電子手紙の送信日付け順・注釈付き一般公開文書館 2001年4月

中国機と接触した米軍機に便乗しユーゴの中国大使館爆撃と拙訳『偽イスラエル政治神話』宣伝

送信日時 : 2001年 4月 14日 土曜日 8:52 AM

件名 :[pmn 14325] 米スパイ機報道に潜む嘘の上塗り他

 中国軍の戦闘機と接触して海南島に降りた米軍機の問題については、大手報道もあるので、わが雑誌では特に追わず、寸評に止め、ついでに旧稿への保留を加えます。

 米軍放送傍受では、面白いことに、この米軍機の形容が、政府発表では、監視飛行機(surveilance plane)とか、偵察飛行機(reconnaissance plane)であるのに対して、各種ラディオでは、この他に、「スパイ飛行機」(spy plane)となることが多いのです。

 手許の安物辞書では、前2者の監視または見張り、偵察とは、これ以外の訳語がありませんが、「スパイ」(spy)の訳語は、軍事偵察、間諜、斥候、探偵の順で、動詞の方には、探偵する、ひそかに調査する、こっそり調べる、見張る、となっています。ドンジリの「見張る」が共通するのみで、かなり感じが違います。日本では、偵察機としか報道していないのではないでしょうか。

 さて、やはり、米軍放送傍受で、この際指摘すべきだと思ったのは、ユーゴの中国大使館「爆撃」に関して、「CIAの地図が古かった」と繰り返していることです。この件については、実は、わが電網宝庫記事を掘り返して、一部訂正、もしくは保留しなければならないのです。

 経過を省くと、いくつかの説が最初からあって、その後に破壊された大使館の映像を見ると、どうやら、意図的な爆撃説が最も正鵠を射ていたのではないか、と思えるのです。そうだとすると、アメリカは、CIAに汚れ役を押し付ける嘘の上塗りをしていることになります。

 このユーゴの中国大使館「爆撃」に関して、もっとも精密な記事は、友人が複写を送ってくれた専門誌、『商品先物市場』(1999.7)「"誤爆"と米中関係の行方/米軍単独による中国大使館"爆撃作戦"」です。筆者、金森薫の肩書きは、「国際戦略研究家・超予測研究会顧問」となっています。「先物」を買う人々は、こういう情報を必要としているのです。最も重要なのは「米中関係の行方」です。

 この記事によると、使われた爆弾は、「GPS誘導装置を使用した新型トマホーク級」で、それを使うために、「B2ステルス機は米国本土のミズーリ州の基地から15時間もかけて直接、ユーゴの目標を爆撃して帰還」したというのです。

 別途、中国大使館内にユーゴの情報収集設備があったので、爆撃したのだという説もあり、これは非常に論理的です。破壊された映像を見ると、厚い壁が完全に粉々になっていて、もしかすると、核兵器でも直撃でない限り無事に作ったものを、特殊爆弾で破壊したのかもしれません。この点は、イラクの市民用防空壕として使われていたアメリアへの劣化ウラン弾頭付き超巨大爆弾による爆撃と似ています。あれは、サダム・フセイン個人を狙ったものだったそうです。アメリカの有力週刊誌スタッフによる『勝利なき凱旋』TRIUMPH without VICTRY/The unreported History of the Persian Gulf War(U.S.News, Random House, 1992)参照。

 さらに、これらの軍事機密を含む特殊な目標の爆撃については、現・偽イスラエル首相のアリエル・シャロンが国防大臣だった時の、シリア領ゴラン高原強奪作戦の裏に、大事件が潜んでいました。

 以下、拙訳『偽イスラエル政治神話』から、その部分を引きます。(p.280-281)

[一三年間も極秘扱いされたアメリカ軍艦への攻撃]

 一九六七年六月八日、イスラエルの空軍と海軍は、精巧な電波探知機を備えたアメリカの軍艦、“リバティ”を攻撃した。その目的は、ゴラン高原への侵略計画を察知させないためだった[訳注1]。

 三八人の乗組員が死に、一七一人が負傷した。イスラエルの飛行機は、“リバティ”の上空を六時間に渡って飛び、爆撃は七〇分も続いた。イスラエル政府は、これを“間違い”だったと謝罪し、事件は一定期間の極秘扱いとなった。真相が初めて公式の場で復元されたのは、一三年後の一九八〇年である。当時の状況を調査するための委員会が、アイザック・キッド提督を議長として開かれた。そこで確認された目撃証人の一人、“リバティ”の甲板将校、エネスの証言によって、“間違い”だったという公式の説明は崩壊した。エネスは、攻撃が周到な計画の下に行われたものであり、殺人であることを立証した。トマス・L・ムーラー提督は、エネスの報告書がシオニストの画策によって封じ込まれたと証言し、この犯罪行為がなぜ見逃されたのかを説明した。《ジョンソン大統領は選挙に際してのユダヤ人の反応を恐れた。……》。提督は、さらに、こう付け加えた。《アメリカ人は真相を知ったら怒り狂っただろう》(同前)

訳注1:巻末紹介の『ユダヤ人に対する秘密の戦争』によると、当時のアメリカ国防総省安全保障局(NSA)はエジプトのナセル大統領に肩入れし、ゴラン高原向けに兵力を割こうとするイスラエル軍の動きを電波探知で分析してキプロス島のイギリス軍基地に送る過程で、実質的にアラブ軍にリークしていた。イスラエルは、その事実経過をNSAに潜入していたモグラ情報によって逐一知っており、いざとなればアラブ荷担を暴露する構えで“リバティ”号を攻撃したため、アメリカは沈黙せざるを得なかった。


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