木村愛二の生活と意見 2000年5月 から分離

「従軍慰安婦」「南京事件」で希有な当局資料を無視した議論が続くのは恥ずかしい

2000.5.30(火)(2019.6.7分離)

ついつい「きつい質問」の気後れと居心地の悪さなのだが

 4日前の5.26.(金)のことだが、民衆のメディア連絡会の例会で、ついつい、きつい質問をしてしまった。主題は女性の市民ヴィデオ制作活動だったのだが、その活動の中心に、いわゆる「従軍慰安婦」問題が位置付けられていたからである。

 私の「きつい質問」の具体的内容を最初に明らかにすると、みすず書房が1982.2.26.に初版を発行した『続・現代史資料6:軍事警察』の中の「第十軍(柳川兵団)法務部陣中日誌」を「読んだか」、ということだった。上記の例会の活動報告スタッフは「読んでいない」のだった。答え方から察するに、この「日誌」の存在や、軍当局、それも法務部の公式報告という「稀有な」重要性の位置付けについても、予備知識がないようだった。

 私としては、女性の市民ヴィデオ制作者たちに「きつい質問」を向けることには、いささか気後れも覚えたのだが、当日の参考として配布された資料のチラシの中には、「女性国際戦犯法廷」の準備状況が記されていた。主催組織は、朝日新聞の女性記者が代表のVAWW-NET Japan(「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク)で、その法廷の「国際諮問委員会」は11か国の委員で構成される模様である。となれば当然、日本人として、目一杯の資料調査と、それなりの議論を、してほしいと思ったのである。

 私には、この国際組織に直接物申す時間も義理もない。かといって、これまでに、この種の運動関係者の言を漏れ聞く度に感じてきた資料整備と分析の不確かさを、素知らぬ顔で見過ごすのも、日本人として居心地が悪い。上記の女性の市民ヴィデオ制作者たちの中心にはNHKスペシャル制作者もいたから、話が通じる可能性もあるので、質問の形式で要望を述べたのである。

 この「法務部陣中日誌」の存在は、ある程度の研究者なら知っている。私は、この件を専門的に調べているわけではないので、とりあえず、手元の文献だけで論ずるが、試みに、大月書店が11年前の1989年に出した『日本近代史の虚像と実像』(3)「南京大虐殺の真相」を見ると、この日誌を、家永教科書裁判で「国側証人」に立った元海軍軍人の作家、児島襄の「証言の嘘はすぐばれる」(p.141)「史料」として挙げている。もっとも、この部分の執筆者、笠原十九司は、私の厳しい批判対象の言論詐欺師、本多勝一らと組んでいる。あの厚顔無恥な言論詐欺師の著書を引用したり、お得意の脅しのキーワード、「大虐殺」を鵜飲みで使うなどしているので、笠原の文章を読む前にも、眉に唾をなすり込む必要がある。それはともかく、この「法務部陣中日誌」は、その程度の「教授」でも知っている資料なのである。

 私の考えでは、この資料は、いわゆる「南京事件」と、その後の「従軍慰安婦」問題を論ずる上で、もっとも貴重な軍当局側資料である。資料解説にも「稀有」と記されている。ここでは詳しく論ずるのは避けるが、普通の軍人ではなくて、司法資格を有する法務将校が残した公式の報告書なのである。ところが、私が身近に見聞きする「南京事件」および「従軍慰安婦」問題の議論では、これが、まるで登場しない。多分、ほとんどの論者が「読んでいない」だけでなく、その存在も知らないのである。なぜなら、いわゆる「従軍慰安婦ルポ」類では紹介していないからである。ということは、いわゆる「従軍慰安婦ルポ」類の執筆者も不勉強なのである。安直なのである。

「従軍慰安婦」問題に直結する部分を先に指摘すると、資料説明の部分には元憲兵中佐の証言も要約、並記されている。元憲兵中佐によれば、「僅かに現行犯で目に余る者を取押さえる程度」だったのだが、法務将校が記した「法務部陣中日誌」の方の最後の部分に収録された「既決一覧表」には、104件、そのほとんどが、殺人、強姦で、強姦を含む犯罪の件数は23、猥褻1、強制猥褻1となっている。

 上記の元憲兵中佐は、この状態を「皇軍が聞いてあきれる状態」「遺憾」と記している。この事態が、いわゆる「宣撫工作」の障害となったからこそ、「従軍慰安婦」の制度化が急がれたのである。上記の国際組織が「戦争と女性への暴力」を主題とするのならば、当然、この戦争中の「殺人、強姦、猥褻」の継続としての「従軍慰安婦」という一連の問題の全体像を見渡すべきであろう。その方が、日本の侵略戦争の悪を裁く上で、より有効であろう。

 このような資料調査の対極をなすのは、かの言論詐欺師、大手新聞記者、本多勝一の「仕事」である。私は、本多勝一が朝日新聞の連載「中国の旅」で「百人斬り」などという不可能なヨタ話を書いて以来の「南京大虐殺」論争なるものは、「草野球の酔っぱらい観客の場外乱闘」と位置付けている。お粗末だから、揚げ足取りが容易になる。

「従軍慰安婦」問題の議論にも、これと同じ性質の弱点がある。日本軍の法務部、憲兵、軍事法廷、さらには、当時は公娼制度が存在した日本の売春業者、売春婦の存在、軍でなくて内務省の衛生局の所管だった公娼制度の位置付けなど、複雑な事実経過を避ける傾向が見られる。「従軍慰安婦は売春婦だった」と揚げ足取りされると、慌てたりしている。なぜなら、公娼制度の現実の上に、強制連行が続いたという歴史的経過を無視する議論になっているからである。もちろん、公娼制度をも批判の対象とすべきである。

「従軍慰安婦」問題を取り上げた先駆者の千田夏光は、こういう細部を無視しなかったのだが、最近の運動家は、千田夏光の先駆的業績を無視しているのか、迂回しているのか、ともかく底の浅い議論ばかりしている。多くの筆者は、いきなり「従軍慰安婦」の当事者のルポに走る。生々しいとはいえ、事実上、朝鮮で女性狩りを実行した警察官の監督官庁、日本の内務省の出店、朝鮮総督府の資料が発見されていない点など、最も重要な根幹を突こうとしない「逃げ」の姿勢になっている。これでは歴史の真相は明らかにならない。

『続・現代史資料6:軍事警察』の発刊は1982年であるが、原資料は存在し続けていたのである。この程度の資料探索すらせずに、また聞きでヨタ話を書いた記者、それを載せた大手新聞、まったく呆れたものだが、だからといって、その揚げ足を取って「南京大虐殺はなかった」「従軍慰安婦は売春婦だった」などと強弁する方も、実に下品な「売らんかな」商法なのである。

 どちらも、ああ、日本人として恥ずかしい。