電子手紙の送信日付け順・注釈付き一般公開文書館 2001年8月

8.15.が戦争の終結の日か否かという先の議論を踏まえて敗戦記念日を巡る映像的感想

送信日時 :2001年 8月 15日 水曜日 7:19 PM

件名 :[pmn 15911] 敗戦記念日を巡る映像的感想

 この電子手紙広場でも先に、8.15.が戦争の終結の日か否かという議論がありました。間違いないのは、1945年のこの日に、今のNHKのラディオ放送で今は無き裕仁天皇が奇妙な声を発したことです。いわゆる玉音盤の争奪戦は、平和天皇の「美談」として語り継がれてきました。

 私は、今から20年前に出した『NHK腐蝕研究』の中で、北京の国民学校の暗い講堂で聞いたあの奇妙な声の「玉音」盤の争奪と放送を「国体護持」作戦の一つと評価し、次のように記しました。

 録音盤こそは、そうした日本支配層の捨身の策動の「象徴」であった。つまり、これによって戦争を終わらせたのは「天皇であった」、ついでにそれを助けたのが「NHKであった」というたぐいの新しい神話が創りだせるのである。そして、悪いのはすべて軍部ということになれば、しばし国民をだまし続けることが可能になるのではなかろうか。大日本帝国のエリートたちは、そういう『聖断』を下したのである。

 以上で引用終わり。

 今だに靖国神社の参拝が揉めるのは、以上の「しばし」の過渡期が続いている証拠でしょう。私の古巣の日本テレビは、靖国神社とその下の元軍人会館(九段会館)のすぐそばでした。両方の横を通るヴェトナム反戦のデモ行進を主宰し、シュプレヒコールの号令を約30分ほどがなり続けたこともあります。

 本日も追悼式が行われた武道会館の建設には、日本テレビの創始者、元国務大臣、とりわけ元A級戦犯の正力松太郎が音頭取りになっていました。靖国神社の境内で昼間から酒をくらう迷彩服の右翼の姿も何度か見ました。

 しかし、何年経っても強く蘇る映像記憶は、やはり、北京の国民学校の風景です。断片的な記憶が毎年蘇るのですが、考えてみると奇妙な声を聞いたのは夏休み期間中だったわけです。緊急召集が掛かったのでしょう。奇妙な声を聞いた後、校庭では若い教員が机や椅子を壊して燃やしていました。

 煙りが高く立っていました。プールにも机や椅子の壊れたのが浮かんでいました。校庭の巨大な焚き火は、もしかすると命令を受けて書類を湮滅していたのかもしれません。この種の湮滅作戦は確かに各所で徹底的に実施されたのです。明白に記録に残っています。

 プールの風景の方は理由が分からないので、やけっぱちの八つ当たりだったのかもしれません。ずっと気になっているのですが、北京の国民学校の同窓会は開かれたことがないので、確かめる機会を逸しています。このまま映像記憶を持ち続け、死ぬ間際に、流し灯籠のような映像が脳裏を駆け巡ることになるのかもしれません。


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