日本軍「慰安所」

日本が植民地支配した朝鮮や台湾、軍事占領したアジアの国々には、日本軍が建設・接収した数多くの「慰安所」の建物が残っている。

朝鮮半島の北端・咸鏡北道(ハムギョンブクド)には、日本軍の「慰安所」だった建物が朝鮮戦争での戦火を逃れて今も残る。
朝鮮民主主義人民共和国の羅南(ラナン)区域の豊谷洞(プンゴクド)。ここには日本の陸軍・第19師団専用の大規模な「慰安所」跡がある。その地区への入り口には、派出所だった建物が当時のまま残る。
(撮影地=朝鮮民主主義人民共和国・咸鏡北道)
羅南の「慰安所」地区には、約30棟の「慰安所」と宿舎・食堂・診療所があり、約300人の朝鮮人女性がいた。全羅道(チョンラド)や慶尚道(キョンサンド)からの女性が多かった。(撮影地=朝鮮民主主義人民共和国・咸鏡北道)
羅南で唯一残っている「慰安所」だった建物。羅南に司令部を置く第19師団と、京城(現在のソウル)の第20師団とで朝鮮全体を統括する「朝鮮軍」は編成されていた。第19師団のうちの少なくても1万人の将兵が羅南に常駐していたため、大規模な「慰安所」が設置された。(撮影地=朝鮮民主主義人民共和国・咸鏡北道)

朝鮮民主主義人民共和国の北端の芳津(パンジン)には、日本海軍「慰安所」が残っている。建物は、入った所に待合室があり、廊下の両側に同じ大きさの小部屋が並ぶという構造になっている。(撮影地=朝鮮民主主義人民共和国・咸鏡北道)

芳津の「慰安所」の当時と同じ広さの部屋。奥行き260センチ、幅180センチ。芳津では2棟の「慰安所」、女性たちの性病検診をした診療所、「慰安所」で死んだ女性の墓が確認されている。(撮影地=朝鮮民主主義人民共和国・咸鏡北道)

マリア・ロサ・ヘンソンさんが、日本兵の相手をさせられた部屋。日本軍は大地主の豪邸を接収し、ベッドがいくつも並ぶ寝室をそのまま「慰安所」として使用した。(撮影地=フィリピン・アンジェレス市)
香港の、「慰安所」として使われた建物。香港を占領した日本軍は街の一部を接収し、その中に「慰安所」を設けた。日本軍はあらゆる占領地に「慰安所」を設け、朝鮮人女性をはるばると連れて行った。(撮影地=香港・湾仔)
WEB写真展「戦争と日本」へ戻る