禁断の極秘文書・日本放送労働組合 放送系列
『原点からの告発 ~番組制作白書'66~』22

メルマガ Vol.22 (2008.03.31)

第3章 人と機構

3 もう黙ってはいられない
   ――サービス部門は訴える――

序説1 ある原体験

 報告を始めるに当って、公共放送労働者にとって共通の原体験とでも言うべき、ある新人の体験をプロローグとして記しておきたい。

 それは新しい抱負と希望に燃えてNHKに入局したA君の体験である。彼は研修の一環として地方局へ配属され、集金業務の実習を受けた。受持区域はその地方で部落と蔑視されている低所得者層の密集居住地域であった。昼間はほとんどの人が働きに出かけて人影の少ない部落の家々を一軒一軒回りながら、彼は容易ならざる心境になっていた。暗い家の中で独り留守番をしていた老婆が、自分の敷いていた座布団の下から大事そうに一枚一枚数えて渡してくれた660円。赤ん坊を彼の手にゆだねた若い主婦が、部屋中から掻き集めてやっと足りた金額として支払ってくれた660円。あらかじめ準備してあったらしく昔気質の人らしい家人から白い紙に包んで、ささげるようにして差し出された660円。……数日後彼が貰ったサラリーは、こうして集金されたものの40軒、月々に換算して80軒分に相当した。彼は集金して回った1軒1軒のあまり恵まれない家庭事情を思い浮かべながら、身の引き締まる思いだった。一方、彼の回った別の区域には、660円の支払いが何でもない人たちがたくさんいた。A君は考えた。所得の高低に関係なく、受信料を支払ってくれる全ての人々が、NHKの大切なスポンサーには違いない。しかし、もう少し正確に考えてみると、660円がその支払者の生活に占める比重の大小によって、同じ660円に重みの違いが出てきはしないだろうかと。身を切られる思いで660円出してくれた人ほど、NHKに対する祈りのような期待は大きいのではあるまいかと。少なくともNHKの力を最も必要としているのは、この高度成長の社会において660円が切実な意味を持っている「取り残された人々」ではなかろうかと思われた。

 この二つの厳粛な実感がA君にとってNHKに入局した意義を最初に、しかも本質的に分らせてくれた貴重な体験=原体験となった。

序説2 ある原体験

 それから数年――本部のサービス部門に勤務しているA君は、彼を取り巻く現在の職場の雰囲気を「沈滞と不安のムード」と呼んでその底にある組合員の感情を次のように分析する。

 1.意欲に燃えた人間がしかるべき適性検査もなく、偶然に近い事務的処理によって不本意なセクションに配属されたという挫折感。

 2.局内には、本当に国民のための放送を最優先するという大原則が必ずしも尊重されていないことへの失望感。

 3.職制上の上下意識が予想外に強く、自由闊達な百花斉放の気風が抑圧されている重苦しさ。

 4.以上に加えて、サービス部門の業務はイニシアチブを喪失しており、単調な下請け的なルーティン・ワークに終始しなければならないという無力感。

 5.放送への情熱はまだ燃えているが、陽の当たらない場所には人事交流も乏しく、また定見のない機構改革によって、将来どのようになるか見通しの持てない不安と絶望感。

 A君の診断によれば、こうした感情が屈折して職場のモラール(士気)を著しく低下させているという。少数の個人ではなく、かつてあの原体験を抱いて入局してきた人たちが、一様にこのモラルの低下を否定できないと告白している。

 集団的に発生しているモラルの低下という現体験。これはもう個人の心がけ云々の次元で考えられるべき問題ではなくなっている。原体験と現体験。この二つの体験の間に介在する大きなギャップを解き明かすのが以下のレポートである。

A サービス部門のコンプレックス
    ――フィード・バックの欠如――

 自己、あるいは自己の属している部課の業務について、我々はどのような評価を下しているだろうか。組織の中の自己評価、これが労働意欲を分析する上で重要なファクターになる。先に不本意なセクションという語句があったが、現在の担務の中に充実感を発見できるのであれば、当初希望するセクションへ配属できなかった挫折感も癒されたはずである。我々はどのように自己の部課を認識しているであろうか。

―― 我々の部は教育局内の他の6部と実質的に対等ではない。番組も持たずもっぱら他部へのサービスを主要業務としている。性格上制作現場への従属性が強すぎて部としての独立した立場を保持し得ない。したがって部員の一人一人には制作現場に使役されているという認識からくる劣等感や挫折感あるいは不満がある。……教育局以外の他の部課との関係でも相手部課の指示に従ってこちらが作業するか、こちらがお願いして相手部課にやっていただくのかのいずれしかない。総務部として他部課に指示するということはない。この職制上の上下関係は個々の部員の優越感や従属感とも結びつく。(教7)――

 ここには劣等感、使役されている、指示で働く、上下関係、優越感といった言葉が出てくる。機構上の上下関係は存在しても人間関係に上下関係は存在し得ないと説くのは易しい。しかし現実問題として、ここには機構上の上下関係、あるいは現業とサービス部、又は陽の当たる部と陽の当たらない部という関係が、日常の業務で運営されている間に人間関係の上下感覚にまで波及している事実がある。

―― 報道局の中の通信部は、縁の下の力持的存在であり、毎日忙しさに追われている割には目立たない存在で、報道各局からは不当に下に見られている。(報9)――

 これは華やかな部と地味な仕事をしている部との業務上の種類の違いが上下意識を芽生えさせている例である。

 職制上の上下関係は、果たして権限事項の範囲を遵守しているだろうか。能動的な側の職制部課に越権行為はなかったか。またNHKにとって本来、業務が放送番組の提供である以上、現業部サービス部門の業務は、番組制作に必要なサービスの提供である。しかしサービス部門には一種のスタッフ的立場から製作部門をコントロールし、アドバイスし、チェックしてゆく機能がある。このサービス部門側からの積極的なアプローチが実効的である限り、両者の間に人間的な上下関係や劣等意識は発生しない。問題はこのアプローチのルートが閉ざされている現在の組織実態にあると言える。

―― 放送番組の送出という主体業務に対して、資料部の業務は『間接性』、『二次性』、『随伴性』あるいは『周辺性』をもっている業務といえます。このことは、ひとつに周辺業務を皮相的、表面的に解釈することにより主体業務に対してある種のコンプレックスを抱き、その結果積極性を失い、消極的姿勢を助長するところとなる。(業5)――

 主体業務に対する間接性、二次性、随伴性、周辺性というコンプレックス。主体業務側からの要請、指示、依頼のみが一方的に機能し、周辺業務からの積極的なコンサルトの方法が確立していない現在では、皮相的な解釈に陥り勝ちになるのも止むを得ない点がある。

―― 映画の調達はおおむね現行の番組の補充、編成の指示によって内容や枠の決まったフィルムをかき集めてくるということになる。調達部門に提案権はないからである。他からの働きかけで、彼らの眼鏡にかないそうなものを収集するという受身の業務形態になり易い。インサートの調達に至ってはまるで業務連絡係りである。PDの要求するフィルムやニュースリールを電話で業務に連絡して持ってこさせPDに見せるだけの業務である。(業4)――

 サービス部門から現業に対して働きかけてゆく実効的なルートが確立され、電話連絡係的要素や御用達係的要素が少しでも払拭されない限りサービス部門と現業との関係は、一層疎通を欠いたものになってくる。

―― これらの認識不足は、機能上写真課を他部課と横と横の関係でなく、全く縦の関係上下の結びつきにしている。写真課に潜在する活用性、並びに写真そのものへの認識不足は、写真課の業務を主体性のかけた複写、焼付等の業務で埋めてしまい、写真のメディアをもっと生かした業務の開発を疎外している。またこの上下関係はカメラマン、現像要員にあきらめと努力目標の消滅を引き起こし、向上意欲の低下に傾く恐れがある。(業4)――

 やはり上下関係が抜き差しならない形で発生してきている。機能的に上下関係が成立するとそれは改変を好まない強固なものになる。

 ここでも自主性あるサービス部門からの働きかけは現在では機能的に阻害されている。タテの関係、主体性の喪失、あきらめ、向上意欲の低下と悪循環が続く。日常の業務が現業からの一方的な要請としてだけ進行し、これが通常の形態として定着するとサービス部門からの積極的なアプローチなり提案は拒絶されないまでも仕事のスムーズな流れを阻害するものとして疎んじられ、排除されるようになる。

 「我が部はサービス部門なのだから」という消極的な姿勢が従来から職制の間に見られる。

 これは全くの逆説である。性質上、従属的になり勝ちな部門であるほど、担当職制は当該部課の主体性確保に留意すべきであろう。

 サービス部門の消極的な業務に潰されていく結果として、放送番組自体にも全く無関心になってしまう場合がある。

―― 先ず自分たちに番組と繋がっている意識なり気持が非常に希薄であることに気付いた。事務部門としては番組に最も密着しているはずの我々が、残念ながらNHKに勤務していることの意識といったことから話し合わねばならなかった。こうした放送に対する無関心さが、知らず知らずのうちにNHKの持っているある種の官僚性や権威主義を代弁しているのではないか。我々は番組の共同制作者としての側面を持っている点を自覚し、その自覚の上に立ってあらゆる業務に積極的に参画してゆかなければならない。(報10)――

 自己の業務への劣等感や欲求不満はまだ軽症と言えるかもしれない。それは現状改革への欲求を内蔵しているからだ。しかし無関心化、官僚化となると問題はより深刻である。いずれにせよ、サービス部門と現場の間に正常な相互関係が欠けていたことに起因する現象である。

 我々はまず、現在の沈滞と不安のムードを解明するに当たって、自分の所属する部課の業務に対する自己評価を下してきた。その結果、サービス部門に対する不当な機構上の軽視、つまりサービス部門から現業部門へのフィード・バック機能がほとんど考慮されていない欠陥を摘出することができた。サービス部門の主体的なアプローチのルートが機構上から考慮されて実効性が保証されない限り、サービス部門に働く人たちのモラルは自己卑下と諦めという形態であれ、無関心・官僚化という形であれ、結果的には下降曲線をたどることになるだろう。