999年4月6日にインドネシア軍の手先の準軍組織ブシメラプティが中心に行ったもので、約40人が殺された】、ブレアはインドネシア軍司令官に連絡を取り、米国の援助を提案した。その際、機密扱いの米国政府電信によると、インドネシア軍司令官に攻撃を止めよとさえ言わなかった。

当時米軍太平洋司令部司令官だったブレアから明白な支持を得て、当時のインドネシア軍総司令官ウィラント将軍は力付けられ、東ティモールの人々に対する攻撃を激化させた。

インドネシア軍は続いて赤十字と司教館を攻撃し、最終的には1000人以上を殺し、教会を焼き払い、尼僧たちを強姦した。

インドネシア軍は、国連の後援下で行われようとしていた自由な投票----素の結果、インドネシアによる東ティモールの不法占領に終止符が打たれた----を頓挫させようとしていたのである。

私は、1999年9月27日付『ネーション』誌に東ティモールから送った記事の中で、ブレアがウィラント将軍に支援を申し出ていることを記録した電信を暴露した。

ブレアはその報道を否定しなかった。のちにクリントン大統領にその件について訊ねたが、クリントンもまた否定しなかった。クリントンは自分は知らなかったと言い訳し、その件についてはブレアに聞く必要があると述べた。

『ネーション』誌の記事を以下に再掲しよう。

(注:インドネシア軍は殺害を行っていないと言っているが、国連もCIA報告もインドネシア軍の関与を述べている。国家安全保障アーカイヴのブラッド・シンプソン教授の要求によりのちに機密解除されたCIAの電信は、リキサ虐殺について「攻撃の前、インドネシア軍は親インドネシア派民兵と共謀しており、また、殺害が行われているときにもインドネシア軍の何人かがその場にいた」。ブレアがインドネシア軍に新たな援助を申し出たのは、この殺害の直後である。

『ネーション』誌[米]
1999年9月27日
ティモール虐殺:米国の共謀


インドネシア軍というギャングたちが東ティモールで暴虐を欲しいままにしている中で、ほとんどの外国人ジャーナリストは東ティモールを逃げ出した。9月7日の時点で、アラン・ネアンが東ティモールに残る唯一の米国人記者だったと思われる。彼は、これまでしばしば『ネーション』誌に寄稿し、また賞を取ったこともあるジャーナリストである。ネアンは包囲された国連本部を抜け出し、ディリを歩き回った。インドネシア軍と民兵が放火と略奪を行っているのを彼は、うち捨てられた家に隠れて見ていた。ネアンは、長年にわたり東ティモール問題について書いてきた。1991年、サンタクルス墓地虐殺で数百人の東ティモール人が虐殺されるところを目撃し、インドネシア軍にひどく殴られたとき以来、インドネシア当局は彼を「国家治安への脅威」としてインドネシア入国を禁止した。それ以降も、彼は、東ティモールに何度か潜入した。1998年3月30日付『ネーション』誌への寄稿の中で、ネアンは、米軍がインドネシア軍への訓練を続けていることが、インドネシア軍による市民への拷問と殺害と密接に結びついていることを暴露した。ネアンはこの報告を、パシフィカ・ラジオの「デモクラシー・ナウ」を担当しているエイミー・グッドマンを通して、『ネーション』誌に衛星電話で伝えてきた。[編集者]

東ティモール・ディリ

東ティモール人、そして今もここに残っている少数の西欧人にとって、今や、民兵がインドネシア軍(TNI)の一部であることは明白なものとなっている。たとえば最近、私は民兵に捕まったが、彼らはインドネシア警察の制服大佐のもとで活動していた。[編集者注:インドネシア政府は民兵と警察、民兵と軍との関係を否定してきた。]けれども、もう一つ、政治的に重大な事実が存在することは、ここ東ティモールでも、また国際社会でも知られていない。米国政府は公式には民兵をめぐってインドネシア軍を非難しているが、米軍は、裏で、そして米国議会の意向に反して、インドネシア軍(TNI)を支援してきた、という事実である。

米国政府筋は、この[1999年の]4月、民兵のテロ活動が激化したときに、インドネシア政府にメッセージを送るため、米軍士官のトップを派遣したと述べている。4月8日、米軍太平洋司令部総司令官で太平洋地域のすべての米軍を統括する地位にあるデニス・ブレア海軍大将がジャカルタに赴き、インドネシア軍総司令官のウィラント将軍と面会した。ある米国政府筋が私に語ったところによると、ブレアの使命は、ウィラントに、民兵の作戦をやめる時がきたと知らせることであったという。この2日前、東チモールのリキサにあるカトリック教会で民兵が山刀により残忍な虐殺を行っていたこともあり、これはきわめて重要な使命だった。東チモールの人権団体ヤヤサン・ハックは、数十人の一般市民がこの虐殺で殺されたと述べている。犠牲者の肉片が教会と司祭館の壁にこびりついていたことが報告されている。ブレア海軍大将は、リキサ虐殺に関する詳細な報告を得ていたにも関わらず、ウィラントとの会談の中で、すぐさま、インドネシア軍総司令官ウィラントに会いにきた目的は、ウィラントを安心させるためであると明言した。ハワイの太平洋司令部に伝えられた機密電信によると、ブレアは、ウィラントに民兵を解散させるよう求めるかわりに、一連の新たな米国からの援助を提案したのである。

ジャカルタの米国大使館付米軍武官ジョセフ・デービス大佐が草案執筆したこのケーブルによると、ブレア海軍大将は「インドネシア軍司令官に対し、軍が地域の指導者として適切な役割を再開するときが来るのを待ち望んでいた、と述べた。ブレアは、1999年7月から8月を目処に、次の二国間防衛談話の際に、自分の客としてハワイに来るようウィラントを招待した。彼は、太平洋司令部は軍ドクトリンの展開のために主題専門家の交流を支援する予定であると述べた。彼は、群衆統制に関して、インドネシア警察と・・・選ばれたTNI兵士たちに技術支援を提供するため、小規模なチームを送る決定がなされることを予定している。」

ブレア海軍大将は、ウィラントに対し、民兵の作戦を停止すべきとは一言も言わなかった。それどころか、ウィラントをハワイに個人的な客人として招待することで、全く逆のメッセージを送ったのである。ブレアは、ウィラントに対し、米国がインドネシア軍に、新たな暴動統制トレーニングを開始するだろうと述べたのである。これは極めて重大なことであった。というのも、それは、1992年以来最初の、インドネシア軍に対する新たな米国の訓練プログラムとなるからである[1991年11月12日のサンタクルス虐殺事件が公にされたことにより、米国議会は、インドネシア軍への訓練や軍事援助を制限した。一方、国務省、政府、国防省は抜け穴を使ってインドネシア軍への武器売却や援助を継続した]。国務省は書面で、この訓練の対象は軍兵士ではなく警察官に限られると述べていたにも関わらず、ブレアはウィラントに、軍兵士も訓練に参加することができる、ハイ、と伝えたのである。つまり、ブレアはウィラントに、民兵の作戦をやめるよう伝える使命を与えられていたにも関わらず、全く逆のことを行ったのだった。

私が話をした数人のインドネシア軍将校たちによると、ウィラントはこの会談に大喜びしていたという。彼らは、これを、民兵を使った作戦に対する青信号と受け取ったのであった。機密電信の中で民兵に言及されている唯一の部分は次のようなものである。「ウィラントはきっぱりとしていた。東ティモールがインドネシア領の一部である限り、インドネシア軍が東ティモールの平和と安定を維持する責任を負う[これは国連でも国際法廷でも全く認められていない。インドネシア以外で、インドネシアによる東ティモール併合を公に認めたのはオーストラリアだけである(「有力」諸国政府や、『朝日新聞』等も実質的に認めてはきたが)]。ウィラントは、インドネシア軍は、WANRA民兵とともに独立派のFALINTILを武装解除するための手だてを取ると述べた。ブレア海軍大将は、ウィラントに対し、いずれにせよ、国際社会は、東ティモールを、インドネシア改革の進み具合をはかるバロメータと見なしていると述べた。さらに重要なことに、東ティモールの変革プロセスは平和的に進みうるものであると彼は述べた。」

以上であった。忠告はなかった。ウィラントはWANRA民兵の武装解除に言及しているが、ここで彼が述べているWANRAは、当時東ティモールで一般市民を攻撃していた民兵とは別のものである[WANRA(人民抵抗軍)は、1975年、インドネシアが東ティモールを侵略してからまもなくインドネシアが作った武装組織。一方、1998年から1999年に、インドネシア軍はそれとは別に民兵を組織した。99年の多くの虐殺は後者が行ったもの]。ウィラントとの会談でブレアが述べた内容を受け取ったとき、米国国務省は、この「最高機密」電信を、ジャカルタ米国大使館のステープルトン・ロイ大使に送った。このケーブルの主旨は、ブレアのしたことは受け入れ難いもので、否定されなくてはならないというものだった。ワシントンからロイへのこのケーブルの結果、ウィラント将軍とブレア海軍大将との間で訂正のための電話による会談が手配された。電話会談は4月18日に行われた。

私は、ブレアの補佐、トム・シドウェル中佐が書いた、この電話に関する公式の報告を入手している。この電話の記録及び私が米軍将校たちと話した内容から、ブレアはまた、民兵の活動を停止するようウィラントに述べなかった。実際、そのかわりにブレアは、ウィラントが繰り返してきた政治的メッセージを繰り返すことを許可したのである。記録では、次のようになっている。「ウィラント将軍は、事件の際、インドネシア軍と警察がいずれかのグループを支援していることを否定した。」ここで事件というのは、東ティモールでインドネシア軍が行っていた攻撃である。「ウィラント将軍は、3つの点を強調するために、明日、東ティモールに行く・・・ティモール人、特に対立する二つのグループが対話を通して平和的に問題を解決すること、2)民兵に武装解除を促すこと、3)状況を平和的にし、問題を解決すること。」ブレアは、民兵を解散させるべきとは一言も口にしなかった。そして、実際、この電話会談のあと、民兵の暴力はいっそう激化し、また、米国のインドネシアに対するより具体的な新しい軍事援助が増加したのである。ほんの数週間前、インドネシア空軍を訓練するために、米国空軍の訓練官が送り込まれたが、これもその一つだった[米軍はCARATと呼ばれる軍事共同訓練プログラムにおいて1999年8月までインドネシア軍への訓練を続けた。これに参加したインドネシア軍兵士の一部は、すぐに東チモールに送られ、9月の虐殺に関与した]。
アラン・ネアンは、www.newsc.blogspot.comでニュースと論説を掲載中。


* * *


米国はイスラエルに大規模な武器提供を計画中
2009年1月10日
Aljazeera原文

ペンタゴンはイスラエルに大規模な武器提供を計画しており、ガザにおけるイスラエルの軍事行動が長期化するのではとの恐れが強まっている。

ロイター通信は、同通信社が入手した調達文書によると、米国は数百トンの武器を今月末、ギリシャからイスラエルに送る予定で商用船舶を借り入れようとしている、と報じた。

米国海軍軍事海上輸送司令部(MSC)によると、1月末、この船舶は二度にわたり、ギリシャのアスタコス港からイスラエルのアシュドッド港へ「兵器」と呼ばれる20フィートのスタンダード・コンテナ325個を輸送する予定であるという。

積み荷目録によると、コンテナには爆発物や弾薬などの「危険性物質」が入っているというが、それ以上の詳細は記述されていない。

ペンタゴンが船の入札を発表したのは2008年末のことだった。二度の配送の期限は、1月25日と1月末日に設定されていた。

ペンタゴンの報道官はイスラエルに対する武器輸送計画があることは認めたが、それはイスラエルによるガザへの猛攻撃とは無関係であると述べた。

「この輸送は以前から決まっていたもので、ガザの現状をめぐりイスラエルを支援するものではない」と空軍中佐パトリック・ライダーは言う。

しかしながら、ロンドンのある上級軍事アナリスト----匿名を求めた----は、武器輸送は、タイミングから言って「変則的」なものでガザでの軍事行動に関係しているかも知れないことを示していると述べている。

今回の船の借入れ入札の前に12月にも米国はイスラエルに武器を輸出しており、その輸送も商業船舶によってなされている。

これまで英軍と米軍のために武器輸送を行ってきたロンドンのブローカーたちは、これだけ大規模な武器の積荷をイスラエルに輸送するケースはあまりないと述べている。

「一度に3000トンあまりの武器を輸送するというのは膨大な量だ----非常にめずらしいことで、この数年、これほどの量が市場で扱われたのは見たことがない」とあるブローカーは匿名を条件に語った。

調達文書はまた、12月上旬に米国が賃借したドイツ船もまた、ノース・カロライナからアシュドッドへ、20フィート標準コンテナ989個に260万キロ以上の兵器を詰めた大規模な積荷を運んだことを示している。

9月、米国議会はイスラエルにバンカーバスター爆弾----誘導爆弾ユニット39(BGU−39)----1000発を売却することを承認した。これは、GPSを使って進路を定め、イランの核施設のような地下深い要塞を貫通するものである。

先週、エルサレム・ポスト紙は、最初の積荷としてミサイルが12月上旬に到着したと報じ、さらに、その爆弾はガザでの軍事攻撃に使われたと報じた。

これまでに、包囲されたパレスチナのガザ地区にイスラエルが加えている15日間の攻撃で800人以上のパレスチナ人が頃され、3500人ものパレスチナ人が負傷した。

一方、ハマスは、パレスチナ人戦士たちはこれまでにイスラエル人兵士30人を殺し、80人以上を負傷させたと発表した。


パレスチナ関係のニュースやイベントについては、パレスチナ情報センターをご覧ください。また、media debuggerブログはメディアの偏向を鋭くときにユーモラスに暴いています。

一方、日本国内。年越し派遣村は解散しましたが、政治的・制度的に作り出された貧困について継続的に働きかけるために、反貧困ネットワークさんのHPに様々な情報があります。

■ 京都・三条 ガザ虐殺に抗議する街頭アピール

日時:1月18日(日)午後5時半~6時半くらい
  (準備:5時~)
場所:河原町三条(三条アーケード入口)

■ 東京 「ガザ攻撃に抗議する」集会

日時:1月18日(日)午後1時半~5時
  (開場1時)
場所:ラパスホール(東京労働会館ホール)
内容:映画「レインボー」上映
   カーヌーン演奏:ヤスミン植月千春さん
   講演:岡真里さん「私たちに何ができるか」

益岡賢 2009年1月14日

パレスチナ] [東ティモール] [トップ・ページ