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一原告の見た靖国判決
−−小泉首相の靖国参拝違憲アジア訴訟の判決に際して−−


 2004年2月27日、小泉首相の靖国神社参拝の違憲確認を求める裁判の判決が大阪地裁で出されました。私は原告の一人として、ぜひ傍聴をしたいと思いましたが、あいにくくじ運悪く、傍聴券を手に入れることができませんでした。原告用の傍聴券は別に用意されていたのですが、遠隔地から来た人が優先され(しかたのないことではありますが)、大阪に住んでいる私には回ってきませんでした。最初の二、三回こそ、入りきれないほどの原告・支援者が傍聴に来ていたのですが、回を重ねるにつれて数が減り、それに伴い、原告用の傍聴券が減らされてしまったためです。日頃の傍聴活動の大切さを改めて痛感しました。

<「公式参拝」を認定、にもかかわらず違憲判断なし>
 さて、私と同じようにはみ出た人が裁判所の正面玄関の前で待っていると、「一部勝訴 さらにひびけアジアの声」の垂れ幕をもった人が走って出てきました。裁判官が「公式参拝」を認定したということなので、私たちは大喜びで拍手をしました。垂れ幕は二種類用意されていました。もう一枚は「不当判決 かき消すなアジアの声」というものでした。これまで様々な裁判に関わり、不当判決に涙をのんできた人も多く、「今度もまた不当判決では」というささやきもあったので、この報告は望外の喜びでした。
 しかしながら、普通、この垂れ幕を撮影しに来るはずの報道陣が、なぜか一人も出てきません。事情を聞いてみると、まだ、判決の全体が言い渡されていないというのです。そこで、再度、伝令を勤めてくれた人に法廷内に入ってもらうことにし、これがぬか喜びでないかどうか、最後まで確かめてもらうことになりました。
 これまでの裁判では、判決の言い渡しはたいへん短いもので、主文が読み上げられて終わり、というものがほとんどでした。かつて、地方に住んでいる人が何万円もかけて一日がかりで東京まで行って最高裁判決を聞きに行ったところ、敗訴を告げるごく短い主文が読まれただけだったので、せめて理由を説明してほしいと要求したところ、文章は出ているので、「慣例により」読み上げることはしないと言われ、たいへんがっかりしたという話が判決後の集会の中で出ました。
 しかし、大阪では、「おかしい人」裁判(靖国裁判の原告に対して、小泉首相が「おかしい人」と言ったので、名誉毀損として訴えた裁判)の判決において、判決要旨を法定内で読みあげるよう、弁護人と原告とがくいさがった結果、判決要旨を読みあげることに成功したという経緯がありました。その時も初めは、弁護士二人による要求を裁判長は拒絶し続けました。「やはり、だめなのか…」と私などは思ってしまいましたが、原告の一人がいきなり傍聴席から手を挙げて発言を求めました。その方と裁判長との意見の応酬の末、裁判官たちは「合議します」といったん引っ込み、そして再登場した時には読み上げることを決めていました。やはり、意見というのは言ってみる価値があるものだとつくづく思わされた次第です。そのおかげでしょうか、今回の判決でも、判決要旨が読み上げられました。
 さて、待ちぼうけ組は、さらにどんないいことを言ってくれているのかと期待に胸を膨らませながら待っていましたが、再度登場した伝令者は、うかぬ表情で、どちらの垂れ幕を出すべきなのかひどく悩んでいました。
 裁判所が小泉首相の行為が「公式参拝」であることを認定したのは確かなのですが、結局「違憲」という判断はなされず、原告の請求はことごとく退けられたというのです。

<報道機関の不当に小さな扱いと小泉首相のふざけた態度>
 判決後の記者会見では、多くの記者が来ていたということだったのですが、そのわりには報道はごく小さな扱いでしかありませんでした。非常に重要な憲法判断に関わる問題であるにも関わらず、そういう扱いしかされていないことに腹立たしさを感じました。この裁判の原告である李熙子(イ・ヒジャ)さんと、第二次訴訟の原告であり、台湾の先住民族を代表する国会議員であるチワス・アリさんとが、固い握手を交わしていたそうです。こんな場面は、すばらしく「絵になる」と、私などは思うのですが、家で取っている新聞には一枚の写真もありませんでした。
 一方、小泉首相は、公的な参拝か私的な参拝かについては「答えないことにしている。どう判断されてもいい」と語ったと新聞に掲載されていました。一国の首相が、国の最高法規である憲法を守っているか守っていないかという問題なのに、ここまでふざけた態度をとれるものかと、再び腹立たしさを感じました。法律を守ってないと判断されてもいいだなんて、本当に信じがたい発言です。

<判決をどう評価するか>
 記者会見に出たのは、弁護士と原告の代表数人で、他の人は別の場所で判決要旨を配られ、判決をどう評価すればいいのか検討しました。
 判決要旨における唯一評価できる点は次の部分です。

(1)本件参拝が内閣総理大臣の資格で行われたか否か。
 原告らは、本件参拝が内閣総理大臣の資格で行われたものであると主張し、他方、被告国らは、私的参拝であるとして争っている。
(中略)
 これらの事実関係を総合してこれを外形的・客観的にみれば、本件参拝において、閣議決定や公費支出、他の閣僚の同伴といった事実がなく、政府が私的参拝であるとの立場を最大限考慮しても、なお、本件参拝は被告小泉が内閣総理大臣の資格で行ったものと認めるのが相当である。
 よって、本件参拝は、国賠法1章1項の「職務を行うについて」という要件を充足し、また、憲法20条3項の「国及びその機関」の活動にも当たる。

 しかし、ここまで、認定しておきながら、憲法判断を避けたのです。憲法20条3項というのは「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」というものです。論理必然的には違憲だという判断が出て当然なのに、出なかったのです。

 もうひとつの重要な争点である、小泉首相の靖国参拝によって、宗教的人格権が侵害されたかどうかという点では、裁判所の判断はひどいものです。

(3)被侵害利益について
 原告らが被侵害利益として主張するような宗教的感情は、その心情としては理解できるところではあるが、法律上保護された具体的権利ないし、利益とは認め難いから、これを被侵害利益として、直ちに損害賠償を請求する等の法的救済を求めることはできない。また、本件参拝によって原告らの権利ないし利益が侵害されたものということもできない。

 このように断じて、原告がその法的根拠として挙げている憲法20条3項(政教分離)、19条(「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」)、20条1項前段(「信教の自由は何人に対してもこれを保障する」)、憲法13条(「すべて国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大限の尊重を必要とする」)については、ことごとく退けてしまいました。
 憲法13条を原告が根拠として挙げている理由は、近年、この条文に基づいて、プライバシー権などの人格権が認められてきているからです。しかしながら、裁判所の見解はこうです。

 憲法13条は、憲法の個別の人権規定には列挙されていないものであっても、人格的生存に必要不可欠な利益を総体として保障しているものと解されることから、名誉権やプライバシー権といった個別的人格権等を人権として承認することができると解されている。原告らの主張する被侵害利益は、戦没者をどのように回顧し祭祀するか、しないかに関して自ら決定し、行うことに対して、国家から圧迫、干渉といった間接的な影響さえも及ぼされない利益をいうものと解されるところ、このような利益は、信教の自由や思想及び良心の自由でさえも国民の信教、思想または良心に対して間接的な影響を及ぼす行為からの自由まで保障しているものとは解し難い上、人格的生存に不可欠なものといえるか否か疑問があり、いまだ利益として十分強固なものとはいえないから、憲法13条によって保障されている法的利益とは認めがたい。

 裁判長は原告らの本人尋問の時に居眠りでもしていたのでしょうか。例えば、韓国で、太平洋戦争被害者補償推進協議会の常任理事をしておられる李熙子(イ・ヒジャ)さんは、お父さんが日本軍に徴用され、戦死させられました。日本政府はそのことを遺族には知らせなかったのに、靖国神社には知らせました。そして、今も「国を守るために犠牲になった」として靖国神社に祀られ、首相の参拝を受け続けているのです。植民地支配をした上に死に追いやった国の軍隊の将兵と共に、その犠牲者である父親が祀られているなど耐え難いことです。この李熙子さんの苦しめられ続けている心が「人格的生存に不可欠なものといえるか否か疑問」だなどと、よくも言えたものです。

 評価できる点を前に押し出すことは必要ではあるが、やはりこれでは、控訴すべきであろうというのが、大勢の評価になりました。

<夜の報告集会:意気軒昂な原告団、各地から熱い連帯>
 夜には、判決報告集会があり、弁護団からの報告、田中伸尚さんと平野武さんの講演、全国各地で闘われている靖国訴訟の原告団の人々からの熱い連帯の挨拶と決意表明がありました。
 この集会では、靖国神社を被告席に座らせたことの大きな意義があらためて確認されました。これまでの政教分離を巡る裁判では、国が被告になることがほとんどで、靖国神社が被告となるのはこの大阪裁判と四国の裁判が初めてです。これまで靖国神社を被告とすることに、原告としても、心理的あるいは政治的に大きなハードルがあったということですが、今回それを乗り越えたということで、それがみなの間に意気軒昂の一つの要素となっていました。靖国神社としては、自らを「天皇の神社」と自負しているので、訴えられたことそのものが驚天動地のことだったようです。
 各地の原告からの挨拶は本当に意気盛んなものでした。証人尋問の時には深刻な表情をしていた李熙子(イ・ヒジャ)さんも、明るい表情で、日本政府と人生をかけて闘わずにはおれない自らの意志を力強く訴えました。
 沖縄、九州・山口、松山、東京から、それぞれに力と楽天性にあふれた訴えがありました。大阪の判決を踏み台にして、こちらではさらなる前進を勝ち取るという表明があり、自分はあの愛媛玉串訴訟の最高裁の勝訴判決に立ち会ったのだというゲンのいい発言もありました。沖縄では最初関心が低かったのですが、それでも沖縄で訴訟を起こさなければ恥だと考えてがんばってきたところ、元ひめゆり部隊の有志からカンパと励ましの手紙をもらうことができたのがうれしかったという報告もありました。台湾のチワス・アリさんは、台湾の国会で、台湾の軍備増強に反対する演説をしなければならないというので、惜しくも夜の集会には参加されませんでした。しかし、このような活動に精力的に邁進している人々と共に同じ裁判を闘っていることをうれしく思わずにはおれませんでした。

 今後、3月16日には松山で、4月7日には福岡で、そして5月13日にはまた大阪で第二次訴訟(台湾訴訟)の判決が行われます。毎月ひとつの判決が出されることになるわけです。そして、大阪の訴訟団は、今回の判決にけっして満足していませんので、控訴することになります。まだまだこれから長い闘いが待っています。日本とアジア各地の人々が原告という形で共通の目的に向かって進んでいくのです。私も原告の一人として微力ながらも今後とも力を尽くしていきたいと考えています。
  (参照)小泉首相靖国参拝違憲アジア訴訟団 大阪訴訟HP
     http://www005.upp.so-net.ne.jp/noyasukuni/

2004年2月29日 大阪Na