何が破壊されるのか

益岡 賢
2003年3月19日


2003年3月17日(日本時間では18日)、米国のジョージ・ブッシュ大統領が、「最後通告」なるものを発表しました。イラクに48時間の「猶予」を与える、応じなければイラクに対する全面攻撃を開始するというものです。多くの人が沢山の時間を使って優れた調査・分析をして公開している状況があるため、普段、私は自分ではものをほとんど書かず、翻訳紹介をしているだけなのですが、自分自身に対する整理のため、ということもあって、この度、文章を書くことにしました。書いていると具体的な事件の例を多々挙げたくなってくるのですが、あえて抑えました。また、引用の「」内については煩雑を避けるため、情報源についてはリストしていません。

イラクで、生命、生活、学校、病院、家族そして未来が。

米国が画策している「衝撃と畏怖」作戦がイラクに引き起こすであろうことについては、米国が、グレナダで、パナマで、ユーゴスラビアで、アフガニスタンで、そして1990年以来イラクで行ってきたことから、ほとんど明らかである。人々の生活を破壊し、命を奪い、学校や病院といったインフラを体系的に破壊し、家族を破壊し、そして、未来を奪う(女性に対する危害については「戦争と女性も参照して下さい)。

湾岸戦争でもユーゴ爆撃でも、米国は、「ピンポイント」爆撃、「スマート」爆撃、軍事標的だけを正確にねらい撃つ爆撃を行っていると、繰り返し述べてきた。けれども、これはまったくのプロパガンダだった。たとえば、1991年2月13日、イラクのアメリヤ・シェルターに避難していた一般市民400人が米軍のミサイル攻撃により、一瞬にして殺害された。その多くは女性と子供だった。当時のホワイトハウス報道官マーリン・フィッツウォーターは、この防空壕はイラクの軍事司令センターであったと根拠無く断言し、次いで「どうしてそこに一般市民がいたのかはわからないが、人命の尊さに対して我々が抱いている価値をサダム・フセインが共有していないことはわかっている」と発表した。ここが軍事司令センターだったという証拠は、その後まったく何一つあがっていない。そればかりか、米国は、それを証明する必要も感じていない。

ユーゴで米=NATO軍は、ベオグラードの、あるオフィス・ビルを爆撃した。このとき、米=NATOの作戦立案者たちは、事前に、その爆撃の「リスク」を次のように計算していた。「犠牲者推定:50から100人の政府/政党職員。意図せざる文民犠牲者推定:250人。爆弾半径内のアパート」。つまり、一般市民が同時に犠牲になっても意に介さないということを明言しているのである[ピンポイント爆撃の嘘については既に湾岸戦争後明らかになっているので言うまでもないと思うが、仮にピンポイントで標的に命中したとしても(その確率は実は高くないのだが)、市民の犠牲者を当然の前提としているのである]。

意に介さないばかりではない。実際に社会インフラを破壊し生活を破壊し人々の死を意図してもたらすことも多々ある。たとえばユーゴ爆撃のとき、NATO空中戦司令官マイケル・ショート准将は、「ユーゴスラビアの人々が困窮すれば、セルビア政府への支持も減ると期待される」と述べ、ミロシェビッチを追放するために意図的に市民と社会を破壊している。NATO報道官ジェイミー・シーアも「ミロシェビッチ大統領が自国民全員に水道と電気を供給したいと本当に望むならば、NATOの5条件を受け入れるだけでよい。われわれはこの[つまり一般市民を標的とした]作戦をやめるだろう」と述べている。それゆえ、もし歴史から学ぶものがあるとすると、少なくとも、次のことは確かである。米軍はイラク侵攻において一般市民の死を少なくとも意に介さないこと。場合によっては、意図的に殺害するだろうこと

そして、そうした一般市民の犠牲者は軍事用語で「付随的被害」と呼ばれ、米国のテレビでは、こんなコメントが流されるかも知れない:「そもそもなぜ記者たちが一般市民の死者についてわざわざ報道しなくてはならないのかわからない」、「私の疑問は、歴史的に見て、一般市民の犠牲者というのは、定義上、戦争の一部なのではないかというものだ・・・大ニュースとされるべきだろうか」、「市民の犠牲者は別に・・・ニュースではない。戦争にはつきものである」。

さらに、劣化ウラン弾が引き起こした癌や出産異常などは、既に多く報道されているし、記録されている[特に森住卓『湾岸戦争の子供たち』高文研を参照]。英国原子力機関が1991年に出した報告では、湾岸戦争で使われた劣化ウランの8パーセントを人々が吸入したとすると、「50万人の死者を生む」可能性があると報じた[裏切られた人々を参照]。米軍当局は、健康に対する影響はないと恐るべき強弁を繰り返している。そして、クラスター爆弾の不発弾が未来長くにわたって生みだしていくだろう犠牲者がある。1970年代に集中爆撃を受けたラオスのジャール平原では、今でも、米軍が残した不発「ボムレット」により多数の犠牲者が出ている。比喩ではなく、文字通り、人々の未来が破壊される。

世界で、法そして主権が。

現代国際法の中枢にあり、世界の190カ国以上が加盟する国連の憲章は、武力の行使を禁じている(第2条4)。例外は二つある。一つは実際の攻撃に対する緊急事態下での集団的・個別的自衛行為で(第51条)、この場合には、速やかに安保理に報告すると同時に、国連の場を通しての解決を求める必要がある。もう一つは、安全保障理事会の決定による軍事的強制措置の場合(第42条)である。

今回のブッシュの「宣戦布告」[事実をよりよく表すならば虐殺宣言だと思うのですが]は、国際法遵守というスタンスを、最低限のリップサービスとしてすらかなぐりすてた、あからさまな国際法違反である(それについては既に「国連決議の有無にかかわらずイラク攻撃は不法」で紹介したが、改めて整理してみよう)。ソ連のハンガリー侵攻やプラハ介入、アフガニスタン侵略、米国のベトナム侵略、グラナダ侵攻やパナマ侵攻、ニカラグアでのテロなどは出鱈目ではあるにせよ「予測される危険に対する自衛」であると強弁していた。ブッシュはそれを破棄し、一般教書演説や米軍向け演説などで、米国の一方的な「先制攻撃」権を主張している。

したがって、そもそも今回の米国のスタンスは、自衛を装ってもいない。けれども、日和見的強弁プロパガンダの常としてしばしばブッシュ政権は「イラクの脅威」を煽り「自衛」を持ち出して国内的支持を得ようとしたりしているので、これについても検討しよう。そもそも、国際法的にはっきりと自衛が許されるのは「武力による攻撃が起きたとき」であり、せいぜい攻撃の差し迫った危機があるときまでである。イラクについては、いずれの場合もあてはまらない。現在でも米英は頻繁にイラクを爆撃していることを考えると、「自衛」を主張できるのは、むしろ逆の側ではないかとさえ見える。女優のスーザン・サランドンの次の言葉は、極めてまっとうに、理性に訴えていると思う。

アメリカの若者達が遺体袋に入れられて帰ってくる前に、イラクで女性や子供たちが命を落とす前に、知っておきたいことがあります。イラクは私たちに何をしたでしょうか。

次に、国連安保理が軍事的強制措置を認めているかどうかについてはどうか。日本の小泉首相などは、いきなり「これまでの安保理決議で武力行使は正当化できる」と言い出した[後述するようにまったくの大転換である。君子だからだろうか]。イラクをめぐる安保理決議としては、1990年11月の678号がある。この決議は、イラクをクウェートから撤退させるための武力行使を米国をはじめとする各国に認めている(ただし、678号には、「地域の国際的平和と治安を回復する」とも述べており、米国はその後のイラク爆撃のときにこの文言を利用したりしていたが、ここでは「地域」というのは決定的に曖昧であり、イスラエルすら含まれる。678号の武力行使自体はクウェートからのイラクの撤退に限るものと解釈される)。

1991年4月には、決議687号が採択されている。これは、停戦を認めるとともにイラクの大量破壊兵器を破棄・無害化することを求めるものであり、武力行使の容認はまったくない。ブッシュ政権は、決議687号をイラクに遵守させるための武力行使を正当化するために、678号を持ち出しさえした。けれども、決議678号には、決議687号を遵守させるために武力行使を認めるなどという規定はどこにもない(そもそも678号が採択されたときに687号は採択されていなかったのだから、そんなことがあり得ようもない)。

ついで、1998年3月に採択された安保理決議1154号がある。査察に違反するならば「最も重大な結果」を招くという文言が存在するが、それを決定するのは国連安保理であり、個別の国ではないこともまた明言されている[アフガンをめぐる決議のときも、安保理が主体であったにもかかわらず、米国は決議により米国は攻撃できると不法な強弁を行った]。そして、決議1154号との関係で安保理が武力行使を認めたことなど一度もない。

2002年11月8日、玉虫色の決議1441号が採択された。ここでは、米国の主張にしたがって、イラクが「重大な違反」(material breach:この言葉は違反を記述する国連用語としては相当に強い調子のものである)を犯し、犯し続けているとの文言がある。しかも違反の対象として停戦を認めた決議687への違反も含まれている。米国はこれを利用して、状況は決議678に戻ったから武力行使をして良いのだと強弁したことがある(ただし678号決議はイラクのクウェートからの撤退について武力行使を認めているだけである)。さらに、この決議はささいな問題でも「違反」と規定できるようになっている(これらの文言を米国は各国への圧力によりとり付けた)。さらに、米国は、違反は「重大な結果」(serious consequences)を招くという決議の文言を取り上げ、武力行使が正当化されると主張することもあるが、国連の外交用語で武力行使を含む文言は「必要なあらゆる手段によって」(by all means necessary)であり、「重大な結果」ではない(決議1441と国連安保理も参照して下さい)。さらに、ここでもふたたび、事態についての判断を下すのは、国連安保理であり、米国ではない。

日弁連は、2003年3月19日に本林徹会長の名前で発表した声明(「アメリカなどによるイラク侵攻に反対する会長声明)の中で、次のように述べている。

 国連憲章により例外的に武力行使が許されるのは、安保理が必要な措置をとるまでの間の自衛権の行使として、或いは、平和に対する脅威等に集団的措置で安保理の決議に基づく行動としてなされる場合に限られる。しかし、現在、イラクはアメリカ、イギリス等に対する武力攻撃をしておらず、自衛権の行使はその前提を欠き、安保理決議1441号等は、今回の武力攻撃に同意を与えるものではない。
 従って、今回の武力攻撃が、国連憲章に違反することは明らかである。
 アメリカなどの武力攻撃は、二度にわたる世界大戦の反省を踏まえて築き上げられた国際社会における法の支配と、国連の存在意義を根底から覆すものである。

3月17日のブッシュの「最後通告」とその後の展開の中で、米英西が提出したもう一つの決議の案は取り下げられたが、これは(草案が色々かわって曖昧な点もあるが)武力行使を認めるものであった。仮にこれが米国の圧力(これには日本政府も一役買っていた)によって採択されていたとしよう。その場合は、安保理の承認があるということになる。実は、安保理の承認があったとしても、イラク攻撃は国際法に違反する。というのも、それは、国際法における強制規範(jus cogens:すべての国が遵守しなくてはならない至高の法)の一つ「平和に対する罪」を犯す侵略戦争に相当するからである。ふたたび、スーザン・サランドンの言葉を繰り返そう。

アメリカの若者達が遺体袋に入れられて帰ってくる前に、イラクで女性や子供たちが命を落とす前に、知っておきたいことがあります。イラクは私たちに何をしたでしょうか。

現在ブッシュが行っていることは、二重の意味で国際法を破壊している。世界で最も強大な軍事力を持ち、最も凶暴な国が、国際法を無視して侵略戦争に乗り出したという点(法への違反)、そして、特に米国や日本では、それが侵略戦争であるという法的認識の正当な声がきちんと届けられず、それ自体が公の議論として広まっていかない点(法そのものの破棄)。これにより、力のある国家が自由に他国の主権を侵害することが、ふたたびまかり通るようになる。

日本については、日本国憲法の平和規定は国連憲章の規定よりも強力で進んだものであるから、日本の小泉首相が「米国を支持する」とした時点で、これまで継続して政府が蝕んできた日本国憲法に、やはり二重の意味で、さらに大きな打撃を与えたことになる。日本国憲法の前文には、次のように書かれている。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

アジア各国で2000万人もの人々を殺し、日本で300万人もの犠牲者を出した反省から生まれたはずだった日本国憲法。この憲法が第二次世界大戦後、米国に「押しつけられた」ものであるとして憲法の改変を求める人々の願いが、それを「押しつけた」米国に無批判に何の独自性も主体性もないまま全面追従することで実質上達成されたのは、皮肉なことである。

日本そして米国で、言葉、論理、理性が。

法は、究極的には言葉の拘束力に依拠するものであると思う。その、法の破壊と同時に、法以外の言語の破壊、そして論理と理性の破壊が、大規模に進められている。米国で、そして日本で。米国でのとあるインタビューで、米国青年が、「実際に我々のように攻撃[2001年9月11日の事件]を受けたならば[イラク攻撃の正当性が]わかるはずだ」と述べていた。イラクと2001年9月11日の事件との関係はまったく立証されてもおらず、また、ありそうにない(米国が喧伝したチェコでの密会は米国べったりのバーツラス・ハベルにすら否定されたし、世俗政権であるフセインとアルカイーダは相互に強力な敵対関係にある)。とすると、この青年は、実質上、次のように述べていることになる。「我々は攻撃を受けた。それゆえ、攻撃を行ったものであるかどうかに関係なく、適当に選び取った気に入らない相手を攻撃する権利がある。そして、それはわかるはずだ」。鳥肌が立つような、論理の崩壊である。

悲しいことに、そして恐ろしいことに、新聞を開いたりテレビ・ニュースを見て、こうした言語と論理の崩壊を目にしないことの方が稀である。英国外相は、安保理決議案を撤回してイラク攻撃を決めたとき「安保理で決議に強固に反対する国があるため国際的な合意が得られない」と述べた。けれども、米英西が決議案を撤回したのは、少数の常任理事国が拒否権を発動する見通しだけでなく、十分な国の票を取り付けることができなかったためであるというのは米国筋が述べているところである(9票を得られずに否決されるならば、いずれにせよ理事国の反対票はいわゆる「拒否権発動」には相当しない)。「国際的な合意」を米英がどれだけ守っているか、1980年から2002年までの安保理決議における拒否権の発動数を調べてみた。米国が55回。英国は米国とともに15回(そのうち7回はフランスも)。フランスは米英とともに7回。ソ連4回ロシア2回、中国2回。このところ、国際的な合意を拒否権により最も多く踏みにじってきたのは米国であり、次は英国である(ソ連は1960年半ばまでダントツで拒否権行使回数が多かったが、それ以降は米国がダントツである)。たとえば、2002年12月20日、イスラエル軍が国連職員数名を殺害し、世界食料計画(WFP)の倉庫を破壊したことを巡りイスラエルを非難する決議案が安保理に提出されたが、米国の拒否権発動で反故になった。2001年12月14日にも、パレスチナ人の領土からのイスラエル軍の撤退と一般市民に対するイスラエルのテロ攻撃を非難する決議案が、米国の拒否権行使により潰されている。「国際社会」の合意による人道的・平和的決議を拒否権により踏みにじってきた米国(と英国)が、人道と「国際社会」を語る理不尽さが、ここに来て極まった感がある。

そして国連。アナン国連事務総長は新たな決議のない米国のイラク攻撃を国連憲章違反だと批判していた。ところが、米国による国連査察団の引き上げ要求を受け入れ、査察団を引き上げさせた。3月7日、UNMOVICのブリックス代表は、イラクの協力には不十分なところもあるが、かなりの進展を見せているとした上で、「残っている主要な武装解除の任務を遂行するために、どのくらいの時間がかかるであろうか? 査察への協力は即時に可能でありそうあるべきであるが、武装解除とその検証は即時にできるものではない。 外部からの継続的な圧力によるイラクの協力的態度があったとしても、サイトや品目をチェックし、文書を分析し、関係する人々にインタビューし、結論を引き出すためには時間が必要である。 何年もかかるわけではないが、数週間でできるわけでもない。数カ月は必要である」と述べていた。どのようにすれば、「平和への最後の一押し」(ブレアー)を行っていると自称する国々が、査察に必要な「数カ月」を「数日」と強弁することができるのだろう。言語の全面的崩壊を経由せずに、どのようにすれば。

日本に話を移そう。2002年11月頃には、日本政府は、こんなことを言っていた。「今回の決議(1441)は、さらなる重大な違反があれば安保理に報告され、そして安保理決議の完全な履行の必要性を審議するため、安保理は即時に召集されるという規定があります。・・・米国の代表も、この決議には武力行使に関する隠された引き金も自動性もい含まれていない、こういうことを述べておりますので、そのように理解をいたしております」(福田康夫官房長官)。ところで、2003年3月17日、小泉首相は、米国のイラクに対する武力行使について、「今までの国連決議で可能だと思う」と述べている。これが法的に成立する議論でないことは既に述べているが、2002年11月からの政府としての立場のでたらめな変更は、恐ろしいまでである。そして、小泉首相は、「米国を支持している。前から支持している」と述べた。同盟国として米国に対し国際的な合意を取り付けるよう求めると言っていたはずなのだが。

さらに、小泉首相は次のように述べている。「イラクが真剣に深刻に受け止めるべきだ。戦争か平和かはイラクにかかっている」。「最後のぎりぎりの努力を続けると国連も真剣に受け止めるべきだ。結束してイラクに圧力をかけるべきだ」。何の?武装解除のであれば、3月7日のブリックス報告をまったく無視していることになる。ブリックスが報告したように査察が着実に進んでおり、それに数カ月かかるというのなら、「イラクに大量破壊兵器を破棄させるには国際協調が大事」と述べ、「サダムを追い出すこと[は]・・・日本の立場とは違う」(ともに外務省小田部審議官2003年3月12日:文責は遠藤氏と川崎氏)という政府外務省の立場が、もし言葉を信頼できるとするならば、論理的に言って、「米国支持」にはなり得ないはずである。こうしたごまかしを指摘する声は、それなりに戦争に対して批判的なものも含め、大手メディアにはほとんどといってよいほど見られない。

美術家の岡崎乾二郎氏は、次のように述べている(岡崎乾二郎のデモサイトから全文移させてもらいます)。

端的に今回の
アメリカのやりかた が 
通ってしまうことが
恐ろしい。 
_______________________

今後
たとえ 形式的であっても 論理的な議論
というものが いっさい
意味を失ってしまう。
___________________

反戦に対して
フランスや ロシアですら 利権がからんでいるのは
確かでしょう。
金正日 や フセイン が決して正当化できない。
多くの仕業をおこなってきたことも確かである。
しかし その彼らでさえ、まだ 論理的に話をしようとし
その論理によって 自らの行為を 説明しきれないかぎり
自分たちが 存在しえない ということを理解している。
だから 彼らとは まだ言語による 交渉の余地がある。
______________________


アメリカは 現在 どう自らの行為を
正当化し説明しているか。
つまり
なぜイラクを攻撃しなければいけないのか(それもなぜ今、性急に)
その説明にもはや論理はありません。

イラクは危険ゆえに、なんとかしなければならない という言葉を
幼児のように繰り返しているだけです。

その代わりとして 主要な説得道具として口に出されるのは
水面下の交渉の場面だけでなく 
水面上ですら あからさまに
イラク攻撃後の 復興計画 へ参加できる という権益です。


追随する 日本の小泉首相ですら それを認めている。
イラク攻撃の正当な理由の説明をせずに
彼はこう答えた____

『アメリカの信頼を失うと 今後日本がどうなるか
国民は理解していない』

いわば、これが日本がイラク攻撃を支持する理由だと
小泉首相は公然と述べたのです。
__________________

アメリカのこうした やりかたが 通ってしまうならば

今後の世界で 人の行なう 論理的な手続き、営み、仕事のすべては
機能をなくし、空洞化してしまうでしょう。

批評や
哲学ばかりか

もはや
小説も映画や漫画やアニメすらもなりたたない。

たとえば映画のシナリオライターが
切磋琢磨して 誰もが納得するような
ストーリーを練り上げていく
そうした 作業がすべて意味を失うのです。

どんな無意味なストーリーでも通ってしまうのだから

というよりも
そもそも ストーリーが成立しない。
思考が成立しないのです。
__________________

本来は いかなる悪人であれ ヘンジンであれ
論理的に話すものです。

 アメリカの今のやりかたが通った後では、
話せばわかる。 
という救いは もうおとずれない。
___________________

人間の言葉への信頼は消されてしまうのです。

意志と希望を破壊させないために

こんなときには、とりあえず日本に暮らしているならば、なにごとも起きていないかのように「日常」生活を送って、ひっそりと下を向いて、できるだけ世界を見ないようにし、「都合の悪い」ことに耳を傾けないようにし、自分が生きているうちに自分の番にならないよう心の中で祈るだけにしていたくなる。さらに困ったことに、言葉と論理の崩壊から一番影響を受けるだろう科学者の中で声を挙げている人が少ないのは、いっそう悲観的にさせる。けれども、こんなときだから、そして言葉までが破壊尽くされそうな危機だから、次のようなガンジーの言葉を想起しておきたい。「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない」。その理由は、「世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」。今、見て見ぬふりをして、まったく何もしなければ、分かり合う意志、暴力の手前でとどまる意志、私たちはもっとマシなものになれるのではないかという希望すら放棄してしまうことになるだろう。それは、超大国の意のままに、イラクの次はイラン、パレスチナは「最終解決」し、コロンビアは侵略支配し、北朝鮮、そして、何かの理由で超大国の足を踏めば次は我が身の番という勢いを加速することにしかならないだろう。

ワシントン在住のジャーナリスト、サム・スミスは次のように書いている。「歴史の中でわれわれは無力であると考える人々は、1830年代の奴隷廃止論者、1870年代のフェミニスト、1890年代の労働組合活動家、1910年代のゲイやレズビアン作家のことを思い起こすとよい。われわれ同様、こうした人々も、自分が生まれる時代を選ぶことはできなかった。けれども、なすべきことを選び取ったのだ・・・歴史がわれわれ一人一人の背中を少しだけ押すように、われわれが少しだけ歴史の背中を押してやれば、未来にどんな驚くべきことが起きるか、わからない」。

戦争が始まる前から、これほど大きな抗議が世界的に起きたのは史上初めてだという。日本でも、8割の人々が今回のイラク侵攻に反対している。人口の半分が15歳以下のイラクという国に対する侵攻を止めるためには、侵攻を主導したり支持したりしている軍事大国や経済大国の中で人々が何をするかが決定的に重要なはずだ。今、日本で大多数の人がイラク侵攻に反対しているというのは、大切な希望である。

少しだけ(できればもっと)歴史の背中を押してやろう。意志と希望を保ち、言葉と論理を回復し、法を回復し、未来を回復するために。できれば今起こりつつある侵略を止め、万が一それに失敗しても、2年後に起こそうとするだろう侵略を止め、さらにその後に行おうとするだろう侵害を止めるために。まず正当な意思表示をしよう。ピースマーチに参加し、学校や職場で少しだけでも友人や同僚と話始め、日本の小泉首相(FAX: 03-3581-3883)と川口外相(FAX: 03-6402-2551)に論理的な説明の回復を求める要請を出し、米国大使館(FAX: 03-3505-1862)、領事館(大阪・神戸FAX: 06-6315-5930)に抗議のFAXを出し、窓やドアに平和を求めるメッセージを出そう(首相官邸と外務省には抗議の電話が殺到しているとのことです)。米国の宣伝が戦略的に上手いのに対して国連はどうしてきちんと宣伝しないのかといった批判的分析が傍観者の無力と実質上結びつかないようにするために、分析と観察をした分だけ、手も動かし抗議の声をあげよう。スターバックスに行くのを止め、それをスターバックスに告げることができる。良い記事には激励の手紙を書き、あまりに酷い新聞はとるのを止めることができる。それらには、限られているとはいえ効果がある。あまりに弱々しい?恐らくその通りである。1999年に米日豪の後押しを受けてきたインドネシア軍による東チモールの封鎖と虐殺をなすすべもなく見ていたことを思い起こし、それでは十分ではない、原理的な考察を伴う未来像を考えなくてはとの観念は頭を離れない。けれども、私のショボいホームページでも最近アクセスが急増して活動の問い合わせもあることは、やはり大きな希望でありチャンスだと、考えている。希望がないと考えてしまえば、希望は確実になくなる。私たちの意志と希望は、ブッシュや小泉に破壊させないようにしよう。少なくとも、それは何よりも貴重な出発点のはずだ。

戦争は、平和な明日を刻むには、あまりにお粗末な道具である(マーチン・ルーサー・キング)


 益岡賢 2003年3月19日

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