『亜空間通信』941号(2005/01/20) 阿修羅投稿を再録

NHK政治介入表面化の裏の裏の真相の深層にウルトラC級「紛れを求める」大石脱出可能性の憂い

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『亜空間通信』941号(2005/01/20)
【NHK政治介入表面化の裏の裏の真相の深層にウルトラC級「紛れを求める」大石脱出可能性の憂い】

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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

(追記:949号(2005/01/24)参照 【NHKへの安倍晋三ら自民党閣僚の政治介入説は時系列の経過を見て検討すると不可能で報告が正解】)

 私は、すでにこの問題で、何度も状況の報告、重要情報の指摘をしてきた。このウルトラC級「紛れを求める」大石脱出可能性の「憂い」は、従前の拙稿の総合的な分析の上に成り立つ判断である。

 今回の「憂い」の象徴的な事態は、さる1月18日の参議院議員会館におけるNHK政治介入批判緊急集会での最後の方の発言、元・TBS報道記者、旧知の下村健一(現・東大講師、市民メディア・アドバイザー)の「受信料はしっかり払ってます。良い番組もやるから」である。

 これは、大いに、世間一般の気分に反する発言である。実に甘い。最初の方の発言で、坂本衛(放送ジャーナリスト)が、「払ってない。はらうべきでない」と発言したことへの反論であった。

 この「憂い」に関して私は、その緊急性に鑑み、すでに、昨晩(2005/01/19)、投稿の電子記録は本日(2005/01/20)になっているが、以下の簡単な投稿をした。(「昨年月」の数字脱落を「昨年7月」と訂正)

別途、答えるが、複雑な問題を理解できないと騙されっぱなしになる。
http://www.asyura2.com/0502/war66/msg/305.html
投稿者 木村愛二 日時 2005 年 1 月 20 日 00:01:12:CjMHiEP28ibKM
(回答先: 論点を広げる書き方に反対します。 投稿者 現在無色 日時 2005 年 1 月 19 日 21:39:19)

 この問いには別途、答えるが、複雑な問題を、それなりに理解できないと、騙されっぱなしになる。

 実は、もっと深い問題が潜んでいる。昨年7月の紅白プロデューサー問題以来、NHKは奈落の底に転落した。

 こういう事態で、囲碁でいう「紛れを求める」ウルトラC級の手段として、今回の従軍慰安婦番組への政治介入が表面化した可能性がある。

 今回の通信の大枠を先に言うと、NHK問題は、「昨年7月の紅白プロデューサー問題」から、「従軍慰安婦番組への政治介入」へと、完全にすり替わり、NHKにも同情の余地ありの方向に転落しているのである。

 前者は、まったく弁解の余地のない刑事事件にまでなった「不祥事」である。NHKに対しては、まったく同情の余地がない。ところが、後者には、厳然たるNHK職員の長井さんの涙ながらの記者会見、これまた厳然たるNHKの正規職員のみで構成される日放労の支援の続報がある。いわゆる「自浄能力あり」なのである。

 世間一般向けの物語にすれば、良い方は、長井さんと日放労であり、これが実は、NHK職員、NHK内部なのである。

 悪い方は、政治家であり、それに迎合するNHKの幹部である。しかし、政治家、特に長期政権党の自民党は、常識的に悪くて、常に「敵役」である。だから、今回の問題で、どれだけ汚れが増えても、大した変化はない

 NHKの幹部の代表は、エビジョンイルであり、この不潔な悪役は、すでに辞任を表明している。

 はいっつ、これでチョン、チョン、チョン、拍子木叩いて、さああ、あ、と幕引き

 いつもの伝で、蜥蜴の尻尾切り、おめでたい「大衆」は、また新たな騙しのテクニックに、してやられるのである。

 以上の仕掛け、特に、長井さんの涙ながらの記者会見が、完全にNHK上層部と政権の「ウルトラC級」企画かどうかは、断言はしない。

 しかし、事実上、そのような効果が顕れているのである。電波メディアでは同業のTBSの社員だった下村健一とは、かなり前からの直接の付き合いである。しかし、今回は、この「甘さ」に関して、厳しく批判する。

 私は、別途、これもかなり早くから、すでに24年前の旧著、『NHK腐蝕研究』の中で、以下のように、受信料ではなくて送信料に転換すべきであると主張しているのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/nhk-6-0.html
電網木村書店 Web無料公開『NHK腐蝕研究』
(6-0)終章 《受信者》から《送信者》へのコペルニクス的転回を!

 電波に関する「住民の権利」とは、本来どうあるべきなのだろうか。

[中略]

 NHKの受信料制度、もしくは受信料によって成り立つNHKという巨大機構は、戦前の公共独占放送、つまりは基本的に一局のみのラジオ放送時代の産物であった。その出発点では、ラジオ受信機を持っていれば、NHKラジオを聞く以外にないのだから、強制的に受信料ないし契約料を取られるという関係にあった。この関係をウラがえせば、話は、NHK(当初は三法人)が電波を独占使用したことにもどる。問題は、やはり、電波の使用権にさかのぼるのである。

 それならば、いまNHKが使用している電波を、みんなが共同で使用できるようにすれば、論理的にはスッキリする。たとえば、国民もしくは外国人も含めた視聴者または住民の十%の支持をえた団体は、放送時間の十%を使用するといったやり方である。これに近い制度は、すでにふれたように、オランダやイタリアなどで実施されている。実現可能なのである。

 そこでは、共同で電波を使用する。つまり、住民全体が送り手であり受け手であるという関係に近づいている。そして、この際、受信料という理屈のつけにくい分担金制度をも、発想のコペルニクス的転回(地動説から天動説へ)によって、使用料ないしは送信料にあらためるべきである。

[後略]

 下村健一にも直言する。勉強し直せ!

 もっとも、勉強し直すべきなのは、上記の集会の発言者のすべてである。私は、拙訳、『偽イスラエル政治神話』の冒頭の訳者解説で、自分の過去の著作への反省も記した上で、以下のように、「日本の知識人の科学的な思考能力」への疑問を表明した。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-1.html
緊急Web無料公開『偽イスラエル政治神話』
(その1)訳者はしがき1.
 私自身も何も調べずに「明らか」と断定

 まず最初に正直に、私自身に関する告白をしておこう。

 拙著『アウシュヴィッツの争点』(96)に続いて執筆した『読売新聞・歴史検証』(97)には、旧著『読売新聞・日本テレビグループ研究』(79)を改訂増補した部分が多い。旧著をパラパラめくって見た際、まったく忘れていた記述に気付いて、いささか青ざめた。第六代読売新聞社長の正力松太郎がA級戦犯に指名された決定打は、労組が主導権を握る読売新聞の記事、「熱狂的なナチ崇拝者、本社民主化闘争、迷夢深し正力氏」だった。

 私は、その時代背景について、「当時は、ナチのアウシュヴィッツなどの大虐殺が明らかになり、ニュルンベルグで国際軍事裁判がはじまったばかりだった」と書いていた。私は、自分では何も調べずに「明らか」としていた。当時は、いわゆるホロコーストに疑いを挟む説があるなどとは、まったく思ってもみなかったのである。

 弁解がましいが、古代哲学以来の「人間機械論」に立つと、「疑い」情報入力なしには疑う思考は働かない。その意味で、一九九五年二月号の「ナチ『ガス室』はなかった」と題する記事による『マルコポーロ』廃刊事件以後に関する限り、日本の知識人の科学的な思考能力は、問われざるを得ない。

 本来、「すべてを疑え」が科学的思考の原則である。

 [後略]

 ホロコーストの大嘘は、優れてメディアの問題である。この大嘘を、さらには911事件以後、「イスラエルのための戦争」の評価が深まりつつあるイラク「戦争」のまっただ中に、いまだに信奉する連中は、馬鹿か悪党である。上記の集会の発言者は、この程度の連中ばかりだった。私を特に敵対視しない者も数人はいるが、いわゆる敬遠であって、遠巻きにしているだけである。

 NHKや電波メディアに関する評価できる独自の著作があるのは、遅れて参加した『放送戦後史』の著者、旧知の元・日経テレヴィ欄担当記者、松田浩だけである。

 その程度の連中に、現在のNHKの複雑怪奇な現状を、分析し、改革への道を示すことは、まったく不可能である。

 以上。


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