電子手紙の送信日付け順・注釈付き一般公開文書館 2001年8月

原爆「招いた」批判は『NHK腐蝕研究』と訂正し侵略の被害者への謝罪と追悼の日を提案

送信日時 :2001年 8月 8日 水曜日 8:32 AM

件名 : [pmn 15763] 原爆投下を「招いた」批判は『NHK腐蝕研究』と訂正

 やはり、20年も前に書いた文章について、記憶に頼るのはいけませんでした。先に、私が国体護持のあがきで原爆を「招いた」との批判をしたのは『読売グループ新総帥《小林与三次》研究』(1982.6.10)と記しましたが、その後、引っ越し荷物の整理が進み、その前年、1981年10月1日発行の『NHK腐蝕研究』の方だったことが判明しましたので、訂正します。

 訂正はもう一つあって、ドイツの降伏は5月でした。以後、3ヶ月、NHKに関しては具体的に「5月27日夜から7月末まで1回30分、8ないし9回にわたって」愛宕山からの短波による「打ち返し放送」により、ザカライヤス大佐と名乗り、日本語を操るアメリカの情報将校のサンフランシスコからの短波放送と、交信を続けていたのでした。

「降伏の条件を知らせよ」「無条件降伏というものは、もともと貴国の山本奏文将軍がシンガポールで使用したことばではないか」「勝者はもっと寛大であってよいのではないか」などと、コンニャク問答で「国体護持」の可能性を打診していたのでした。

 その間、沖縄県民の3分の1が命を落としたのでした。私は、すでに記したように、核兵器だけを特別視することに強い疑問を抱いています。他の手段による殺戮、暴力への批判が弱められる要素があるからです。広島以前に、沖縄、さらには東京大空襲について、国を挙げての慰霊祭を行うのが筋だと思います。侵略の被害者への謝罪と追悼の日も設けるべきでしょう。

『読売グループ新総帥《小林与三次》研究』の方で私は、当時アメリカがすでに占領政策として天皇の利用を決めていたことを記し、「[前略]ヒロヒトを撃ちたかったのなら、同じ東京で、分厚いコンクリートと鋼鉄板、最強の防空部隊に守られた『御文庫』めがけて、人類史上初使用の原爆を、ただ一発落としても良かったのだ」とまで記していました。「つくる会」教科書反対運動が事実上免責してしまう従来の教科書には、以上のようなことは載っていないのです。だから、私は、そのような「お釈迦様の掌の上」踊りの狂信者を批判するのです。


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