編集長の随時日誌 2007年8月 から分離

拙著『9・11/イラク戦争コード』など『放送レポート』で論評

2007.08.23(2019.9.9分離)

『放送レポート』は、わが古巣、民放労連が肝いりのメディア総研の発行で、民放関係者に拙著が広く紹介されるのは、非常に有り難い。以下の記事では、拙著『9・11/イラク戦争コード』の発行元が、「日本評論社」になっていたが、「社会評論社」と訂正を申し入れた。


『放送レポート』(2007.9) No.208 p.32-p.36

9・11「捏造」疑惑に迫る ~地域メディア、出版の役割~
壱岐一郎(Iki Ichirou) 日本記者クラブ会員

 事件を予言した? 共同電

 2001年9月9日(日)、沖縄の県紙『沖縄タイムス』は第一面に「米在外基地にテロの恐れ」という見出しで三段の記事を掲載した。原文は東京の米大使館広報が同月7日に国会記者会館で配布したもので、記事は共同電であった。沖縄にはほかに『琉球新報』があるが、全国紙ほかの各紙、テレビもこの大使館情報を扱わなかった。沖縄タイムスは沖縄サミットの直前にも1991年の北朝鮮、金日成の「在韓米軍容認」発言とニューヨーク・国連本部での交渉、さらに当時のブッシュ(父)政権の黙殺という共同電を紹介して、一部で注目されていた。

 「同時多発テロ」という大事件はこの二日後に起こった。アメリカの大メディアは瞬時に熱烈な「愛国者」に変わった。CNNテレビなども画面の下を切り、常時スローガンを表示、画面にはニューヨークのWTCツインタワービルに衝突する映像が何千回と反復放送された。ところがワシントンの国防総省、通称ペンタゴンに突入した映像はニューヨークの百分の一も放送されなかった

 片やハリウッド映画のような派手な大事件であるが、ペンタゴン突入映像の少なさは奇妙であった。60~70年代、航空記者を経験した私は次第に「謎」に向かっていった。

 ケネディ暗殺と9・11

 2000年暮れ、私はテキサス州ダラスのケネディ記念館を見学した。ひと月以上前のブッシュ、ゴア両氏の大統領選挙の最終結果をウオッチした後だった。

 周知のように1963年11月、ケネディ大統領は夫人とともに保守の強い南部を遊説していて、白昼、ダラスの中心部で狙撃され、死亡した。ソ連(当時)帰りの容疑者、青年オズワルドが逮捕され、警察へ連行される途中に殺される。その殺人現行犯もまた殺されるという怪しげな結果になった。

 一方、政府が委嘱したウォーレン委員会は詳細な報告書を出すが、依然、真相は明確ではない。またダラスの現場にて証言した数十人の多くが変死したことも事実のようだ。1990年代には、オリバー・ストーン監督の映画『JFK』(ケビン・コスナー主演)が封切られ、当時のジョンソン副大統領周辺の産軍共犯説を暗示している。

 大統領狙撃は緑の広場、ロータリーを望む教科書ビルの六階からとされていて、現在、ケネディ記念館になっている。今でも見学者は少なくはないが、意外なことに狙撃の瞬間の写真はなかった。残酷だから掲示しないといえばそうかと思うが、単独犯の狙撃ではない事実を証明しているともいえる。前記の映画などによると、三方から狙撃され、正視に耐えない悲惨なものだったという。それにしても、歴史的瞬間を写した写真がないのはおかしい。モザイク処理でもいいのだ。世界を震憾させたケネディ暗殺事件の闇は深い。

 さて、9・11に戻ろう。沖縄で前記の共同電に接していた私は、ペンタゴンとはずいぶん間抜けな指導部だと見た。すでにアルカイダは米政府に対し、クリントン時代に宣戦布告しており、1990年代に米本土で二度以上「テロ」に攻撃されている。まして「米軍にテロの恐れ」、中東のテログループによる攻撃情報だと、東京の米大使館が日本在住の米国民に警戒を呼びかけたのである。

 いうまでもなく広大な五角形の米国防総省は米軍の総本山である。その本部にハイジャック機に突入されるというのは、まったく締まらない話であろう。総本山に突入されたことを恥としたのか、メディアの露出は著しく少なかったので、かえって疑惑が増してきた。実際にニューヨークなどのハイジヤックもふくめ、CIAは情報を入手し、ブッシュ大統領に伝えたが、周辺がもみ消したというニュースが伝わっている。

 本年3月、「在日米大使館テロ計画」と題し、朝日新聞は、9・11の立案者とされるハリド・シェイク・モハメド容疑者に対する米軍の議事録を報じた(3月15日)。容疑者は昨年9月に悪名高いグワンタナモ米軍基地内の収容所に移送されている。

 あの9・11直後、ラウドスピーカーのような米政府の声明は「テロ」を非難し、自分らが自由の守り手だと喧伝し続けた。ほとんどのメディアが「愛国」大行進に加わり、第二のパールハーバーとなった。

 ブッシュ氏は「西部劇のように」「十字軍のように」と叫び出したがすぐこの表現を中止した。後者はイスラム圏一二億を敵にする単純で低劣な表現にほかならない。米政府はこの「大事件」のどさくさに米国内と欧日を巻き込み、10月にはアフガニスタン攻撃を始めている。

 だが、米国の世論調査でも二割はブッシュ氏に批判的な勢力があったのである。日本では雑誌『文藝春秋』が急遽、特集を組み、11月号で立花隆はブッシュ氏のやりかたを「ガキ大将」的と喝破し、事件を総括し、冷静に分析した。しかし、米国内ではN・チョムスキー、E・サイードらごく少数の評論家のほか、ジャーナリストは沈黙を迫られた。テレビのキャスターらがやや口を開くのは半年経ってからである。

 パールパーバーを検証する

 日本海軍は日本時間12月8日(月)の真珠湾攻撃を策定し、連合艦隊は北千島に集結し、ハワイヘ向かったが、この情報が米政府に知らされないはずはない。沖縄大の郭承敏元教授はハワイで調べ、当時、在日華僑で早大出の人がこの情報を米国政府へもたらしたと書いている(『星霜五十年』ひるぎ社、98年)。

 つまり、米政府はアジア人蔑視からか、無視・黙殺したというのである。が、とかく親日的な米国人の戦意を高揚させるためには日本の奇襲を座視しようと考えたふしも否定できない。この意味で「パールハーバー」は米政府による日本軍の「奇襲便乗策」であり、四年後の二発の原爆使用を正当化する理由にもなっている。政治とは非情なものという証明であろう。

 いまにして思えば、9・11のすぐ後の「炭疽菌」騒動にしてもおかしな話で、結果的に大儲けしたのは製薬会社であった。

 どこかおかしいのが、2001年以降の米国の「仕掛け事件」であり、さらに2003年にはイラクのフセイン大統領による大量破壊兵器の調査容認を無視して侵攻に踏み切ったのがブッシュ政権であった。

 2003年3月、米軍のイラク侵攻には世界中で未曾有の反対運動が起こった。日本の大都市のデモや集会には中学生も参加した。一方、米本国でも大手メディアが沈黙する中でラジオや音楽界では勇敢に侵攻の非を説くグループが生まれた。有名なグループ、ディクシー・チックスはロンドン公演で「ブッシュ大統領と同じ故郷で恥ずかしい」と語り、喝采を浴びたがアメリカではかなり干されてしまった。名誉回復は今年のグラミー賞だった。昨年の中間選挙で共和党が歴史的大敗を喫し、漸くアメリカ社会も平衡感覚を取り戻したことを示した。

 画期的な9・11の追究

 ペンタゴン突入の疑念とともに、ニューヨークWTCビルの場合、こう疑われた。要点は、

一、ハイジヤック犯があの操縦技術をマスターできるか

二、米空軍はスクランブルをかけなかったのはなぜか

三、民間機の衝突でビルは崩壊するか。鉄骨はジェット燃料で溶けるものか

 などだ。後述する著書によれば、ビルは三ヵ月前に所有権が移り、事件の三日前には警備の理由ですべての人がビルから退去させられていた。この間にビル破壊の火薬が仕掛けられたというのだ。機体はその部品も乗客の遺体は一部さえも発見されていない。結論は遭難機がどこかへ誘導されたことを暗示する。

 アメリカでも日本でもこの大事件について、疑惑の声が広がるとともに真相追究が続けられた。アメリカではラジオ局の関係者らが事件のおかしな事実を調べ出した。当時ラジオ界では第二次大戦中の日本のような放送自粛が行われていた(「9・11放送自粛曲リストの謎」立教大服部ゼミ、本誌202号)。また、早くも事件の半年後、アメリカでサイトに「ボーイングを探せ」(フランス語)が現われたという。

 ラジオ番組のホスト、デイヴ・ヴォンクライストらは疑惑をDVD化し、大手テレビ局に売り込んだが断わられている。ちなみにアメリカでは、ラジオの関係者がとてつもなく大きな仕事をする例がある。今をときめく映画監督、スピルバーグも『ジョーズ』を撮る前はラジオ制作者だった。

 DVD『ボーイングを探せ』(五〇分)はラジオ関係者から生まれた。五〇分の内容は、ペンタゴン部分とニューヨークのツインタワー部分に分かれている。堅固なビルの破壊や超高層ビルの崩壊について全米土木学会や消防士、軍人の証言、環境アセスメントの専門家の話がある。また、ラジオ放送の一時間前に出演をキャンセルした消防隊員がいた事実が述べられる。

 この作品が日本に送られ、きくちゆみらによって翻訳され、東京、大阪に現われたのは一昨年であった。大事件五周年の昨2006年、まず出版界が着眼した。在日カナダ人、ベンジャミン・フルフォードは月刊新聞『ジャーナリスト』(日本ジャーナリスト会議)7月号でインタビユーを受けるとともに、徳間書店から『9・11テロ捏造日本と世界を騙し続ける独裁国家アメリカ』を7月末に上梓した。さらに扶桑社から『暴かれた「9・11疑惑」の真相』を出した。ついで、木村愛二『9・11/イラク戦争コード』(社会評論社)の発刊を見た。なお、今年になって陰謀説の反論として奥菜秀次『9・11陰謀論の罠』が光文社から刊行されている。

 週刊誌では『週刊ポスト』が2006年1月、フルフォードの「9・11はアメリカ政府のやらせ」説を六ページにわたり紹介している。

 フルフォードはカナダ生まれ、日本の上智大からカナダの大学を出て、フリーになる前は米雑誌『フォーブス』のアジア太平洋支局長を務めていた。木村愛二は防衛大を中退し、東大に入り直した異色のキャリアを持ち、日本テレビ勤務の後に評論活動を続けている。

 さて、テレビでは2004年9月の事件三周年に、テレビ朝日系『ビートたけしの――こんなはずでは――スペシャル』が七つの疑惑を放送し、関東地区視聴率17・6%、関西地区18・3%を示した(前掲、木村著)。さらに昨年12月東京で、前記の諸氏と国際政治評論家中丸薫をふくむ研究者によって、シンポジウム「9・11事件の真相とその歴史的な意味の深層」が開かれ、反響が広がっている。

 『日本の黒い霧』以来か

 このベンジャミン・フルフォードの著書は告発本として、松本清張の『日本の黒い霧』以来ということができる。東京にいた氏は事件四日前の9月7日共同電を知らないようだが、説得力のある証明を突きつけている。清張の『黒い霧』から半世紀を経てなお変わらないキイワードは「大米帝国の陰謀」であり、従属してきた「醜い国」日本である。

 現在、フルフォードは関西で唯一の早朝ワイド番組『おはようコールABC』で水曜コメンテーターを受け持ち、たまに他局にも出演する。昨年暮れ、読売テレビの『たかじんの、そこまで言って委員会』(日、午後)にゲスト出演して、ほかの出演者からアメリカを批判してCIAから狙われないか、と問われている。が、9・11に関してはCIAもホワイトハウス内部の官僚主義の被害者だと見てよかろう。CIAはアラブゲリラの情報を提供し、ホワイトハウスに無視、黙殺されたようだ。握っていたのである。

 ここで、日本の真珠湾攻撃を想起するといい。政府は敵の攻撃を察知しても、直ちに防衛するよりも、いかに政府に有利にするかを考えるという教訓である。いわば、権力は「テロ」便乗、増幅効果を狙うと考えるほうが正しかろう。「パールハーバー」では二三〇〇余名の命を奪われたが、対日戦意高揚には役立った。これは日本側の宣戦通告一時間遅れの結果であり、騙し討ちの非難を甘受すべき歴史的事実となる。日本海軍の損害は「九軍神」(自爆的特殊潜航艇犠牲者九、捕虜一)をふくめても米側の百分の一であった。

 9・11は米政府にとって、ペンタゴンでは一〇〇余名(当局発表)、ニューヨークでは約三〇〇〇名の人命を失ったが、ネオコン政府のその後、ブッシュ氏の再選、閣僚らが関与する石油などに大きな利益をもたらしたのであった。

 このような巨悪は大メディアの避ける間題であり、フルフォードによれば、日本マスコミの禁忌(タブー)がいろいろあるなかで、最大のものはアメリカで、「いちばん信頼できるメディアは右翼の街宣車、次に週刊誌とか夕刊紙で、最後に大手新聞、いちばん最後はNHKです。嘘を言うというよりも、事実を言わないことが問題なんです」と語る(前掲『ジャーナリスト』06年7月)。

 ここに地域メディア、出版の役割がある。先に沖縄タイムスの例を挙げたが、沖縄では琉球新報も優れた紙面づくりで注目を集める。戦後六〇周年の2005年には、前年から一四回にわたり「沖縄戦新聞」を発行し、県民の命と生活を凝視して新聞協会賞ほかを受けている。沖縄はローカル即グローバルという地域性を生かした鋭い眼が光る。

 これに対し、ラジオ大阪では日常取材からラジオドキュメンタリーを作り上げる、根気と地域愛が見られる。私たちはとかく原爆、東京大空襲などの死者に注目してきたが、ここの吉村直樹記者は戦災負傷者に接し『足が生えてこなかった』を作り上げた(本誌199号)。子どものころに戦災で足の一部を失った60代の女性はいつか足が生えそろうと信じていたと語る。そのハンデを負った長い人生に頭が下がる。このような取材は時間と予算が十分とはいえないラジオ単営局の「ラジオ魂」といえるだろう。メディア、大なるゆえに尊からず、である。

 改めて出版の快挙を特記しておく。B・フルフォード、木村愛二ともただ「9・11」をとらえるだけでなく、広くアメリカ・ブッシュ政権の世界戦略を追究している。前著は6章「次の標的は中国か、その前にイラン…」、7章「生物兵器と劣化ウランのセットで…」、8章「日本よ!…」が戦懐すべき兵器開発の実態を伝える。木村著では事件被害者遺族のブッシュ政権追及集団訴訟に紙幅の半分を割くほか、英大衆紙『デイリーメール』の9・11陰謀説を三〇ページにわたり取り上げている(2005・8・6)。木村はこのほか湾岸戦争をウオッチし『湾岸報道に偽りあり』の著書ほか、メディア史など多数がある。

 地域のラジオ、テレビに期待

 アメリカの独立調査委員会が出した「9・11委員会報告書」(04年)はよく読まれ、大きな反響があった。有名な消費運動家ラルフ・ネイダーら一〇〇人と被害者家族三〇人は「真相を要求する宣言」を発表、ゾグビーの世論調査では「政府が意図的に事件を阻止することに失敗した」50%、「報告書に不満」が66%にも達した(木村著)。どうやら日本人のほうがのんき者のようだ。いまや国際的な問題で時差も地域差も少なくなった。メディアから市民へのアクセスが求められよう。

 メディアは待たれているのだ。いかに応えるかの時代といえよう。まして現代は巧みにインターネットと共存できる方法があり、地球は狭くなって地域メディアに有利だ。

 「12月8日」、パールハーバーや9・11について、トークやワイド番組のコーナーで扱うことができる。広島や長崎でも原爆投下を知らない世代が増えたというが、アメリカ人はパールハーバーを一〇〇〇年忘れないことを日本人は知るべきだろう。このような話題を、たとえ三分でも五分でも取り上げることを提案したい。

 毎秋、各地で「新聞週間」が開かれているが、放送番組は概して無関心で過ごしてきた。本来、新聞週間は「言論週間」で「新聞放送週間」である(小著『テレビはメッセージ』93年、梓書院)。とくに、今年初めにはNHKの女性国際戦犯法廷番組改ざんの東京高裁判決と『あるある…』番組事件が重なり、政府は事件に「便乗して」放送法「改正」へ突進した。

 「9・11」の闇は地球全体の共有体験となった。この大問題はもっと市民的規模で追究されることが望まれる。「騙されていないか」「大メディアはいまのままでいいか」がキイワードになろう。一方、この六年、地域メディアは地味に活動を続けており、「9・11テロの予告」など、必要な情報を誠実に届けてきたのだ。

 かつて日本マス・コミュニケーション学会は沖縄総会で「グローカル」という標語を掲げたが、この9・11もその視点で再検討が必要になった。強いが危ない米軍、総本山ペンタゴンにいつまで「美しい国」は関わっているのか、いまこそ厳しく問われているのではなかろうか。

―大阪で(文中敬称略)