[報告]<<立たないとクビッ?!>>改悪教育基本法の実働化をとめよう! 12・22全国集会
全国各地で闘われる改悪教基法実働化阻止の運動が大結集

 12月22日、東京都北区北とぴあさくらホールで、<<立たないとクビッ?!>>改悪教育基本法の実働化をとめよう! 12・22全国集会)が行われました。私たち署名事務局も代表を送り、大阪の新勤評反対訴訟団の方たちとともに10数名で参加しました。
 今回の集会は、昨年教育基本法改悪を廃案ぎりぎりまで追い込んだ反対闘争をリードした「教育基本法の改悪をとめよう! 全国連絡会」に結集し、なお粘り強く闘いを継続する全国各地の運動体が、「日の丸」「君が代」強制反対はじめ、改悪教基法実働化阻止の闘いを交流し、新たな闘いへの決意を固めるために、一年後に再結集を果たした集会でした。集会後の反省会での実行委員の口振りからはこの集会を開くまでには並大抵でない幾多の苦労、紆余曲折があったことを予想させます。しかし、900名近い参加者による集会の成功は、実行委員の一人が口にしたように「開いて良かった、この集会がこの時期にあって良かった」と思わせるものでした。

 参加者が三々五々集まる中で始まったオープニング。最初に登場は「自由の風」合唱団。幕が開くと合唱団の面々が椅子に座っている意表をつく演出。私は立たなかった、立てなかったという歌いだしでその意味はすぐに理解できました。そう、その場に集っていた現場の教職員の殆どは、あの40秒の間、毅然として椅子に座り、生徒たちにとっては最後の、無言の「授業」を行っているのです。それを何年も続けた結果、3ヶ月後に解雇を余儀なくされる人が出るかもしれない、いやそういった処分者が出ることを阻止するぞといったことがこの集会の趣旨の一つでもありました。
 「学校に自由の風」という合唱団の後に登場したのが、男女のユニット、寿[kotobuki]。この二人の舞台は初めて見ましたが、男性の確かな演奏力と、女性の圧倒的な声量にびっくりさせられました。いやそれ以上に、沖縄の「ユンタ」=労働歌、韓国のアリランを取り上げる二人、演奏の合間に語る女性に、社会性に裏打ちされた豊かな「人間力」・「人間愛」をみることができました。
※寿については別途報告参照
歌で闘いに希望とエネルギーを与えてくれる二人 寿[kotobuki]

文科省・「つくる会」一体となった、沖縄戦「集団自決」に関する軍命記述削除を許すな

 いよいよ開演。最初に登場したのは、沖縄高教組の書記長。今年3月に公表された高校歴史教科書に対する検定意見、すなわち、沖縄戦における「集団自決」の記述から「軍の命令」を削除するということ、及び9月29日11万余の沖縄県民を集めた県民大会は有名ですが、沖縄高教組がその成功にいかに奮闘したかがこの発言から伝わりました。高教組は4月当初から取り組みをはじめ、沖縄全市町村議会に検定意見撤回の意見書採択のオルグ活動に入っています。地元マスコミも新たな発言の掘り起こしを進めるなど反対側に有利に動いたようです。12月から文科省は記述訂正を受け付け二度目の書き直しをさせていますが、予断は許しません。
※参考:[投稿]9・29教科書検定撤回県民大会と沖縄「島ぐるみ」闘争

 出版労連の方が強調したのは、文科省は検定意見の撤回を認めず、教科書会社が訂正申請をするなら見るといった姿勢だということです。発行元を個別に呼び出し、自決は「複合的」な理由によるものだとして、軍による強制の記述を突出させまいとしています。発行期限を延ばし、軍の責任を記述できないよう時間切れをはかろうとする姿勢です。何としても「軍隊は住民を守らない」を明らかにさせまいとしています。教科書で戦争できる国作りはさせたくない、教科書に「真実と自由を」。

「不労所得としての自由を勤労所得としての自由へ」――高橋哲哉氏

 登壇した呼びかけ人の一人高橋哲哉氏は、戦中から戦後、長崎の活水学園の教頭が書き残した記録とそれにコメントを残した人の文書を取り上げ、今日本が、日本の教育が向かっている方向に対していかなるものを対置していくかという観点から、集会全体の基調ともいうべき問題提起を行いました。
 教頭が書き残した記録は、戦争直後の教育現場が、自ら教育勅語やご真影を「無効」にできない主体性なき姿でした。敗戦から2ヶ月たってもなお教育勅語やご真影を移動するのに県から特別車が出て、かつ全学の教職員がそれを最敬礼で迎える、また5ヶ月後でさえ、勅語やご真影を撤去した後の主なき奉安殿に最敬礼する教員・生徒たちの姿でした。これらがすべて禁じられたのは占領軍・進駐軍によってでした。要するに教育現場では、「天皇の命令が進駐軍の命令に変わっただけ」で、内面は変わっていなかったのです。日の丸のない壇上にお辞儀する現代の姿にもその残滓は残っています。これは実に1959年に書かれたものです。その中にこうあります。日本は「不労所得としての自由を勤労所得としての自由に」変えなければならない、自由は闘いとらねばならないのです。

各自治体での、そして教育での反動化・軍国主義化に対する闘い――杉並、京都、埼玉

 杉並の区議は、杉並区長が制定を策動している「教育基本条例」の中味を暴露し、それに対する反対を訴えました。その条例は「伝統精神文化」を強調し、家庭の責務・家族愛を唱え「人づくり条例」と揶揄される、改悪教育基本法の地方改悪版といった代物です。この審議はさすがに止まっているようですが、杉並区は「地域運営型学校」なるものを設立しようとしています。例えば民間校長のいた中学校では民間の塾の講師を招いて私塾を開くなど全国に先駆け公教育を破壊しようとする策動を続けています。

 次いで立った京都(「心の教育」はいらない!市民会議)の人は、京都の某教育長が化けた(?)タヌキに扮し、京都で散々悪いことをしてきた上に今度は京都市長に打ってでることを宣言しました。トイレの便器を手で洗わせたり、できる子には予算をつけるが、できない子には予算をつけない、歴史教育は平安時代から始めるとするなど好き放題の上での出馬だそうです。

 教育と自治埼玉ネットワーク共同代表の女性は、「つくる会」教科書の採択を阻止した報告。しかし、「つくる会」の高橋史朗が教育委員長に居座り、その辞任を求めるということ、さらに「つくる会」関係者が(各地の)行政に入り込んでいることを暴露しました。

日本各地で、各階層で運動の影響が出始めている――小森陽一氏

 小森氏は全国の高等学校等から沢山の原稿や講演依頼が来ることを指摘し、全国津々浦々で教育基本法改悪反対の運動がもたらした「地殻変動」の予感を語りました。声がかからないのは東京だけです。地方の地道な親子ぐるみの9条改悪反対運動を紹介した後、色々な所で力が変化しつつあることを強調しました。

 寿[kotobuki]が再び登場。「前を向いて歩こう」「ひとつの思い」と続けて演奏。自分につながる者を傷つけたくないというメッセージが強く伝わる歌声でした。

教育と教員をめぐる全国各地の闘いを交流――大阪、東京、北海道

 大阪の新勤評反対訴訟団は、最初の訴訟提起時に大阪地裁前で掲げた横断幕二枚を囲み十数名が登壇しました。事務局長から以下のような発言がありました。昨年11月に「教職員評価育成システム」とその評価結果の給与反映が憲法と教育基本法に反する違法な制度であると主張して、大阪府を相手に裁判を起こしたこと。現在原告は94名に拡大し、原告団・弁護団・支える会会員・支援者のすべての力を集めて裁判と運動の拡大に取り組んでいること。教職員は校長によって、S・A・B・C・Dの五段階にランク付けされること。S・A評価は昇級幅とボーナスが優遇され、C評価は昇級幅とボーナスの縮小、D評価は昇級ゼロということ。このシステムは教職員を給与・処遇の両方の圧力によって、教育行政の完全な指揮のもとに置こうとする制度であること。私たちは制度に反対して自己申告票の提出を拒否しているが、大阪府内でまだ1000人もの人々が提出を拒否していること。これをつぶすため大阪府が給与反映の強行策に出たこと。私たちは裁判を通じてこの制度の不当性、子どもをその最大の犠牲者とする教育破壊を追及・暴露して、システムそのものが違法であり、@自己申告票の提出義務はないこと、A自己申告票不提出者に対して給与上の不利益処分を行ってはならないとの要求を掲げていること、等を示しました。 特に自己申告票不提出だけで昇給ストップというくだりでは会場から驚きの声や非難の声が沸き起こりました。大阪の制度が全国的に見ても極めて稀であり、悪質きわまりないものであることを改めて確認しました。

 東京都公立学校教員は、新規採用教員はなぜ自殺したのかと題して、東京都の新任教員が置かれた厳しい状況を暴露しました。一人で学年一つのクラス(単学級)をまかされ、初任者研修に追われ、しかもクラスが荒れる。その上に校長のパワー・ハラストメント。自殺に追い込まれる状況が明らかにされました。

 都立高校教員は、職員会議での採決禁止、結局は校長の決定に代表される東京の現場の管理教育の有り様を明らかにしました。管理強化は教育現場・教育を確実に破壊しています。主幹のなり手はどんどん減る、主幹と校長の間がうまくいかない、そうなると校長は主幹に「戦力外通告」を行う。さらに、奉仕をやるたびに生徒は悪くなっていく、コース制を含む新しいタイプの高校がダメになっていく、等々。

 昨年教育基本法が改悪されようとする時、国会前に常に大動員をかけ、反対運動をリードし続けた北海道教組は、北海道の闘いを報告しました。道教組は教育基本法が改悪された後も道教育委員会へのオルグを進めました。そうした中で多くの仲間と連帯できることがわかりました。北海道では11月に、昨年出された「君が代カセット搬出戒告処分取り消し請求事件」への北海道人事委員会採決に対する道教育委員会の再審請求が却下され、処分取り消しが確定しました。まともな教育活動・行為に対しては、正当な司法なら適正な判断を下すということです。

 足立の教育を考えるネットワークの保護者からは、足立区の学力テストの学校ごとの順位付けの公表を撤回させた報告がなされました。どこの学校へ行っても子どもたちが平等で安心して暮らせること、明るく楽しいものであってほしいという保護者の願いが伝わる報告でした。

 次いで立ったのは、非正規雇用の若者を中心に組織した首都圏青年ユニオンの委員長。彼が強調したのは、彼らが交渉する企業(その多くは中小企業)の前近代的な体質であり、これから進む社会に対する絶望であり、また学生を含む青年自身の権利意識のなさです。生徒が今や労働市場に狩り出されています。進学指導の先生がいるのなら、労働指導の先生がいてもよいという指摘はなるほどと思わせました。
 この後休憩に入りましたが、休憩中正面舞台では根津さんはじめ東京の「日の丸」「君が代」強制反対闘争とそれに対する都の攻撃に関するビデオが流されていました。

根津さん、河原井さんを首にするな!「日の丸」「君が代」強制反対闘争は全国各地で粘り強く闘われている――東京・新潟・神奈川

 後半のメインである「日の丸・君が代」強制との闘いの報告が開始されましたが、そのトップバッターは呼びかけ人の一人である三宅晶子氏の、このパートの基調ともいうべき報告。「日の丸」「君が代」の強制に反対するあり方を六点にわたって指摘するものでした。すなわち、@不服従の観点。個人の尊厳の確立。A日の丸・君が代不起立は在日の立場からではなく、日本人の立場から。B歴史の立場から。天皇制は徹底した序列と服従を強いたものとして批判。C日本人化教育に対する批判。D新たな略奪システムとして批判。E表現の自由として。特にA、在日の女性の話の引用として、日の丸・君が代の強制に反対する理由を「在日の子どもがいるから」とするのではなく、日本人自身の民主主義の問題として反対しなければならない、という点が印象的でした。最後に戦前の長谷川テルの闘いを紹介しながら、「良心の自由と非暴力」を貫くことを提起するものでした。

 最初に根津さん、河原井さんが舞台に立ちました。周知のように根津さんは、「君が代」斉唱時に立たなかったことにより、停職6ヶ月の処分を受けていますが、停職の処分は6ヶ月が最高のことからして、3月に立たないことになるともはやクビになることしか残っていません。このような状態になっても根津さんは、立つことはできない、譲ることはできないと言います。なぜなら根津さんの実感として子ども達が年々「少国民」化していくのを肌で感ずるからだと言います。つまり、根津さんの赴任先で、激しいバッシングが浴びせられる中、その学校の子ども達がそれに同調して根津さんをなじる方に回るというのです。根津さんは、「勤労所得としての自由を」勝ち取りたいと発言した後、二つの提案を行いました。一つは、<「君が代解雇」をさせない意見広告基金>への協力。もう一つは毎回行っている都教委へのワンデイアクションへの参加です。河原井さんは、共闘の輪を広げること、大同団結を呼びかけ、「船出」の詩を朗読し、発言を締め括りました。

 次いで根津さんの教え子二人が舞台に立ちました。一人は「障害」を持ち、一人は執拗な「いじめ」を受けてきたという、普通の学校ではつらい立場に立たされたであろう二人が、普通の学校生活を送ることができたのは根津さんの教育の成果とし、先生の処分を許してはならないということで登場したのです。「不起立の先生に対するいじめをしている大人が、子どものいじめをなくせるはずがない」という言葉が印象的でした。 夜の反省会で「僕が処分されることになったら教え子は舞台に立ってくれるだろうか」としみじみ語った人がいましたが、まさにそう思わせる二人の発言でした。二人が強調したのは、根津さんの教えは自分の頭で考えること、自分が正しいと思うことを自分で判断せよということだったと言います。なるほど都教委が恐れるわけだというのは容易に判断できます。自分のいじめに対する対応も含めて都教委に対する怒りを口にするのは十分納得できるところです。

 都教組八王子支部の夜間中学教員が立ちました。今年3月に不起立で処分されたと言います。自分の教える夜間中学に在籍する生徒の8割が外国にルーツを持つ、しかも外国とはかの「大日本帝国」が蹂躙したアジアの諸地域なのです。そこにルーツを持つ人々の前で歌うことは子々孫々まで日本の支配を宣言することになるのではないか。それが立てない理由である。しかし、八王子教育委員会はすでに「教職員の服務の厳正について」という通達を発し、職務命令を発してまで強制しようとしている。「自由・人権・民主」はタダではない、何とか内心と外的行為を一致させたいとの発言でした。

 次いで立ったのは都立高校前保護者(府中市民の会)たち。注目すべきは、日の丸・君が代処分が取り消されても日の丸・君が代は現場で行われるのではないかとの指摘です。発言者の一人は壇上で座ったという元PTA会長。保護者と教職員との連帯のあり方を考えさせられる発言でした。

 舞台に多数の被処分者と共に現れたのは被処分者の会・「予防訴訟をすすめる会」の共同代表。9・21の違憲判決から1年3ヶ月。未だに都教委の指示に変わりはありません。判決後も43名の被処分者が出ましたが、内半数は初めての処分者だそうです。今や現場は早期退職者が続出する始末。会は現在@予防訴訟、A被処分者への処分撤回、B解雇に対する裁判(これは6月に不当判決)、C不採用に対する裁判(これは2.7に一審判決)を抱えて闘っているということです。同じ場で東京「君が代」裁判弁護団事務局長が発言しました。彼が強調したのは、最高裁は今教育が一つの方向へしか向かわせていないことに対する危険性を理解していないということであり、教育論と法律論を結合することの重要性です。

 新潟被処分者の会事務局長からは、新潟県の学校現場における「日の丸・君が代」強制の状況と「新潟被処分者の会」の結成と活動についての報告がなされました。新潟県でも県教委の強制圧力が強まり2004年度末・05年度初には、入学式・卒業式に関する通知文書が出され、2006年、2007年と戒告が出ています。これらに対し「新潟被処分者の会」が結成され、粘り強い活動が取り組まれています。我々が闘いを止めれば、教員が加害者に、子ども達が被害者になるといった思いで取り組まれています。

 神奈川こころの自由裁判を進める会共同代表と神奈川県個人情報審査会異議申立人から神奈川での闘いが紹介されました。神奈川県教委は、「君が代」斉唱時に起立しなかった教職員の氏名と指導経過の報告をさせていました。これに対し「神奈川こころの自由裁判」の原告を含む県立高校の教職員が自分に関する報告の破棄を求めていました。去る10月神奈川県個人情報保護審査会は、「県個人情報保護条例が禁止する思想、信条に関する個人情報の収集に当たり」不当であるとして是正を求める答申を出しました。県教委はすぐにこれまでに集めた報告を破棄する方針であると発表しました。しかし一方で県教委は、引き続き氏名調査を行うため、県個人情報保護審議会に対し、条例が例外として認める「正当な事務や事業の実施に必要な場合」に該当するとして諮問しました。会は条例に対する批判も強めています。

新自由主義と闘いで問われる教育運動、労働運動の根本−−大内裕和氏

 以上すべての発言、議論の後、呼びかけ人の一人大内裕和氏が、いわば総括発言を行いました。彼はまず「日の丸」「君が代」強制反対の運動が、教育基本法改悪の反対に引き続き、またこの運動が国論を二分する状況を作りだし、改悪教基法が支持される状況にない状態を現出したことを描き出してみせました。運動の力があれば、小泉構造改革の下で「生きさせろ」という声をあげねばならぬほどのギリギリの状況に若者達が追いやられている根本にある新自由主義に対する批判がなされるということです。今現在、安倍が政権を投げ出すほどの大変画期的な政治状況が生み出されたが、底流には教育基本法改悪反対の力があり、「日の丸」「君が代」を阻止してきた現実があるということです。それにしてもより楽な方向、より安易な方向を選ぼうとしてきたことが、今日の苦しみをもたらしていることは否定できません。問われているのは教育と労働運動の根本であると力強く大内氏は結びました。

 その後、若者たちのヒップホップダンスの披露。最後に集会アピール・特別決議(沖縄、「日の丸・君が代」)の採択、集会アピールを持っての文科省、都教委への行動提起(実行委員会)の後に閉会しました。


2007年12月26日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局 M.O