禁断の極秘文書・日本放送労働組合 放送系列
『原点からの告発 ~番組制作白書'66~』24

メルマガ Vol.24 (2008.04.04)

第3章 人と機構

3 もう黙ってはいられない
   ――サービス部門は訴える――

C 業務内容、業務形態への圧倒的な不満

1 サービスする番組への不満

 直接番組制作にたずさわっていないサービス部門の人間の間に、番組に対する不満が実は無視できない潜在的な影響力を及ぼしている。NHKは国民のために豊かで良い放送を提供するよう義務付けられている。しかし本当に国民のためとは、豊かで良い放送とはどういう意味なのか。制作状況を目にしているサービス部門の我々は、種々の疑念が湧いてくるのを禁じ得ない。歯切れの悪い政治社会番組、清新な魅力に乏しい芸能番組、マンネリ化した教育番組といった印象をぬぐうことができない。たとえサービス部門の業務が単調で受身的なものだとしても、サービスした番組が国民の放送にふさわしい内容をもっているならばあえて単調さや主体性のなさを忍ぶ意味も出てくるかもしれない。しかし国民の放送としての確信が崩れてくるとき、単調な仕事自体への無意味感は倍加される。サービス部門で番組の内容と関係のある放業第4分会のレポートは現在の番組の内容に関して異議を唱える。

―― NHK番組の特徴は「天下泰平ムード」にとっぷりとつかった没個性的没主張番組にある。政治性の強いもの、社会的問題をテーマにしたもの、深刻な人間性の暗い部分を描いたような芸術作品、前衛的な大胆な表現方法などは敬遠される。放送不適にされた映画部推薦の映画を実例として挙げる。

『にあんちゃん』…主人公が朝鮮人の子どもであるという点。
『野火』…人肉と飢餓の問題を扱っているため。
『炎上』…金閣寺と宗教団体の結びつきを考慮。
『浮雲』…女主人公がパンパンになる時代がある。
『幕末太陽伝』…遊里が舞台だから。
『豚と軍艦』…生々しい基地の街の描写が問題。
『愛と希望の町』…金持ちと貧乏人の子どもどうしの階級性が出てくる。
『裸の大将』…精薄児の主人公。
『嘆きのテレーズ』…深刻な三角関係。
『灰とダイヤモンド』…複雑な政治的背景が難解である。
『審判』…テーマと表現の前衛性。

 これらは全て劇場で上映され世評の高かったものばかりである。調達する側も芸術的センスやジャーナリストの良心からセレクトするのではなく、作品が「明るく楽しい無難なものであるかどうか」を目安に選択するしか手が無くなる。ここにおける芸術的基準と業務上の基準との相克はやがては諦観と無気力に導きやすい。自分の信じたものを推薦できない状態でどうして仕事への意欲が生れよう。(業4)――

 無難で変りばえのしない番組ばかり並んだ時、果たしてその放送は「豊かで良い」放送の名に価するだろうか。放送の豊かさを阻害している偏見に企業内国粋主義と呼ばれる自作番組一辺倒の考え方がある。

―― 現在映画の番組上の役割は単なる穴埋めに過ぎない。スタジオ事情が悪化の時だけもてはやされる。外部の映画は概ね巨額の金と才能をかけた出来栄えもNHK制作のものより上であることが多い。そうしたいいものが外部制作なるが故に軽視されていることは基本理念にもとることであり、NHK製であろうとなかろうと作品自体優秀なものを放送すべきである。日頃世界のNHKを標榜するならば国際文化交流という面からも外国作品をもっと優遇してもいいはずだ。

 内部作品の一つの刺激としても、外部作品の優れたものはもっと数多く定期的にでも放送すべきである。(業4)――

 番組の恩恵を受けるのはあくまでも国民である。見る側にとって作品が内部制作だろうと外部だろうとたいした問題はない。作品の質的な良否の方が重大な関心事である。番組の内容への規制と編成方針による外部制作不当軽視政策について、映画課調達班の不満の一端を述べた。 次に催物業務に従事しているセクションから受信者対策としての公開放送番組について注文が出ている。

―― 催物業務は近来次第に受信者対策的な意味合いが強くなっています。こうした傾向について番組内容にも、もっと受信者サービスに徹した番組にして欲しいという要望が圧倒的にあります。公開番組もこのところマンネリズム気味ですから、これまでのカラーを破るものが出て来てもいい頃です。公開番組ではアナウンサーの比重が絶大ですからその選考には十分な配慮をして欲しいもの。また例えばクイズアワーとジェスチュアーを分離してもっと効果的に派遣番組として活用できるようにしたいものです。(業2)――

 さらに直接に受信者と番組制作者との間にあって、中間の橋渡し的業務を果たしている放送利用促進業務の担当者からも番組について問題提起がある。

―― 真に国民の期待する番組は何か、国民の要請に応えうる番組が送出されているか、という問題意識を持って業務を促進しています。しかるに多くの問題をはらんでいる指導要領に準拠して制作される学校放送番組の利用促進は、教育の本質や教育の可能性を追求するという理念から外してしまっているのではないだろうか。勤労青少年番組や後進国に対する提供番組には国家権力の意志が介入し利用するのではないかという危惧感がある。こうした疑念が業務の目的性や主体性を激しく求める一方、消極的閉鎖的な意識に自己を埋没させる側面を持っているのが実情です。(業2)――

 常々見聞している諸々な圧力の介入や、制作者側の自主規制、制作の姿勢が既成の権威に寄りかかっていることなどから生じる番組への不信感がサービス部門のモラルを低下させているのだ。サービス部門に限らず、番組の良否は全NHK職員の士気につながっている。その意味で番組の内容は全NHK人のモラルのバロメータであると言えよう。

2 放送料サービスに対する不満

 これはラジオ時代の支払い業務形態が今日なお続けられ、そのため女子職員の夜勤や労働過重を招いている例である。

―― この放送料のスタジオ持参支払い業務はまだ番組の数も少ないラジオ時代にできた出演者に対するサービス業務であった。しかるに現在のようにTV番組が発達して、番組の数も、スタジオの数も増えてくると、各所に分散しているスタジオを回るだけで相当の労力になる。そのスタジオからスタジオへ金品を持ち歩く危険性もある。さらにスタジオ持参の係が支払い窓口の応接も兼ねているが、スタジオ回りのために来室者を持たせることも多い。

 これなどは旧態依然たる業務形態の実情を示すいい例である。このレポートはスタジオ持参業務の全廃を提案している。

―― この業務を全廃した際、サービスの上から若干の欠陥が出てくることは予想できる。しかし他の支払部門、例えば伝票管理や窓口応接を強化することによってそのマイナスをカバーできるだろう。銀行振込制度の拡充をはかる手もある。いずれにせよ出演者自身が窓口に取りに来るという慣行をここらで確立してもいいのではないだろうか。(業1)――

 表面的には華やかなNHKの発展の陰に、いまだにこのような前近代的な過剰サービスが担当部員の負担の上に続けられているのである。

 この放送料については各サービス部門にとって常に色々な問題と不満をはらんでいる業務であり、近代化という面で大きく立ち遅れている分野でもある。現行では放送料の伝票は各局総務ごとに処理して支払窓口へ送付してくる。このシステムに一つの問題点がある。

―― まず制作部門から各局総務部を通って窓口に送付されてくるのにとても時間がかかる。事前に切った伝票でも事後に着くことが多い。

 また伝票のみではなく、そのプロチェック、格付け等は出演者の実績や参考資料を各総務部でもって行っているのが現状である。しかしこれ等の実績や参考資料は各局ばらばらに管理するのではなく、本来は一本化してプロチェックから支払窓口までを担当する部課を作るべきである。このようにすれば伝票の遅れもなくなり、現在各総務部で作っている資料等もまとまったものになる。それは放送総局の中におかれるべきだろう。そのことによって総局での放送料の番組別予算の把握ができ、経理局との関連もスムーズにいくのではあるまいか。(業1)――

 元来放送料の格付けに関しては著作権部が総括的にこれを管理してきた。ところが40年度の改革で「伝票照査業務」が各局の総務に移行され、著作権部が格付けの実行段階から外れることになった。

―― この業務自体は伝票チェックという1プロセスをはぶくという意味で合理化でした。しかし格付の運営管理が適正化どうかをチェックして、均一の格付けを計るという重要事項が宙に浮いてしまうことになったのです。職務権限上は今でも著作権部所管事項ですが、具体的実務を伴わないかぎり格付けの適正運営ということは不可能であります。格付け業務には出演者に関する膨大な資料を整備することが不可欠です。しかし現在では各局総務でばらばらに保管している状態です。(業2)――

 以上の実態は、協会に放送料に対する長期的なビジョンが欠けていることの表われにほかならない。換言すれば放送料というものに対する認識の低さの証拠である。公共放送企業にとって放送料が本来もっている意味は、その企業体が自己の放送をどのように評価しているかということの数字的な指標である。その放送企業が放送する必要を感じた人的資源に対してどれだけの評価を下すかという、いわば文化の時価を決める重要な行為なのである。公共放送企業体はその国の文化的価値基準を放送料によって格付けしているとも言える。さらに付言すれば、放送料体系を作ることによって企業体は放送以外の文化的事業も必然的にかつ並行して行っているわけである。

 NHKがこの重大な、大げさに言えば国民的な事業を総括的に担当する専門のセクションすら置いていないということは文化的な大失態である。現に著作部門ではこの認識に基づいて、放送料そのものを考え直そうという気運がある。しかるに現在の著作権部の人員(格付け関係その他著作権業務を含めてわずかの5名)ではこの大事業をやりとげるのは不可能に近いことなのだ。

―― 放送料についての検討が協会内で真剣に行われたことがこれまでにあったでしょうか。NHKには格付表というものがあり、膨大な出演者の料金が体系的に整然と記載され、その料金は権威ある格付委員会によって決定される……とよく言われますが。……格付けは当然のことながら価値判断を経て行われますが、何をその判断の基準にするかが問題なのです。絶対価値なるものは存在するのか。公正な価値とは何か。放送出演者の価値を評価することは可能か。出演者の出演行為は労働なのか。放送料に科学的な体系というものは必要なのか。以上について組織的な考察を加えるという動きはこれまでのところ皆無であったし、機構的に体系作りのできる態勢は全然できていない。(業2)――

 その証拠に次のような報告がある。

―― 管理の不徹底から同一出演者に担当部の違いによって異なったランクの出演料を支給している。

―― 制作者と直接つながりを持つ出演料の決定に当たって各種の圧力によって曲げられている例が見られる。

―― 例えば国会の逓信委員などが別の肩書で出演した際でも通常より高いランクを支払う。(報10)――

 放送料はあくまでも放送価値の正しい反映でなければならない。NHK放送にとって最も必要な人的資源が高く評価されなければならない。いわばNHKが自分の顔にいつも値札をぶらさげていることなのだ。その値段が不適当であったり、歪んでいたりすればNHKの顔そのものの権威が失墜する。格付けや放送料が秘密であるからといってこの失墜を隠しおおせたことにはならない。番組自体にNHKの価値評価は自ずと表出するからである。早急に放送料政策全般の再検討を行い、その適正な運営と体系作りに専念できる一本化した組織を設置すべきである。