東京地方争議団「司法反動」下の労働裁判闘争 3

……東京争議団結成25周年を目前にして……

1985.11.22-24.東京地方争議団共闘会議
第24回総会議案書 第4章「分野別総括(その1)」

三、権利意識の問い直しから歴史的総反撃へ

1999.9.24 WEB雑誌『憎まれ愚痴』39号掲載

1. 日本の労働委員会の国際的位置付け

『労働問題の国際比較』(日木労働協会)の「第15章/権利紛争の処理」によると、西欧の先進資本主義国および社会主義国では、労使紛争の法的争いが、おおむね労働委員会もしくは労働裁判所、労働審判所、労使審判所に1本化されています。

 通常裁判所で労使紛争が争われる国は、イタリアとオランダのみであり、これも1本化されています。イタリアの場合には、特別裁判所の設置は憲法で禁しられています。後述のように、地方労働事務所にも紛争処理の役割がありますが、それは調停のみの機関です。

 つまり、日本における裁判所による判決と、行政機関としての労働委員会命令との、2本立てに近い関係は、唯一の事例となります。ただし日本でも、憲法第76条において、司法権はすべて裁判所に属するとし、「特別裁判所は、これを設置することができない」と定めています。したがって、経営法曹の意図する労働裁判所構想は、改憲構想の一環にもなりえます。

 当面、反動の砦と化した裁判所としては、労働委員会の決定権を低めることによって、労働委員会を足下に置き、実質的な1本化を計ろうとするのです。

 その最大の焦点が、就労請求権の強制力にあるといってよいのではないでしょうか。

 なぜ緊急命令が眼の敵にされるかといえば、それは裁判所による解雇無効もしくは地位保全の仮執行について、強制権限による就労保証がなされておらず、結果として、労働委員会命令の方が、地裁もしくは高裁の判決よりも高度となっているからです。

2. なぜ緊急命令が焦点となったか
……就労請求権闘争の忘れられた歴史……

 では、裁判所の判決について、就労請求がなされなかったかというと、そうでもありません。

 たとえば、読売新聞見習社員で組合未加入であった滝沢正樹記者は、読売新聞従業員組合の支援をも得て、1955年に解雇無効確認の仮処分裁判を起し、翌年には勝訴しました。ところが、会社は職場復帰を認めず、「自宅侍機」の命今を出したので、さらに就労請求の仮処分を求めました。この請求は地裁で却下、高裁でも2年後の1958年に却下となりましたが、地裁の本訴で1949年に和解が成立し、解雇撤回・依頼退職・解決金百万円となりました。就労請求却下理由の概略は、「雇用関係は存在していても、被雇用者をどこに就労させるかは経営権にもとづくものであって、それは被雇用者の権利ではない」というものです。

 だが、日本国憲法第27条は、勤労の「権利」のみならず、「義務」さえも定めているのです。

「解雇無効」なり「地位保全」の決定があっても職場で働けないのでは、労働能力を高めることもできず、さらには働く喜びも奪われ、職場内での活動の自由も否定されます。明らかに、就労拒否は憲法・労働法違反であり、人権じゆうりんです。裁判所はみずから、就労請求却下によって、解雇無効・地位保全命令の効力を低め、結果として、司法の矛盾を深め、自殺を招いているのです。それなのに、なぜ労働者側は、就労請求権を再び争わなかったのでしょうか。こたえは簡単なように思われます。

 それは、1950年代に却下されてしまった権利であり、1962年に結成された東京争議団の闘いへも継承されなかったからです。しかも、それ以降の解雇事件では、地位確認の勝利を維持して、生活費を確保すること、なるべく敗訴をしないことが、運動を維持するための必須要件でした。労働者側の主体的な困苦が、屈服を余儀なくさせてきたのです。

3. カウンターパンチヘの手掛り

 日本の独占と権力は、1950年代の就労請求権却下を足掛りに、1962年には緊急命令の却下へと、反動の歯車をまわしはじめたのです。それへの反撃の一環が、東京争議団の結成でした。

 いま、労働委員会の全面的変質を迫る独占と権力に対して、さらに奥深い根本的な反撃が求められているのではないでしょうか。

 たとえば敵に学んで、権利の武器を、手掛りを、国際的にも求めるべきでしょう。もとより、それぞれに一長一短がありますが、とりあえず長所のみを紹介してみましょう。

〈イタリアの労働者憲章法〉

 イタリアで1970年に制定された労働者憲章による裁判では、裁判官はいつでも、つまり初審の審埋に入る前でも、「職場復帰」を命ずることができます。「労働場所」ヘの復帰が、使用者側に義務づけられています。そして、なにより強力なことに、「反組合的行為」についての簡易裁判では、10日間の超スピードで判決が出され、しかも刑罰つきの強制力があるのです。1973年には労働訴訟法改革があり、直接集中審理、弁論終結と同時に判決、控訴権の制限など、全体にスピードアップされています。地方労働事務所内にも、労使各四名と所長による調停委員会が設置されています(日本労働協会『イタリアの労使関係と法』ほか)。

以上で「三」終わり。以下の「四」に続く。


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