随時追加“編集長日記風”木村愛二の生活と意見 2001年8月分

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2001.8.5.(日)

夏のお化け原水禁・原水協の順序で短い集会記事が載り足元涼しく5億丁小火器市場録画予約

 本日、引っ越し完了なれど足の踏み場も無い荷物の山の中で右往左往の日曜日の朝、つぎの「今日の一言」を含むマグマグ配信の電子手紙「国連情報誌SUN」を受け取った。

送信日時 : 2001年 8月 5日 日曜日 9:40 AM [中略]
▼国連情報誌SUN
[中略]

■国連安保理,小型武器に関する公開会合を開催

 国連安全保障理事会が小型武器に関する公開会合を開催。アナン事務総長は冒頭演説し、先月の国連小型武器会議(UN conference on small arms)における成果に引き続いて、小型武器の不正取引を禁じるため、法的拘束力を有する基準を確立する等の措置を講じなければならない、と指摘。[中略]

◆「今日の一言」
― 小事が大事 ―

 最初のニュースに出てくる国連小型武器会議,小火器とか軽火器というと,それこそ我々は小さなこととして軽視しがちですが,自動小銃などが世界中に出回っていて、冷戦終結後も400万人以上の犠牲者を出しているとのこと。本当に「小型武器はその犠牲者の数からして大量破壊兵器」(アナン事務総長)なのだ。

 この分野,実は日本政府が懸命に取り組んできたところであって,上記の国際会議も,95年に当時のガリ国連事務総長が報告書「平和の課題・追補」で深刻な現状を指摘したのを受けて、長崎の国連軍縮会議で日本が提案し設置された専門家パネルが提唱したもの。

 一般に,本当に強大な力(武器,権限等)は,それが強力であるが故に,なかなか実際には行使できないもの。兵器で言えば,核兵器や化学兵器,生物兵器だし,最近のトピックで言えば,総理大臣の閣僚罷免権だ。靖国神社参拝問題等に係る小泉総理と田中外相との摩擦を巡って外相の罷免も取りざたされているが,過去にいわゆる意見の対立から罷免した例は皆無であって,いわゆる伝家の宝刀,本質的に抜くことが予定されていない権限(武器)なのだ。

 世界に出回っている小型武器は推定で約5億丁で,このうち40~50%が不法取引によるとのこと。しかし、核兵器や化学兵器と違って、合法的な小型武器は「自衛の手段」として認められている。どこまでその製造や輸出を規制できるか,なかなか 厄介な課題だが,小事が大事なれば,その改善に全力を尽くしていきたい。[後略]

 この雑誌を訳して配信している若者たちは、「国連」とか「日本」とかに期待を抱いているところがあり、戦後「民主主義」教科書で育ったアメリカ王朝の思想支配に屈していると判断するが、それでも結構、参考になる。しかも、続けて『日本経済新聞』(2001.8.5)を見ると、放送番組欄にはNHKスペシャル「5億丁の戦慄・小型武器拡散を追う」とあり、社会面には実に小さな記事だが、「原水禁大会が開幕」と報じていた。原水禁は社会党が主導権を握るために途中で作った組織だが、本家の共産党独裁支配の原水協の方も「国際会議を実施」となっている。

 私は、原水協が分裂する直前に、職場で「日本テレビ原水協」の結成に関与したから、以後の分裂の経過は肌身に滲みて知っている。いわゆる社会主義国が原爆を作ったら、日本共産党はそれを「破邪の剣」だと主張し、社会党は「いかなる国の核兵器にも反対」と主張し、主導権争いが激化した。この件については別途、どこかで意見を記した。

 以後、私は、千代田区労協などの労働組合の地域運動に関わるが、そこでの仲間は、原水禁運動を「夏のお化け」と嘲っていた。労組員でありながら夏の大会以外の時には何の活動もしない原水禁運動専門の狂信的かつ免罪符購い的な連中が多かったから、嘲るのは当然だった。

 私は、原水禁運動の意義に疑問を抱き、文字記録に残る限りでは、1992年5月28日発行の『湾岸報道に偽りあり』(わが電網宝庫で無料公開中)の中で、アメリカ軍が使用した「気化爆弾」の評価として、次のように慎重に記している。

[前略] 私は、核兵器廃絶運動の重要性は十分に評価する。しかし、核兵器の登場によって、「通常兵器」という奇妙な区分が発生した。これはどういう歴史的事態なのだろうか。極論になるが、核でさえなければ、いかに残虐であっても非難できないかのような国際世論が作り出されてしまったのである。 この問題は、核兵器のみに的をしぼりがちな運動に限界があり、幻想性のマイナス面があったのだして、これまた十分に意識する必要があると思う。いわゆる「軍縮」にもまた、同じ問題がつきまとっている。前世紀のハーグ条約による残虐兵器の禁止にも、真に戦争を不可能にする力はなかった。そして、今の「通常兵器」は、そのときの残虐兵器の限界をはるかに突破しているのだ。

「残虐兵器の禁止」に関しては、すでに古代エジプトにすら先例がある。ブーメランと同じ原理の投げ刀が、相手構わず人を殺すからという理由で禁止されていたのだ。この投げ刀の殺傷力と気化爆弾のそれとを較べるのも愚かであろう。イラクの「貧者の原爆」を誇大宣伝して「悪魔化」を図り、無抵抗な敗惨兵を焼き殺したブッシュらの「悪魔性」の方をこそ、より深く分析し、追及すべきなのである。[後略]

 本日は、先月の猛暑が嘘のような涼しさで、足元が寒いほどだ。NHKスペシャル「5億丁の戦慄・小型武器拡散を追う」は録画予約した。原水禁運動については、先に「どこかで意見を記した」と記したが、近く「秘書」の強力な推薦に負けて、すべての自分の文章をまとめて数字で入力できる「MO」とやらを導入し、即時検索可能にする予定である。それまでは記憶で記すが、私の意見の神髄は、「残虐兵器の禁止」が戦争の継続を許したという主旨である。

 原水禁運動に関しては、特に、もともとソ連が所有しない時代に反米運動として始まったからこそ、社会主義の核兵器は「破邪の剣」だなどという主張が飛び出したのである。出発点の政治主義による錯誤を根本から反省しない運動には、いつまで経っても錯誤、倒錯が付きまとう。しかし、事実は無視できないのであって、夏のお化けの目の前に「5億丁の戦慄・小型武器」が突き付けられることになった。折しも、パレスチナでは、またもやミサイルで子供が殺された。この件については、別途、電子手紙を発する。


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