編集長の辛口時評 2006年7月 から分離

日経スクープ昭和天皇A級戦犯靖国合祀に不快感の深層心理

2006.07.20(2018.3.30分離)

http://asyura2.com/0601/senkyo24/msg/386.html
辛口時評060720 日経スクープ昭和天皇A級戦犯靖国合祀に不快感の深層心理

 本日早朝、以下の投稿をした。印刷物の方を先に見ている。


日経【昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・発言メモ】
http://www.asyura2.com/0601/senkyo24/msg/364.html
投稿者 木村愛二 日時 2006 年 7 月 20 日 08:14:41: CjMHiEP28ibKM
辛口時評060720

日経【昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・元宮内庁長官が発言メモ 】

印刷物では一面超特大見出し記事。メモの写真あり。
横2段抜き:
A級戦犯 靖国合祀
昭和天皇が不快感
縦6段抜き:
参拝中止「それが私の心だ」


http://www.nikkei.co.jp/news/main/20060720AT1G1700819072006.html
昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・元宮内庁長官が発言メモ

 昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語っていたことが19日、日本経済新聞が入手した富田氏のメモで分かった。昭和天皇は1978年のA級戦犯合祀以降、参拝しなかったが、理由は明らかにしていなかった。昭和天皇の闘病生活などに関する記述もあり、史料としての歴史的価値も高い。(詳細を20日付の日本経済新聞朝刊に)(07:00)


 以後、毎日、朝日の後追い記事が出現した。関連投稿も相次ぐ。

 朝日の記事から、その要点のみを抜粋する。


 メモは88年4月28日付。それによると、昭和天皇の発言として「私は或(あ)る時に、A級(戦犯)が合祀され、その上、松岡、白取(原文のまま)までもが。筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と記されている。

 これらの個人名は、日独伊三国同盟を推進し、A級戦犯として合祀された松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐伊大使、66年に旧厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取りながら合祀しなかった筑波藤麿・靖国神社宮司を指しているとみられる。


 昭和天皇は、東条英機も嫌いだったという。松岡洋右、白鳥敏夫らによる日独伊三国同盟から対米開戦への経過は、雪崩現象であった。昭和天皇は、事実上の事後承諾を余儀なくされ、不満を抱えていたに違いないのである。

 このような昭和天皇の深層心理に関する議論は、これから始まるであろう。