『亜空間通信』842号(2004/07/31) 阿修羅投稿を再録

「シャロンの本音は大イスラエル創設」シラク仏大統領発言と「反ユダヤ」墓荒しの真偽に要注意

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

『亜空間通信』842号(2004/07/31)
【「シャロンの本音は大イスラエル創設」シラク仏大統領発言と「反ユダヤ」墓荒しの真偽に要注意】

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 本日、阿修羅戦争57掲示板に、以下の投稿が出現し、議論が始まった。まさに、典型的な事態の発生である。以下は、その抜粋である。

1)------------------------------------------------------------ 
仏週刊誌:シラク仏大統領が「シャロン首相の本音は“大イスラエル”創設にあり」と発言(日刊べリタ)
http://www.asyura2.com/0406/war57/msg/1218.html
投稿者 エンセン 日時 2004 年 7 月 31 日 04:21:34:ieVyGVASbNhvI
仏週刊誌:シラク仏大統領が「シャロン首相の本音は“大イスラエル”創設にあり」と発言

【東京29日=齊藤力二朗】イスラエルのシャロン首相がフランス在住のユダヤ人にイスラエルへの移住を促したことで両国の関係が悪化している中、フランスの高級週刊誌のカナール・アンシェネが、「シャロン首相の本音はパレスチナ人を追放して“大イスラエル”創設することだ」とシラク大統領が発言したとする記事を掲載した。29日付のネット紙イスラム・メモが同誌から引いて報じた。...
[後略]

2)------------------------------------------------------------
在仏ユダヤ人退避勧告と分離壁問題(極東ブログ)
http://www.asyura2.com/0406/war57/msg/1219.html
投稿者 エンセン 日時 2004 年 7 月 31 日 04:31:08:ieVyGVASbNhvI
(回答先: 仏週刊誌:シラク仏大統領が「シャロン首相の本音は“大イスラエル”創設にあり」と発言(日刊べリタ) 投稿者 エンセン 日時 2004 年 7 月 31 日 04:21:34)

[中略]
 背景にはフランスで起きているユダヤ人への墓荒らしの問題がある。遺体を焼いてしまう日本人には墓荒らしの感覚はわかりづらいかもしれない。
[中略]
 仏内務省によると、仏国内で起きた墓地荒らしなどの反ユダヤ主義犯罪は今年前半で132件を数え、早くも03年全体の127件を超えた。在仏ユダヤ人団体によると、イスラエルへの移住は02年に急増し、03年も前年並みの約2300人が仏を離れている。
[後略]

3)------------------------------------------------------------
シラクとシャロンの対立
http://www.asyura2.com/0406/war57/msg/1229.html
投稿者 さすれば 日時 2004 年 7 月 31 日 12:02:20:reQxnNwQ2shuM
(回答先: 在仏ユダヤ人退避勧告と分離壁問題(極東ブログ) 投稿者 エンセン 日時 2004 年 7 月 31 日 04:31:08)

[中略]
全世界のユダヤ機関が、各国における“反ユダヤ主義”の動きや事件を監視、調査しており、毎年その件数を発表している。その調査によるとフランスは毎年トップだ。ことに先月以来、フランスのアルザス地方でユダヤ人の墓に対する破壊や荒らしが相次ぎ、その数30件以上。墓石にペンキでナチスのカギ十字のマークや、悪魔の印である「666」と書かれたりしたのもあった。7月9日に、22歳の女が「お前はユダヤ人だ!」と怒鳴られて襲われたとして検察局に駆け込んだ事件があり、4日後に狂言だと分かったが、この女は「ユダヤ人の墓荒らしの記事を読んで思いついた」と告白している
[後略]

 私自身、木村愛二は、今から6年前、1998年1月、拙訳『偽イスラエル政治神話』の著者、ガロディが被告の刑事裁判を傍聴し、ガロディ自身とも会うために、パリに行った。地中海の対岸、アルジェリアなどを植民地にしていたフランスには、いかにアラブ人が多いかを実感した。

 その一方、イスラエル支持のユダヤ人も多い。だから、アラブ・イスラエルの対立は、フランスの国内問題でもある

 しかし、ことは単純ではない。上記の「墓荒し」の紛争には、以下のごとく、シオニストのでっち上げがある。要注意である。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-27.html
『偽イスラエル政治神話』(その27)
3章:諸神話の政治的利用(その4)
2節:フランスのイスラエル=シオニスト・ロビー(その1)

《フランスには、イスラエル支持の強力なロビーが存在し、とりわけ情報の分野に強い影響力を持っている》(ドゥ・ゴール将軍)

 フランスでは、ただ一人、ドゥ・ゴール将軍だけが、あえて、こう明言した。《フランスには、イスラエル支持の強力なロビーが存在し、とりわけ情報の分野に強い影響力を持っている。こう断言すると、何時でも、悪評を立てられる。しかし、この断言には、実際に、常に重要な真実の一部が含まれている》(「偏ったイスラエル支持」『パリジャン・リベレ』88・2・29掲載記事)

 以後、フランス共和国の大統領候補者の誰一人として、所属政党の如何を問わず、ミシェル・ロカールからジャック・シラクに至るまで、ミッテランは言うに及ばず、メディアによる封土授与を得るためのイスラエル参勤交替を怠らなかった。
[中略]

http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-28.html
3章:諸神話の政治的利用(その4)
2節:(その2)
[悪辣な法律に潜むフランス人全体の奴隷化]

[中略]
[反ユダヤ主義の妖怪で世論を煽る常套手段]

 従来と同様に、シオニストは常に、反ユダヤ主義の妖怪を持ち出しては煽り立て、イスラエルに対する絶え間ない脅威が存在しているのだから、イスラエルには援助が必要なのだと、世間に信じ込ませ続けている。イスラエルの不当な請求に仮面を被せるためには、新しい挑発行為を重ねる努力も怠らない。手口は、いつも似たようなものである。[レバノン侵略で]サブラとシャティラの虐殺が起きた時、作家のタハル・ベン・ジェロームは、つぎのように記した。

《別の場所で同時に発生することが、何度も繰り返されると、ついには重要な兆候として理解されるようになる。現在、人々は、ヨーロッパにおける反ユダヤ主義的な暴行事件が何に奉仕し、その種の犯罪が誰の得になるのかを良く知っている。それは今、パレスチナやレバノンの民間人の住民に対する計画的な虐殺を、巧みに隠蔽する役割を果たしている。この種の暴行事件が、ベイルートでの流血の惨事に、あるいは先行し、あるいは続いて起き、あるいは同時に発生していることが確認できる

[中略]

[カルパントラ事件の“モンタージュ”と沈黙]

 この種の策略の内でも、最も新しいメディア利用の実例が、カルパントラ事件である。

 一九九〇年五月、カルパントラのユダヤ人墓地で、墓が荒らされた。遺体の一つが串刺しにされた上で、別の墓に移されていた。

 内務大臣のピエール・ジョクスは、直ちに声明を発した。

《このような“人種主義的憎悪”に満ちた犯罪を犯した人物については、警察の捜査が必要ないほど明らかである》

 ところが、五年も経って、何十人もの捜査官が掛かりっきりだったというのに、検察官も、警察官も、いまだに誰一人として、この卑しむべき行為を犯した人物について、正確に語ることができないのである。

 確かなことは、ユダヤ人墓地が荒らされことと、その後に、“モンタージュ”が行われたということである。なぜなら、数日後に、問題のジェルモン氏の遺体が、串刺しにはされてなかったことを、捜査官が確認したからである。そこでさらに問うべきであろう。誰が、そして、何のために、“モンタージュ”をしたのだろうか? “モンタージュ”された報道は、事件の恐怖を増幅し、世間の憎悪を煽り立てたが、その結果として、誰が得をしたのだろうか?

 ティミショアラでは、遺体置き場から遺体を運び出して、写真を撮るという手口が使われた。その写真が世界中に報道され、大量虐殺と称された事件に対する怒りと憎しみを駆り立てた。

 評論誌、『エスプリ』の前編集長、ジャン・マリー・ドムナフは、『ル・モンド』の一九九〇年一〇月三一日号に「カルパントラに関しての沈黙」と題する一文を寄せた。

《カルパントラのユダヤ人墓地での冒涜的行為の発生以後、すでに六か月が過ぎた。……六か月経ってもまだ、誰が犯人だったのか分からない。しかも、さらに不安な実情がある。というのは、活字メディアも、音声・映像メディアも、当時はこぞって、この忌むべき事件をスキャンダルに仕立て上げ、何十万人もの街頭デモに火を付け、世界中にフランスの汚名を轟かせたにもかかわらず、以後は、捜査状況を継続して追及せずに、沈黙を守っているからである。国会議員の誰一人として、道徳的または知的な問題の権威の誰一人として、政府当局を詰問していない。カルパントラ事件は、どうやら決定的に、誰が犯人なのか、実際にどんなことが起きたのか、まるで分からないままに、この国の暗い伝説の一つになってしまったようだ。誰しもが、今後、カルパントラについて語ることができず、または、あえて語ろうともしなくなるであろう》

 ジャン=マリー・ドメナフが告発した奇妙な“カルパントラに関しての沈黙”は、事件発生当初のメディアの大騒ぎ振りとは、実に対照的である。

 一九九〇年五月一四日のデモに関して言うと、警察発表で八万人、主催者発表で二〇万人が、パリの街頭をデモ行進した。ノートルダム寺院の大鐘が、このデモ行進を称えて鳴り響いた。

 だが実際には、誰一人として、カルパントラの卑しむべき行為の仕掛け人を知らなかったのである。そうだとすれば、一体、皆は、誰に対して抗議をしていたのだろうか?

 誰に対して? 事件の捜査によってのみ、その名を語り得るのだが、捜査当局は何も語っていない。

 それでは、誰が得をしたのだろうか?

 この疑問への解答は明白である。デモ行進の先頭には、イスラエルの国旗が、輝かしく翻っていたのである。

 この奇妙な“国民共同戦線”によるデモ行進の真中で、ジョルジュ・マルシェ[共産党書記長]は、これ見よがしにフランソワ・レオタール[共和党党首]と握手していた。このデモ行進と握手は、結果として、相手が誰であろうとも、すべての国際法の上にイスラエルを置こうとする教義に疑問を投げ掛ける者に対しては、全世界規模の攻撃を加えることを許すものであった。大法師のシトルクは、演説の中で、このデモ行進の意味を定義していたが、つぎのようなことまで大声で語ったのである。

《余計な発言を放置してはならない。“見直し論者”の教授たちや、無責任な政治家に、教訓を与えなければならない。》(『ル・メリディオナル』90・5・14)

 カルパントラの卑しむべき事件の真相に関しては、まるで結論が出ていないのだが、実は、捜査官に対して示唆されたすべての手掛かりの内、たった一つだけ排除された事実がある。ところが、この、ある人物に命ぜられた沈黙こそが、実は、最も真実に立脚した手掛かりだったのである。

 その人物こそが、最も必要かつ不可欠な証人となり得たのであるが、なぜ彼に対して、沈黙を守ることが命令されたのであろうか?

《カルパントラのユダヤ教会堂の守衛で、墓地の鍵を預かっているクハナ氏は、フェリクス・ジェルモン氏の遺体の第一発見者の一人であるが、われわれと話すことを拒んでいる。〈たとえ、あんたが警視総監だろうとも、私は、何も話すなという命令を受けている〉。長老会議の議長が、彼の発言を禁止したのである。〈彼がテレヴィに余計なことを話すかもしれないからだ〉というのが、フレディ・ハダド博士による弁明である。彼自身も、あの卑しむべき事件を思い出させないように沈黙を守っている。アマル法師の対応振りも、まったく同様である》(『ヴァル・マタン・マガジン』95・4・15)

 なぜ、カルパントラの法師は、墓を再び神聖にする儀式を行わなおうとしないのかという問いに対して、《私の仕事ではない!》と答えたのだろうか? なぜ長老会議の議長は、《いかなる理由もない!》と答え、なぜ市長は、《誰からも要求されていない》(以上、同前『ヴァル・マタン・マガジン』95・4・15)と答えたのだろうか?

 なぜ、どのフランスの日刊紙も、……そっくりそのままだった……前例を、思い出さなかったのだろうか?

 実は、一九八四年三月二日の夜中にも、まったく同じやり方の“墓荒らし”が、テル・アヴィヴ近郊のリスホン・レツィオンにあるイスラエル人の墓地で行われていたのである。そこでは、一人の女性の遺体が掘り出され、ユダヤ人墓地の外に捨てられていた。この時も同様に、世界中のユダヤ人社会全体が、“野蛮な反ユダヤ主義の行為”であるという声明を発した。数日後、イスラエル警察による捜査の結果、この下劣な行為の真の意味が明らかになった。

 カルパントラと同じように見苦しい扱いを受けた遺体の主は、テレサ・エンゲロヴィッツ夫人で、ユダヤ人の妻だったが、キリスト教徒の血筋だった。ユダヤ教徒の統一主義者たちは、彼女の遺体がユダヤ人墓地に存在することは、墓地の純潔を汚すことになると考えており、すでにリスホン・レツィオンのラビが、その発掘を請求していたのだった。

 なぜ、どのフランスの日刊紙も、この類似点を、思い出さなかったのだろうか? ジェルモン氏は、その遺体が、同じように夜中に掘り出され、串刺しという陰惨な“モンタージュ”の対象とされたのだが、彼も同じく、キリスト教徒と結婚していたので“有罪”だったのである。だから、彼の遺体は、その隣の、同じくカトリック教徒と結婚していたので有罪だったエンマ・ウルマ夫人の墓に、移されたのである。

 なぜ、誰も、イスラエルで起きたことを、思い出さなかったのだろうか? イスラエルでは、彼らが建国する以前のパレスチナは“荒れ地”だったということを、イスラエル人に信じ込ませるために、ブルドーザーで、何百ものパレスチナ人の町が、家も、塀も、墓地も、墓も含めて、すべて破壊されたのである(前出『イスラエル国家の人種主義』)。

 エルサレムのヘブライ大学で、“民主主義の日”の翌日、ユダヤ人の学生たちが、正しい質問を提出した。

《エルサレムのアルゴン通りとテル・アヴィヴのヒルトン・ホテルが、破壊されたイスラム教徒の墓地の跡に作られることを知っていながら、なぜ、あなた方は抗議をしないのか?》(『イスラエル社会主義組織の学生たち/マッペン』)
[中略]

http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-35.html
訳者解説(その3)

[中略]

(以下は、パリ地裁ガロディ裁判の傍聴取材の部分抜粋)

 特に親しくなり、二度も自宅に招待され、フランス人の妻、キャリーの手料理による世界三大珍味、トリュフまで振る舞ってくれたパレスチナ人のインターネット活動家、バジル・アブエイドとの「遭遇」は、私の人生でも最大の曲がり角の一つとなる経験であった。[中略]

 カルパントラの件は、バジルに聞くと、やはり現地では有名な話で、名乗り出た「チンピラ」が有罪で投獄されはしたが、誰も警察の処置を信じていないそうである。
[後略]

 以上。


「イスラエル関与疑惑」関連記事総覧へ
アメリカ「ゲリラ攻撃」関連記事総覧へ

亜空間通信2004.7に戻る