アチェ:軍事攻撃続く

インドネシアで津波の死者が20万人になる可能性がある中、アチェで軍事攻撃が続く
デモクラシー・ナウ!
2005年1月14日


インドネシア政府は援助ワーカとジャーナリストの移動制限を適用した。援助ワーカはインドネシア政府に旅行計画を通達するよう、そうでなければ国外退去処分となりうると言われ、また、バンダ・アチェ以外のほとんどの地域では軍のエスコートを付けるよう求められている。

インドネシアは津波の犠牲となったさらに4000人の遺体を発見した。これにより先月からの津波災害の死者数は世界中で16万人を超えた。中でも最悪の被害を受けたのはインドネシアで、11万人が死亡しさらに何千何万人もが行方不明なままである。その数さえ仮象推定である可能性がある。ナイト・リダーは、アチェの現地関係者が提出したある公式文書では21万人が死亡したか行方不明であるとしている。さらに救援ワーカはその数字でさえ実際より低いのではないかと考えているとも。

一方、インドネシア軍はさらに数千人の兵士をアチェに送り込もうとしている。それによりアチェに派遣された兵士数は合計で5万人に上ることになる。

2003年5月、インドネシア政府は自由アチェ運動(GAM)に対する大規模な攻撃を開始し、ほとんどの外国人に対してアチェ入りを禁止したが、先月、それを緩和し国際援助を受け入れるためにアチェを再び開放した。

インドネシア政府はそれから援助ワーカとジャーナリストの移動制限を適用した。援助ワーカはインドネシア政府に旅行計画を通達するよう、そうでなければ国外退去処分となりうると言われ、また、バンダ・アチェ以外のほとんどの地域では軍のエスコートを付けるよう求められている。一方、インドネシアのユスフ・カラ副大統領は12日、救援活動を手伝っている外国の軍隊に3月末までにアチェを撤退するよう求めた。

アラン・ネアン:ジャーナリスト・活動家。アラン・ネアンの報告はこちらをご覧下さい。

さらなる情報と草の根の援助については、以下を参照のこと。



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エイミー・グッドマン:本日、スタジオに、ジャーナリストで活動家でもあるアラン・ネアンをお迎えしています。アランは1991年に東ティモールで犯された虐殺の現場にいて生き延びました。その虐殺では、インドネシア軍が発砲し270人以上の東ティモール人が殺されました。アランもそのとき頭蓋骨を割られました。彼はまたインドネシアのアチェ州にも長い間滞在し、最近帰国したばかりです。アラン、最近の展開とインドネシア軍の動きについてお話いただけますか?

アラン・ネアン:津波から20日経ちましたが、インドネシア大統領スシロ・バンバン・ユドヨノ将軍はいまだに非常事態宣言すなわち実質上の軍事戒厳令の解除を拒否しています。ドイツ人医師ノルベルト・フォラーツェンがウォールストリート・ジャーナル紙に興味深い論説記事を寄せていました。彼は現在アチェにいるのですが、アチェにおけるインドネシア軍の統制は、状況として北朝鮮に似ているというのです。それもわずかな一部です。というのも彼が見ているのはバンダ・アチェの一部でしかなく、バンダ・アチェは外界に開かれているからです。以前のアチェの地方部を見るならば、さらに悪い状態がわかったことでしょう。けれどもこの比較はそれなりのものです。とりわけ現在、コパスス----インドネシア軍の特殊部隊のレッド・ベレーで、拷問と誘拐、政治的理由での強姦を専門とする最も恐れられている部隊で米国のグリーンベレーから都市戦といった戦術の訓練を受けている部隊です----とインドネシア軍諜報部SGIがいるようです。彼らが援助の配布に直接関与しているのです。私は、西アチェから戻ってきたアチェ人活動家と話したばかりですが、その活動家は、援助物資が直接コパススとSGIの兵舎に運び込まれていると言っていました。それらのバラックは拷問所として日常的にアチェ人が連れ込まれ尋問を受けていたところです。現在、援助物資が兵舎に積み上げられ、コパススとSGIの要員がそれを得ったり、あるいは私が話した活動家が言うように、村々への政治的な道具として使われています。彼らは村々に行ってまず村人に警察が発行した特別なIDカードの呈示を求めます。このIDカードは軍に反対していないことを確認された人々だけに与えられるもので、コパススとSGIはまたインドネシア国家への忠誠を宣誓し軍に協力することを人々に要求しています。とりわけこうしたことは西アチェのムラボーやアチェ・ジャヤ、そしてレウプナンやクルエン・ラヤといったバンダ・アチェの地方部、そしてピディエやロクスマウェ周辺といった東部で起きています。ムラボーでは、現地のインドネシア軍分区司令部が人々を強制労働に就かせ、生存者に死体を集めさせ、それを拒んだ人々の中には拷問される人もいるとのことです。

フアン・ゴンサレス:アラン、インドネシアが外国の軍隊は3月までに撤退すべきと主張していること、そして昨日(13日)米国官僚がそれは妥当な要求だと述べたことについてはどう思いますか?

アラン・ネアン:外から見ている人にとっては少し混乱しがちな問題かも知れません。インドネシア軍は米軍の手先なのです。軍は1965年から67年のとき、米国の支援を受けて政権と握りました。そのときに軍は権力を掌握しスハルト将軍がインドネシアの支配者となったのです。40万人から100万人のインドネシア人民間人を殺害して。そして米国政府とペンタゴン、さらに米国のメディアは当時それに対してあからさまに喜びを表明しました。米国は包括的な軍事援助をインドネシアに提供しました。けれども同時に、インドネシアの国内政治的要因----民族主義がとても重要な要素です----から、インドネシア軍は米国から独立している、あるいは米国を嫌悪さえしているという見せかけを装わなくてはならなかったのです。ですから米国とインドネシアの間にはこうしたレトリック上の衝突が見られたのです。とても皮肉なのは、現在アチェのアチェ人と話をすると、米軍がヘリで援助に来ていること、上陸して食料援助を提供していることをとても喜んでいることがわかります。けれども同時にホワイトハウスとペンタゴンが自分たちの目論みを達成できるならば、アチェ人は冷酷な罠にはまることになります。というのも、ホワイトハウスとペンタゴンはインドネシアに対する全面的な軍事援助を再開したがっているからです。そうすれば、アチェ人に食料を運ぶ船が同時にインドネシア軍に提供する武器を運ぶことにもなります。アチェ人を殺し続けてきたインドネシア軍に提供される武器です。ホワイトハウスとペンタゴンが成功すれば、です。そして12日の水曜日に国防副長官のポール・ウォルフォヴィッツがワシントンで上級将軍たちと会議を開きまた外部の諮問委員を引き入れてインドネシアへの米軍による援助再開作戦を計画しているのです。ウォルフォヴィッツ自身3度にわたりアチェを訪問しています。まもなくインドネシアを訪問する予定でもあります。

エイミー・グッドマン:お話しているのはジャーナリストとして賞を取ったこともあるアラン・ネアンで、インドネシア軍の行動を暴くことで様々な賞を受けています。最近インドネシアとアチェから戻ってきたばかりで、アチェの状況、津波で破壊されたアチェについて話を聞いています。アラン、あなたは今、国防副長官ポール・ウォルフォヴィッツがインドネシアに向かっていると言いました。ウォルフォヴィッツはイラク侵略の計画者の一人として広く知られていますが、元インドネシア大使でもありました。ですから、何が起きているのかよく知っているはずです。当時彼はどのような役割を果たしていたのでしょうか。そして現在はどうですか?

アラン・ネアン:ウォルフォヴィッツはスハルトとインドネシア軍とを強力に支持し、あらゆる場所でインドネシア軍への支援増強を推進して来ました。ですから、彼は、現在議会が課している対インドネシア軍援助の制限を打開しようとしています。今のところ、全米の草の根の活動により、そしてそれに対する超党派的な対応により、ペンタゴンがインドネシア軍にできる支援には大きな制限が課されています。ほとんどあらゆる種類の武器売却を禁じられているのです。またほとんどあらゆる訓練の提供も認められていません。極めて厳しい制限です。東ティモールでインドネシア軍が幾多の虐殺を行なった後に導入された制限なのです。けれどもウォルフォヴィッツは現在、その制限を撤廃してインドネシア軍への装備を提供しようとしており、そうなるとアチェやパプアの人々にとっては破滅的です。アチェでと同様西パプアでもインドネシア軍は軍事作戦を行なっているのです。

エイミー・グッドマン:援助グループについてはどうですか?現在アチェで援助グループはどのような活動をしているのでしょうか?インドネシア政府とどのような取り決めを行なっているのでしょうか?巨額の金が寄付されたとの話を聞きました。人々はとても親切に、大きな組織に寄付をしています。そうした組織はどのように活動しているのでしょうか?

アラン・ネアン:援助グループですか。第一に、アチェ人とインドネシアの援助グループ、現地の人々は----津波を生き延びた地域のアチェの人々もインドネシアの他の地域の人々も極めて親切に沢山のお金を寄付しています----ボランティアとしてアチェに入ろうとしていますが、インドネシア軍はそれを体系的に追放したり阻止したりしています。マレーシアからやってきたばかりの援助グループはスマトラから州境を越えてアチェに入ろうとしていますが、州境で止められ、軍に地上経由で援助を搬入することは今や禁止されていると言われ、アチェに入るために賄賂を軍に支払わなくてはなりませんでした。アチェ人たちに援助を配ろうとしているアチェ人たちは軍のエスコートなしに動き回ってはいけないと言われています。政治的見解などについての尋問も受けています。国連は大規模な慈善団体といったインドネシア外の組織はインドネシア政府との間に覚え書きを交わし、インドネシアおよびアチェへのアクセスについて条件を受け入れています。しばしばこうした覚え書きでは、これら組織はインドネシア軍と協力してインドネシア政府経由で活動することを求められています。援助の大きなグループはしばしば、政治には関わらないと述べています。それは真実ではありません。クリントン政権時代の1990年代、スハルトが米国に来たとき、CAREはワシントンでスハルトがクリントン大統領と面会する前に、スハルトのために記念式典を開き、そこには約250人の企業トップが参加してスハルトを讃えたのです。援助グループは、軍がしていることについてもっとはっきりと語るべきだと思います。こうした援助グループが公開する声明は非常に控えめです。さらに、大きな援助グループは市民個人個人が寄付した資金の多くの配布経路を変え、インドネシア現地そして本当に生き死にの問題に取り組んで活動しているアチェの小規模な草の根グループに提供すべきだと思います。ちょうど昨日、草の根グループが海外から寄付を受け取ることを阻止するためにインドネシア政府が銀行口座を妨害しているとの報告を手に入れました。

フアン・ゴンサレス:津波前にアチェで活動していた抵抗勢力やゲリラはどうなっているのでしょうか。これら勢力の、災害援助と復興再建に関する役割はどんなものでしょうか。また、それに対するインドネシア政府の振舞いは?

アラン・ネアン:アチェにはGAMと呼ばれる武装ゲリラ集団があり、独立を求めています。それ以外により幅の広い市民運動があり、独立をめぐって自由な投票を行う住民投票を求めています。津波が襲った直後に武装GAMは停戦を呼びかけましたが、インドネシア政府はそれを拒絶し、攻撃を続けています。現在、インドネシア政府は、話し合いを望むと行っています。けれども、そこから何が出てくるかははっきりしています。2002年12月から2003年5月まで、COHA(敵対行為停止合意)というかなり建設的な和平協定が結ばれていました。それによりアチェである程度の言論と結社の自由が可能になりました。米国がインドネシア政府に圧力をかけ、インドネシア政府と武装ゲリラGAMだけでなく民間人が和平プロセスに参加できれば、そうした状況に戻ることができる可能性もあります。

エイミー・グッドマン:草の根のグループを支援したい場合、どうすればよいですか?

アラン・ネアン:米国では東ティモール行動ネットワーク(http://www.etan.org)が寄付をいくつかの草の根グループに提供しており、英国では同様の仕事をTapol(http://tapol.gn.apc.org/)が行なっています。

エイミー・グッドマン:アラン・ネアン、ありがとうございました。インドネシアとアチェから最近帰国したばかりのジャーナリスト・活動家アラン・ネアンでした。


日本で現地の草の根グループと強いつながりを持ち、草の根の援助に寄付を提供する活動を展開しているNGOに、インドネシア民主化支援ネットワークがあります。

津波災害に対する各国の対応は様々です。専門家の技術支援を求めているところ、援助を求めているところ、債務支払いの延期を求めているところ。援助の観点からアチェの状況が難しいのは、インドネシア政府経由の援助ではアチェで本当に必要とされている人々にわたることが保証されないこと、またインドネシア政府が公表する必要援助の見解がアチェ現地の本当の必要を反映していない可能性があることです。また公式の援助団等がインドネシア軍の軍属とされ自由に活動できないことで本当に必要とされている人々に援助活動が届かない可能性も大きくあります。

一方で、資金援助は、適切な団体にすれば、相応の力を発揮します。

2005年1月4日付ユニセフニュースで、子ども400人がアチェから「保護」と称して連れ去られるという情報がありました。1999年、東ティモールの難民キャンプに押し込まれた家族の中から、子どもたちが連れ出され、インドネシアの孤児院で「洗脳」教育を受ける事件がありました(まだ解決していません)。さらにグアテマラでは先住民の子どもが臓器売買のために誘拐されるということも起きていました。ユニセフでは捜索と対策に奔走しているとのこと。


2004年青山の国連前で座り込みをしていたクルド人家族の二人、カザンキラン・アハメットさんとラマザンさんが17日入管に収容され、異様なスピードで18日午後の飛行機でトルコに強制送還されました。カザンキランさんは国連難民高等弁務官事務所のマンデート難民として認定されていたにもかかわらずの強制送還です。法務省は家族の残る5人についても強制送還の手続きを取っているとの情報も入っています。

イラクのフセイン政権によるクルド人虐殺で知られるようになったクルド人ですが、偉大なる英国首相チャーチルもクルド人への毒ガス攻撃を公然と提唱していましたし、トルコでは1990年代に自国領内のクルド人に対する大規模な軍事攻撃が行われ、数百の村々が破壊されました。現在でもクルド人に対するトルコ政府の弾圧は激しく続いています。

トルコ大使館・法務省・入国管理局に抗議を!とのメールが回ってきましたので紹介します:
二名はトルコに送還されれば、迫害や死の恐れもあります。それにも関わらず強制送還した法務省・入管に抗議し、残された家族の送還しないよう要請してください。そして、現地で二人の安全を保障するようトルコ大使館に要請してください。

【トルコ大使館】  〒150-0001 東京都渋谷区神宮前2-33-6
          e-mail : embassy@turkey.jp
          Tel : 03-3470-5131
          Fax : 03-3470-5136
          http://www.turkey.jp/

【法務省】     Fax : 03-3592-7393
          e-mail : webmaster@moj.go.jp

【東京入国管理局(品川)退去強制 執行部門】
          Tel : 03-5796-7122
          Fax : 03-5796-7125

  益岡賢 2005年1月19日

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