随時追加“編集長日記風”木村愛二の生活と意見 2001年7月分

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2001.7.18.(水)

先駆者を空想的と批判した「科学的」社会主義の「科学」たる根拠は「剰余価値」の発見というが

 今月の日記風の記載は、ついに月の半ば過ぎまで休業となってしまった。この日記風を開始した当初には、なるべく日毎の記事をと志したのであるが、やはり、そうもいかない。別途、電子手紙広場への投稿を自選で収めているが、手紙の性質上、そこでは自問自答の詳しい議論展開はできない。

 また、並行して開始した「カール・マルクス徹底批判序説」の方も、断続的となっている。特に、この半月以上の間、どちらも開店休業となった。しかし、実は、私個人の所業としては、猛烈な勢いで、しかも未曾有の炎天下に、この問題に関する継続的な批判活動を展開していたのである。

 何を隠そう、プルードンらのひそみに倣う「産業民主制」の実験的努力として、この一ヶ月の間、やっと今年から少し出始めた年金を資金にして、事務所部分をも含む新居、いや、中古マンションへの移転を開始していたのである。正式の事務所にするのには、敷金をもう一ヶ月分、12万円も追加しなければならないので、当分は準備中となるが、ほぼ20平米を事務所もしくは共同作業所または液晶投射器による巨大画面の上映会、集会、飲み会に使えるようになる。

 事務所の名前は、すでに「予定」として、手製の名刺に付け加えた。「綺羅星無限堂」である。地元に本社がある白木屋に対抗して、全世界5000点を目指す連鎖店とした。

 この発想の自分史を遡ると、労働組合運動の地域的研究にも至るし、その後の争議団時代の「職場占拠」や「企業自主再建」にも至る。倒産企業の争議では、職場占拠が普通だったし、自主再建が困難なことも、これまた残念ながら普通だった。失敗と表現した方が正確な場合もあった。しかし、再建に失敗しても、争議に負けて労働組合が破壊されても、闘いは続くのである。いわば業である。

 私の発想は、自分の育ちと職場の労働者の闘いを基礎にしているから、失敗したから駄目とか、諦めるとか、空想的だったと反省して止めるとかいうことには、決してならない。失敗は成功の母、七転び八起きの発想である。争議団の先輩には、私も子供の頃に熱読した『山中鹿介』の祈願の台詞、「我に七難八苦を与え給え」を唱える人もいた。いわゆる社会革命の歴史に関しても、古代の共和制から考えれば、一度で成就するとは思わない方が普通であろう。

 ところが、何ごとにも誇張は付き物で、ことに亜流となると、自己顕示欲から競争相手の失敗をあげつらい、失敗すれば、やーいのやい、そっちは空想的だと決めつける。その癖、自分達の失敗は反省しない。「革命的マルクス・レーニン主義」というのが正式名称なのだろうか、「カワマル」とは何じゃと問う人も本当にいたという「革マル」集団や赤軍派などを典型として、宗教そこ退けの暴力団さながらの体たらくとなる。

 私が日本共産党に加盟した頃には、いわゆる学習運動が盛んで、エンゲルスの『反デューリング論』からの抜粋による『空想から科学への社会主義の発展』の講議を受けた。講師役の先輩は、マルクス以前の社会主義者を「空想的」と批判する段になると、いかにも得意気で嘲るような口調になった。誇張である。私は当時、それほど深く考えてはいなかったが、その状況を鮮やかに記憶しているから、やはり、その誇張振りが、何か気掛かりだったのであろう。

 今、試みに平凡社の『世界大百科事典』で「空想的社会主義」の項目を見ると、その最後が、つぎのようになっている。

「エンゲルスは、この(資本主義の)経済的メカニズムの秘密は『剰余価値』にあり、唯物史観の発見とならんでその発見こそ社会主義を『一個の科学』にした、と述べている。

 ところが、マルクスが「剰余価値を発見した」のは、晩年になってからなのである。すると、それ以前の『共産党宣言』をも含むマルクスとエンゲルスの言説は、「科学」以前の空想ということになるのであろうか。また、使用価値と価値または交換価値、剰余価値、労働と労働力の違い、などの説明は、いわゆるマルクス経済学の「味噌」ではあるが、これを正確に理解している共産党員は非常に少ない。では、これを理解していない党員は空想的なのであろうか。「剰余価値の発見」は、それほどに決定的で、究極の秘密が明かされたというほど重要なことなのであろうか。実際には、それ以前から、資本主義による搾取についての大体のところは、衆目の一致するところだったのではないだろうか

 確かに言えるは、エンゲルスもそう語ったように、マルクス自身も、使用価値と価値または交換価値の違いの「発見」を、非常に重要視していたことである。マルクスは、この「発見」によって、プルードンらを追い抜いたと狂喜したのであろう。資本論の最初の部分、「商品に表わされる労働の二重性」(大月書店版による)の中で、使用価値と交換価値を論じているが、そこで、マルクスは特段の強調をしている。自著の『経済学批判』(『資本論の原型』)を出典に上げ、こう記している。

「このような、商品に含まれている労働の二面的な性質は、私がはじめて批判的に指摘したものである。この点(Punkt)は、経済学の理解にとって決定的な跳躍点(Springpunkt)であるから、ここでもっと詳しく説明しておかなければならない」

 ところが、実に興味深いことには、ここで「跳躍点」と訳されているドイツ語での Springpunkt と、その「点」を巡る「経済学の理解」という名詞の動きを表わす動詞 dreht の訳語が、まるで違っているのである。上記の大月書店版では、dreht の訳語が存在しない。これよりも古い青木書店版では、「点」が「軸点」となっており、やはり、dreht の訳語は存在しない。

 本来の意味を考える上で参考となるのは、マルクス自身が監修したとされるフランス語版だが、そこでは、punkt に当る point はあるが、Springpunkt の訳語が存在せず、動詞は pivote となっている。ダンスに「ピヴォット・ターン」があるが、男が右の踵に体重を載せ、女性を持ち上げるようにして、くるりと回ることである。エンゲルスが監修したとされる英語版では、Springpunkt の方が名詞の pivot(旋回軸)となり、dreht が turns となっている。ロシア語訳の方は、文字が使えないので「出発点」の意味だということだけを記しておく。英語の spring に水源の泉があることを根拠にしたものであろう。

 私自身の探索は途中のままだが、一応の私見を記すと、Springpunkt は、船が急速回転する時に水中に錨を投げ込む位置を表わす「海賊」の用語であり、だからこそ、その点を中心として、「経済学の理解」が旋回するのである。これと同じ原理は、波止場の杭に縄を巡らせて船を旋回せる場合にも働く。その場合は、縄が両側にあるので、「二面的」、青木書店版では、より強い意訳の「二者闘争的」の意味を、具体的な情景として思い浮かべることができる。もしかすると、海上でも、錨に縄をくぐらせる環を付けて遠くへ投げ、船首と船尾のどちらかで縄を手繰り、旋回をさらに急速にする「海賊」技術があったのかもしれない。

 ともあれ、マルクスが特段の自慢の発見を表現する言葉として選んだ Springpunkt の訳語が、このようにまちまちなままでも、いわゆる「マルクス経済学」が商売になっていたのだから、これまた実にいい加減な位置付けだったと言わざるを得ないのである。


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